腰痛に人生を支配されない生き方
2022/11/24 16:50:00 |
おすすめ本 |
コメント:4件
私が提唱している主体的医療は、「患者自身が治すのを支える医療」ですが、
ともすれば「ただの机上の空論だ」と捉えられがちな危うさを持っている話のように思えるかもしれません。
ですが最近、「あぁ、主体的医療を実践している世界が実際にあるんだ」と実感できる一冊の本に出会いました。
人生を変える幸せの腰痛学校 ―心をワクワクさせるとカラダの痛みは消える 単行本 – 2016/11/12
伊藤 かよこ (著)
著者の伊藤かよこ先生は、自身が難治の腰痛の経験をお持ちで、
試行錯誤の果てに本書で紹介されている腰痛の改善法にご自身でたどりつき、
その後鍼灸師の資格を取得され、心理学や心理療法を取り入れたカウンセリングも行う治療院を開設、
多くの患者さん達との対話を積み重ね、「幸せの腰痛学校」と名づけたコミュニティを運営されています。
本書の帯には「世界初!読んで治す腰痛改善のための物語」というコメントが書かれているのですが、
その言葉が決して誇張ではないと感じる読後感でした。 腰痛の本と言えば、整形外科医をはじめとした腰痛の専門家と称する人達が、
人体の解剖学的構造や身体の生理学的なメカニズムなどを解説しつつ、腰痛をきたす様々な病気の解説やそれぞれに対する治療法から最新情報まで、医学情報を提供する類の本が定番だと思いますが、
この本はそうした腰痛指南本とは一線を画しています。
一線を画すと言えば、そもそもこの本は腰痛の治療法について解説しているわけでもなくて、なんと「小説」なんです。
主人公は29歳女性の神崎由依さんで、著者の伊藤先生のご経験が投影されているキャラクターのようですが、
この神崎さんが社会人5年目、営業職で大変に忙しくプレッシャーもかかる日々を送っている中、ある日突然襲われたお尻の痛みを契機に、
近所の整形外科を受診し、「腰椎椎間板ヘルニアによる腰下肢痛」と診断を受けることから物語が始まります。
その診断の日以降、様々な治療を受けるも一進一退である一方で、生活の中で何をするにも腰への負担を気にするようになってしまい、
次第に症状が悪化する中、時折訪れる激痛により入退院を繰り返すようになっていきます。
痛みのために以前のように仕事もこなせなくなり、休まざるを得ない状況も続く中で、会社からもそれとなり退職を勧められたり、恋人からも別れを切り出されたりと、
腰痛によって人生のどん底に突き落とされるような絶望感を感じることになってしまいます。
そんな中、親身になってくれた大学病院の主治医の先生から、知り合いの先生がクリニックの休診日を使ってやっている認知行動療法に基づくグループ療法での腰痛改善プログラムに参加してみないかと誘いを受けます。
迷いながら参加したそのプログラムを受ける8週間の中で、個性の異なる5名の腰痛を抱える参加者と出会い、
そしてプログラムの開設者である整形外科医の佐野先生、そして過去にそのプログラムを受けて腰痛を改善させた経験者の方々から、
従来の医学常識とは抜本的に異なる様々な提案を受け、時には戸惑い、時には反発しながら、その揺れる思いと共に腰痛に苦しむ人生を見直し、
「幸せ」を目指して人生を再構成していくという6人の物語が主人公目線で語られていくというストーリーです。
何が従来常識と根本的に違うのかと言いますと、例えばプログラムの初回に神崎さんは佐野先生からこう教わります。
"腰痛を治したければ治そうと思わないこと"
この台詞を聞いて私は、以前読んだ一冊の本のことを思い出しました。
アメリカのリハビリテーション医、J・E・サーノ博士が書かれた「心はなぜ腰痛を選ぶのか」という本です。
この本の中でも難治性腰痛の治療の第一歩は、「痛みの原因が身体の構造異常にあることを否定すること」と書かれていました。
なぜならば、構造異常があること自体が事実であっても、同じ構造異常があっても症状がない人もたくさんいるということが近年明らかにされたということ、
そして「痛みは構造異常のせいだ」と認識することによって、「抑圧された怒り」の感情を通じて心理的・生理学的なメカニズムを介して意識を向けた部位の筋緊張および筋肉の炎症を生じることになり、
