保険医療を使わないことの大きなメリット
2023/01/26 18:50:00 |
保険診療への疑問 |
コメント:12件
医療にかかる国民の多くはおそらく普段たいして意識することなく、当たり前のように保険医療を利用されていると思います。
メリットがあるからとか、信頼しているからなどとか、そんなことを考える以前に、もはや文化というレベルで国民の生活に保険医療は根付いていると思います。
なぜならば日本では国民皆保険制度という仕組みによって、働く世代になったら国民は全員が保険料を納める仕組みとなっているからです。
これくらい当たり前になっていると、保険医療制度がおかしいなどとは疑う余地もないのではないかと思います。
実は国民皆保険に伴う保険医療制度にはデメリットがあるということは、以前も当ブログで取り扱ったことがあります。
ところが医療の在り方そのものを根本的に見直してみると、保険医療の大きなデメリットが見えてくるのです。
でも多少デメリットがあったところで、普通は保険医療の方が少なくとも金銭的にメリットが大きいと感じられるでしょうから、よほどのデメリットがない限りはみんな保険医療を利用し続けるだろうと思います。
そんな多くの人が気づいていないであろう「保険医療を使うことのよほどのデメリット」、言い換えれば「保険医療を使わないことの非常に大きなメリット」について私なりに考えたことをまとめてみます。 まず結論から言いましょう。「保険医療制度を使わなければ、人生の最期の瞬間まで苦しむことなく生き続けることができる可能性が高まる」です。
わけがわからないと思われるかもしれません。
そしてまるで保険医療制度を使うことが苦しみを生み出してしまうという話に聞こえてしまうかもしれません。
もちろん保険医療制度を使うことそのものが苦しみを生み出すわけではありません。ただ現状の日本で保険医療を受けるとなれば、まず間違いなく標準治療、いわゆるガイドラインに沿った治療への同調圧力が働くことになります。
しかもその同調圧力には若干の脅迫傾向も加わります。例えば高血圧であれば、血圧140/90mmHg以下に下げるように食事・運動を気をつけて、それでもダメなら薬を飲み続けて血圧を下げ続けましょうと。
きちんと血圧を下げていなければ、脳卒中や心筋梗塞などの怖い病気の発症につながってしまいますよ、という感じです。
そこで指導される運動はともかく、食事の方がこれまた根拠の乏しい減塩やカロリー制限であったりするので、頑張ってもまず間違いなく成果は出ず、ストレスも溜まって血圧が上がりやすくなり、
脳卒中や心筋梗塞も怖いので、医者の言う通りに、言い換えれば保険医療の推奨の通りに、降圧剤を飲み続けることになります。
この同調圧力に逆らえる人はまずいないでしょう。逆らい続けること自体に大きなストレスがかかり、それだけでも血圧が上がってしまいそうです。
もし逆らい続けることができる人がいるのだとしたら、日頃から医療について自分の頭で考え続けている私のような特異な人間くらいではないでしょうか。
それでも血圧を一定以下に下げ続けることで、脳卒中や心筋梗塞が予防できるのであれば別に推奨に従ってもいいではないかと思われるかもしれません。
確かに医学論文上は、血圧を下げると脳卒中や心筋梗塞の可能性を減らすということが書かれていますね。
しかし一方で、私の現場経験では、降圧剤を飲み続けているのに脳卒中や心筋梗塞を起こしているという人はごまんといます。そういう人は医療現場でどう評価されているかと言われたら、「もっときちんと血圧を下げておくべきだった」というのです。
つまり降圧剤を飲んでいたこと自体はよかったのだけれど、残念ながら降圧剤の量が足りなかったというのです。
…なんだか、ワクチンを打つことは合っていたのだけれど、ワクチンを打つ回数が足りなかったのだと評価するという話と似ていますね。
一つ、私が医療現場にいて確実だと感じていることがあります。それは「病院に通い続ける期間が長い人ほど、薬の量が増えていく」ということです。
特に高齢者医療の中でさんざ取り沙汰されている「ポリファーマシー(多剤内服状態)」という問題は如実に実感することができます。
5,6剤服用している高齢患者さんは当たり前のようにいますし、中には10剤、20剤飲んでいるという人も決して珍しくありません。
