定型的言説を疑ってみる
2022/11/17 12:10:00 |
がんに関すること |
コメント:5件
がんは今や生涯で2人に1人の人がなる病気だと言われています。
50%の確率だと言われたら、それはもう自分がなるものという前提で考えておいた方が得策でしょう。
ただ完全に50%のくじを引いて当たる確率と同じような構造ではありません。
まず年齢とともにがんの確率が高くなっていくということがありますし、タバコをはじめとしてがんになりやすい生活習慣というのもどうやらあるように言われています。
そうすると自分の努力次第で50%の確率を40%やら30%やらに下げることができるようなイメージを持つかもしれません。
だから多くの人は多分自分には関係ない話だと、普段がんのことを十分に考える機会を持たずに、
職場の健康診断に身を委ねていたり、あるいは身体のことを気遣うこともなく、人それぞれ思い思いに日々を生きておられることでしょう。
そんなある日突然、医師から宣告されるのです。「どうやらあなたにはがんがあるようです」と。 するとほとんどの人はその宣告を青天の霹靂のように感じ、どうしたらいいかわからない気持ちにおかれてしまうのです。
そして目の前にはその状況を助けてしまう医師がいる。「どうすればいいんでしょうか?」と尋ねると医師はこう答えるのです。「標準治療を受けましょう」と。
そしてこうも言います。「このままだとあなたの身体が危険です」と。「標準治療を受けることがあなたを守る最善の策なのです」と。
どうすればいいかわからずにいたところに、いかにも何でも知ってそうな温和な雰囲気の白衣を着た医師がそう言えば、多くの患者は「わかりました。先生よろしくお願いします」となるのが当然だと思います。
そしてその後は手術、化学療法、放射線治療といったお決まりの標準治療コースへと進みます。忘れがちなのはその後の経過観察コースにもつながっており、CT検査などを定期的に要求されることも珍しくありません。
これはいってみれば、恐怖感情を利用して顧客をベルトコンベアー方式で定型的なパターンに当てはめる悪徳商法と構造的には同じではないかと思います。
「このツボを買わないとあなたは確実に不幸になる。だからツボを買って楽になりましょう」
構造的には同じなのに、この悪徳商法のパターンに乗る人は稀ではないかと思います。なぜでしょうか。
「ツボを買わないと不幸になる」という言説に説得力がないし、そのように話す販売者に対しても特別信用できる要素を感じることができないからです。
逆に言えば、言説に説得力があって、相手が信用できると判断できれば、このベルトコンベアーには乗ってしまう、ということでもあります。
歴史的な流れを受けて、どうやら医師は権威を持ち過ぎてしまったようです。
普段そのことについて真剣に考えるというステップを踏んでいない限り、相手が医師というだけで信用に足るという文化の中で私達は生きているように思います。
しかもその医師が語る言説には「科学的根拠」という、いかにも正しそうな衣をまとっているというダメ押し付きです。こうなれば相手を疑う方が野暮というものでしょう。
ただまず医師が語る「科学的根拠」のほとんどは統計学の話だということ、統計学的な事実は特定の条件下における現象の一つの切り口を表しているだけであるにも関わらず、
それがあたかも絶対的な真実であるかのように喧伝され、そのアンバランスが権威をカサに来た医師によって過剰に説得力を持たされてしまっているということ、
つまり、医師の言説の怪しさ、相手を信用できるかどうかという信憑性は、医師の権威が保証されている文化さえなければ、恐怖を利用して商品を販売しようとする悪徳商法の構造と同じだと私は思うのです。
もっと言えば、医師がそれを絶対的な正義だと思いながら勧めている点が非常に問題のある部分です。絶対的に正しいことが自分の手の内にあるという立場ほど怖いものはありません。
ひょっとしたら悪徳商法の方も、自分の商売が悪徳だとは思っていないかもしれません。本当に自分のツボが世界を救うと思って正義感に溢れながら販売しているかもしれません。
ただ社会の空気がその正義感に賛同しているかどうかというだけの違いで、それぞれが自分が正しいと思うことを遂行し合っているだけなのかもしれません。
極端に言えば「ツボがあれば不幸が避けられる」という言説を、販売者とともに信用できるのであれば、ツボを買うのも当人の自由でしょう。
そういう意味では、「がんを放置すれば命に関わる」という言説を、医師とともに信用できるのであれば、他人からとやかく言われる筋合いはないでしょう。
ただツボ販売との決定的な違いは、その言説を社会全体が支持しているということです。
