なぜマスク着用に対する専門家の見解は一夜にして変わったのか
2023/08/09 17:20:00 |
ウイルス再考 |
コメント:6件
コロナ禍において医療は科学(統計学)の誤用により暴走し、
現代医学への信頼は失墜してしまったと私は感じています。
逆に言えば、今ほど医学を見直す必要性を強く感じる時期はないと思えるほどに、私は強い問題意識を抱いているという風にも言えます。
なぜここまで医学は暴走し続けてしまったのかについて本質まで掘り下げて理解していくことは、
今後新しい医学へと建て直していく上で大事なプロセスだと感じています。
今回のコロナ禍で言えば、コロナ前までは「マスク着用は感染予防に意味はない」と公言していた感染症の専門家が、
コロナ禍に入ってあっという間に「マスク着用は感染予防に有効である」という意見に一人残らず鞍替えしたという出来事は、
私の中で現代医学がおかしな方向へ向かっているということに確信を持たせる象徴的な事件でした。 一人や二人くらいならそんな風に、何かのきっかけでコロッと意見が変わってしまうことがあっても不思議ではないかもしれません。
しかし感染症の専門家という専門家の人達が一人残らず鞍替えしたのです。一人残らずです。
今だってなお「マスク着用は感染予防に意味はない」と公言している感染症の専門家を少なくとも私は見たことありません。
2023年3月13日の「マスク着用は個人の自由」という政府の宣言、5月8日からの感染症法上の位置付けが5類に変更になったことを受けて、マスクを外している人がたくさんいる状況をやむなく許容しているだけで、
「高齢者や基礎疾患のある人と会う時はマスクをつけましょう」などのように、依然として「マスクには感染予防効果がある」という前提で語っている感染症専門家しか見たことないです。
十分に吟味された上でならまだしも、「一夜にして」と言っていいほど急激に専門家の意見がひっくり返ったという事実を冷静に受け止めれば、
これは個人の問題ではなく、システムの問題であろうことを見通すことができると思います。
だから感染症専門家の個人を批判しても、ほとんど意味はないどころか、さらなる分断を生むばかりで無益だと私は思っています。
それよりは、なぜこんなことが起こってしまったのか、そこにはどんな問題があったのかを俯瞰的に考える方が、
今後新しい医学の在り方を考えていく上でよほど有益なのではないかと思いますので、
今回は「なぜマスク着用に対する専門家の見解は一夜にして変わったのか」について考えてみたいと思います。
まず個人の問題ではないと言いながら何ですが、考えるための切り口として感染症専門家の一人、岩田健太郎先生のブログでの発言を確認してみます。
また岩田先生に関しては2020年2月に出演されたビートたけしのTVタックルというテレビ番組での発言が有名なので、そちらでの発言内容も確認してみます。
まとめれば、岩田先生はコロナ前は「有症状者がマスクを着用するのは感染拡大防止に有用だが、健康な人がマスクを着用しても隙間から漏れるので感染予防に意味なし」という見解でしたが、
コロナ後は「マスク着用は感染予防に有用性あり」という種々の医学論文の結果を持ち出して、医療機関やいわゆる三密空間においてという条件をおきながらも、症状の有無にかかわらず全員が感染者という前提で全員にマスクを促すユニバーサルマスキングという考えを肯定されています。
要は「無症状者はマスク着用しても感染予防に意味なし」から「無症状者は(三密条件において)マスク着用することで感染予防に意味あり」へと見解が変わったというわけです。
と言っても、岩田先生はテレビ番組での発言に際しては具体的な条件を提示していないから意見が変わったとは認められないかもしれませんが、少なくとも私の目から見るとテレビ番組での発言は「一般に無症状者のマスク着用は感染予防に意味なし」という趣旨であるように映ります。
この岩田先生の発言の変化も参考に、あくまでも私の視点からではありますが、いくつか今回の命題を考える上で3つポイントを挙げてみます。
①専門家自身は見解の変化に気づいていないように見える
②ウイルス(感染症)という見えない対象に関する事象を取り扱っている
③無数に存在する医学論文の中から自分の考えに即したものをピックアップすること(チェリーピッキング)は基本的に可能である