この認識自体が難治性の疼痛へとつながるということで、この状態を「TMS(Tension Myositis Syndrome;緊張性筋炎症候群)」と名付ける、という話でした。
ただこの話が今の実際の医療の現場、特に整形外科の診療現場できちんと踏まえられているかと言われたら、そんなことは決してないということを私は医療現場にいて日々感じています。
それは整形外科医の認識が甘いというよりは、医療の文化として強固に固定されてしまっているという印象です。
腰痛を抱えた患者は、何か異常があるかもしれないと思って整形外科を訪れて、
整形外科医による診察や検査で何らかの構造異常を指摘され、
「腰痛の原因はこの構造異常にある」と説明をされたら、患者側にそれを疑う道理はありません。
かくして患者は「腰痛の原因は身体の構造異常である」という概念を信じて疑わない状況の中で一般的な腰痛治療を受けることになります。
まさにサーノ博士の逆のことを行うような文化が医療においては強固に形成されていると言えるでしょう。
それでうまくいく人も一定数はいる中で、中にはどうしても治らない人もいて、そうした人は何とかこの腰痛を治そうと効くと名高い様々な治療を求めて病院や治療院を巡り続けていきます。
それはまさに「腰痛に支配された人生」とでも言えるような状態なわけですが、この悪循環から離れるきっかけが現代の医療の文化の中では生まれにくいのだろうと私は思います。
そんな中で、この小説は病院文化とは異なる環境の中で、「構造異常が痛みの原因だ」という固定観念を見直し、
「腰痛を治そうとしたら腰痛を治そうと思わない」という新しい観念を、同じような悩みを抱える仲間達と共に戸惑いながらも丁寧な対話を通じて徐々に受け入れていく具体的なプロセスが、主人公のリアルな心情と共に表現されています。
さらに言えばこの本では、サーノ博士が指摘する「抑圧された怒り」から一歩進んで、「抑圧された怒り」だけではない当事者のそれぞれの人生の中での決して一様ではない物語の中に腰痛を生み出す認知があるのだと、その多種多様性も小説という形でうまく表現されています。
色々ポイントがあると感じた中で、本書に紹介されていた人生を腰痛に支配されないために大事なポイントを私なりにまとめると、次のようになります。
・腰痛は無くそうと思わずに、別にあってもいいから「心地よさ」「いい気分」に注目するということ
・自分のできることの中で、他者へ貢献することが幸せを生み出すのだということ
・基本的にからだは素晴らしいもので、構造の異常があろうがなかろうが、その素晴らしい力はいつでも備わっているのだということ
ここで言う「からだが素晴らしい」ということには2つの側面があると私は思っています。
素直に考えれば「あらゆる状態から立ち直ることができる潜在可能性」という側面ですが、逆に言えばそれは「どこまででもバランスを崩していくことができる」という側面でもあるように思うのです。
本書の中でもう一つ印象的な言葉に「からだとの対話」というものがありました。
「どこまででもバランスを崩していくことができる」というのは、からだとの対話ができていないが故の、からだからの「思いを聞いてほしい!」と言う決死のメッセージだとも受け止めることができます。
診断という名の構造異常に原因を求める病院文化は、構造異常を専門的に扱う専門家へと自分の身体を委ねさせてしまう「先生にお任せ」コースへと直結し、
その結果、からだとの対話から遠ざけさせてしまうが故に「ちゃんと話を聞いてよ!!」と言わんばかりのからだからのメッセージが難治の症状として表現されてしまい、気づかずにいればまたさらに声が大きくなりという構造があるように思います。
この悪循環を断ち切って、からだと対話していくために具体的にどのようにどうしていくのかというプロセスが物語を通じて示されているわけですが、
おそらくどのように対話していくべきかは、その人の物語によって変わってくると思います。
ただ小説と同じことをすれば治るというシンプルな話というわけにはいかず、おそらくそこには自分の物語を踏まえて自分自身はどうするかを考えるプロセスが必要なはずです。
ただ、この本はその「自分はどうするか」を考えるためのヒントがたくさん散りばめられていると思います。