ツボを購入した後は、そのツボについてとりわけ考える機会に恵まれることはないであろう社会の中で私たちは生きています。
しかし「がん」の方はどうかと言えば、社会が支持しているので、「ツボを買う」に相当する「標準治療を受ける(その後の経過観察も受け続ける)」という行動を行った後、ずっとそのことを意識させられる社会の中で生きていくことになります。
何か症状があったら「がんが再発していないだろうか」と気になったり、CT検査を再検して何もなければ「よかったがんが再発していなくて」とほっとしたり、
がんを告白した周りの人たちはがんの治療を受けている人として心配されたり、時にはそのことに関連して気遣われたりするかもしれません。
あるいは自分の身内にがん患者が出たという話を聞いて、再び自分のがんのことを意識させられるかもしれません。
これをツボのケースで例えれば、社会全体でツボに関する話がところどころで散見されているような状況です。たまたま社会がツボを支持していないから話題が出なくて済んでいるのです。
正直言って、色々考えた末に納得の上で「がんの標準治療を受ける」という選択するのであれば、他人に何も言われる筋合いはないと思います。
ただ何となく社会の空気に流されるように恐怖を揺さぶられながら選択して、ベルトコンベアーに乗ってしまっている人がいるのであればそれは大変悲しいことでもあります。
本当に言説が信用に足るものか、考えたことのない方は一度社会の風潮は一旦わきにおいて考えてみることをお勧めします。
私ががん医療について知っていることは、これまでにも当ブログで散発的に記載してきましたが、以下に重要点をまとめてみます。
・がん細胞は糖代謝過剰駆動状態で遺伝子異常を伴う場合が多い(先天的なものと後天的なものとがある)。
・がんは基本的に病理的(顕微鏡的)に見た細胞の形態から診断されるが、良性か悪性か微妙な境界領域がある(悪性のように見えて良性のように振る舞うパターンもある)。
・手術と放射線療法は臓器を欠損させる処置。範囲が広ければ広いほどダメージも大きくなる
・化学療法は全細胞攻撃。分子標的治療薬もエフェクターT細胞療法(免疫チェックポイント阻害剤、CAR-T療法など)も手が込んでいるが本質的には全細胞攻撃。
・がんの標準治療を受けている人は早期がんで臓器欠損が小さい人を除いて、治療前に比べて治療後の健康状態が明らかに悪い
・がんの標準療法の肯定的な結果を支持する医学論文には根本的な構造欠陥がある可能性が拭えない。
つまり現在社会全体が支持しているがんへの言説をまとめるとこうなります。
「がんは遺伝子異常によってもたらされる異常な細胞で、異常かどうかの区別が疑わしいことはあるけれど、疑わしきは罰するの姿勢でこの異常細胞が手がつけられなくなる前に、全力でこの異常を排除するための標準治療体制が整っている。これを受けることでダメージを受けることは必至だけれど、それは生きていくためにやむを得ないこと。この方針が正しいということは世界中の医学論文(統計学的事実)が支えている」
以上のようになるわけですが、本当にこの言説は信用に足るものでしょうか。これ以外のがんの解釈の仕方は本当にないでしょうか。
なぜ悪徳商法のツボを買わないのでしょうか。「ツボを買わないと不幸になる」以外の信用するに足る言説をあなたが持っているからではないでしょうか。
それは取り立てて努力をすることもなく、自然に身につけられた言説であったかもしれません。「ツボを買わなくても不幸にならない」という話は周りの人に聞いても皆そう共感してくれるかもしれません。
しかし今相手にしているがんへの定型的な言説に対して、ツボと同じように対処することはできません。なぜならばこの言説以外の言説を選び取ることは、社会の中で多くの人達が信じていることと違う言説を選ぶことでもあるからです。
ならば、定型的言説以外の言説を選ぶためには、それ相応の努力が必要になるということになります。周りと違っていたとしても決して揺るがされることのない基盤を自分で作っていく必要がどうしてもあると思います。
そう聞くと大変なことのように思えるかもしれません。ただ実はそれは大変なことでも何でもありません。
目の前で起こっている事実に対して謙虚になるということ、人と違っていることを極端に恐れないこと、自分の頭の中にある常識がどのようにできあがったものかを考えてみること、常識がいつ何時も正しいということはほとんどないのだということ(特に人間科学の領域において)、事実に即していない言説であればもう一度自分の頭で考えてみる価値があるのだということ、
こうした心構えさえできていれば、あとはきっと誰にでも挑戦できることだと思います。「なぜ?」という問いを納得のいくところまで繰り返していくのです。
