がんかどうかはあいまいに判断されている

2023/04/15 18:20:00 | がんに関すること | コメント:2件

個人的には、がん全般に糖質制限食(ケトン食)が有効であることはほぼ実証済みと言っていい状況です。

勿論、がんの専門家を中心に反論の意見が聞かれるであろうことは想定できますが、

そういう意見があることを尊重しつつも一旦はわきに置いておき、少なくとも私の視点で見れば、ほぼ確定的な現象であるように見えています。

ただ、そんな私の視点から見ても、糖質制限食をすることでのがんの抑制効果はがんの種類によっても差がある印象はありますし、

またがんの進行具合によっても違い、特に末期と呼ばれる段階のがんが完全に縮小するというほどの効果は残念ながら得られておらず、全体的にはがんの進行速度を遅らせたり、横ばいにしたりするまでの効果に留まっているようにも思えます。

しかも糖質制限食でがんを治療する症例の多くは、手術、抗がん剤、放射線療法といったがん標準治療と併用しながらのパターンなので、純粋な糖質制限食のみの効果ということになるとさらに弱まってしまう可能性さえあります。

そんな中で前回記事で紹介したがんの中の「肉腫」に対してケトン食が有効だったという話では、ケトン食単独でがんを抑制できる効果が紹介されており、これは前述のがん全般の傾向に比べると明らかに高い抑制効果となっています。 なぜ「肉腫」ではそれほどまでに糖質制限食が有効なのでしょうか。

何が糖質制限食のがんへの抑制効果を規定しているのでしょうか。「肉腫」というがんの特徴がこの疑問を考える上でヒントを与えてくれるかもしれません。

しかし「肉腫」について知るには、「肉腫」ではない「癌(癌腫)」について知る必要があるし、

もっと言えば、「肉腫」と「癌腫」を合わせた「固形がん」と比較して、「血液がん」の特徴も考えていく必要があります。

さらに「固形がん」や「血液がん」の中には、抗がん剤が非常に効きやすいもの、放射線療法が非常に効きやすいものも一部あります。「固形がん」全体ではなく、「血液がん」全体でもなく、その中の一部ですので、

そうした「抗がん剤」や「放射線療法」が非常に効きやすいがんに共通する特徴はないかなども見ていく必要がありますし、

さらには「肉腫」に対して「ケトン食」が効きやすい反面、「肉腫」には「抗がん剤」や「放射線療法」が効きにくいという傾向もあり、

「糖質制限食」の効きやすさと、「抗がん剤」「放射線療法」の効きやすさの理由はそれぞれ違う理由が存在しているという視点も見えてきます。

そしてこの流れの中で、私の最終的な関心事は、「抗がん剤や放射線療法が効きやすいとされているがんに糖質制限食を行うことはどうなのか」について自分なりの仮説を導くことです。


この問題について考えるためには、まず「病理学」の知見を確認していく必要があると私は思いました。

「病理学」というのは、「病気になった原因を探り、病気になった患者の身体に生じている変化が、どのようなものであるかを研究する学問分野」のことで、

特にがんを診断する際にはこの病理学を専門にする医師、「病理医」の判断が非常に大きな役割を占めています。

そもそも読者の皆様は、がんとはどのように診断されているか、ご存知でしょうか。

胃がんであれば胃カメラをした時に変な塊があれば胃がんと診断され、肺がんであればレントゲン写真を撮った際に変な影が写ったりすれば肺がんと専門の医師によって診断されるのではないか、と思われるかもしれません。

勿論、がんを疑うプロセスはそうなのですが、最終的に本当にがんであるかどうかを確認するためには必ずと言っていいほど病理検査という検査が必要になります。

肉眼的な見た目が変な塊であっても、写真で変な影が写っていても、それが「がん」ではないということはごまんとあるのです。

でもそれが「がん」なのか、「がん」ではないのかによって、少なくとも既存の医学の価値観の中では、やるべき対応が全く変わってくるということで患者さんにとっては大問題だと思います。

なので、それが「がん」であるかどうかを判断するための根拠を、できる限り確実なものに求めるということで、がんの診断では疑わしい組織を一部採取して、その組織を顕微鏡的に観察して、細胞レベルでがん化の兆候が認められるかどうかを確かめる「病理検査」が必要不可欠だとされているのです。

