病気とみるか、適応反応と見るか
2023/05/18 11:10:00 |
主体的医療 |
コメント:12件
前回は現代医療は飲食店でのツケのようなもので、その場しのぎの対応を延々と繰り返し続けるだけで、
一向に根本的な解決には向かわず、次第に秩序が崩壊して不可逆的な段階へと移行してしまう、そして医療において崩壊するのは自分自身の身体であって、現代医療に委ね続けると最期に待っているのは不本意な終わり方だという私見を述べました。
今回は具体的にどうすれば現代医療に委ねずに、委ねるとしても一時的で済むようにできるかについて、私の考えをこの場で共有しておきたいと思います。
そのために一番大事なことは現代医療が構築してきた概念を一旦壊して再構築することだと思っています。
壊すと言っても粉々に壊すわけではありません。例えば「生物の最小単位は細胞である」といった要素は、細胞をどう認識するかという視点に変化の余地はあるものの、生物の最小単位は細胞ではないとか言い始めたら流石に粉々に壊し過ぎです。
それでは例えば、「高血圧症の9割は原因不明である」についてはどうでしょうか。 現代医学の中では高血圧症に対してそのように捉えられています。ただこれは「高血圧症」という病気があるという視点から見た捉え方です。
しかし主体的医療の視点で見れば、血圧が上がるという現象は一種のストレス適応反応であり、身体に何らかのストレスがかかったときに発生する必然的な現象です。
そう考えれば、「病気」として捉えれば9割が原因不明という話になることも、「適応反応」と捉えれば1つに絞ることはできなくても複数のストレスが自覚的にせよ無自覚的にせよ積み重なって起こっている現象だと見ることができます。
そうすると「病気」と捉えていれば、薬を使って下げるしかない治療方針も、そもそも知らないところで無理をしていたことを知らせる高血圧を契機に自分を労り、はたして何が自分のストレスになっているのかについて考える機会を与えます。
熟考を経て、「自分にとってのストレスは○○かもしれない」などと仮説を立てて、それを解消するための行動をとるというのが主体的医療の視点に立った場合の治療方針になります。
ストレスは肥満で肉体的な負荷がかかることだと思えば体重を減らしてみればいい、ストレスは人間関係の悩みだと思えば解決に向けて誰かに相談してみるのもいいでしょう。何がストレスなのかわからない場合はとりあえず対話の場を作ってみるのも良いアイデアではないかと最近は思っています。
この「病気とみるか、適応反応と見るか」という視点の違いは、何も「高血圧症」に限った話ではありません。
脂質異常症、糖尿病、高尿酸血症、風邪症候群、気管支喘息、アトピー性皮膚炎、てんかん、関節リウマチ、認知症、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)など、あらゆる病気に当てはまることだと私は考えています。
そして病気とみるのが現代医療の根幹をなす概念であるわけですが、この「病気とみる」ことには大きな特徴があることを見逃してはいけません。
それは病気とみることによって「被害者」の意識が生まれるということです。私は不幸にも「病気」というものにさいなまれた「被害者」だという意識です。「こんな不幸な私を誰か(お医者様)助けてください」という意識です。
その「被害者意識」は対象となる「病気」が難病化すればするほど強くなる傾向がありますし、特に「がん」という「病気」に関して言えば、その「被害者意識」が非常に強くなる文化が強固に醸成されてしまっているようにも感じます。
がんにおいてはその「被害者意識」が強くなるが故に、子宮頸がんなどのがん予防ワクチンに関心が寄せられやすいという側面もあるかもしれません。
いずれにしてもこの「被害者意識」というのはとても厄介な存在です。
実は私は整形外科での診療経験もあって、交通事故に遭った患者さんを診る機会も多いのですが、
交通事故におけるいわゆるむち打ち症状、医学的には「外傷性頚部症候群」と呼ばれる病気は、この「被害者意識」が強ければ難治化する傾向があるように感じています。
