額面通りに受け取ると危うい医学論文

2022/10/27 11:20:00 | がんに関すること | コメント:0件

前回記事に対して読者の方から「Overall survival(OS:全生存期間)は死因の種類を問わず、観察期間中の全ての死亡を含むという定義なので実測生存率と同じ意味だ」とのご指摘を頂きました。

つまり生存曲線で縦軸が「OS」となっているものは、「他病死」で打ち切り例が生じてグラフの形が変形する可能性はないという主張になるのではないかと思います。

確かにOSの定義を確認しますと、「死因の如何を問わない」と書かれていますし、以前の記事で私が紹介した標準治療と代替医療の比較論文の縦軸も「OS」となっていましたので、これは「実測生存率」を表現しているという主張は筋が通っています。

ただここで考えなければならないことが2つあります。1つは「OS」が常に言葉の定義通り扱われているかということもう一つは言葉の定義通りだったとしてその生存曲線が上に凸となっている場合は何を意味するか、です。

まず厳格にルールが定められている臨床試験において、言葉の定義が間違われることなんてあるはずがないと思われるかもしれませんが、

実は「OS」については近藤誠先生が過去の著作で、次のようなことを書かれていました。

抗がん剤だけはやめなさい (文春文庫) 文庫 – 2013/10/10
近藤 誠 (著)


(以下、「第一章 抗がん剤はきかない」より一部引用)

(前略)

80年代に年間数百億円を売り上げていた免疫製剤クレスチン(抗がん剤に分類)に効果がないことが社会問題化し、

厚生省(当時)によって適用範囲が著しく制限された後の話です。

「ランセット」という有名医学雑誌に、胃がん術後にクレスチンを使うと生存率が向上するという日本発の論文が載ったのです(図1-3 Lancet 1994; 343:1122)。

それが本当なら、クレスチンは息を吹き返します。

図1-3

しかしには図1-3には問題があります。各生存曲線のところどころに立っている縦棒は、「打ち切りケース」といって、経過観察期間の短い患者が、縦棒の時点で生存していることを表し、

それ以降も生きているという前提で観察を打ち切ったことを意味しています。

しかし論文には「被験者である患者全員を最低5年間は観察した」とありました。

とすれば、5年以内に縦棒が立つはずがないのに、図1-3には何本もの縦棒がある。生存曲線を作成した際に人為的操作が介在した証拠です。

そこで私は「ランセット」に手紙を送り、そのことを指摘しました。

編集部は、論文著者らに照会し、著者らは「ランセット」に訂正声明を出した(Lancet 1994; 344: 274)。

胃がん以外の理由で死亡した患者を、生きていると扱ったというのです(これ自体、論文作成ルール違反)。そして計算しなおすと、最初の論文で報じた「意味がある差」は消失したと。

訂正以降、クレスチン論文は見向きもされなくなりました。

(引用、ここまで)



つまり死因を問わないはずの「OS」なのに、「他病死」を生存扱いにしている臨床試験が存在しているということ、

しかもそのミスが一流の医学雑誌の査読で指摘されることなく、近藤先生が指摘するまで誰も気づかなかったということです。

もし近藤先生がミスを指摘していなかったらどうなっていたのでしょうか。というか他の抗がん剤の優位性を「OS」で示す医学論文でも同様のことが起こっていないと言い切ることはできるのでしょうか。

近藤先生の同著には「OS」では差がつかないので「PFS(Progression Free Survival:無増悪生存期間)」で有意差を示している医学論文のことについても書かれていますが、「PFS」の方が「OS」よりもより人為的介入が入りやすく、グラフの形も不自然になりやすいということが書かれています。

そんな「OS」だと結果が出にくい状況の中で、「OS」で優位を示すがん治療の医学論文を、言葉の定義通り「他病死」も含めて解析してあるはず、と解釈することには慎重になった方がいいと私は思います。

なぜならば、がんの治療は多かれ少なかれ臓器欠損や全細胞攻撃であり、「他病死」を含めるかどうかで結論が大きく変わってくるからです。

ちょうどワクチン接種後の14日以内に発生した死亡が、ワクチン関連死と扱われないことによって、ワクチンの有効性が過大評価されてしまうことと本質的には同じ構造となっているように思います。

