「いざという時」への意識を見直す
2023/02/02 11:50:00 |
保険診療への疑問 |
コメント:2件
今、Aという商品とBという商品があって、Aの方がBよりも安かったとして、
ほぼ同じようなサービスが受けられるという条件であれば、誰もがAの方を選ぶのが自然だと思います。
今ここでAには「保険診療」を、Bには「自由診療」を当てはめるとします。
自由診療は高額で特殊な治療を受けられるというイメージがあるかもしれませんが、
ここでは、AとBのサービスは全く同じだと考えて下さい。
具体的には保険医療で薬を処方される薬と、全く同じ薬を自由診療で受けるのと比較する状況をイメージして下さい。
例えばAであれば1000円かかる薬が、Bであれば同じ薬に3000円かかるというような状況です。
この状況であれば、わざわざBの方を選ぶ人はまずいないでしょう。ほとんどの人がAの方を選択するのではないでしょうか。
ところがこの状況であえて「Bの方を選んでみませんか?」というのが前回の私の提案でした。
なぜそんな荒唐無稽に思える提案をするのかと言いますと、ポイントは「税金」です。 今回は私が思う「保険医療」のあるべき姿について記してみようと思います。
「保険医療」というのはその部分が「税金(保険料)」によって賄われる医療です。「税金」が使われるということはその目的はすべての国民の利益に通じる活動のために使われるべきというのが建前としてあると思います。
健康の問題はすべての国民に関わることなので、誰もが病気にかかるともしれない状況の中で、いざという時に病気の治療にあたってもらえる保険医療があることは、国民の安心・安全につながることでしょう。
そういう意味で「保険医療」は警察や消防のような国の安全保障の一環として存在していると理解することができると思います。
いざという時の犯罪に対処してくれる警察、いざという時の火災に対処してくれる消防、いずれも心強い存在です。
私は「保険医療」も、警察や消防と同じように、いざという時のための医療として用いるのが理想的だと考えています。
問題は今の「保険医療」では、本当に「いざという時」なのか疑わしいと状況が大半になっていると感じるということです。
考えてみれば、警察と消防はいざという時の判定が割と客観的に行えると思います。
警察を呼ぶかどうかは法律を犯しているかどうかで判断できますし、
消防を呼ぶかどうかは、発生した火災が自分で対処できるかどうかで判断できます。
ところが医療を使うかどうかについてはどうでしょうか。読者の皆さんはどういう基準で医療にかかるかどうかを決めているでしょうか。
警察や消防を呼ぶ基準に比べると、ちょっと人それぞれ基準が異なってくる要素がまずあると思いますが、
基本的には「自分で対処することができるかどうか」とまとめることができると思います。「自分で対処できない事態は”いざという時”だ」という言い方もできるかもしれません。
ところが、この「自分で対処することができるかどうか」の基準がだいぶばらついている、というかほとんどの人の基準がだいぶ低くなっているというのが今の「保険医療」の使われ方ではないかという気がしています。
例えば、風邪を一つとってみても、ほとんどの場合は寝る、食べない、温めるという療養の基本を守れば自分で対処することができますが、
多くの人はそれを行う前に病院を受診して、何らかの風邪薬や解熱鎮痛薬、咳止めや鼻水止めの薬を処方してもらうことを希望します。
そういう人は風邪を「自分では対処できない」状態だと捉えているというよりは、一刻も早く治すために病院を受診しているという人が多いかもしれませんね。
またコロナ禍に入ってその傾向が非常に助長して、ただの風邪薬にとどまらず、非常に高額な抗ウイルス薬を処方してもらったりしている人も少なくないように思います。
その場合、保険医療を受けた人からすれば、高額な薬をお安く手にいれることができたという点で利益を受けるかもしれませんが、
みんなで集めた税金(保険料)は有限なので、そういう医療の受け手が増えれば増えるほど消費されて、他の国民が医療を受ける時に十分な医療が受けられなくなる可能性が高まることになります。
これは警察で言えば、法律は犯していないけれどグレーゾーンのような状況で気軽に警察を呼んだり、
消防で言えば、自分で対処できそうなボヤに対してとにかく消防車が呼ばれているような状況です。下手したら火の元があるだけで「何が起こるかわからないから」と消防を呼んで来てもらっているような状況です。
しかも自分は税金を払っているのだから、警察や消防を呼ぶのは正当な権利だと言っているような状況です。
そんな身勝手な警察や消防の使い方が横行すれば、いざ本当に凶悪な犯罪や大火災が起こった時に対処できなくなり、国全体として大損害へと繋がってしまうであろうことは想像に難くありません。
そんなことは言われなくてもわかっているから、みんな気軽に警察や消防を呼ばないのだと思います。
ところが、なぜか医療だけはお金が安いからと言って非常に気軽に使われてしまっているのが実情ではないかと思うのです。