もちろん、交通事故であれば「被害者意識」が生まれるのは必然的だと思いますし、10対0でどちらかが一方的に悪いという事故はないと一般的には言われているものの、「被害者意識」が生まれやすい事故状況は確かにあることでしょう。
ただその妥当性の如何に関わらず、「被害者意識」というのは言わば自分にとって強固な慢性持続性ストレスですので、そのこと自体が自律神経を過剰に刺激し続け、病態を悪化させるという構造があります。
つまり相手への憎しみが強くなればなるほど、分断や負の連鎖を生み出し、結果的に自分自身が苦しむ方向へ向かう戦争の成立と共通構造を持っているということです。
しかも交通事故であれば「被害者意識」を持つこともある程度やむなしと思えますし、自分が同じ交通事故に遭っても「被害者意識」を持たない自信はありませんが、こと「病気」に関して「被害者意識」を持つことについてはどうでしょうか。
本質的には「病気とみるか、適応反応と見るか」によって「被害者意識」が生まれるかどうかに関わってくるわけですから、
身体に起こる不調を「病気」とみなす現代医療の文化そのものが、病気を難治化する構造を持っているとも言えますし、
現代医療の「病気」とみなすスタンスが、体調を崩した人が「被害者意識」を持つことを許しているし、「被害者」だから私は何も努力をしなくていい(する必要がない)から、誰かからの救済を求め続ければいいという行動を許し、むしろその行動が正当であるかのように勧めているとも言えると思います。
そうやって「自分は病気という不運に見舞われた被害者である」という意識、さらにはそれを許して認め続ける現代医療の構造、それによって何も自分からの行動は起こすことなく、あるいは起こしたとしても的外れな行動(例:高血圧に対して塩分を減らすなど)を推奨してしまい、
結果的にどんどん悪化していく病気(適応反応)に対してさらに薬を増やしたり、手術を行なって見えなくすることで、どんどん起こっていることの本質を隠し続けるような行動が勧められ続けてしまう、それが今医療において定着している偏りの本質ではないかと私は考えています。
従って現代医療に頼らないためには、現代医療が「病気」とみなしているものを「適応反応」と捉え直すことがスタート地点ではないかと私は思います。
世の中には「適応反応」を知らないうちに過剰化させてしまう様々な文化・価値観・概念・構造が大変幅広くはびこっているという前提に立てば、
自分が「過剰化した適応反応」を是正するために取るべき行動として、現代医療が提案する方法と異なるものを選べる可能性が高くなってきます。
ただそれだけではまだ不十分です。「現代社会の中にトリッキーに散在する様々な文化・価値観・概念・構造とは何か」についての知識がないと、結局わけもわからないうちに適応反応が過剰化していき、結局現代医療が提案する方針に委ねるしかなくなってしまうからです。
個人的には、いつの間にか適応反応を過剰化させるものとして、まず「糖質の中毒性」というのは非常に大きなファクターだと思っています。
なぜならば糖質は現代社会の中でタバコやアルコールに勝る中毒性があるにも関わらず、合法的ですし、むしろ文化的に重要なものとして扱われていますし、食品の中で安価なものですし、
おしゃれな食べ物の中に必ずと言っていいほど入っていますし、一時的とは言えドーパミンの分泌を促し多幸感をもたらす側面もあるからです。
この「糖質の中毒性」について知った上で糖質中毒になるのと、全く知らないで(あるいは認めないで)糖質中毒にはまるのでは「被害者意識の生まれやすさ」という点で雲泥の差があります。
「糖質の中毒性」について情報を持っていないと、高血圧になっても、糖尿病・肥満になっても、あるいは過剰適応から消耗疲弊にいたり認知症になっても、「なんで自分がこんな目に…」という被害者意識が拭えなくなる可能性が高いです。
だからまず「糖質の中毒性」について十分に知識を持っておくことは、主体的医療において欠かせない条件です。