これは専門家に限らない話ですが、人は自分が今までの人生で学んできたことのコア(核)となる部分を疑うことが最も難しいのではないかと思います。
私も含めて皆さんもきっと、自分の大事にしていることに対して「それは根底から間違っていますよ」と言われたら、おそらくいい気分はしないでしょうし、容易には認められないことと思います。
ところが、例えばそれが目にみえる形でぐうの音も出ない形で反証されれば、いくら大事にしていることであったとしてもその誤りを認めざるを得ないことはあるかもしれません。
例えるなら「りんごを手放すと常に地面に向かって落ちる」という考えを前提にした専門家がいたとして、その前提で様々な理論を組み立てて、その理論研究で権威者となり莫大な財産を築いていたとしても、
「無重力空間ではりんごを手放しても地面に向かって落ちない」という事実を突きつけられたら誤りを認めざるを得ない、というようなものです。
「りんごは常に地面に向かって落ちる」のではなく「2物体間において生じる重力によってそれぞれの物体は移動する」という2つの事実を同時に説明する新しい前提を採用することを、少なくとも客観的には認めざるを得ない状況になると思います。
ただし、それでも「そんな話は嘘っぱちだ」などと言って頑なに新しい前提を否定することもあるかもしれません。それまでに培った権威が大きければ大きいほど容易には新しい前提を認めないだろうと思います。
一方で、今回是非を検討している事象は、肉眼的には見ることのできないウイルスにまつわる話です。
現代医学ではウイルスという病原体が飛沫を通じて移動して、これが付着することで感染症が伝染するという前提に立って、見えないレベルの話を検証しています。
本当はウイルスの移動や付着は決定的な要因ではなく、主に人間側のシステムが乱れている場合においてのみ異物との接触を契機にオーバーヒートしている現象を「感染症」だと認識しているだけかもしれないのに、です。
また無数の医学論文についても、「マスクが有効」という前提に立つ方が都合がいい研究者が書いた論文と、別にそうしたしがらみのない研究者が書く論文とが当然混ざっていますので、
対象が見えないから実際にはどうなっているかが誰にもわからないまま、チェリーピッキングができてしまうということになります。
つまり「なぜマスク着用に対する専門家の見解は一夜にして変わったのか」と問われれば、
「権威の大きい医師の見解は、対象が見えないことによって、どんなに都合の良い言説であってもいくらでも支持することのできる医学論文の世界で守られているから」とまとめることができそうです。
言い換えれば「見えないことに不寛容な世界を現代医学の医学論文中心文化が作り上げてしまっているから」ということにもなるかもしれません。
考えてみれば、放射線についても、シェディングについても、同じことが言えますが、
対象が見えないから、誰もが認める決定的な結論を出しようがないのです。そして、こういう場合には権威がものを言う世界になってしまうのです。
そしてその権威は医学論文と紐づいているので、専門家がチェリーピッキングして自分にとって都合の良い医学論文を集めて行う主張が容易にまかり通ってしまいやすいわけです。何せ非専門家にはこの対象について考える切り口が少ないからです。
ところがこの見えない対象、今回のように「マスク着用にはウイルスとの接触によって生じるという前提で考える感染症とという状態を予防する効果があるか」という命題に対しては、
見えないながらも、既存の言説を疑うに値する現実で観察される事象が次々と明らかになってきました。
例えば「満員電車では一度もクラスターが発生していない」とか、「マスク着用率世界一の日本で世界最大の感染者数を記録する」などです。
ただし感染者数の話を出せば、各国で途中から検査体制が変わってきたので、「本当に日本が世界一の感染者数なのか」という点にも疑いが出ますし、そもそも何を持って感染者と判定するのかという基準にも危うさがものすごくあるので、話はさらにややこしくなってしまうのですが、
少なくとも「マスク着用に感染予防効果あり」という言説に無理があると感じさせられる種々の事象は現実に見受けられる状況になってきました。