もう一つ大事なこととして、だからといって「現代医療を否定しているわけではない」ということも書かれていました。
医療の忘れてはいけない役割のひとつは、医療が介入しなければならない危険な腰痛の原因がないかどうかを見極めるということです。
構造異常が原因だと思わない方がいいのだとしても、例えば腹部大動脈瘤だとか、化膿性脊椎炎だとか、脊髄損傷をきたす高度のヘルニアだとか、医療の介入が必要不可欠な状況があることもまた事実です。
だから画像検査の存在価値がないという話では決してなく、むしろ危険な状況でないことを画像検査で確認することができれば、自分で治すこともできるんだという選択肢に勇気をもらえると理解すればよいのではないかと私は思います。
そして「自分で治す」という行為も、決して「自分一人だけで治しなさい」という意味ではなく、
時には医療者を頼ったり、同じ悩みを抱える人達の経験や意見から学んだりすることで、一人では決して成し遂げることのできない可能性を存分に活かしながら、
自分のからだとの対話をはじめとした「自分にできること」を着実に積み重ねて、良い気分、幸せを目指していってみませんかというのがこの本が提案する治療の選択肢なのではないかと思います。
文章でこの本の魅力を伝えるのが大変難しいのですが、
実際に読まれると私がここで表現している以上の意味・感覚がきっと伝わってくると思います。
とてもおすすめの本なので、腰痛に限らず痛みに苦しむ全ての患者さんに是非とも読んでほしいです。
もっと言えば、この本の考え方は何も痛みに限らず、おそらくほとんど全ての症状において当てはめる潜在可能性があるのではないかと私は思っています。
だとすれば、構造異常に限らず、症状の原因を特定の異常に求めようとする西洋医学的な医療観に基づく現代医療は、
やはり抜本的に見直して、患者が主体的に利用していくための知識へと再構成していく必要があるのだと、
そのためには現代医療とはまた別の"場"を作っていく必要があるのではないかと、
私は構想を膨らませていっています。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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腰痛に関連して少し脱線・・・
「主体的医療」は、田舎のおじちゃん・おばしゃんレベル(科学的知識に乏しく科学的思考に慣れていない)には難しすぎるとひそかに思っていましたが、実践例のようなものが既にあったのですね。主体的医療は精神・心理療法と親和性が高そうなので、ハードルはそれ程高くないのかもしれません。
腰痛に関連して少し脱線しますと、病の治療は免疫療法らしきものを第一選択したいと個人的に考えますので(個人的には、たがしゅう式療法(糖質制限とストレス・マネジメントが基本)も免疫療法の一種との位置付け)、腰痛については坂井 学式療法が良いのではないかと考えています。
坂井氏は、その著書「『体を温める』とすべての痛みが消える」(2011年)によれば、
構造異常の箇所と痛みのある部分が異なることが少なくない
ことに整形外科医として悩みぬいて、安保徹氏の著書「体温免疫力」的思考と、西原克成氏の著書「究極の免疫力」的思考とを採用し、新たな療法へたどり着いたようです。同法の根幹は、局所ホルモンのプロスタグランジン(PG。血管拡張作用が主)が発痛の素だから、外部から温めて血流障害を解消しPGが増えないようにすればよいというものと個人的に解しております(なお、ぎっくり背中に同法が適用できるのかは良く分かりません)。
2021/11/25の記事へのコメントの回答にて、免疫低下「発炎終炎」仮説を知りましたが、安保免疫学を基本にしている小生からみると
・なぜ免疫力の温度依存性を切り捨てるのか
・安保説の「治癒反応」状態と「発炎>終炎」状態の違いが不明
のため理解不能でありました。特に前者は、医療の臨床上は良いかもしれませんが、生物学的には疑問符が付くのではないかと思います。
ということで、小生の検討中の新たな健康法では免疫力を定義しておいた方が良いと思うようになりまして、現状下記のようになっているので紹介してみます。安保説と西原説を取り込みつつ、ついでに江部康二説も射程に入って来るように企図しています。
記
Q.免疫力とは?