なぜ、警察や消防に比べて、医療では「いざという時」の判断基準が甘いのか、ということを考えてみますと、
ひとえに文化の影響を大きく受けてしまっているところがあると私は思います。
つまり国民皆保険制度という仕組みに支えられて保険医療を日常的に使うことが一種の日本での文化になっていることが大きいということです。
例えば、みんなそのくらいの状態で病院に通っているのだから、自分もこのくらいの状態であれば病院に行こうと思うという感覚はきっとあるのだと思いますし、
その「みんなが行くから自分も行く」という文化がコロナ禍で如実に顕在化してしまったということも個人的には思っています。
例えば、膝が痛いから病院を受診する、これはある程度高齢の方であれば当たり前の感覚としてあると思いますが、
本来であれば膝が痛いのであれば、膝を休める、なぜ膝に負担がかかっているのかを考えて、それに向けて対処する、
その上で対処しきれない状態になったら病院を受診するなどという、もう少し自分の中で受診すべきかどうかを検討する段階があってもいいはずです。
しかし誰かから「病院で薬をもらったら楽になったよ」という話を聞いて、じゃあ言ってみようかなと思って病院を受診する、そんな流れで病院を受診する人もきっと少なくないでしょう。
それは自分で対処しているかどうか検証しているプロセスというよりは、周りの空気に流されて決めているというプロセスであるように感じられます。
「このくらいの症状であれば皆が受診しているから受診する」「薬がいいと勧められたから受診する」、いずれも他人軸の判断だとも言えるかもしれません。
もう一つ、医療を使う判断基準が甘くなる要因の背景に「病気についてあまり詳しくない」ということもあるように思います。
「守破離」という言葉もあるように、物事を自分の頭で考えられるようになるためには、
とりあえず基礎となる知識や情報を学ぶことが必要不可欠なプロセスです。
ところが健康や病気のことについて学校教育の中で学ぶ機会はほとんどありませんし、
ましては医者を中心に健康や病気のプロフェッショナルとされる人達がすでにいて、そうした人達は並々ならぬ努力をしてそのポジションに辿り着いているという確固たる価値観があります。
そうなると、一から健康や病気について学ぼうというよりも、「プロに任せよう」という意図も働きやすくなるでしょう。
言い換えれば、健康や病気について学ぼうというインセンティブが働きにくい文化の中で私たちは生きているということになります。
その結果が保険医療の気軽な利用であって、私がさんざん問題視してきた「お医者様にお任せ」の医療にもつながっているということだと思います。
なので、「保険医療」をなるべく使わないという態度は、自分の頭で考える機会ために学びを深めるという態度へとつながり、
それは主体的医療を実践するための第一歩へとつながると私は思います。
そのように自分の頭で考えて、取り組んだ結果、どうしても解決できない健康課題に遭遇したときに、保険医療を使うのは私は良いと思っています。
例えば、高血圧症や糖尿病などの状態を自分で整えようと自分なりに学び、努力をしたけれど結果的に改善させることができずに、
狭心症や心筋梗塞、あるいは脳卒中などのように突然の不調に見舞われてしまった場合、この時には保険医療に大いに頼るべきでしょう。
その際、狭心症などの病気を事前に知っておいた方が判断しやすくなるかもしれませんが、それは必須ではないと個人的には思います。
なぜならば狭心症に見せかけて狭心症ではない病気も山ほどありますし、狭心症と病院で診断されたけど、実は違う病気(原因)ということもザラにあるからです。
要するに自力で対処できない身体不調に遭遇したと感じる場合は、その原因が何であろうと保険医療を頼っていいということです。
大事なことは病院へ受診して以降も、病院の言いなりにはならないということです。病院は病院の持っている知識の中で「あなたの状態は◯◯という病気だと思う」という意見を述べると思いますが、
その結果を参考にしつつも鵜呑みにはせず、改善するためにはどうすれば良いかを引き続き自分の頭で考え続けることです。
特にそういう状況の時は今までの自分の行動を大きく見直す必要があります。なぜならばそれまで自分が健康に良いと思ってやり続けていたことが自身の健康を脅かす状態にまで追いやっていたということは紛れもない事実だからです。
しかし病院の意見がその今までの自分の行動を肯定したまま、「薬を飲み続けるべきである」という内容であることも珍しくありません。
仮に薬が足すことが根本的な解決策だとすれば、狭心症にならないためにはあらかじめその薬を飲み続けなければならなかったということになってしまいますが、そんなはずはないでしょう。
そこを勘違いしなければ気づくはずです。薬はとりあえずの状態を整えているだけで、自分の中に未解決の課題があるということに。
まとめると保険医療をなるべく使わない姿勢には大きく次のようなメリットがあります。
①自分の頭で考える力を育てやすい環境を作る
