討論に対する苦手意識
2014/03/10 00:01:00 |
自分のこと |
コメント:8件
私は討論が苦手です。
最近テレビなどでカロリー制限vs糖質制限という形での討論の場を見かける事が多くなってきました。
かたや科学的根拠が薄弱で、実質国民全体で効果が乏しいという事が実証済であるカロリー制限、
かたや科学的理論が明確で、短期的な有用性はすでに証明され、現在長期的有用性を検証中の糖質制限、
この対決、どう考えても糖質制限の方に分がある事は明らかです。
そのような討論の場なら、一見私でも勝てそうな気がしてきます。
しかし実際はそう単純な話でもないように思います。 昔、英会話サークルに所属していた頃、ディベートという競技がありました。
とある賛否両論の議題に対して、賛成派と反対派に分かれて、決められたルールの下で討論をし、どっちの主張に妥当性があるかをジャッジが協議して勝敗を決める、というものです。
当時その様子を見ていて、「…これは自分にはできないなぁ…」と思ったものです。
というのは、ディベートで勝つためには、理論の正当性もさることながら、言葉の瞬発力も要求されるのです。
言い換えれば、アドリブで返す力、とでも言いましょうか。
そう言うと、才能があるかどうかの単純な話に捉えられがちですが、
アドリブでうまく返す力を鍛えるにも、実は日々の努力が欠かせません。
いくら言っている事が正しくても、それだけでは相手を納得させる事はできないのです。
有無を言わせず相手を納得させるためには、どんな質問が来てもそれに対して答えるための客観的なデータを用意しておく必要があります。そのためには膨大な労力をかけた下準備が必要です。
例えば、討論相手からとっさに「糖質を制限すると、動物性脂肪の取りすぎになるのでよくないのではないか」という質問があったとします。
そうした時に、いくら「動物性脂肪を山ほど取っていますが、元気そのものです」という主張をしても通りません。
なぜなら相手は「動物性脂肪=悪」の価値観を持つ人だからです。「動物性脂肪=悪、ではない」という明確かつ客観的なデータを持っていないと主張をはねのけることはできません。
そのような事に対する無数の下準備があって初めて、どんな質問に対しても「アドリブでうまく返す」事ができるのです。
ディベートの勝ち負けは、どちらの派をとるかということや、言葉の巧みさもさることながら、瞬発力を持って相手の主張をはねのけるための下準備がどこまでできているかという事も大きく勝敗の鍵を握っています。
逆に言えば、いくら理論的に明らかに正しいと思える派を選んでいたとしても、ディベートでは負けてしまうという事が起こりえるのです。
「そんな理不尽な競技はないなぁ…」と感じた私は当時それ以上ディベートを学ぶ気にはなれず、その代わりに別の競技へ労力を注ぎました。
だから私は今だに人を言葉で説得するという事に苦手意識を持っています。
私にはまだいろいろな知識が足りません。
しかしこうして一つ一つ知識を蓄えていく事が、
苦手な討論に対しても立ち向かえる力につながっていくのではないかと感じています。
今はまだ一つひとつの問題をじっくり時間を考える事を積み重ねていき、
言葉の瞬発力を鍛えていきたいと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
- 2023/03 (6)
- 2023/02 (5)
- 2023/01 (7)
- 2022/12 (5)
- 2022/11 (4)
- 2022/10 (11)
- 2022/09 (6)
- 2022/08 (6)
- 2022/07 (5)
- 2022/06 (6)
- 2022/05 (4)
- 2022/04 (5)
- 2022/03 (5)
- 2022/02 (4)
- 2022/01 (7)
- 2021/12 (14)
- 2021/11 (4)
- 2021/10 (10)
- 2021/09 (10)
- 2021/08 (8)
- 2021/07 (14)
- 2021/06 (11)
- 2021/05 (17)
- 2021/04 (9)
- 2021/03 (8)
- 2021/02 (9)
- 2021/01 (14)
- 2020/12 (9)
- 2020/11 (7)
- 2020/10 (6)
- 2020/09 (9)
- 2020/08 (11)
- 2020/07 (20)
- 2020/06 (22)
- 2020/05 (18)
- 2020/04 (22)
- 2020/03 (10)
- 2020/02 (7)
- 2020/01 (5)
- 2019/12 (9)
- 2019/11 (19)
- 2019/10 (31)
- 2019/09 (6)
- 2019/08 (7)
- 2019/07 (7)
- 2019/06 (13)
- 2019/05 (21)
- 2019/04 (9)
- 2019/03 (13)
- 2019/02 (15)
- 2019/01 (28)
- 2018/12 (9)
- 2018/11 (2)
- 2018/10 (11)
- 2018/09 (30)