この状況を現代医学の常識では、「高齢になればなるほど病気が積み重なっていくので、それに応じて薬を増やして対応しなければならない」と解釈しているのですが、
一方で私は「ポリファーマシー」の患者さんで「あぁこの人は健康そうだな」と感じる人に出会ったことがありません。皆、それぞれに体調不良を重ね、それを「年のせいだから仕方がないですよね」と半ば諦めるような形で受け入れておられる人ばかりに見えます。
でも患者さんもきっと心から納得しているわけではないのでしょう。10剤以上薬を飲んでいる患者さんから医師へ「やっぱり、この薬はずっと飲み続けた方がいいんでしょうかね」と尋ねる場面がまあまあの頻度で見られます。
私はそう尋ねる患者さんには「本当は薬が減らしたいんだけど」という本音が隠れているような気がしますが、保険医療の推奨を当たり前だと考える多くの医師は引き続き薬を飲むことを推奨しますし、
当の本人も「お医者さんがそういうのであれば飲み続けた方がいいのだろう」と、結局は推奨通りに薬を飲み続ける方を選びます。
こうやって誰もが年をとればそんな風に薬を飲みながら不調と付き合っていくものだという考えを疑わなくなるように思いますが、私はそうなることに保険医療制度が大きく関わっているのではないかと考えます。
なぜならばまず、保険医療のおかげで割と金銭的負担少なく処方を受けることができるからです。継続的な処方を受けることも高齢になればなるほど負担額が軽減されるという保険医療制度の仕組みが容易にさせます。
たとえばこれがもし1回1回それなりの金銭負担があれば、もう薬を飲まなくて済むように何か他の方法に取り組んでみようかという意識が少しは働きやすくなるでしょうか。
しかし金銭的な負担感をあまり感じないという人であれば、それでもかかりつけ医が推奨する薬を飲み続けるかもしれません。
ですがもう一つの保険医療の罠に「西洋薬は自己治癒力を阻害する」という要素があります。
先ほどの高血圧の例を思い出してみましょう。ここでは血圧を下げる「降圧剤」が「西洋薬」ということになります。
「西洋薬」は、身体が持っている生理学的機構や生体内化学反応の一部を人為的に促進したり、ブロックしたりする働きをもつものがほとんどです。
「降圧剤」の場合は人体の持つ昇圧システム、「レニン-アンギオテンシン-アルドステロン系」と呼ばれる仕組みの一部をブロックすることで降圧作用をもたらしています。
この「降圧剤」を飲むということは、人体の昇圧システムが発揮することが邪魔されるということを意味します。
昇圧システムは必要があるが故にもともと人体に備わっているはずですが、それが薬の持つ働きによって邪魔されてしまうということです。
人体は降圧剤によって昇圧システムが邪魔され続ければどうなるのでしょうか。これには大きく2つの流れがあります。
1つは邪魔を乗り越えてもっと強く昇圧するように働きかけられる、もう一つは昇圧システムが故障してしまい自力で昇圧できなくなる、ということです。
私は前者の現象を「過剰適応」、後者の現象を「消耗疲弊」と名づけています。そしてどんなシステムも「過剰適応」の末には必ず「消耗疲弊」が待っています。
つまり「西洋薬」を使い続けることは、多かれ少なかれ自分の持っている力を故障させることにつながってしまうということです。
80歳代とか90歳代のずっと薬を飲み続けてきた高齢患者さんが、ある時あまりにも血圧が下がり続けるためにそれまで飲んでいた降圧剤を中止して対処するも、もはや降圧剤をやめても血圧が上がってこないという場面があります。
そしてそういう状況の人はかなり弱っていたり、寝たきりになっている人がほとんどです。
つまり薬を飲み続けて血圧が上がるのを無理やり抑えている状況というのは、
人体側から見れば、薬という邪魔に負けないように必死に昇圧システムを上げ続けているような「過剰適応」状態であり、
それが保険医療の推奨に従って、延々と繰り返され続ける結果、昇圧システムが故障してしまって、人体の絶妙なバランスを保てなくなる「消耗疲弊」状態へ移行させてしまうという構造があるというわけです。