もう一つは「断食」の価値を知っておくことです。
「糖質」についての知識があったとしても、食に関してもう一つトリッキーな存在として「食品添加物」があります。
全国どこにいても安定的な食品が手に入れられるような仕組みを構築するために、人類は様々な「食品添加物」を生み出してきました。
その影で知らないうちに訳のわからない「食品添加物」をいつの間にか摂取し続けるリスクと私たちは向き合わなければならなくなってしまいました。
もはや「食品添加物」なしで生きていくことは不可能と言っていい状況だと私は考えていますが、一方で「食品添加物」があるおかげで安定的に食品が得られていることもまた事実ですので、それ自体は必要悪だと私は考えています。
ただ必要悪だと言っても、食品添加物は言わば異物ですから、知らないうちに異物除去システムが駆動され続けるリスクも抱えてしまうことになります。その際もし「食品添加物」が主たる原因に追い込まれたとしたら、これを減らすことはできてもゼロにすることは難しい状況に追い込まれてしまいます。
そして何が原因かもわからないままに、分かったとしても対処しきれないままに異物除去システムが駆動され続けてしまった場合に頼りになるのが「断食」というアプローチです。
断食の良さについては以前動画でも語ったことがありますが、少なくともやせるということではありません。
無自覚の異物を除去し、脂質代謝やオートファジーなどのリサイクルシステムを活性化する仕組みを動かし、場合によっては遺伝子も調整(エピジェネティクス)によって環境適応を図ることにもつながるよさが断食にはあります。
しかも断食にはお金がかからないので、全人類に残された奥の手的なアプローチとしてみることもできます。
しかし「食べることが善」みたいな文化に染まっていると、「断食」には「痩せ細ってしまう」とか「宗教的な儀式」などのネガティブなイメージが付きまといかねませんし、
同じ食べていない状態を、自ら食べない「断食」と捉えるのか、食べたいのに食べられない「飢餓」と捉えるのかによって、これまた「被害者意識の生まれやすさ」に差が出ます。
だから「断食」というか、食べないことの価値についてあらかじめ知識とともに、安全な環境で「断食」の実体験を積み重ねておくことはまた主体的医療の実践において大きな助けになることと思います。
最後にもう一つ、いつの間にか適応反応の過剰化にさいなまれないために重要な要素は「哲学」です。
「哲学」というか、今まさにやっているように「現代医療」や「病気」と呼ばれる概念を一旦解体して再構築する作業に慣れておくことです。
言い換えれば私が「ストレスマネジメント」と呼んでいるものです。固定観念や強固な価値観によって引き起こされる慢性持続性ストレスを、そうでない見方に気づくことによって緩和することができるからです。
この「哲学」によるアプローチについては、様々な個別ケースが存在し、なかなか一般化して語ることは難しいので、ここでは具体的な方法について語ることは避けますが、
「哲学」に親しんでおくことで、様々な価値観の表と裏の見方に気づくことによって、少なくとも一方的に慢性持続性ストレスがかかるリスクを軽減することができるはずです。
ただ「哲学」さえ学べば大丈夫というわけでもありません。「現代医療」そのものを見直すことができなければ、いくら優秀な「哲学者」でも「病気」のコースにまっしぐらですので注意が必要です。
例えば「コロナがウイルスによって引き起こされる感染症」という概念を疑えなければ、やはり「哲学者」であってもワクチンについて疑問を持つことがなくても不思議ではないと思います。
そんなわけで、主体的医療を実践するための基本として「病気」を「適応反応」と受け止め直すこと、
さらに「糖質の中毒性」「断食」「哲学」についてあらかじめ親しんでおく必要性について述べて参りました。
とはいえ世の中には様々な病気があるし、治療法があるし、病気を前提にした研究が世界中で行われている実情もあります。
それはそれとして認めながら、私は世の中で定義されているあらゆる「病気」を、「適応反応」として再構築して、
