主体的医療が広がった先の世界

2022/11/02 17:55:00 | 主体的医療 | コメント:0件

もう一つの医療の在り方を模索し続けています。

今主流とされている現代医療はあまりにもバランスを欠いていると私には思えてならないからです。

ほとんどの病気の原因を見誤り、本当の原因から目を逸らし続けてしまい、

医療を受けることで病気から卒業できるどころか、生涯病院につなぎ止められてしまう構造、

さらには高度な標準治療と称して信じられないくらい高額な治療薬が軽々と処方され、これらを含めた莫大な医療費が保険で賄われ続けてしまう状況、

またそのバランスの悪さに気づかされることなく、そのまままかり通ってしまっている状況、

どれをとっても適切な医療が行われているとは到底思えないのです。

なぜ医療はこうも歪んでしまったのでしょうか。はたして医療はどこから見直すべきなのでしょうか。 この疑問に対する明確な答えが見つかったわけではありませんが、

今私が思っているのは、現代医療を是正しようとするのではなく、新しい医療の形を創立して、それに賛同する人達を地道に増やしていくことだと思っています。

というのも、一つはここまで歪みに歪んだものを解きほぐす作業そのものが至難の業であるということがあります。

すでに現代医療は、科学の皮をかぶった統計学によって狂信的な勢いを持って、制度、文化、国家レベルでその価値観を定着させています。これを一から解きほぐすことは現実的ではありません。

もう一つは、すでに従来型の現代医療の価値観に存分に浸かっている人に対して、その矛盾や問題を指摘すること自体がその人に著しいストレスを与えてしまうことになりかねないということがあります。

同じ目線に立って考えられないのであれば、むしろ声をかけない方がいい。あなたと私は違うということを前提に、それでも社会としてうまく成立する方向でそれぞれが考えられればいいと思うのです。

そういう意味で私は今、新しい医療の在り方である主体的医療についてじっくり考えることができる場をできるだけ多く増やしていきたいという衝動に駆られています。

なぜ既存の現代医療と離れてまで、主体的医療の世界を目指すのか。

まず主体的医療が広まれば、医療費が今よりも格段に少なくなります。

慢性疾患で漫然と投薬治療を受けることはまずありません。検査も定期的ではなく、各々が症状で気になる時、あるいは見落としがないか確認しておきたい時に限られます。

外科手術は外傷処置を中心に残りますが、がんで手術を選択する人は激減します。がんだとわかったらそれぞれが自分の生き方を見直すことを第一選択とし、それではどうしてもコントロールができない状況に陥った人だけが手術を選択するようになるからです。

内科の仕事は激減します。診断という作業は必要なくなり、今の困った状態をどう改善していけばよいかに対して数多いるアドバイザーの一人になります。

ただ血管内治療の仕事は残ります。脳梗塞や心筋梗塞で血栓が詰まった人に対してカテーテルという細い管を通して緊急で血栓を除去したり、溶解したりする治療です。

救急医療は厳然として残ります。主体的医療の中での救急医療はどうしても自力で病気の収束をしきれない人に対するセーフティネット的な役割になります。言わば警察や消防と同じような役割です。

削減された病院の従来の役割は社会全体で担っていくことになります。誰もが治療者でもあり、被治療者でもある関係性になります。この発想はオープンダイアローグから学んだ対話がヒントになっています。

病理医の仕事は研究という形で残ります。放射線科医の仕事も今より検査頻度が減る分少なくはなるものの、基本的には主体的医療の中でも必要とされる仕事です。

治療の領域が削減される代わりに、介護の領域は拡大していきます。ただし今のように施設中心の介護ではなく、死が訪れるその瞬間まで本人の主体性が保てるよう支える介護が発展していく必要があるので、基本的にその舞台は在宅です。

子供のいる世帯、そうでない世帯、独居世帯に関わらず、誰もが支え合うことのできる仕組みが社会で整っていきます。

可能な限り、お金に支配されない世界を目指します。医療費が削減された分を別に回そうという発想は、この際従来医療の価値観を持つ人達に任せて、

主体的医療の世界の住民は、必要最小限のお金で助け、助けられる関係の中で生きていくことをよしとします。

妬みや羨みも極小化して、どのように生きていくのが幸せであるかを、それぞれのコミュニティの中で対話を繰り返しながら常に軌道修正していきます。



今はまだ私の想像や思いつきをただ言葉にしたためているだけの粗の目立つ概念ではありますが、

色々な人と対話しながら、この世界を現実のものへと近づけていきたい気持ちを強く持っています。

この世界を広げていけば、何より皆が病気に悩まされることなく、

むしろ病気を味方につけながら、自分の臨む人生を自然の流れを大事にしながら生きていくことができて、

誰もが延命処置で苦しむこともなく、ピンピンコロリで亡くなるわけでもなく、

ゆっくりと考える時間を残しながら、最期に「良い人生だった」と心から思いながら静かに息を引き取っていく人生になるのではないかという希望を抱いています。

今はまだ私の中に芽生えた小さな蕾かもしれません。

正直、現代医療の固定的な価値観に苦しめられている多くの人達のことを考えると、

一刻も早く、もう一つの医療の選択肢を目に見える形で提案できるようにはなりたいとは思いますが、

私が世界に及ぼすことができることなんてほんの一握りだけであることを自覚し、

それでも皆が幸せを感じやすい医療になるよう一歩ずつ歩みを進めていこうと思っています。


たがしゅう
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