つまり当座の「過剰適応」状態を、「西洋薬」という人体のシステムを阻害するやり方で表面的な対症療法で整え続ける保険医療の推奨は、遅かれ早かれ自力でシステムを調整することが難しくなる「消耗疲弊」状態へと導くということです。
降圧剤のケースはまだいい方です。がんに対してなど手術や抗がん剤、放射線で人体システムの一部を人為的に欠損させてしまうわけですから、一足飛びでシステムが故障します。
そうして「消耗疲弊」状態へと導かれて、なれの果ての具体的な状態として「寝たきり」というのがあると思っています。
そして終始。保険医療の推奨に従い続けているから、最後まで自分がどうしたいという意志が抑圧され、その意志でさえ「消耗疲弊」で発揮できなくなる状態まで落ち込んでいるのが、「寝たきり」の状態です。
そうなるともはや自分の意思を出すこともできず、延命の選択肢を提示される段階が来て、家族もそんな大事な決断を本人に代わって本人の意思なしで決断できるはずもなく、ここでもなお「先生(保険医療の推奨)にお任せするしかない」という選択を続けることになります。
そうなれば保険医療の推奨として延命をしないわけにはいかないので、必然的に胃瘻や人工呼吸器などの延命処置が施されることになります。
これはあくまでも私の主観に過ぎませんが、基本的に高齢者で延命処置を施して幸せそうになくなったように見える方はいません。
「やるべきことはやった」として、家族の罪悪感が軽減されるということはあるかもしれませんが、延命されていた時期の本人の気持ちはいかばかりかとお察しします。
私はこういう人生は決して当たり前ではないと思っています。
そしてこういう人生を歩まずに最期の最期まで自分の意思を出しながら生きるということを成し遂げるためにはどうすればいいかということを逆算で考えます。
それにはまず、漫然と薬を飲み続けないということです。特に人体のシステムを強力にブロックする西洋薬をなるべく使わないということです。
なぜならば西洋薬を漫然と使い続ける行為の先には、「過剰適応」から「消耗疲弊」を経て、人体のシステムを故障させてしまう流れがあるからです。
そしてそれを成し遂げるのに手軽で金銭的な負担少なく、同調圧力に襲われやすい保険医療を使わないという選択肢が出てきます。
もちろん、西洋薬を使わなくても人生の中で様々な困難やストレスに遭遇し、「過剰適応」や「消耗疲弊」の状態になっていくことはあるでしょう。というかそれこそが年を重ねていくということです。誰も避けることはできません。
しかし西洋薬を使えばその流れが必要以上に進行してしまい、それでは私の医者経験から考えて最終的に寝たきりの状態にへと至るコースだという見込みが高いです。
西洋薬を使わずに自分の身体と向き合い続ければ、寝たきりまで「消耗疲弊」させなくて済む可能性があるかもしれません。
なぜならば数少ないながら、晩年死の直前まで高いパフォーマンスを発揮して次の世界へ旅立たれた人達が確かにいるからです。あれは偶然ではないと私は考えています。
「私は保険薬に頼らない!」「自分の不調には自分で向き合う」という意思表示として保険医療を使わないという選択肢があると私は思います。
とは言え、私も保険医療を全否定する訳ではありません。保険医療は警察や消防のような社会安全保障の仕組みとして残るべきだと思います。
けれど今の保険医療の在り方は、それを明らかに逸脱してしまっていると感じています。
次回は私が思う理想的な保険医療との関わり方について考えてみます。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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深く同意します
私の義兄が良い意味でとてもシンプルな人物で、70歳をとうに過ぎて薬も飲まず、コロナワクチン に関しても「自分は今のままで健康だから」と一度もうたず。本など読まないタイプでネットすらしないのですが、直感的に異物を摂取することに違和感を感じているようです。情報過多の現代ではそういうタイプの人がどんどん減っているような気がして寂しいです。(義兄は料理と運動が趣味なので健康なのだと思います)
食事について本を読んだり勉強してみようと思います。きっかけを与えていただき、ありがとうございます。陰ながら応援しています!