それでも対象が原則見えないから、「満員電車では実は無症状感染者は大量発生しているけれど、たまたま発見されていないだけ」とか、「実は日本以外の国で感染者は大量発生しているけれど、まともに検査していないからそのように見えているだけ」などといくらでも既存の言説を支持する言説を生み出せてしまうのです。
そして何より専門家は既存の言説を最も否定されたくない人達です。
でもその既存の言説はそもそも何に由来しているのかということを考えれば、「病気には明確な原因がある」とする「病原体病因論」に起因すると私は考えています。
この「病原体病因論」が保たれている限りは、特に、見えない事象に関する専門家が信じて疑わない既存の言説は、チェリーピッキングされた医学論文によっていくらでも守られてしまうのだと私は思います。
世界の捉え方として「病原体病因論」が完全に間違っていると私は言いたいわけではありません。ただ世の中の見方があまりにも「病原体病因論」に偏り過ぎているのです。
そしてその「病原体病因論」に基づいて、見えないものに対してわからなさを断じてしまい、まるで見え切ったものであるかのように扱う科学(統計学)の誤用が生み出した医学論文中心文化の傲慢さが、
このような専門家の意見が一夜にして変貌するような信頼に値しない、それどころか人権を侵害するほどに歪み切った医学の暴走を生み出してしまったと私は考える次第です。
このような医学の暴走を止めるためには、かなり根元の部分から医学を見直していくより他にありません。
少なくとも「病原体病因論」と「宿主病因論」の両方の視点で病気というものを見直す必要があるでしょう。
言い換えれば、病気は外部要因によってもたらされているという見方もあれば、内部要因の乱れによって生み出されるという見方もあること、
病気とは敵のようでもあり(苦しさがもたらされる)、味方のようでもあり(環境に適応しようとしている)、その狭間で揺れ動いているような存在であると認識することです。
医学を見直すために必要なこととして、今回の考察から浮かび上がってきたポイントは、以下の3つです。
①医学論文の知見からは一旦距離をおいて、明らかに見える事実に注目すること
②見えないものに対して寛容になって、わからないことはわからないままでとどめ続けること(医学論文で安易に結論を出そうとしないこと)
③専門家とは既存の言説を見直すことが最も苦しい存在であると認識し、彼らの言説や主張とは距離を置きながら、人類全体にとってより良い方向に向かうような発想で「宿主病因論」の視点から考え直してみること
マスクについて言えば、暴論に思われてしまうかもしれませんが、
マスクの有効性を示す医学論文は全てスルーするくらいでちょうどいいかもしれません。
その上で、自分がマスクの着用で実際的に利があるかどうかという事実は、判断根拠として大事にしていいし、
その判断根拠が人によって異なるであろうことはあらかじめ理解し、基本的には相手の判断基準を尊重します。
本当にマスクが感染予防に効果があるかどうかはわからないままで許容します。何せ見えない対象ですから、新しい画期的な医学論文が出たとしてもよほど理屈上納得できるものでない限りはスルーです。
そしてマスクに依存しない形で「感染症」と認識される状況を作らないためにどうすべきか、
あるいは「感染症」と認識される状況になったとしても。それを直ちに悪いことだとは思わずに、
「感染症とは環境適応だ」という視点を頭に置きながら、それが速やかに収まるためにどうすべきかという自分の中での事実を大事にしていきます。
そして専門家や医学論文の意見からは最も距離をおき、自分の中で確かだと思えることを一つひとつ丁寧に集めていく作業を繰り返していくのです。
その際に違う意見を持つ人達の経験も尊重し、時にはそこから学びながら、
自分というものの範囲を広げていく、広げていくことで自分というものを保ちやすくする、
そういう行いを支えてくれる医学を新しく作っていくのです。
正直言って今医学が変わらなければ、
いや、医学に対する私たちの認識が今変わらなければ、
大袈裟ではなく人類は崩壊の一途となり、誰も幸せにならない世界へとつながってしまうと私は思っています。
