チェリーピッキングができてしまうこと自体が科学的ではない
2023/04/13 11:15:00 |
ふと思った事 |
コメント:4件
もう少し、書籍「糖質制限はやらなくていい」を読んで思ったことを述べてみたいと思います。
正確にはこの本だけの話ではなく、こうした医療の専門家が書いた本に共通する全体的な傾向について私が感じたことについてです。
この本、一見して気づくのは、時々文章の脇に「*」印に数字が小さく書かれてあって、巻末にその文章の根拠となるような医学論文が、引用文献・脚注として紹介されている、ということです。その数、86本です。
これは医学の研究者が医学論文を執筆する際のある種の伝統といっていいスタイルだと思います。
一般的に医学論文を書く際のファーストステップとしてはまず仮説を立てる、そしてその仮説を検証するための研究計画を立てていくわけですが、
その際に必ずと言っていいほど求められる作業が先行研究の確認です。つまり自分の仮説に関係する研究が過去にどれだけ実施されているか、ひょっとしたらすでに自分が想定している研究がすでに行われていたりしないかなどをしっかりと調べ尽くす作業です。
だから医学論文を一度でも書いたことがある人にとっては、参考文献を載せるプロセスは当たり前のことですし、この作業によって自分の主張の妥当性を高めようという意味合いも含まれていると思います。
ただアインシュタインの相対性理論の論文に参考文献がないということは有名な話ですが、本来は参考文献は絶対載せなければならないというものでもないのです。全く新しい発想を紹介する場合は、必ずしも医学論文を参考にしなくても理屈上は不思議ではありません(他の何かを参考にすることはもちろんあるでしょうけれど)。
ただ現実問題、参考文献を掲載していないと医学専門誌に受理されません。なので、参考文献を載せる作業は必要かどうかはともかく、ある種医学論文を書く際の慣習になっているのが実情だと思います。 それでも参考文献を丁寧に載せていけば、文章の信頼度が高まって、より精度の高い内容へと洗練されていくのであれば、この慣習も別にあっていいと思うのですが、
実はとてもそうは思えないというのが今回の私の気づきです。
例えば、書籍「糖質制限食はやらなくていい」で一般の人が取り入れる健康食としては、「糖質制限はやらなくていいけれど、プチケトン食は一般の人の健康長寿に役に立つ」という主張が展開されています。
プチケトン食というのは、「1日の糖質の摂取量を50〜100g程度にして、脂質をしっかり摂取し、ケトン体を誘導しやすくする食事療法」だと定義されています(書籍p177参照)。
丁寧に過去の医学論文を検索し、科学的に妥当な方法を熟慮した結果、このような結論が導かれたと。ゆえにこの結論の信頼性は高いと思われるかもしれません。
ところが、たまたまですが、同様に一般人の健康食に述べられた医学の専門家が書かれた別の本を読む機会がありました。
当ブログでも何度も取り上げたことがある、神戸大学感染症内科教授の岩田健太郎先生が最近書かれた書籍です。
〈安い・美味しい・簡単〉実践 健康食 (光文社新書) 新書 – 2022/12/14
岩田 健太郎 (著)
岩田先生は以前から糖質制限に対する批判的な見解を度々書かれていますが、この近著では次のような見解が書かれていました。
(p7-8より引用)
(前略)
糖質制限食はストイックで、この食事に固執し続けることができる人だったら、体重を落としたり、血糖値を下げることができ、健康に寄与することも可能かもしれません。
しかしこの食事は、便秘になりやすいとか、逆に下痢が起きたりだとか、頭痛が起きやすいとか、いろいろな症状が出てしまうことも多いのです。
また、脂肪やタンパク質の多い食事を続けるのは、多くの人にとってはしんどいことです。ケトジェニックダイエットを続けるのは大変なのですね(※たがしゅう注:ここに*をつけて4つ引用文献を掲載)。
近年、「SDGs」がいわれていますよね。「Sustainable Development Goals」=「持続可能な開発目標」ですね。
で、この「sustainable」=「持続可能」っていうキーワードって、とても大事だと思うのです。
SDGs自体は、複数の社会的な目標です。でも、個人的なレベルでも「sustainable(持続可能)」かどうかは大事なポイントです。