- 2018/08 (31)
- 2018/07 (31)
- 2018/06 (31)
- 2018/05 (31)
- 2018/04 (30)
- 2018/03 (31)
- 2018/02 (29)
- 2018/01 (31)
- 2017/12 (31)
- 2017/11 (30)
- 2017/10 (32)
- 2017/09 (31)
- 2017/08 (31)
- 2017/07 (32)
- 2017/06 (31)
- 2017/05 (31)
- 2017/04 (31)
- 2017/03 (31)
- 2017/02 (29)
- 2017/01 (32)
- 2016/12 (31)
- 2016/11 (30)
- 2016/10 (31)
- 2016/09 (15)
- 2016/08 (11)
- 2016/07 (5)
- 2016/06 (10)
- 2016/05 (8)
- 2016/04 (5)
- 2016/03 (5)
- 2016/02 (10)
- 2016/01 (10)
- 2015/12 (7)
- 2015/11 (8)
- 2015/10 (7)
- 2015/09 (6)
- 2015/08 (6)
- 2015/07 (5)
- 2015/06 (5)
- 2015/05 (5)
- 2015/04 (3)
- 2015/03 (10)
- 2015/02 (28)
- 2015/01 (31)
- 2014/12 (31)
- 2014/11 (31)
- 2014/10 (31)
- 2014/09 (29)
- 2014/08 (53)
- 2014/07 (31)
- 2014/06 (30)
- 2014/05 (31)
- 2014/04 (30)
- 2014/03 (31)
- 2014/02 (28)
- 2014/01 (31)
- 2013/12 (32)
- 2013/11 (30)
- 2013/10 (33)
- 2013/09 (39)
カテゴリ
メールフォーム
スポンサードリンク
検索フォーム
ステップメール
リンク
QRコード

コメント
ディベートはゲームですね
ディベートは一種のゲームだと思います。実際にそれを観ている観客はどのように感じているのかわかりませんがディベートに勝ったほうが正しく負けた方が間違っているということはないですよね。
地道に研究して結論に対して真実性を追求している人はディベートのようなゲームに勝つテクニックの習得には時間は使いません。
私たちが地味だけど本物も見抜く目があるかどうかがポイントですね~
意外とその道に精通している人ほどあらゆる状況を考えると歯切れが悪いものだと思っています。
Re: ディベートはゲームですね
コメント頂き有難うございます。
なるほど。ディベートの延長線上で考えると少しずれる部分もあるのかもしれませんね。
いずれにしても糖質制限の知識を着実に固めていきたいです。
徒然草第150段
ブログを始められた頃から毎日更新を楽しみにしております。
今回の内容も非常に自省的でいらっしゃると感じました。
医師である先生に偉そうに申し上げてしまうことになり、恐縮の至りですが、人には得手・不得手があるものです。
ただ、夏井睦先生の言葉ではありませんが、「目の前にいる患者によき治療を施す」ためなら、間違った「常識」には抗い戦い続ける、という心意気は大事かと思います。もちろん「すべてを擲ってまでも」ということではなく、先生は先生らしくご自身ができることを、たゆまずお続けになることが大事かと思いますし、その成果の一つであるこのブログを楽しみにしている者もいるのだということはお知り下さると幸いです。
さて、吉田兼好の徒然草第150段「能をつかんとする人」の中で、「未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽古に励む人」は道を究めることができる、というようなことが書かれておりました。
医療は間違いが許されるものではなく、医療の試行錯誤は、命に関わるもので許され難いことは承知の上ですが、今回お書きになったような、主張の違う方々と合いまみえる時の処し方は、「習うより慣れろ」や「場数を踏む」ことも大事かと思います。
先日の「守・破・離」にも非常に感銘を受けました。「破」の段階であっても「離」の段階であっても、自分に迷いが生じたときに戻るべき原点が「守」であるとも思いますし、自分の拠るべき立ち位置への検証を忘れないことが「科学的思考」ということなのかもしれません。
長々とお目汚し大変失礼いたしました。
今後のご活躍を陰ながらご期待いたしております。
授業でやりました。
ディベート、私も授業でやりました。
英語じゃなくて社会学の授業だったと思います。
「プロ野球選手が、アメリカに行ってしまうのは是か非か」とか、「家で飼うならネコか犬か」などのたわいない討論でした。
おかしいのは、自分が犬派でもネコを飼う立場でディベートをするのです。自分の好みや意見の表明じゃなくて、与えられた課題を推す根拠をいろいろ想像して相手に伝える手立て、説得する手立てを修練するためだったのでしょうか?