Re: 深く同意します
コメント頂き有難うございます。
人為を加えることが常に悪いわけではないのですが、昨今の科学的医療に基づく医療は人為を加え過ぎる弊害にあまりに無頓着だと感じています。新薬と言えば分子標的治療薬や免疫チェックポイント阻害剤、そして今回のmRNAワクチンと人体をまるで機械のように改造しようという発想のものばかり、高額で高リスクの極めて強い人為を加えていることあまりにも無自覚です。どのように人為を加えるのが適切なのか、それはそれぞれの人が自分の心身の反応を見ながら考えていくべきことのように私は思います。
> 私の義兄が良い意味でとてもシンプルな人物で、
> 70歳をとうに過ぎて薬も飲まず、コロナワクチン に関しても「自分は今のままで健康だから」と一度もうたず。
> 本など読まないタイプでネットすらしないのですが、直感的に異物を摂取することに違和感を感じているようです。
素晴らしいですね。その考えに私は心から敬意を表します。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
ご事情はわからないものの、医師をやめられたというそのご決断、相当のご覚悟がおありだったのではないかと想像いたします。
応援頂き有難うございます。私も私の立場でできることを積み重ねて参りたいと存じます。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
80代初めから認知症になった祖母もそうでした
そんな中、母はほとんど薬も飲まず(血圧の薬だけ、たまに安定剤)、一ヶ月に一回?教え子の内科医に健康観察的に受診の他は、ワクチンも打たず、ロングブレスだの、股関節の運動だの、と書店で見つけた良さげな本から自分で取り組んでいます
ありがたいことに、回りの同世代、加えて自分より若い70代世代の誰よりも元気で、たまに参加している会ではスピーチや取り纏めを頼まれ原稿を書き、独り暮らししています
これはあくまでイメージですが、ヨーロッパなど海外は高齢でも日本の様に当たり前に認知症、当たり前に介護施設入所ではなく、サポートされながら自分の家で長く暮らしている様に思え、何が違うんだろう、と、思ってきました
一方私は、今の流行り病関連の仕事に関わってますが、入ってくる話が、3回、4回、あげくは5回と打った方々が、3日まえに…、一週間前に…打ったばかりだけど感染した、高熱だ、足が動かなくなった、血尿が…等、打ってそれですか?としか思えないような話がどんどん入ってきます
加えて、37.0℃、とか36.7℃だけど発熱なので、とか喉の痛みや違和感だけだけど受診したい、受診しなくては言う方の多いこと!
3年前ならおそらくちょっとした体調不良、風邪かな?で済まされていたような状態の人達が、検査せねば!医者にいかねば!と過剰に思わされているように感じます
まるで世界には、病気はコロナしか無いみたいに、発熱や咳などがあれば、まずpcrだの抗原だの検査と言われ、例え他の重大な病気の入り口だとしても検査結果無しには緊急入院もさせてもらえなかった、という話も実際に幾つか聞きました
本当におかしなことになっています
異常としか思えません
健康保険はありがたいものだと思っていました
アメリカ等は国民皆健康保険、ではないから、保険に入ってない入れない人達はまともな医療が受けられなかったり高額になるとも
日本はありがたいなぁ、と
そう信じてきました
けれども、それが病漬け、薬漬けの現況だった、とは…
戦後3s政策で日本人は弱体化させられた、という話がありますが、全てではないにしろ、健康保険や医療も、本当に国民の為に行われてきたのか?と、この3年で思い当たることばかりになりました
福島県にはモデルナの工場が建設され春から稼働、CDCの日本支部?だの、小池知事は都民の健康管理をCDCと連携だの、WHOの支部?だの、と、なぜに日本がこんなに海外と?という案件目白押しになっているようです
自分達の健康、が何か大きなものにこれ以上も握られ、管理されそうで、ぼーっとしていたら大変なことになるんじゃ?と危機感を覚えます
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
高齢で元気な人も、いつかは必ず弱りますよね。
高齢でいつまでも元気であることを前提にして、言い換えればあるいは元気であることを前提にして社会が設計され、元気でなくなった場合の対応を全て病院へお任せしてしまうような文化が、日本の現状を生み出してしまっているように思います。
諸外国の細かな実情はわかりませんが、いかに集団として支え合うことを前提に文化を作っているかどうかが大きいように感じています。