世界中の人が主体的医療の土俵に乗りやすくなるように、現代医療とは異なる視点を提供し続けていこうと思います。
それが医学について詳しい立場にあり、糖質制限を通じて現代医療そのものを疑う機会に恵まれ、さらに哲学に興味を持つことができた私にできる社会貢献だと信じて活動を続けます。
一旦保留にしていましたが、次回こそ「悪性リンパ腫」という「病気」の異なる見方について書こうと思います。
たがしゅう
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プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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今回のお題「病気とみるか、適応反応と見るか」というお話は、「病原体病因論とみるか、宿主病因論と見るか」と言うこととほとんど同義かなぁと思いながら読ませていただきました。
以前から疑問だったことに、例えば狂犬病のようにウイルスが確定していて、発症してしまえばほぼ助からないという病気の場合、これも宿主病因論とみなせるのでしょうか。水などを恐れるようになる特徴的な症状があり、発症原因の特定もされているようでもあり、人獣共通感染症でもあり・・・と病原体病因論が当てはまってしまうもののようにも感じてしまうのですが、その辺りの捉え方のお話が聞けると、更に理解が深まるように思えるのですが。よろしければアドバイスなどよろしくお願いします。
Re: タイトルなし
コメント及びご質問を頂き有難うございます。
過分なご評価も頂き恐縮です。
> 以前から疑問だったことに、例えば狂犬病のようにウイルスが確定していて、発症してしまえばほぼ助からないという病気の場合、これも宿主病因論とみなせるのでしょうか。水などを恐れるようになる特徴的な症状があり、発症原因の特定もされているようでもあり、人獣共通感染症でもあり・・・と病原体病因論が当てはまってしまうもののようにも感じてしまうのですが、その辺りの捉え方のお話が聞けると、更に理解が深まるように思えるのですが。
これは鋭いご質問だと思います。
私もその点については考えていて、ここでも常識にとらわれない考察が必要だと考えています。
一つは狂犬病は本当に致死率100%なのかという視点です。
実は典型的な重症例だけ狂犬病だと認識されておらず、他にも犬に噛まれたけれどそこまで重症化しなかった無数の患者がいて、そうした患者に狂犬病ウイルスの検査が行われず見過ごされてるだけなのではないか、という可能性があります。ちなみに狂犬病の診断にもコロナで散々無症状感染者の発掘が問題となったPCR検査が使われています。
もう一つは狂犬病ウイルスのせいで重症化しているのではなく、動物咬傷という外傷の特徴が重症化をもたらしているのではないかという発想です。一般に動物交渉は傷が深く狭く、傷口も不整になりがちです。その結果、雑菌が侵入しやすかったり、雑菌が繁殖するための血液や滲出液の溜まりができてしまいやすく、感染を成立させてしまいやすくなります。破傷風菌などが有名ですが、それ以外の菌が原因で感染症が起こる可能性も十分にありますが、犬に噛まれて重症感染症をきたしたら狂犬病かもしれないという先入観で狂犬病ウイルスPCR検査が実施され、因果関係は不明なのに陽性だと出たら狂犬病だと確定してしまっている実情もあるかもしれません。そうなると狂犬病を含めた動物交渉後の重症感染症を防ぐためには狂犬病ワクチンや破傷風菌ワクチンを打つことよりも、動物咬傷の傷の管理を適切に行う(例:ナイロン糸ドレナージ、必要に応じて抗生物質を使用する、など)方が重要になってくる可能性があると思っています。
この辺りはいずれもう少しまとめてから記事にしたいと思っています。
自分の頭を使えってことですね
>「病気」を「適応反応」と受け止め直すこと
風邪などと際に発熱をするのは外部から侵入しているウィルスを撃退するためであり、解熱剤などで無理に下げるのはよくない、という話を思い出しました。
