自然の波に逆らうと歪む
2023/10/02 19:20:00 |
ふと思った事 |
コメント:2件
前回のブログ記事では、12歳〜20歳の時期はリンパ系のシステムが、
急速に高められた12歳の180%の状態から20歳の100%の状態まで、ピークダウンしてきている時期であり、
このピークダウンの時期に、コロナワクチンのような強力な異物を血管内で接触しうる形で投与されてしまうと、
結果としてリンパ系の異物除去システムとしての働きがオーバーヒートしてしまい、
時としてそれは発展途上のこどもを死に至らしめるほどの混乱を人体全体にもたらす可能性を指摘しました。
このピークダウンの流れ自体は人類学者のスキャモン氏が発見した発育曲線で、
おそらく大なり小なり人類全体に当てはまる発育における自然の流れであり、
言い換えれば「発育には自然の波がある」とも表現できると思います。
そして12〜20歳の時期にコロナワクチンをはじめとした異物との血管内への強制接触をさせる行為というのは、
この自然の波が下がろうとしている流れに真っ向から対立する刺激、言わば波を無理矢理押し上げようとする試みに相当するわけで、
ひょっとしたらそのように「波が下がる時期に無理矢理上げようとする刺激を加える行為」が最もシステム全体へ大きな負担を与えるのかもしれないと考え始めています。 人生にはさまざまな”自然の波”があると思いますが、
「波が下がる時期に無理矢理上げようとすると歪む」という言葉を聞いて私の頭に思い浮かんだのは、
人生そのものの波、すなわち人生80年と仮定した際に、生まれた瞬間からスタートして20代〜40代にかけてその人の活動性がピークに達し、そこから80歳に至るまでなだらかに活動性を落としていくという一連の流れのことです。
つまりこの人生の波において、「波が下がる時期に無理矢理上げようとすると歪む」というのは、老年期に無理矢理活動性を高めさせようとする行為に相当するのではないかと思ったのです。
具体的に言えば、衰えた機能に対する過剰な延命行為です。誤嚥性肺炎を繰り返す高齢患者さんは人生の波で言えば、言ってみれば食べるという機能を終えようとする波の終わり際の段階にあります。
その終わりの段階に対して、薬物療法で嚥下機能を高めようとしてみたり、嚥下リハビリで機能を高めようとしてみたり、
あるいは喉頭分離術という手術で気管と食道を完全に分離させ、誤嚥が物理的に起こらないように構造を変えてみたり。
それらは全て「波が下がる時期に無理矢理上げようとする行為」だと私には思えます。そしてそんなことをするとどうなるかと言えば、
リンパ球刈り込みという12〜20歳の波が下がる時期にワクチンを接種し、心筋炎という強力なシステムオーバーヒートを起こした人と通じるように、
身体中で炎症反応が抑えられなくなるレベルの誤嚥性肺炎へとつながってしまうと思うのです。
もっとシンプルに言えば、皮肉なことに、「自然の波の下りに逆らうことで、過剰な反応という苦しみが生まれる」ということです。
だから私は老化にまつわる様々な機能低下は、すべて基本的に受け入れて、薬やリハビリで修正するにしてもその介入は最小限を心がけ、生活に支障をきたすようになれば足りないところだけ介護の助けを借りるというのが、人生の最期を苦しまないようにするための最大のコツだと思っています。
だからもし自分が食べられなくなってきたら、食べないという時間を存分に楽しむつもりです。
ですがここでもう一つ大事になってくるのは、世の中は「食べることは生きること」という言葉をはじめとして、「食べること」に対するポジティブなイメージに偏り過ぎているということです。
逆に言えば、何も考えずにいれば世の中の多数派の価値観である「食べられないことは辛いこと」だという価値観に容易に満たされてしまうということです。
老年期に食べる機能が落ちた段階を迎えた時にその人は「食べることは生きること」や「食べられないことは辛いこと」という価値観に基づき、その食べられない状態に対してストレスを感じ続けることになってしまいます。そのストレスもまた「波が下がる時期に無理矢理上げようとする行為」に通じてしまうのです。
そういう価値観のまま老年期を迎えれば誰もが漏れなく臨終の間際には苦しいという大問題へとつながりかねません。
しかもその大問題は実際にあったとしても、目にみえる形としては上がってきません。なぜならば苦しみを感じる当事者はそのような大きな炎症を経て亡くなってしまうからです。