たとえば、食事療法のサステイナビリティ。
ケトジェニック・ダイエットは、健康に寄与する側面もあるのかもしれません。しかし、頭痛や便秘に苦しみながら、我慢しながら、こうした食事療法を続けるのはしんどいじゃないですか。
もちろん、なかにはケトジェニック・ダイエットを美味しく楽しく続けることができる人もいるとは思います。そういう人はそれでいいのかもしれません。
が、仮にケトジェニック・ダイエットがしんどいものであるならば、そういうしんどい思いをして、無理して健康を得ても、楽しくないですよね。
健康は、とても大事な側面ではありますが、人は健康になるために生きているのではありません。
健康になるために苦痛を伴う食事を我慢しなければならない、というのはちょっとした本末転倒だとぼくは思います。
また、そもそも持続可能でなければ、健康に対する効果も期待できません。「短期的に得られた健康」なんて、意味ないですから。長期的に得られてこその、健康効果ですから。
さらに、「持続可能」であるためには、コストが安くなければいけません。
高額な食事方法では、一部の人にしか「持続可能」ではありませんから。お財布に優しいお値段で、いつまでもほとんどの人が継続できる。
そういう方法でなければ「絵に描いた餅」ということになりかねません。
(引用、ここまで)
この引用部分から私が読み取ったこととして、
岩田先生は「糖質制限食は短期的には体重を落としたり、血糖値を下げる効果はあるけれど、頭痛や便秘・下痢などをきたしやすく、長期的には苦痛に耐えなければならないしお金もかかる、多くの人にとって持続不可能な食事療法」とお考えであるように感じました。
この見解に糖質制限推進派医師として少しだけ反論しておくと、
糖質制限食の長期的な実践者は頭痛や便秘・下痢を我慢しながらやっている人はおそらくほとんどおりません。というかそんな状態で誰が続けられるだろうかと個人的には思います。
私が知りうる限り、糖質制限の実践者に頭痛、下痢、便秘が多いというわけでもありません。ただし元々やせ体質の人が糖質制限を強めに行うとそうした症状が観察されることは確かに多いです。
それはやせ体質の人がケトン体をエネルギーを利用することに代謝的に慣れていないが故に発生する一過性のエネルギー利用不全によって引き起こされる症状だと考えることができます。
これは糖質量を増やして慣れている糖代謝に再適応させ、その後ゆっくりと糖質制限状態にならしていくことで克服できる可能性があります。
ただしこれはあくまでも仮説で、私自身はやせ体質ではない実体験を伴う話ではありません。どなたかやせ体質の糖質制限実践者の方に実証してもらいたいなぁと密かに思っています。
で、糖質制限食はコストがかかるについては、確かに炭水化物の安さには負けます。
でもそれは工夫次第でいくらでも調整できますし、糖質制限食で自然と1日1〜2食に適応できて1回の食費の高さを回数を減らすことで調整できることもありますし、
さらに言えば、糖質制限状態で健康を維持できれば、将来の漫然とかかり続ける医療費を回避し続けるという大きなリターンさえ十分に期待できます。
短期的には安くても、長期的に医療費がかかり続けてしまう未来が待っているのであれば、それこそ持続不可能になってしまいはしないでしょうか(国民皆保険のおかげで(せいで?)持続できてしまうところもありますが)。
さて反論はこのくらいにしておいて、今回私が本当に言いたかったのは実はそこではありません。
この書籍の中で、岩田先生も御多分に漏れず多くの参考文献を引用されています。その数は83本です。
参考文献をしっかりと引用し、科学的に妥当性が確認された内容を使いながら自分の主張を組み立てていくのであれば、
健康食というものに対して最も科学的な妥当な結論へと進んでいかなければおかしくないでしょうか。
それなのに、「糖質制限はやらなくていい」を書かれた萩原先生の結論は「プチケトン食」、岩田先生の結論は「炭水化物を上手に活用した安くて美味しくて簡単な持続可能な食事」という全く異なる様相を呈しています。
ただ岩田先生もケトン食(=ケトジェニック・ダイエット)が有効な人もいると一定の理解を示しているので、両者の主張が100%矛盾しているというわけではないので、
