間違えないどころか、間違いを認めないでい続ける
2023/09/21 16:15:00 |
よくないと思うこと |
コメント:2件
兵庫県加古川市の市議会で、
藤原みつえさんという議員さんがコロナワクチンの問題点と
異例の超過死亡増加についての調査を市に求めている議会での動画を拝見しました。
私からするとごもっともな主張で、2021年より始まった超過死亡の増加原因として当然コロナワクチンは時系列的にも理論上も真っ当な調査対象でしょう。
ところがそんな藤原議員の主張に対して、市の健康医療部および市長が出された回答の要旨は次の通りです。
「国の専門家会議で問題ないと判断されている。指摘された問題は資源の限られた一自治体で独自に取り組むべき課題ではない。引き続き国の動向を注視していく」
これをスマートな回答だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ただこれはあくまでも「国や専門家の判断が正当に行われていれば」という条件の下で成り立つ意見だと思います。
逆に言えば、国や専門家の判断が歪んでいた場合に、この市の判断はその歪みを助長することになってしまうと私は思います。 アウシュビッツでの惨劇を中間管理職の立場でただ上からの指示に従い続けて支え続けたアイヒマンのことを思い出さずにはいられません。
もう一つ、医療界でエビデンス中心主義の医師からよく聞かれる言葉に次のようなものがあります。
「多くの国や世界的な公的機関で有効性も安全性も確認されたワクチンが問題があるはずがない」
これも「国や公的機関の判断が正当であれば」という条件付きではじめて成り立つ意見です。
ここで私は、「○○の判断が正当であれば」という前提で行う判断自体の危険性について注目してみたいと思います。
例えば、家庭においてはこどもの頃に親の判断に従う、あるいは従わざるを得ない状況ってよくあると思います。
ところが小さい頃は当たり前だと思っていた親の判断や考え方が大人につれて結構偏っていたり、一般的な意見とかけ離れていたりすることがわかるという経験って多かれ少なかれ皆あるのではないでしょうか。
そういう時に私がどう思うかといえば、「親も一人の人間、間違ったとしても無理もない」と思います。
そして改めて自分の頭で考えて、自分にとって良いと思える行動へと軌道修正していくという、いわば「守破離」の流れを踏んで行きます。
一方でこども時代の未熟で右も左もわからない時代に親の判断や思考が自分を成長へと導いてくれたことも事実としてあるわけです。
だから私にとって親は「教師でもあり反面教師でもある存在」なわけです。
親だからと言って盲目的に従い続けていたら社会に出て痛い目に遭いますし、だからと言って反発し続ければしたらでこれもまた身近な家庭という社会の中でつまづいてしまうことになります。
だから自分の頭で考えられるようになるまでは相手のことを参考にしつつ、
どれだけ相手のことが信頼に値するとしても判断を全て任せるのではなく、もしかしたら相手が間違っているかもしれないという前提で物事を考えていくことが、
結果的には自分が大きな被害を被ることを避けることができるバランスの良い生き方につながるのではないかと思うのです。
ところが冒頭の市議会やエビデンス中心主義の医師の発想に戻りますと、
ここは完全に「○○の判断が正しい」という前提で思考を進めてしまっています。
なぜそこまで全面的に相手に従うのでしょうか。もしも相手が親だったらもう少しは相手のことを疑えるのではないでしょうか。
それは社会全体で作り上げた対象への強固なイメージ、それを支える空気の存在が大きいと私は考えます。
「国が間違えるはずがない」「専門家が考えるのが最も適切な判断に至るはずだ」「公的機関の調査が最も信頼できる」
そうした固定観念を支持する社会がいつの間にか文化レベルで深く根付いてしまっていたということなのだと思います。
でも国や公的機関を構成する人達も、当然専門家の人達も、親と本質的には何も変わらない間違いを侵しうる人間です。
公的機関に勤務するようになったら突然間違わなくなるようなことは決してないのです。
むしろ、権威的な肩書きができる分、より間違いを認めたがらない人間になってしまうかもしれません。
本来は専門家であればあるほど、自らの間違いに敏感になって、間違いに気づいた時点で軌道修正してしかるべき存在だと思いますが、