A.人体には、もともと自己修復機構が備わっており、その一部として老廃物・異物を除去する機能がある。
この除去能力は、体質、年齢、体温などによって、また、体内の老廃物・異物の量は、体質、基礎疾患の有無、生活習慣などによって変化する。老廃物・異物の発生は、新陳代謝に由来するもの(ヒトは60兆の細胞からなり毎日1兆個が交代している模様)、呼吸・消化に伴うもの、基礎疾患によるもの、人体の共生体が関与するもの(防衛線から侵入したものへの対処など)が多いだろう。
この観点からすると、疫を免れる力(免疫力)は、老廃物・異物除去能力の余力と捉えられる。余力が高ければ、外来性の病原体を排除し、あるいは共生体が病原性を持つほど増えるのを阻止することにより、発病しない状態(免疫)を維持し易くなるだろう。
Q.免疫力を低下させる要因は?
A.免疫力の低下は、この立場では余力の低下と理解することとなる。余力低下の要因は、代表的には
・低体温、あるいは過剰なストレス(除去能力の水準低下)、
・鼻呼吸の減少(口呼吸の多用)や冷飲食(局所的低体温による除去能力低下。前者では異物の増加も)、
・元々基礎疾患があった、あるいは風邪を引いた(患部での新陳代謝の増加)、
・血糖値の過剰変動の持続化(血管系の新陳代謝の増加)
があげられる。
従って、免疫力を高く維持する(実態は十分な余力を確保する)方法として、ストレス管理、狩猟採集食(血糖値変動の少ないもの)、鼻呼吸などは大いに推奨できる。(了)
面白い
Re: 腰痛に関連して少し脱線・・・
コメント頂き有難うございます。
前回のコメントも非常に考えさせられましたが、今回も考えるきっかけを頂き心より感謝申し上げます。
> 構造異常の箇所と痛みのある部分が異なることが少なくない
>局所ホルモンのプロスタグランジン(PG。血管拡張作用が主)が発痛の素
>外部から温めて血流障害を解消しPGが増えないようにすればよい
>疫を免れる力(免疫力)は、老廃物・異物除去能力の余力と捉えられる。
なるほど。
「構造異常の有無に関わらず痛みの本態は血流障害部位に発生する発痛物質が原因なのだから、
明らかに血流を改善する”温める”というアプローチがもっと活用されるべき。
そうすれば免疫力たる異物除去能力の余力を保つことができる」
そのような意味だと解釈させて頂きました。
そうであればvinceroさんの仮説だと免疫力は高ければ高いほどよいということになるのかと思いました。
一方で私の免疫力の定義は「異物除去反応を担う発炎反応と終炎反応のバランス」なので、
「高すぎても低すぎてもよくない」ということになるという点で立場の違いがあるのかなと感じました。
私の仮説では免疫力が高すぎるというのは「異物を攻撃し過ぎる」もしくは「異物でないものまで異物として攻撃してしまう」状態を意味します。一方で免疫力が低すぎるというのは「異物が入っているのに攻撃することができず異物が蓄積してしまう状態」です。
コロナワクチンで若者の副反応が強く、高齢者は意外と副反応が少なくて済む人が多いという傾向が見られましたが、前者が若者のエピソード、後者が高齢者のエピソードと解釈することもできると思います。ちなみに免疫力がほどほどの場合は、コロナワクチンを打っても最小限の副反応で済んで異物も完全に除去されているというパターンです。
> ・なぜ免疫力の温度依存性を切り捨てるのか
> ・安保説の「治癒反応」状態と「発炎>終炎」状態の違いが不明
さて体温という観点で考えますと、白血球をはじめとする異物除去システムを担うプレイヤー達は、
確かに38℃程度の高体温状態で最も活性化するということがわかっていますので、外部から体温を上げるように仕向けるアプローチは、38℃までは行かずともそれに近づけることによって異物除去システムの効率化が図れるということは確かにあると思います。