でもこれはそもそも「がん化の兆候」って一体何なのでしょうか。

そもそもがん化するのは「細胞」なわけですが、「細胞」は細胞膜で包まれていて、中に核と細胞質があって、核の中にはDNAという形で遺伝情報があって、細胞質にはミトコンドリアとかタンパクを合成するリボソームなど様々な細胞内小器官と呼ばれる構造があって、正常な「細胞」らしいパターンがあります。



この「細胞」の正常パターンは、肝臓なら肝臓ならではの正常パターン、肺なら肺ならではの正常パターンというように、それぞれの臓器、組織によってある程度決まったがあります。

「がん化の兆候」というのはこのそれぞれの正常パターンから外れた形態的な特徴がどの程度外れているかという、俗っぽい表現をすれば「見た目がどれくらい正常っぽくないか」によって判断されます。医学的にはこれを「異型性(atypia)」といいます。

似た言葉に「異形成(dysplasia)」という表現もありますが、これは「非定型的な発育」、言い換えれば「正常パターンとは外れた状態」のことを指します。

混同しやすいですが、「異型性」は異型性が高いとか異型性が低いなど形容詞的な使い方をする言葉で、「異形成」は軽度の異形成、高度の異形成などのように名詞的な使い方をする言葉という感じでひとまず整理しておきましょう。

さて、「異型性」にしても「異形成」にしても、今の説明でお分かりのようにグラデーションがあります。

「がん化の兆候として顕微鏡的に異型性が確認される」という状況があったとしても、どの程度の異型性があるかについては症例によって様々です。

「がんと専門医に診断された」となると、絶対に動かし難い事実のような、言い換えればデジタルに「有りか、無しか」とクリアカットに判断されているように思う人も多いかもしれませんが、

実際のがんの病理学的な判断は、もっとアナログなものです。「正常なパターンと比べると少しずれているかな、いやよく見ると結構パターンが崩れている部分もあるから中くらいの異形成かな」というようにあいまいさで含んで判断されています。

もちろん、誰がどう見ても正常パターンから逸脱しているというパターンも存在しています。けれどいわゆる早期がんの状態においては実際には異型性の度合いは微妙な場合も多々あります。がんの診断がこうしたあいまいさをはらんでいるという事実は意外と一般に知られていないのではないでしょうか。

例えば、がんの疑いがあって、病理検査上は少なくとも見た目上はがんなのかどうか迷うけれども、異型性があることには間違いないと、その場合、病理検査では「異型性あり(異形成を認める)」などの結果が返ってきます(実際には組織によってもう少し細かい分類があります)。

もしも自分が医師で、そのような病理検査の結果を確認して、それを患者さんに説明して対応を検討するとなればどうするでしょうか。あるいは自分が患者の立場で受けた病理検査の結果を医師からそのように説明された場合、自分だったらどのように対処してほしいと望むでしょうか。

私の知る限り多くの医療現場で、こうした状況において「疑わしきは罰する」的な対応、つまり「少しでもがんの疑いがあるのであれば治療(手術)する」という方針が取られているのではないかと思います。

というのもがんは基本的に放置するとどんどん進行していくものだという固定観念が医師にも患者にも大きくあるからです。

しかしここで問題なのは、がんであるかどうかが基本的に見た目の印象だけで判断されているという状況で「見た目の印象が悪いことが必ずしも悪い細胞(がん)だと断言できるのか」ということです。

がん放置療法を提唱された故・近藤誠先生は、「細胞」の見た目が悪くても正常パターンに戻ることがあることを臨床的に示し、「がんもどき」という造語で表現されました。

実はその「異形成がある細胞が正常パターンに戻る」という事実は近藤先生だけが確認しているわけではありません。最近子宮頸がんの予防のためにHPVワクチンの積極的勧奨再開の動きがさかんですが、

その子宮頸がんの領域で「異形成がある細胞が正常パターンに戻る」という事実があることが知られています。罹患者の年齢が比較的若いことも関係しているかもしれません。

子宮頸がんの検診では、コルポスコープという子宮内を観察するための器具を使って、子宮頸部の細胞を一部採取して病理検査を実施しています。

その病理検査の結果が、軽度異形成、中等度異形成の場合は、ひとまず治療は行わずに数ヶ月ごとの経過観察を行うという対処が行われる場合が多いです。なぜならば、軽度異形成、中等度異形成の場合は治療しなくても自然治癒することが多いことがよく知られているからです。