また仮に亡くなる前の声を聞けたとしても、その人は「食べることは生きること」という価値観に満たされていますので、「食べられなくて辛い」という声が聞かれることになります。
そうなるとその価値観そのものが苦しみを生み出しているという事実に誰にも気づかれないままに、そうして医療が勧めるままでの延命を施しても救えないどころか苦しみを生み出して最期を迎えるという一連の流れが、臨終の際の常識として定着し強固に固定していくことになっていきます。
だからまず私たちは自然の流れというものがあり、それにむやみに逆らわないということを深く見つめ直す必要があると思っています。
そしてきっと逆のパターン、「波が上がる時期に無理矢理下げようとする行為」も全体に歪みをもたらすであろうということも容易に想像がつきます。
それは、0歳〜12歳のリンパ系システムが急速に180%へと高まっていく時期に、極力異物と接触させないような行為に相当するのだと思います。
実際、こどもの頃に除菌・殺菌・滅菌環境を作り過ぎることによって、アレルギー、自己免疫疾患などの発生リスクが増える可能性があるという「衛生仮説」という考え方もあります。
この考え方に賛否はあるものの、この「自然の波に逆らうと歪む」という観点に立てば、一考の余地があるようにも思えます。
もちろん、一切自然の波に逆らってはダメということでもないように思います。湿潤療法のように自然の仕組みにちょっとだけ人為を加えるとうまくいくというケースはあります。
ただ、あまりにも自然の波に逆らうと歪んでしまうということであり、その原理を無視し続けているのが現代医学が主導する高齢者医療ではないかと私は思います。
高齢者に対する過剰医療はすでに様々な場面で指摘されているところですが、
その多くは適正な薬の量にしようと心がけたとしても、結局減薬しきれずにポリファーマシーが許容され続けている状況だと思います。
しかし高齢者に薬を処方すると行為自体が「自然の波に逆らう行為」だと考えればどうでしょうか。
考え直すべきは薬の量ではなく、薬を出すという行為そのものだということになると思います。
ところがこれも当の高齢者が「薬を飲まないと不安」だとか、「薬を飲むのは嫌だけど先生(医師)に怒られるには苦しい(良い患者でいたい)」という価値観で満たされていたとしたら、
大変残念なことに、本来は自然の波に従うことそのものであるはずの「薬を飲まない」という行為にストレスを感じてしまうことになってしまいます。
そういう意味でも、老年期に自然の波に従うようになるためには、
その人がどのような価値観を持っているかが大きな役割を果たすことになり、
その価値観を修正することができるのは本人だけであり、
本人が現代医療が推奨する価値観に何の疑問を持たずに過ごし続けてしまうと、
少なくとも構造的には老年期に確実に「自然の波に逆らう流れに乗る」ことになってしまうように思います。
その意味で主体的医療にしかその人を救えない領域が確実に存在していると私は考える次第です。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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レクチン
今回の本題とは関係ないのですが、最近「食のパラドックス」という本が話題になっていて、植物が産生するレクチンの危険性を訴えているのですが、糖質制限に大豆製品は欠かせません。
この本では大豆も食べてはいけない食品に含まれています。
こうなってくると、糖質制限は続けられなくなります。
先生は、レクチンに関してどうお考えですか?
Re: レクチン
ご質問頂き有難うございます。
レクチンの情報については私も聞きかじってはいるのですが、残念ながら皆様に語れるほど私の中で知識と経験が蓄積されていません。なのでわからないというのが正直なところです。
ただわからないなりに実践してみて体調がよくなるかどうか観察してみることはやってみてもいいと考えます。その結果、体調変化が良い方向に感じられれば少なくともその人にとっては有意義だと思います。ただしそれが万人に当てはまるかどうかは別問題ですので、広く伝えるべきかどうかを考えるには、多くの改善例と納得に足る理屈があるかどうかが大事だと思っております。そして糖質制限にはその両方があると私は考えております。
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