しかしもともと日本にも「困った時はお互い様」の文化は備わっていたはずですが、いつしかそれが「人様に迷惑をかけてはいけない」の感覚へと傾き、それが高じてコロナ禍の分断へ、そして諸外国に比べてもいつまでも正常化できない文化の醸成につながったのかと思うと実に皮肉に思います。
人はいつ後悔するのかを考えてみた時に「自分で決めていない時」ではないかという思いがあります。
「あの時あっちの選択をしていれば・・・」というのは、自分で決めたようでいて人の意見に左右されてしまった感がありますし、「あの人の言うことを信じてしまったばかりに・・・」というのはまさに自分で決めていないことが如実に現れています。
本当に自分で考えて決めていれば、たとえどんな結果になろうとも受け止めて、その上で次の選択を行っていくことができるはずです。今は医療に関して言えば、その「自分で考えて決める」という人生で後悔しないための基本、ひいては幸せに生きるための基本が、保険医療制度という仕組みによって知らないうちに奪われてしまっているように私は感じる次第です。
人を判断する踏み絵
コロナワクチン→何の疑問なく摂取(義兄一人だけ拒否)
糖質制限→オープンな態度なし、反応なし、興味なし
何十年もの間、優秀だと思い尊敬していた友人知人たちが、実は批判精神がなく、政府を鵜呑みにし、自分で考えたり調べたり考えたりしない人たちだったと分かり、非常に悲しいです。今まで自分は彼らの中に何を見て、期待していたのだろう、と。
「その程度の人だったのか」と、お付き合いしていく気がなくなってしまったというのが本音のところです。そういう踏み絵がなかったら今でも気がつかずにいました。
後半です
誤解のないように書いておきますが、おそらく私も20歳の頃だったら考えなしにワクチンうってパンも食べ続けていたと思います。ただ、ある程度の人生経験積んだ大人なら自分の頭で考え、批判精神を少しは持とうよ、と思うのです。そして、今の時代にはネットがあるのですから鵜呑みにせずに自分で調べる姿勢が大切だと思います。(92歳の母はテレビを鵜呑みにしており、その様子を見ていると怖くなります。もちろん母の世代は致し方ないと思っていますが)
Re: 人を判断する踏み絵
コメント頂き有難うございます。
>糖質制限とコロナワクチン は私にとって人間関係の踏み絵となりました。友人知人たちには見事に失望させられました。尊敬していた人たちも、すべて全滅でした。
> 何十年もの間、優秀だと思い尊敬していた友人知人たちが、実は批判精神がなく、政府を鵜呑みにし、自分で考えたり調べたり考えたりしない人たちだったと分かり、非常に悲しいです。今まで自分は彼らの中に何を見て、期待していたのだろう、と。
> 「その程度の人だったのか」と、お付き合いしていく気がなくなってしまったというのが本音のところです。そういう踏み絵がなかったら今でも気がつかずにいました。
その気持ちは非常によくわかります。
私も幾度となく思いました。「世界中の頭の良い人達、なんでこの明らかにおかしい動きに異議を唱えないの?」と。
ただ一方で私はたまたまこの問題(医療)だったからおかしさに気づけただけなのだろうとも思っていて、
全く違う分野の話だと同じように常識の罠にはまって、同じように誰かに失望されてしまうこともあるのだろうとも思います。
そういう意味では誰もがハマりうるこの罠とそこからくる悪循環から抜け出すためにはどうすればいいかという点で、私がわずかな希望を見出しているのが、違うことを前提にそれでも何とかうまくやっていく「対話」の発想です。
失望せずに、そもそも考え方は違っていて当たり前、自分が貢献できる時もあれば、誰かに助けてもらうべき時もある。そんな多様な考えを持つそれぞれが異なる人達の集団が、それでもうまくやっていく新たな民主主義の在り方を模索していく必要があると考えています。
Re: 後半です
> 私の場合、一番大切なパートナーである夫が両方とも私と同じ考え方なのでとてもラッキーですが。
それはとても素晴らしいことに思います。良い関係を築かれているのだと想像します。
願わくは近い考えの人が増えるといいという気持ちもよくわかりますが、違うのが当たり前という前提で動くと少し楽になる感もあるように思います。
> ただ、ある程度の人生経験積んだ大人なら自分の頭で考え、批判精神を少しは持とうよ、と思うのです。そして、今の時代にはネットがあるのですから鵜呑みにせずに自分で調べる姿勢が大切だと思います。
それも一理あると思います。
今の高齢者医療で疑問を持ちながらも薬を飲み続ける多くの患者さん達を見ていると、長く生きれば批判精神が育つとは限らないし、むしろ育たない人が圧倒的多数派なのだということを痛感します。時代の影響もあるかもしれませんが、今もコロナワクチンを打つ人が8割だという所を見ると時代のせいだけでもないようにも思います。
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