体が黄色信号を出している間に原因を見つけて改善してあげれば(ストレスマネジメントや食事の改善など)赤信号に行くことを防ぎ、青信号で生きていくことが出来るかもしれません。
悲しいことは、現代医学では対処療法が主流でなんでも薬や手術です。お医者さんが「高血圧だから食事やストレスを見直してみてはどうですか?」とアドバイスをすることが出来ないのは何故なのでしょうか。1)医者自体が対処療法の教育を受けてきたから、2)薬を出すほうが儲かるから、などの理由なのでしょうか。。。
被害者意識のお話も深いですね。腰痛なども「痛いと思うから痛い」と本で読んだことがあります。この辺のことは人生すべてに言えることですね。何でも人のせいにして被害者意識を持つことで不幸な日常を送っている人々が多いです。
糖質の中毒性ですが、2日ほど前に夫が「最近甘いもののつまみ食いが多いからきっぱりやめる!中毒性があるからね」と言ってやめたばかりでした。つられて私も手綱を締め直したところです。スイーツショップを経営しているので甘いものに囲まれてるんです。
断食の動画、あとで見させていただきます。以前、先生の断食道場体験談なども読ませていただきましたし、とても関心があります。
Re: 自分の頭を使えってことですね
コメント頂き有難うございます。
また過分な御評価を頂き、大変有難いです。
> 悲しいことは、現代医学では対処療法が主流でなんでも薬や手術です。お医者さんが「高血圧だから食事やストレスを見直してみてはどうですか?」とアドバイスをすることが出来ないのは何故なのでしょうか。1)医者自体が対処療法の教育を受けてきたから、2)薬を出すほうが儲かるから、などの理由なのでしょうか。。。
あくまで私が医療業界で過ごして感じた印象でしかありませんが、
まず自分が行っている治療のことを明確に対症療法だと認識しながら行っている医師は少ないように感じています。
特に手術について言えば、対症療法だとは思っていない医師がほとんどで、根治療法だと思っていることでしょう。
しかし私に言わせれば、とりあえずリスクをとりながらも目の前から消しただけの状態で、どうしてそのような状態が起こったのかに関しては未解決なのが手術療法だと思っています。
それがスタンダードな治療法だと認識しているとその治療法のおかしさを認識する余地がなくなってしまうのだと思います。そういう意味で一歩業界から離れた視点から俯瞰で見つめ直す姿勢は大事ではないかと私は思います。
薬を出す方が儲かるからという意識は開業医であればともかく、少なくとも勤務医にはないはずです。薬を出そうと出すまいと一応建前としては給料は一緒です。でも保険診療制度の中で、いかに薬を出して早く診療を終わらせて患者を回転させるかが経営の鍵となっているシステムそのものが、儲かる儲からざるに関わらず薬を出す行為が常態化する一つの要因ではないかと思います。余談ですが、そういうことも私が保険診療から撤退する理由の一つとなっています。
断食については一度余裕のある時に体験しておくことを私はおすすめします。自分の身体が持つ幅の大きさに驚くはずですし、食べない時間が長ければ長いほどお腹が空くという固定観念からも解放され、いろいろな意味で勉強になりますので。それにあらかじめ経験していないと、いざという時にはじめてやろうとしてもハードルが高すぎると思います。
断食について
>自分の身体が持つ幅の大きさに驚くはずです
素敵ですね。こういう感覚を知ってみたいです。
ただ、私の場合BMI18ぐらいしかなく、1回の食事で多く食べられない体質です(肉とか多分夫の1/5ぐらいしか食べません)。以前1日1食にしていた時に歯茎が白くなってしまい歯医者に心配されたことがあります(1ヶ月間2食にしたら戻りました)。
10日断食とかトライしてみたいですが、上記のような経緯もあり、食べないと家族に心配されてしまいますし、食事を一緒に楽しむという時間をなくすと相手に申し訳ないという気持ちもありますね。先生は奥様も一緒に断食を楽しむって感じですか?