答えのわからない問いもあるでしょう。そんな時は一旦保留にしながらでもいいから、問いを変えながら前に進んでいきます。
時には人に尋ねたり、本を読んでみたり、ネットは楽だけど鵜呑みにはしないで、調べたことを自分の目で確かめるまでは保留にしておくスタンスを根気よく続けていくのです。
社会の定型的な言説に従ってしまいたくなる欲求に耐えながら、おかしいと思う事実があるのなら、ゆっくりでもいいから諦めずに問いを立て続けることを私はおすすめします。
わからない時は私も一緒に考えますから、よかったら声をかけてください。
考えてみれば、この恐怖をベースに定型的なパターンに乗せるという構造は、がんだけに限った話でもないように思います。
例えば、私が専門にしているパーキンソン病、これだって「神経難病だから専門家の治療に任せるしかない」といってレールに乗せられます。
難病と称される病気は全てこのラインに乗せられると言っても過言ではないかもしれません。
それを心底納得できるのであれば私は何も言いません。でも本当にそれ以外の言説は存在しないでしょうか。
例えば、パーキンソン病は高齢者に多いと言われていますが、患者の数は年々増加傾向にあります。なぜ高齢化社会と言われるようになって久しいのに、今もなおパーキンソン病患者の数が増え続けているのでしょうか。
あるいはパーキンソン病とは本当に自分で治せない難病なのでしょうか。難病という言説を信じさせられることによって、なぜそのような状態に至ったのかについて考える機会を失ってしまってはいないでしょうか。
がんのように社会に周知された病気であればまだしも、パーキンソン病について事前に真剣に考えたことのある人はほぼ皆無と言っていいような状況なのではないかと思います。
それであれば定型的な言説に乗る前にできることがあるのではないか、いやもっと言えばこのようなことを考えるのは余裕のある時でないとなかなか難しいでしょう。
恐怖ビジネスのレールに乗せられる前に、事前にそうした状態になった時のことを十分に考えておくことができれば、いざそのタイミングが来た時に定型的言説以外の選択肢も十分に考えることができるかもしれません。
それはがんとか、パーキンソン病とか個別の病気についてあらかじめ考えておこうという提案では決してありません。
全ての病気について共通する要素を考えること、そもそも病気とは何なのかについて考えておくことは、
あらゆる病気と関わることになった時にあなたの選択を自由にする力をもたらすのではないかと私は思います。
私は定型的言説にとらわれずに自由に考える機会を作り続けていきたいと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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思いつきですが
人間の細胞の数は60兆位だと何かの本で見た様に思います。
また、現代社会は様々な発癌性物質が溢れていると言われています。
双方が正しければ、普通の人は絶えず癌細胞を発生させていると思います。
(統計学的には)
ただ、免疫などの自己修復機能により、それらの癌の芽が除去されているので
癌と認識できほどの大きさになっていないだけではないでしょうか。
すると、癌の本質とは免疫などの自己修復機能の機能不全となります。
特に転移再発といった状況は、それを示しているのではないでしょうか。
癌の標準療法は内科的処置であれ外科的処置であれ、糖尿病患者にインスリンを
打ち続けているのと同様な対処療法だと思います。
それも必要だとも思いますが、精神的なストレスや、糖化や酸化等の肉体的な
ストレスの軽減を図ることこそが本質的な治療ではないでしょうか。
Re: 思いつきですが
コメント頂き有難うございます。
> 現代社会は様々な発癌性物質が溢れていると言われています。
> 双方が正しければ、普通の人は絶えず癌細胞を発生させていると思います。
> (統計学的には)
> ただ、免疫などの自己修復機能により、それらの癌の芽が除去されているので
> 癌と認識できほどの大きさになっていないだけではないでしょうか。
> すると、癌の本質とは免疫などの自己修復機能の機能不全となります。
> 特に転移再発といった状況は、それを示しているのではないでしょうか。
それは現状に対する一つの見方ではあると思います。
一方で同じ現象に対する別の見方もあると私は思っています。
「自己免疫システムががんを攻撃(除去)している」と見える現象は、
「一定の環境を維持しようとする同質的複雑構造集合体が異質なものと遭遇して互いに安定するよう相互に関わり合っている」という風にも見えるように思います。