一方で異物除去システムのプロセスの中核をなす「炎症」という現象には、熱感、紅斑、発痛、腫脹という古典的な4兆候(機能障害も含めれば5兆候)を伴うということはよく知られています。つまり本来の「炎症」プロセスがきちんと遂行されれば、それ自体に熱や痛みを発生する仕組みがあるのだという側面が見えてきます。また「炎症」は異物除去反応であると同時に組織修復反応でもあります。熱や痛みを発生させることで動物本体にそれ以上余計な行動を取らせないよう、休息に集中できるように仕向ける意義があるという合理性も見えてきます。
さてそんな中、人間だけが糖質やストレスを中心にこの異物除去システムを暴走させることができるわけですが、糖質過剰と慢性持続性ストレスが血糖値乱高下や微小血管収縮を通じて組織血流の低下をもたらし、ひいては同組織の温度の低下へとつながります。この状況は行ってみれば「発炎反応」が十分に発揮されていない状況ですので、外から温めるアプローチは弱った「発炎反応」を後押ししてくれる可能性があります。
一方で問題は「内因性に適切な炎症反応が起こせなくなっていること」にあるので、外部から温めるアプローチは一時的な助けにはなったとしても、「内因性に適切な炎症反応を起こす」という問題の解決にはならないし、もっと言えば外部から温熱を補充し続ければ続けるほど内因性の発熱機能が衰えてしまう可能性さえあります。これは「終炎反応」の中核を担うステロイドホルモンを外部から補充することは確かに炎症の収束に役に立つけれど、補充が長くなればなるほど内因性のステロイド産生ができなくなる副腎不全の状態に近づくという現象と共通構造を持っていると思います。
なので、私としては免疫の温度依存性を切り捨てているわけではなく、適切に免疫が働いていれば外部から補わなくても状況に応じて適切な体温でうまくやっていくことができるという考えです。寒い地域の人が必ずしも寿命が短いわけではないという点もこの考え方を支持します。ただし色々な事情で人生において避けがたいストレスなどで免疫が乱れる場面はあると思いますので、その時は温熱アプローチの助けを借りることはもちろんあっていいと思いますが、これを免疫力を良い状態に保つメインアプローチだと私は思っていないということです。ただし、温熱はステロイドと違って、補充のしすぎが起こりにくいというメリットがあるアプローチだと思っています。なぜならば人間は温め過ぎると不快を感じるからです。言い換えればどこまで温めればいいかは自分の身体が教えてくれるということです。逆にステロイドの場合は外部から補充する場合はどこが最適値になるのか非常にわかりにくいという問題があるので、しばしば補充の過不足が生み出されてしまいます。野生動物でも環境が寒くなれば、誰に教えられるわけでもなく温かい場所へ移動すると思いますので、この仕組みを活用しない手はないと思います。
安保先生は「身体は間違わない」という言葉を残されていると思います。私も基本的にその考え方には賛同するのですが、起こしている反応自体は間違っていなくても、その反応が一方向に偏ってしまうと、その間違っていない反応が結果的に自分の身体を破滅する方向へ向かわせてしまうということはあると思っています(その自壊という結末さえも「間違っていない」と見ることもできます)。この身体を間違わないという感覚を人間のすべての反応において非常に肯定的に捉えているのが「治癒反応」という表現で、私はその「治癒反応」の中でシステムが一方向に偏って発動され続けている状態の一部を「発炎>終炎」と表現していると考えています。
Re: 面白い
ご評価頂き有難うございます。参考になれば嬉しく思います。
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