残念ながら人間はそんな存在ではありませんよね。権力はプライドを作り、最も間違いを認めることから遠ざけます。
糖尿病の専門家が糖質制限食を完全に認めないこと、がんの専門家ががん放置療法を理解しないこと、
感染症の専門家がコロナワクチンの有害性を誰一人として認めないことが、そのような人間の本質を如実に表現していると思います。
これが避け難い人間の本質であれば、私たちはこれからどう生きるべきなのでしょうか。
それでもまだ、自分が考えるより国のお偉いさんが考えた方がマシな結果が出せるという方はいるんだと思います。
でも私は、大変残念なことに、そんなことは決してないということにコロナ禍を通じて気づいてしまいました。
むしろ今は国や専門家を信じて動いたら命さえ危うい時代に突入してしまったとさえ感じています。
市議会で私からすれば正当に思える意見がまともに受け止めてさえもらえない現状を見ていると、
そんな間違い続け、かつ間違いを認めないでいる国や専門家に対して正攻法的に意見を伝えようとしても、残念ながら力が及ばない時代にも突入してしまったとも感じています。
改めて私たちはこの歪みに歪んでしまった時代を、どう生きていくべきなのでしょうか。
少なくとも、誰かのことを「信じるか、信じないか」という基準で動かないこと、
相手が誰であろうと絶対に正しいという前提を持たず、誰もが「もしかしたら間違えているかもしれない」という考えを頭の隅に置きながら考え続けること、
常識にとらわれずに自分の頭で考えられるように、今の時代の常識を抜本的に見直して考え直すことのできる場を作ること、
国や専門家が用意するしくみにできるだけ頼らないための方法を具体的に実践していくこと、などが頭に思い浮かびます。
ただ、声を上げたり、身近な人とじっくり話したり、署名や抗議活動などの正攻法も無意味ではないと思いますし、
やり続けることで変わってくるところも確かにあるでしょう。けれど、そんな地道な活動だけではびくともしないほどに、
社会は歪んだ価値観に支配され、いつの間にかそれが動かし難いレベルまで根付いてしまっていました。
今の政治の在り方を見ていても、それを感じる人は多いのではないでしょうか。
もはやワクチン問題に限らず、今の政府はやりたい放題で、国民はやられっぱなしだと私は感じています。
それでも国を信じるというのであればそれは自由です。選挙で変わるかもしれないことにかけるのもまたいいでしょう。
でもそれ以上にやらなければならないことがあると、そうしなければならないほどに社会は歪みきってしまったというこの事実に向き合う必要があると、
このまま人生を不幸にされてしまう大きな流れに私は抵抗し続けていきたいと私は思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
マシュー・サイド「失敗の科学」
はじめまして。
「薬害」「なくならない」
で検索してブログに辿り着き、内容拝読しました。宜しくお願い致します。
さて、「一事が万事」「歴史は繰り返す」という格言通り、今回のワクチン以外の問題で同時に、あるいは歴史的に類似例がないか探すと糸口が見えると考えています。
その点、表題書籍は権威者が自らの誤りを自発的に認めるなど決してあり得ないことが明らかにされています。
そんな中でも現状を変える第一歩は、やはり地道に情報発信し続けるしかないと考えております。
Re: マシュー・サイド「失敗の科学」
コメント頂き有難うございます。
ご提示の書籍には大切なことが書かれているようですね。
私も地道な情報発信は大事だと思っています。
一方で地道な情報発信ではもはやどうにもならないほどに今の国は歪み切ってしまっているようにも私には思えています。
ただこれは私の主観であって、国の歪みが可逆的なのか、不可逆的なのかは実際にはわかりませんし、おそらくグラデーションです。
情報発信が大きな意義を持ってくるのは、この歪みがまだ可逆的に是正されうる段階においてだと思っています。
だからといって地道な情報発信をしない方がいいと言うわけでは決してないのですが、
情報発信をし続けながらも、もはや歪みが是正されずに不可逆的にこのまま国が滅びていく、もしくは誰も幸せにならない運命共同体となる可能性を考慮しつつ、ではどうすべきかという具体策について小さな一歩でもいいから考えていきたいと私は思っています。
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