②徐々に自己治癒力が阻害されていく西洋医学のレールに乗らないで済む
③人生の最期まで自分の考える余地を残し、自分の生きたい人生へ近づけることができる
④自分が保険医療を使わなかった分、他の誰かのピンチを救える可能性が高くなる
⑤自分が本当にピンチの時に助けてもらいやすくなる
ちなみに自由診療もなるべく使わない方がいいと思いますが、
自由診療を使わないことのメリットは①と③に限られるように思います。
というか自由診療を使いながらでも自分の頭で考えることもできるので、①と③のメリットが生まれるかどうかもその人次第だと言えるかもしれません。
一方で保険医療を使いながら自分の頭で考えることは西洋医学の価値観に当てはめられる中でなかなか至難の業だと思いますので、
保険医療は「いざという時」のために残しておくのが無難だと思います。
しかし、はたしてこれが「いざという時」なのかどうかを迷うという時もあると思います。
迷った時には「いざという時」だと判断し保険医療を使うという選択でも構わないと思いますが、
もう一つ他人の力を借りながら(相談しながら)自分の思考を深めていくという選択肢はあっていいと思いますので、
どのような自由診療を使うかは自分で選ぶことができるわけですし、みんなのお金を不用意に使わなくて済むという利点もありますので、
自由診療を自分で考えられる段階と「いざという時」の段階の間で迷った時の選択肢として活用されれば、
よりそれぞれの事情に応じたオーダーメイドできめ細やかな医療の体制を築いていくことができるのではないかと私は思います。
Aという1000円の商品を買わずに、わざわざ3000円払って同じ内容のBを買うという行為は一見愚行に思えるかもしれませんが、
実はAという商品を買うにあたっては2000円前払いしているし、しかもそれはみんなのためのお金を使っている側面があるということ、
しかもAという商品を使うに当たっての注意点として、かなり価値観を押し付け気味に指導されてくるという構造を理解し、
自分のためにも、みんなのためにも、Bという商品を自分の思うまま自由に使うという選択肢の価値が
今回の記事で少しでも伝われば幸いに思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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先生の論点とはずれるのですが、母は医者から「次からは(他の医院ではなく)うちで検査してね」とか言われるらしいです。そんな感じなので「ある程度(頻繁に行かなきゃ悪い」みたいな感じになるようです。
また、病院側が利益のために不要な検査を大量にするのも弊害ですよね。私が先日行った眼医者では不要な検査を5つも6つもされ、明らかに利益重視で不愉快でした。
また、一般に病院に頻繁に行くことは(健康を真面目に捉えていて)いいことだ」みたいな風潮もあるように感じます。私などはいつも病院に行くのを拒否して周囲に顰蹙を買うタイプだったので余計にそう感じます。
いずれにせよ、高齢者を無理やり生かせて大量の税金を使うとか考え直すべきですよね。透析とかも非常に高額と聞きますが糖質制限で予防できるケースも多いのではないでしょうか。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
> 警察と消防は利用者なしでもサービスが存在しますが、医療はある意味経営であり利用者無くしては倒産してしまうという違いもあるのではないでしょうか。
そうなのですが、医療が民間経営で行われていること自体がすでにおかしいとも思っています。
イギリスをはじめ欧州では基本的に医療機関は公的機関であって、警察や消防と同じように運営されていると聞きます。
> 母は医者から「次からは(他の医院ではなく)うちで検査してね」とか言われるらしいです。そんな感じなので「ある程度(頻繁に行かなきゃ悪い」みたいな感じになるようです。
> また、病院側が利益のために不要な検査を大量にするのも弊害ですよね。
本当にその通りと思います。民間経営であるがゆえに利潤追求方針になり、その結果がそのような医師のセリフにつながると私は思います。当然ながらそれは私が考える本来の医療の在り方とはかけ離れたスタンスです。
しかし今のご高齢の方々を中心に、ずっとそのような文化で過ごしてきた方に今更「自分の力で」というスタンスが受け入れられるとも思えませんので、残念ながらそこは致し方ない部分はあると思います。もちろん「自分の力でやってみよう」と心変わりされる方がいれば、それを私は全力で応援するつもりですが、基本的に「お医者様にお任せ」のスタンスで関わられる人に私は無力です。今も無力感にさいなまれながら同じ薬を処方することも少なくありません。
それでも少しずつでも主体的医療を広め、その方が良い人生を送ることにつながるのだという意識が広まっていくことを期待して微力を尽くし続けたいと思っています。
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