ひょっとしたらもっと参考文献の数を増やして、さらに丁寧に既知の文献を紐解けば、両者の主張は最終的に同じ科学的に最も妥当な食事療法へと行き着くのでしょうか。
ところが参考文献の数で言えば両者の書籍を遥かに凌ぐ数で書かれた本を私は以前に読んだことがあります。その数何と272本です。
そしてその本のタイトルが医師の崎谷博征先生が書かれた「砂糖は糖尿病を治す!」です。むしろケトン食から離れた主張になっています。
つまり少なくとも医学の世界において、参考文献の数が多ければ多いほど妥当性のある結論に近づくわけでは決してないのです。
逆に言えば、医学では参考文献の引用の仕方次第で、いくらでも自説に都合の良い主張を、さも妥当性があるかのような表現で展開することができる、ということになります。
そしてどんな主張を展開するかは、その人の持っている価値観次第だということにもなるのです。
コロナワクチン関連の論文でも、抗がん剤関連の論文でも、その構造はしっかりと当てはまります。
コロナ禍では専門家の言う通りに動いたらどういう結果が待ち受けているか、痛いほど感じられたという方も多いのではないでしょうか。
こんなことができてしまう背景には、多くの医学論文の結論が一定しない、ほとんどの場合賛否両論が入り乱れているということがあります。当ブログでもスタチンが効く論文と効かない論文が入り乱れていることを紹介したことがありますが、コロナワクチンにしても、HPVワクチンにしても他にも同じような状況になっているものがたくさんあります。
だからこそ、専門家はどんな自説であっても多くの医学論文を根拠にして自説を展開することができてしまうのです。
このように自説に有利な論文だけをピックアップして自説を展開することを「チェリーピッキング」と言います。
さくらんぼがなる木々の中にはしっかりと熟れたものもあれば、ちょっと腐りかけたものもある、その中で美味しそうなさくらんぼだけをピックアップするという行為になぞらえてそう呼ばれています。
そもそもこのような「チェリーピッキング」ができてしまうこと自体が、医学が本当の科学ではないことを意味していると私は思います。
だって数学や物理学のことを考えるとどうでしょうか。
「チェリーピッキング」しようと思ってもできないことだらけであるはずです。例えば、「りんごを手から放すと空に向かって上がっていく」という主張に有利な論文を集めてくることなんてできるでしょうか。
科学とは本来そういう妥当性の高いことの文脈の中で語られる言葉であるはずです。ところが残念なことにこの考えを医学に適用することはどうしても難しいのです。
なぜならば生物多様性があるからです。どの集団にどんな条件でどんな実験を行うかによって得られる実験結果に多様性が生まれるものを対象にしているからです。
でも情報を出す側の医学の専門家は参考文献をしっかり引用することで、むしろ自らの主張の妥当性の高さを誇っているところが多かれ少なかれあると思います。
ですがその数がいくら多くても、それは妥当性を担保することにはつながらないということを私達情報を受け取る側は知っておいて損はないでしょう。
私は唯一無二の正解を求めずに、多様性とそれに伴う変動性を認めながら、
正解ではなく、自分にとってより妥当な方法を事実ベースで探していくスタンス、
むしろ医学論文になるべく頼らないスタンスを貫いていきたいです。
たがしゅう
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
糖質制限への攻撃が継続している背景にはやはり多くの人々が「糖質を食べたい」という欲望を持っているせいでしょうか。「糖質(炭水化物)を食べても大丈夫だよ」という論調は耳に心地良いのでしょうね。
チェリーピッキングという言葉は初めて聞きましたが、考古学などで顕著ですよね。自分の仮説を裏付けるものだけを集める。「専門家」がそういうスタンスだと一般人としては悲しいというか情けないというか。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
> 持続可能で取り組みやすい糖質制限という点では、やはり江部先生は素晴らしいですよね。無理なく実践するために、プチ、スタンダードなど段階を設け、コンビニチキンなど食べやすいものを紹介されたりとか。