他の人のyoutubeを見たらBMI18以下の人にはお勧めしないと言っていたこともあり、家族を説得するためにももっと勉強してみようと思います。また色々教えてください。
Re: 断食について
コメント頂き有難うございます。
確かにやせ型体質の方が断食を行う際には一定の注意が必要と思います。
私の理解では、やせ型体質の方は遺伝要因かつ環境要因の影響を受けて脂質代謝を利用するのが苦手になっている方です。
理由はともかく断食しても脂質代謝がなかなか駆動されないので、何も考えずに断食を行うと糖質のエネルギー不足でむしろ体調不良に見舞われてしまうリスクがあると思います。
私自身は肥満型体質のため、あくまでも推論しかできず、可能であればどなたかやせ型体質の方に実証してもらいたいと密かに願っているのですが、やせ型体質の方もゆっくりと脂質代謝を使うことに慣らしていけば、断食の恩恵を受けることはできるのではないかと考えております。
具体的には脂質代謝に慣らしていくために、「緩やかな糖質制限(糖質量40g程度)→プチ糖質制限(1食だけ糖質10〜20g※脂質・タンパク質は満足いくまで摂る)→スタンダード糖質制限(2食だけ糖質10〜20g)→スーパー糖質制限食(3食とも糖質10g〜20g)→プチ断食(1食だけ断食)」などと段階的に食事を変えていくことで、脂質代謝システムを少しずつ賦活していくという作戦を取ります。その際、ちょっとでも体調を崩すようなことがあれば、一旦前の段階の食事の戻し、しばらくそれで落ち着くまで続け、また余裕があれば次の段階を試してみる、などのように亀の速度でもいいからゆっくりと進めていくという方法です。こうすれば理論上はやせ型体質の人でも次第に脂質代謝が使いやすくなるのではないかと私は考えています。ただし稀にいくらゆっくり慣らしても脂質代謝へ一向に適応しないケースもありえ、その場合は脂肪酸代謝異常症などの先天的な要素が絡んでいる可能性があるので、ここだけは注意が必要です。
結構地道な作業ですし、ストレスに感じるといくら食事を工夫しても糖代謝優位(脂質代謝が使いにくい)になるので、理論通りいくとも限りませんが、もしも余裕や興味があれば是非とも参考にして頂ければ幸いです。
Re: 断食について
私の場合糖質制限を始めて6年で、朝食はその間ずっと抜いています。朝食を無理して食べていたタイプだったので嬉しいし体調もいいし良いことづくめです。
>どなたかやせ型体質の方に実証してもらいたいと密かに願っているのですが
一人暮らしだったら手を挙げているところです、笑。
私の場合、幼少期から運動が苦手で筋肉もありません。そのため、代謝も悪いのではないかと考えてます。
脂質代謝というものがどのようなものか分からず調べてみましたが今ひとつ分からず。もっと勉強してみます。
今でも毎日16時間程度断食していますし、基本的にはスーパー糖質制限してます。ただ、勉強を怠ると糖質の恐ろしさが薄れてしまい悪いものを食べてしまいがちに。常に本やネットで手綱を締めないと、と思ってます。
Re: Re: 断食について
御返事頂き有難うございます。
やせ型体質で、すでにスーパー糖質制限食や16時間ファスティングに適応されているのですね。
それであればもっと長い時間の断食へも適応しやすいかもしれませんね。
勉強していないと糖質への認識が緩むという点も非常に共感できます。現代社会は糖質ありき、糖質中心で豊かな文化が形成されている(もちろん中毒・依存などの負の側面もあり)と言っても過言ではないので、「糖質は毒」というくらいに思っておく方がバランスがとれるのかもしれませんが、自分の欲望との闘いでもあり難しいし、なかなか単純にはいかないなぁと思っております。
「脂質代謝」という言葉は確かに意味がざっくりとし過ぎてあいまいであったかもしれません。
私が「脂質代謝」という言葉を使う時に、貯蓄エネルギーを切り崩して利用可能エネルギーを生み出す「易化反応」的な側面と、同じエネルギー利用可能状態であってもグルコース(糖)よりもケトン体(脂質)を優位に利用する「脂肪酸-ケトン体代謝」の2つの側面が混ざってしまっているように御指摘を受けて気づきました。今回の断食において脂質代謝を活性化するという言葉は前者も後者も混ざった意味として使っています。