きっとほとんどの人が、臨終の瞬間を病院や施設で、寝たきりで様々なチューブをつながれて過ごすことになってしまうことが避けられなくなってしまうという、今でも決して少なくない最期を迎える可能性はもちろん、
それだけではなくコロナ禍で大いに経験されてきたように、現代医学の暴走は際限なく人権を奪っていきます。奪われたことに気づかない人さえ出てくるかもしれません。
さらには金銭的にも医学に巨額の費用が投じられ、しかもそれが人類の健康につながらなくなります。
トリッキーなことに、一見苦しみを和らげているように見えて、長期的な視点で見るとどんどん身体を、自分で自分を整える力をどんどん蝕んでしまい、
最終的には不幸せな最期を迎えることになるという未来が私には見通せてしまいます。
これだけ「病原体病因論」の文化が浸透してしまっている中で、前提を見直すのは至難の業かもしれませんが、
あるいはゾウに立ち向かうアリのごとく、どれだけ努力したところで徒労に帰す結果となるだけかもしれませんが、
それでも人類が崩壊に向かう未来が見通せている状態で何もできずに指を咥えて見ているよりはマシです。
私は私で人生に悔いのないように、自分が気づいた新しい医療の前提を伝え続けていこうと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
間違いに気づいてください
>コロナ後は「マスク着用は感染予防に有用性あり」という種々の医学論文の結果を持ち出して、医療機関やいわゆる三密空間においてという条件をおきながらも、症状の有無にかかわらず全員が感染者という前提で全員にマスクを促すユニバーサルマスキングという考えを肯定されています。
ここまでは正しいです。
>要は「無症状者はマスク着用しても感染予防に意味なし」から「無症状者は(三密条件において)マスク着用することで感染予防に意味あり」へと見解が変わったというわけです。
要はと言っておきながら、ここで間違っています。だがしゅう先生の賢さを考えると読者にわざとミスリードさせているのかもしれないと思いつつ、全体を読むと本当に勘違いされているのかもしれないとも感じます。
どこが間違いかわかりますか?
「無症状者はマスク着用しても感染予防に意味なし」
これが間違いです。
ご自身でも書いているように、マスク着用が意味がないのは「健康な自分への感染」です。「無症状者」がマスクをする意味と、「健康な人」がマスクをする意味の違いを、だがしゅう先生ほどの方がわからないとは考えにくいのですが、だとしたらなぜこのような記事を書かれるのか、何を読者に勘違いさせたいのかというのが気になります。
Re: 間違いに気づいてください
ご意見頂き有難うございます。
まず私に読者を意図的にミスリードしようという意図は全くございません。単純に私の思いを綴っているだけです。
もしkamkamさんのおっしゃる通りなら、「私の勘違い」と言うのが正しい認識になると思います。
ただkamkamさんの認識と私の認識とで異っていると思われる箇所がございました。
> 「無症状者」がマスクをする意味と、「健康な人」がマスクをする意味の違い
kamkamさんは「無症状者」と「健康な人」を明確に区別しておられるようで、おそらく「無症状者」を「無症状感染者」という意味でおっしゃっておられるのだと思います。間違っていたら申し訳ございません。
ですが、私は「無症状感染者」と「健康な人」の厳密な区別は困難だと考えております。
2021年5月1日(土)の本ブログ記事
「結核の無症状感染者から分かること」
https://tagashuu.jp/blog-entry-1902.html
もご参照下さい。
従って、以下の私の記載についてですが、
>要は「無症状者はマスク着用しても感染予防に意味なし」から「無症状者は(三密条件において)マスク着用することで感染予防に意味あり」へと見解が変わったというわけです。
ここでの「無症状者」という私の言葉は「健康な人」と実質的に同じ意味だとお考え頂ければと思います。
この視点に立てば、私は勘違いしているわけではなくて、単にkamkamさんと前提が異なっているだけということになると思います。
ちなみに私のニックネームは「だがしゅう」ではなく「たがしゅう」です。宜しくお願いします。
賢いとご評価頂いていることについては有難うございます。