おっしゃる通りだと思います。
理想と現実のギャップを埋め合わせるために随所に工夫が施されている伝え方だということを私も強く感じています。
逆に言えば、江部先生の考案された種々の工夫を施しても、私の体感で1〜2割の人にしか本質的な部分が伝わっていかないことを考えますと、やはり常識の壁がいかに高くそびえ立っているかということを痛感します。
> 糖質制限への攻撃が継続している背景にはやはり多くの人々が「糖質を食べたい」という欲望を持っているせいでしょうか。「糖質(炭水化物)を食べても大丈夫だよ」という論調は耳に心地良いのでしょうね。
「緩やかな糖質制限食」や「糖質オフ」という言葉が広く受け入れられやすいのも、
「炭水化物は摂っても大丈夫」というメッセージを残しながら「でも摂りすぎはダメ」という感じで、従来の常識を否定されずにいるところが耳に心地よいのであろうと思います。
確かに「炭水化物は摂っても大丈夫」なのですが、「摂らなくても大丈夫」がなかなか受け入れられません。
医師でも緩やかな糖質制限までは理解を示しても、未だに「極端な糖質制限はダメ」(本当はそんなに極端でもないのですが)という人は多いです。
それに「炭水化物(糖質)」には中毒性の問題が絡んでいます。しかも合法的です。
この中毒性を理解した上で「炭水化物は摂っても大丈夫」と思うのと、知らない状態で「摂っても大丈夫」と思うのとでは、その後の行動が全く変わってくると思います。具体的には体調が悪化した時に、炭水化物過剰の可能性を疑って行動を変えるか、病院を受診して原因不明の難病と診断され医者の指示通りの治療を受け続けるかという差が生まれます。
なので「炭水化物を摂らなくても大丈夫」というところが心底理解できるかどうかが勘所のように思っています。
同時にそれを認めることは、従来の常識である「カロリー制限食」が間違いだと認めることでもあるので、ここに踏み込める医療者は少ないのだろうとも思います。
> チェリーピッキングという言葉は初めて聞きましたが、考古学などで顕著ですよね。自分の仮説を裏付けるものだけを集める。「専門家」がそういうスタンスだと一般人としては悲しいというか情けないというか。
ここに関しては専門家個人の資質の問題というよりは、西洋的な「個人主義」とか、競争社会とか、資本主義だとかより根深い問題が関わっているように私には感じられています。今のままではそのような「専門家」がこれから先も延々と量産され続けてしまいます。
そこで境界明瞭な「個人」像から、境界があるようであいまいで環境から影響を受けて変化し続ける「個人」像へと変わり、「個」の凄さを目指さずにあいまいな「個」どうしの関係の在り方から凄さが生まれてくる社会へと変わっていくことに一縷の望みがあるように私は考えています。
私の場合
その時試みたのが当時流行していたキャベツダイエットです。夕食の米を抜き、ある程度量のあるキャベツを先に食べるというものです。これを始めたら即効果が出ました。そのまま夕食に米を食べないようになりました。
その後「炭水化物が人類を滅ぼす」と言う本を読んで、以降糖質制限食(時折甘いものも摂っています)を続けています。
以前も書き込みましたが、私は肉・魚や油(基本的に動物性脂肪かオメガ3の多いもの)は好きなだけ食べていますが体重は増えませんしおなか周りも変わりません(180センチ70キロくらいをずっと維持しいています)。
元々便通は良かったのですが糖質制限食を始めてからも下痢も便秘も無縁です。
食費に関しては以前の食事から米をなくしただけです。若干肉や野菜を増やしているかもしれません。しかし一日2食としているので食費が増えたということはないと思います。酒は普通に飲んでいます。
Re: 私の場合
コメント頂き有難うございます。
やせの大食いで何を食べても太らないと言っている人でも、よくよく観察するとその人なりに太っているということはあるようですね。貴重なご体験をシェアして頂き誠に有難うございます。
2018年3月1日(木)の本ブログ記事
「やせ体質でも糖質制限に適応できる」
https://tagashuu.jp/blog-entry-1268.html
もご参照下さい。
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