私はおもしろかったですよ。
犬派でも「ネコもいいな」と思ったり、他の人の考え方を知るのもとても面白かったです。
勝ち負けは決めませんでした。
今思うと、なんでやったのでしょうか。
アメリカの裁判が陪審員制度というのも関係あるんでしょうか。
白黒つけるのは、日本人には向かなそう。
福山さんがいいか海老蔵がいいかのディベートみたいのなら楽しそうですね。
Re: 徒然草第150段
貴重なアドバイスを頂き有難うございます.
> 人には得手・不得手があるものです。
> 「未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽古に励む人」は道を究めることができる
> 「習うより慣れろ」や「場数を踏む」ことも大事かと思います。
大変参考になります.
私は医師としての経験はまだまだ不足しています.自分の未熟さを露呈することもあります.そして私にできない事もたくさんあります.
しかし「自分にできる事」「自分にしかできない事」を大事に経験を積み重ねていきたいと思います.
今後とも宜しくお願い申し上げます.
Re: 授業でやりました。
コメント頂き有難うございます.
> 自分の好みや意見の表明じゃなくて、与えられた課題を推す根拠をいろいろ想像して相手に伝える手立て、説得する手立てを修練するためだったのでしょうか?
そうですね.ゲームとしてのディベートにはそういう側面があるのでしょう.
逆の立場でものを考える,という事は大事なのでそれは良いと思うのですが,
競技としてのディベートには正否を覆しうる技術があるのだと当時感じた覚えがあります.その技術を突き詰めれば弁護士さんにつながっていったりするのでしょうか.
ただ「カロリー制限vs糖質制限」というテーマであれば,その事を考慮しても糖質制限が圧倒的に優勢だとは思います.
> 福山さんがいいか海老蔵がいいかのディベートみたいのなら楽しそうですね。
そういうのが平和でいいですね.女子会トークって感じで.
No title
トレランの鏑木さんの記事を検索していて辿りついて以来、定期的に拝見し参考にさせていただいております。
ディベートに対する私の印象は、ゲームという側面もありますが、論理的な思考を育てたり意思決定の為に論理的に話す(説得?)技術を育てるものです。
例えば裁判は、検察と弁護士が論戦して、裁判官が勝敗を決定する役割を持っています。
弁護士は自分の主義主張とは別にテクニカルに被告を弁護するため、時として批判されたりしますが、裁判官が双方の主張(情報)を漏れなく収集し、正しい判断を下すには必要なシステムかと思います。
で、ディベートは日本語で言う討論とは異なるそういうテクニカルな意味合いを持つものなので、テーマとしては、政策判断を問うものが多く、好き嫌いとか利害とか信念などに絡むものは本来取り上げるべきではないのかな、と思います。
なので、「カロリー制限vs糖質制限」は、利害とか信念が関わる部分が大きすぎてディベート向きのテーマではないと思います。
ディベートの専門家でもなんでもなく、昔ディベートに興味を持ったことがある、程度のしろうとの印象です。
Re: No title
コメント頂き有難うございます.
> ディベートに対する私の印象は、ゲームという側面もありますが、論理的な思考を育てたり意思決定の為に論理的に話す(説得?)技術を育てるものです。
なるほど.そう考えればうまく技術を習得するといろいろな事に応用が効きそうですね.
コメントの投稿