ちなみに「易化反応」の反対は「同化反応」ですが、やせ型体質の人はこの「同化反応」の幅が肥満型体質の人に比べて小さいものと推察され、それは先天的な要因が大きいと考えます。それが故に後者の「脂肪酸-ケトン体代謝」を働かせにくいと言えますが、ファニーさんがスーパー糖質制限食に適応されているように、もともとその人が持っている反応の幅の中で上手に身体を使うことで「脂肪酸-ケトン体代謝」を十分活用することは可能で、こちらは後天的に修飾可能な要素だと私は考えています。
Re: Re: 断食について
わかりやすいご説明をありがとうございました。確かに納得です。空腹時にケトン体代謝が働けば栄養失調的な反応は起こらなかったわけですね。ケトン体が体内でできる仕組み、働ける仕組み、などを勉強して上手く適応してゆきたいですね。
実は昨夜、断食とケトン食って何が違うのか?目指すところは似ているのか?などと考えていました。先生のご指摘を考えると、ケトン体代謝が働きにくい人はケトン食でも栄養失調になる可能性があるのかもしれませんね。
あるいは。。。私の場合、1日1食(食事量が少なすぎる)という期間が長すぎたという単純な話もあり得るのでしょうか。断食でも30日とかすると痩せタイプは死亡しますし。
>スーパー糖質制限食に適応
個人的にはスーパー糖質制限には(ほぼ?)全ての人が適応できるし健康に良いのでは?と感じています。適応できないというより、「タンパク質と脂質をしっかり摂取しない」とか間違えた方法で取り組めば問題になるのは当然です。
問題なのは、固定観念、欲(弱さ)、飽き、調理法、周辺環境(付き合いが多いとか)などの方だと思います。確かにケトン食までいくとキツイと思いますが、幸い日本は食が豊富で糖質制限しやすいです。でも今、北海道では卵が入手できなくてちょっと辛いです。
糖質過剰社会
昼食は寿司と天丼。昼食抜きの方が集中できるのになぁ。。。と思いつつ、まあこれは仕方ないと思うのですが。しかも午前と午後にクッキーとかプリンとか餅菓子とか、対戦しながら食べてるんです。(棋士は8つのスイーツから選べるそうです。子供か)
プリンを食べながら対戦している姿にはちょっと幻滅です(単に格好悪いというのと、糖質の悪さを考慮しないって頭悪い?)。
現代社会って、本当に糖質を含めて「食べること」への執着が強すぎます。先週のNHK将棋対戦でも、太った棋士が飴やスナックをつまんでました。たった1時間半の早打ちなんですけどね。
テレビの料理番組を見ていても砂糖だらけ。褒め言葉は「ご飯がすすむんです!」糖尿病が増えるわけです。
Re: Re: Re: 断食について
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>断食とケトン食って何が違うのか?目指すところは似ているのか?
古典的なケトン食は「擬似絶食療法」とも呼ばれていると何かの本で読んだことがあります。断食で駆動される代謝システムをケトン食や糖質制限食でも活用していると考えて差し支えないのではないかと思います。
> 問題なのは、固定観念、欲(弱さ)、飽き、調理法、周辺環境(付き合いが多いとか)などの方だと思います。
本当におっしゃる通りだと感じます。
私も断食のメリットと注意点を人一倍理解しているつもりで、最近緩んでいるのでまた再断食したいと強く願っているにも関わらず、目先の欲にとらわれて先送りにするどころか糖質摂取を許してしまう日々も多々あります。理屈通りにはなかなかいきません。
Re: 糖質過剰社会
コメント頂き有難うございます。
トップ棋士が勝負飯と称して対局の合間に糖質の多い食品を頻回に摂取するという話は私も聞いたことがあります。
確かに糖質はエネルギー源であることには違いないです。一方で太ることはもちろん、食後に眠気が襲うなどリスクもあるわけですが、中には藤井聡太さんのようにやせているし、対局でも良いパフォーマンスを発揮できている人もいます。それであればリスクも回避できているように思いますので、一部のトップ棋士の中では大量の糖質を消費できる代謝状況がある(例:頭脳労働での負荷が私達の想像を超えている、など)のかもしれないとも感じています。
でもいくらパフォーマンスが高かったとしても今の私にとっては真似したくない食事パターンです。若い時期はよくとも、年齢を重ねるにつれ調整困難になっていくような気がするからです。
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