何が違うのかと言いますと、その後の行動が変わります。
相手を除去すべき敵(異物)だと考えるとその後の行動は、戦って除去するか、戦って負けるか。外来物であればまだしも内因性物質だと逃げるという選択肢はなさそうです。
ところが相手を自分達とは「他なるもの」と捉えた場合には、もちろん拒絶の道もあるわけですが、何もしない、関わり合って自分達の一部として取り込む、という別の選択肢も出てきます。
そもそもなぜ発がん性物質はなぜここまで世界中に広くはびこっているのでしょうか。
人間の産業活動が作り出しているイメージがありますが、もともとの自然界にも発がん性物質と呼べるものはたくさんあるはずです。
そもそも発がん性物質とは何なのでしょうか。
これもがんを敵としてみると、発がん性物質はがんの原因物質にしか見えませんが、
がんを「他なるもの」と見れば、発がん性物質もまた「他なるもの」、がんはむしろ「他なるものと出会ったことで起こっている結果の一つ」だということになります。
2019年7月13日(土)の本ブログ記事
「『発がん性物質』熟考」
https://tagashuu.jp/blog-entry-1625.html
もご参照下さい。
つまりがんがあるということは、「他なるものとの関わり方が一つの方法に偏り過ぎており、その状態が長く続いている」という状態を意味しています。「他なるもの」に対して身体が「排除」という関わり方を選択し続けているということです。なぜならば身体が、こころが、これを排除すべき対象、由々しき問題であると認識しているからだと思います。
私はストレスとは「思い通りにならない状態」だと捉えています。
もしもがんを敵だと捉えるその思考そのものが、がんを育てる仕組みを駆動しているのだとしたら、がんは味方とまでは思えなかったとしても、「がんは自分とは違うけれど、もしかしたら一緒にやっていけるかもしれないもの」くらいに受け止めることができれば、身体に起こってくる現象も変わってくるのではないかと。そんな考え方を私は本気で信じています。
『「がんは自分とは違うけれど、もしかしたら一緒にやっていけるかもしれないもの」くらいに受け止める』という心の持ち方については理解できますが、癌が自己増殖を止めない限りは排除しなければならないのではないでしょうか。
ちなみに自分は、「自分の心身が健全なうちは癌は恐れるものではない」と考えてストレスから逃げているようです。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
> 『「がんは自分とは違うけれど、もしかしたら一緒にやっていけるかもしれないもの」くらいに受け止める』という心の持ち方については理解できますが、癌が自己増殖を止めない限りは排除しなければならないのではないでしょうか。
これはあくまでも私の考え方ですが、
がんがどのような挙動をとるかということと、自分がどのような心理状態にあるかということはリンクしていると思っています。
つまり癌が自己増殖を止めない状態は、自分の心理状態が焦りや不安や思い通りにならない感覚に支配されていると思っていて、
逆に自分の心理状態が穏やかで受容的で、まあいいかと思えるような感覚を持てる余裕があれば、それに合わせて癌の挙動も穏やかになるのではないか(場合によっては正常の細胞に戻る)という考えを持っています。
一方でそれでも思い通りにならないのが人間だと思います。
もしも自分が癌の自己増殖が止まらないという状況に直面したとしたら、まずそれは自分は気づいていないけれど、恐れや不安などの負の感情に支配されてしまっている状況にあると認識します。その上で何に対して負の感情を抱いているかわからない場合は、私ならひとまず深呼吸と瞑想を試みると思います。頭の中を空っぽにするよう努めます。場合によっては環境を変えたり、余計な雑念が入らないように断食も行ってみるかもしれません。それでもがんが増殖し続けるようであれば、その時感じているありのままの感情を書き残しながら、きっと自分の運命を受け入れるだろうと思います。もちろん、その立場になってみないとわからないかもしれませんが。
癌に対するスタンスは違っていますが、『それでもがんが増殖し続けるようであれば、その時感じているありのままの感情を書き残しながら、きっと自分の運命を受け入れるだろうと思います。もちろん、その立場になってみないとわからないかもしれませんが。』という点については同意見です。
癌が増殖するようになったということは、寿命が来たということと受け入れます。
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