医学の暴走ですか?私には暴走しているのは一部の医師で、権力に忖度して意見を変えた一部の医者のモラルの低さを糾弾したいです。
いずれにせよ、コロナ禍でいかに多くの医者が当てにならないかということが改めて浮き彫りになったと思います。人間ドックを受けてもアップデートできていない医師が多いなと思っていましたし(もしかしたらアップデートしていないのではなく儲けの為に自分でも信じていないことを我々に伝えているのかもしれませんが)。勿論、たがしゅう先生を筆頭に信頼に足る医師の方が多数存在していることも承知しています。
政治家をはじめ、この国の民度の低下を憂います。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
> 医学の暴走ですか?私には暴走しているのは一部の医師で、権力に忖度して意見を変えた一部の医者のモラルの低さを糾弾したいです。
ごもっともだと思いますし、私も正直言って一部の医師達の態度には目に余るものがあると思っています。
一方で彼らに何を言っても無駄感が強いですし、負の感情は負の連鎖となりまた巡り巡って自分を傷つけることにもつながるとも思っていますので、ある意味で彼らもシステムの犠牲者だという視点にあえて立って、システムを変えていくにはどうすべきかを私は考え続けています。
憂う気持ちはよく理解できます。その気持ちを抱えながら、一歩ずつでも今できることを積み重ねていきたいです。
いつも興味深いお話ありがとうございます
多くの人は「病原体病因論」のスタンスなのかも知れませんが、同じ環境、同じウィルスや菌が体に入っていても、その時の宿主の状態、あるいは相性などで病という結果は異なる、というのは大いにありうる話と感じます。
2.また、マスクに関しての論説の変わりようは私も興味深く見ておりました。コメントにもあるように、基本の思想は「誰しもが感染源となるウィルスを保有している」という前提で、人間同士の接触を制御、ないしは隔離しようとする事で感染を封じ込めようとした、ということかも知れませんが、だとすれば社会的生物である人間においてはおよそ現実味がない戦略で、早晩破綻するのは目に見えていました。
3.結局のところ、私たちの祖先から繰り返されてきた自然淘汰の歴史のように、生き残る個体は生き残り、そうでない個体は消えていく、という流れには逆らえないのではないか?というある種の達観めいた気持ちもあります。
ただ、今回の場合は欠陥だらけのmRNA製剤の頻回投与による淘汰が起こっていそうな懸念もありますが、これもデマや陰謀論として当分は扱われるのかも知れませんね。
3.長い歴史の1ページとして俯瞰的に見れば、今の医学やシステムに対しての信頼の失墜も、新しい始まりとなる可能性があります。私自身も謙虚な気持ちを忘れずに、色々な方々から学ばせて頂きたいと思っております。いつもありがたく拝見させて頂いております。
4.ギリシャの詩人アルキロクスは、「キツネは多くのことを知っているが、ハリネズミは一つの大きなことを知っている」という言葉を残したそうです。
今回のコロナ狂騒では、ハリネズミが世界をコントロールしようとした結果、その思惑通りに現実は動かず、現実もその思惑に左右されて傷んだ、そんな印象を受けております。
Re: いつも興味深いお話ありがとうございます
コメント頂き有難うございます。
> 長い歴史の1ページとして俯瞰的に見れば、今の医学やシステムに対しての信頼の失墜も、新しい始まりとなる可能性があります。
勇気を頂けるお言葉です。確かにそうですね。
今ほどの歪みが現れたからこそ新しい一歩を踏み出すことができたとも言える一連の騒動だったと言えると思います。
この教訓を是非とも新しい形の中で活かしていきたいです。
> 今回のコロナ狂騒では、ハリネズミが世界をコントロールしようとした結果、その思惑通りに現実は動かず、現実もその思惑に左右されて傷んだ、そんな印象を受けております。
言い得て妙ですね。どれだけ思い通りに世界を動かしているつもりであっても、結局は偉大なるものの範疇の中で動かされている構造なのかもしれませんね。
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