しかし病理検査の結果が、高度異形成とかえってきた場合、「疑わしきは罰する」的な発想の下、多くの場合手術が勧められます。具体的には子宮頸部を円錐状に切り取る円錐切除術という手術が勧められる場合が多いでしょう。

なぜ円錐上に切るかと言えば、その形状で切除すれば解剖学的(組織学的)に子宮頸部の細胞を効率的に切除することができるからです。

子宮頸部だけを切除するということで、子宮自体は残せるので妊娠を成立させることができますし、身体にかかる負担は手術の中では比較的小さいので、気軽にと言ったら語弊がありますが、割と積極的に勧められている実情があるように思います。

けれど思い出して欲しいのは、高度異形成の判断は病理医の主観であるということ、中等度の異形成か高度の異形成かでやるべき対処が全くと言って変わることです。その判断のあいまいさによっては手術をしないという選択肢を検討してもよい場面もあるかもしれませんが、そのあいまいさは病理医に確認されることは通常なく、「中等度異形成」とか「高度異形成」といった言葉が一人歩きしてしまいます。

もっと言えば、円錐切除術術できれいに高度異形成が取り切れればまだいいかもしれませんが、切除した子宮頸部組織の端の部分に高度異形成が観察される(これを「断端陽性」と表現します)場合は、がんの進展の可能性を考慮され、追加で子宮全摘術が勧められてしまうこともあります。

そう言われたら断れる患者がはたしてどれほどいるでしょうか。もとは病理医のあいまいさをはらむ判断であるにもかかわらず、です。

手術はわからないように人為的大怪我をさせる行為なので、それ自体ががん化を促進する巨大なストレスになりかねないことは以前の記事で指摘した通りです。

さらに言えば、この子宮頸がんでのこうした標準的治療方針はがん医療の中でまだいい方で、肺がんとか胃がんとか大腸がんとか、他の臓器における固形がんでは病理組織で「異型性が高い」とか「がんの疑いあり」などと表現されたら、

医師はまず手術を勧めるでしょう。場合によっては抗がん剤や放射線療法が勧められても不思議ではありません。元は曖昧さをはらんでいるかもしれない病理医の見た目の判断であるにもかかわらず、です。

ただ確かに、高度異形成だとか、明らかにがんだというレベルの「細胞」パターンの乱れが観察されて、それが自然には「正常」パターンに戻るケースは正直稀だとは思います。これには年齢を重ねている状況でがん化が多く、なかなか環境が変えられないという事情も関係しているでしょう。でもだからと言って、一方的に「正常」パターンに戻る可能性を否定し排除しても良いのでしょうか。

この問題は、たとえるのであれば、「まだ犯罪を犯していない顔つきの悪い人を将来犯罪を起こすかもしれないから排除すべき」という考え方に通じます。皆さん、これはアリだと思いますか。私はナシだと思っています。

ましてや、がんもどきのような可逆的に改善するパターンがあることを思えば、この判断は慎重になされて然るべきでしょう。しかし実際にがん医療の現場では疑わしきはバッサバッサと切り捨てられてしまっています。しかも誰もそこに疑問を挟む余地もありません。

本当に見た目だけで全てを判断しているかと言えば、それは流石に言い過ぎかもしれません。他にも例えば採取した組織の病変の遺伝子変異の有無を調べるようなことがされることもあります。がんにはがん遺伝子と呼ばれる遺伝子の発現異常が観察されることも多いからです。

では「見た目の顔つきが悪い」+「がん遺伝子異常あり」となれば、これは流石に「がん」と確定で手術して良いでしょうか。いえ、これも私はそうは思いません。

これはたとえるならば「見た目の顔つきが悪い」+「犯罪の前科あり」で、次なる犯罪を起こすかもしれないとまだ犯罪を起こす前に相手を殺害しているようなものです。

殺害だなんて物騒な表現だと思われてしまうかもしれませんが、たとえの構造的には「手術」がやっていることはそれと同じことになります。そもそも犯罪の前科ありの情報は確定的なものでしょうか。前科があっても本当に2回目の犯罪を起こすと言い切れるでしょうか。遺伝子異常があってもエピジェネティクスで状態が変化するということはありえないでしょうか。

2回目の犯罪を起こすのだとすれば、顔つきが悪いとか、前科があるかどうかよりも重要なことは、社会がその人とどのように関わっているかではないでしょうか。犯罪を起こす側にもそれなりの理由は存在しているはずです。

「細胞」で言えば、がん化するにはそれなりの理由があり、それは見た目の悪さ(異型性)で決まるものでも、前科(遺伝子異常)で決まるものでもありません。

がんにならないとどうにもならない細胞環境、つまい糖代謝過剰駆動状態をもたらす糖質過剰とストレス過多があることが、その「細胞」をがん化という適応行動へと導いているのではないかと私は考えています。

「犯罪」という適応行動を防ぐためには、見た目の悪い人間を必死に排除することでも、前科のデータを集めることでもなく、「犯罪」しなくても済むようなその人への関わり方、社会環境をいかにつくっていくかという話にもつながるのではないでしょうか。


今回私が一番しっかりと確認しておきたかったのは「がん化を示唆する異形成には変動性があるし、判断するにもあいまいさをはらんでいる」ということです。この前提を確認した上で、ここから先の考察を進めていく必要があると思います。

余談ですが、HPVワクチンの積極的勧奨、私は大反対です。

多くの世論と真逆かもしれませんが、私は断固としてHPVワクチンを誰にも勧めません。

でも価値観を押し付けたくはないので基本的には打ちたいという人を止めませんが、私と近しい関係の人に対してであればHPVワクチンを私がその人に打ってほしくないという気持ちがあることを伝えようとはするかもしれません。

その根拠は過去記事でもいろいろ書きましたが、代表的なところで言うと、子宮頸がんがウイルス感染で起こるという説自体に矛盾がありますし、2006年にスウェーデンでHPVワクチンの積極的接種が勧められたにも関わらず、2020年の時点で子宮頸がんの患者数は減少ではなく、増加が確認されているというのも大きいです。

子宮頸がん患者が増えている理由をHPVワクチン接種推進派の医師は、やれ検診の技術が向上したからだとか、若者の性活動が変わってきたからだとかいろいろ理由を挙げられるかもしれませんが、

本当にHPVワクチンが有効なのであれば、どれだけ検診技術を向上させようが、若者が何をどうしようが、ヒトパピローマウイルス自体がいないのだから患者の増えようがないはずです。

コロナワクチンでも散々見てきましたよね、ワクチンの欺瞞。95%という有効性があると鳴り物入りで登場したワクチンの効果はどうでしたか。コロナ患者が増えても変異株のせいにされなかったでしょうか。

HPVワクチンにも同様のレトリックが使われている可能性はないでしょうか。HPVワクチンが効かない蓋然性が高い事実はすでに観察されている状況です。

よしんばHPVワクチンに子宮頸がん予防効果があったとしても、子宮頸がんさえ予防すればそれでオーケーですか。数多の種類がある他のがんは予防できなくてもやむなしでしょうか。その中のたった1つの種類のがんを予防するためだけにワクチンのリスクを引き受けても大丈夫でしょうか。

HPVワクチンの安全性は医学論文で確認されたから大丈夫?それは本当に信頼できるデータでしょうか。奇しくもワクチンの有効性を示す根拠は医学論文上にしかないという状況です。

本当にやるべきことは根拠が医学論文のみで重篤な副反応を起こしうるワクチンを打つことではなく、そもそも「がん化」しない細胞環境を作るためにはどうすればいいかを考えて、自らが行動を起こすことではないかと私は思います。

医学論文を根拠にして判断することの危うさは当ブログで散々扱ってきました。専門家のその主張が医学論文に拠り過ぎているとき、むやみに信じずに一旦保留にされることを私はお勧めします。

私のここから先の考察も、医学論文よりも事実をベースに進めていきます。次回へ続きます。


たがしゅう
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コメント

2023/04/15(土) 20:48:32 | URL | T #-
今回の記事は大変私にとってはありがたいです。がんと診断される具体的なプロセスを知りたかったからです。世間一般ではがんについては0か1かとの認識なのでもやもやしておりました。

Re: タイトルなし

2023/04/16(日) 17:19:17 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
T さん

 コメント頂き有難うございます。

 がんは0か1ではないというところを理解するのは出発点で、そこが理解できたとしても0.5の状態の不確実性に耐えられる人はなかなかいない実情があると私は思っています。なぜならば「がんは放置しておくと身体をむしばんで死に至るから早期に(標準的な)治療をすべし」という常識的価値観に世の中が支配されているからです。この常識的価値観に立ち向かうには、常識を鵜呑みにせず確かなことを手掛かりにして考えを積み重ねていく主体的な思考しかないと私は考えています。私のそのプロセスが誰かの助けになることを願って書き続けたいと思います。

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