嘘はついていない、でも言葉足らずは嘘ではない」という言い方があります。

だから少なくとも、「OS」と表記されていたとしても「他病死も含む」と明記されていない限りは、特に生存曲線が上に凸の形を示している場合は、その「OS」の取り扱われ方は「他病死」を生存扱いにしている可能性もあると、疑う必要があると思います。


さてもう一つ、言葉の定義通りに「他病死も含めてOS」として臨床試験が行われている場合も考えてみます。

その場合、これが大集団で下に凸の形をしている生存曲線であれば、基本的には信用できるデータだと考えられます。

ところがこれが、小集団であればまだしも、大集団であるにも関わらず上に凸の形をしているということであれば別の大きな問題が浮上してきます。

そもそも私が上に凸問題で「他病死」に注目したのは、そう考えれば誠実に臨床試験に打ち込んだ結果として事実と逆の結論が導かれる構造が説明できると思ったからです。そこに悪意は介在していないけれど、そうなってしまう構造があるとわかれば、同様の医学論文が生み出され続けることにも一定の理解ができると思ったからです。

ところが、もし「OS」が「他病死」の取り扱いが原因で上に凸の形状を呈していないということになると、必然的に上に凸の形状を作る要素は「調査中止による打ち切り例」がメインになってくるという話になります。

実はこれは近藤先生が今まで繰り返し主張されてきたことでした。調査中止は転居や他院紹介だけではなく、研究者が真面目に追跡しないことでも打ち切り例扱いすることができてしまいます。

上に凸の生存曲線になるためには集団としてグラフの初期の生存率がほぼ100%であること、さらに途中で集団として急激な死亡率の低下を示すことが大きな要件となります。

なので、特に前半の「初期の生存率がほぼ100%」の条件を満たすためには、早期がんであればまだしも進行がんの場合は前半に打ち切り例があるかどうかでグラフの様相は大きく変わってきます。

ただ追跡不十分で打ち切りになるケースも普通に考えれば前半に集中することは考えにくいです。研究募集期間の最後の方に応募した被験者ならば観察期間が短くなるのもやむを得ませんが、そんな人が多いとは思えませんし、

最初の方では追跡できていたけれど、徐々に様々な理由(医者を変える、治験中止の申し出、電話に出ないなど)で追跡不能例が積み重なっていく、つまり調査中止の打ち切り例は普通に考えれば後半に集中すると考えるのが自然です。

それなのに上に凸のグラフ形成に重要な前半の打ち切り例を作る要因として、調査中止が関わっているのだとすれば、そこには研究者の何らかの意図を感じざるを得ません。

近藤先生も同著の中で次のようにも書かれています。

(以下、「補足 専門家と、さらに詳しく知りたい読者のために」より一部引用)

(前略)

グラフが上方に向かって膨らむ形になる理論的理由は、実際には死亡している多数の人たちが、生きているかのように扱われるからです。

そのため、通常ならば働くはずの(死亡によってグラフを下降させる)ベクトルが働かず、グラフが水平方向に推移するのです。

しかし臨床試験では、いつまでも死者をカウントしないでおくわけにはいかない。

試験参加からある程度時間がたつと、被験者の生死を調べるので、今度は素直に弧を描くように下降するグラフになるわけです。

結局、医者が誠実に診療している限り、生存曲線が上方に向かって膨らむ形になることはない。

たとえば私の場合、自分で患者を看取らなくても、患者を紹介したホスピスから死亡したとの連絡が入る。

そのようにして死亡ケースを一定程度把握していれば、生存率のグラフは指数関数曲線に近似するはずです。

これに対し臨床試験の場合、被験者の生死を確認することは、試験実施主体たる医者たちの義務であり、被験者の住所は判明しているので、

生死確認は一挙手一投足の作業です。他方、抗がん剤の臨床試験では、被験者の大部分もしくは全員が死亡することになります。

けれども、いきなり急死するのではなく、死亡する前兆が認められるのが普通です。

臨床試験のように、2ヶ月程度の間隔で定期診察をしている場合、医者は通常診察時に、被験者が間もなく死亡することを予見できる。

それなのに、被験者が通院を止めても、生死確認をしないで打ち切りケース扱いをする。

これは意識的に調査をしないという意図的行為であり、人為的操作であるわけです。

このように生死が不明になったプロセスに、医者側の意図的行為が介入しない限り、生存曲線が上方に向かって膨らむ形になることはないのです。

(引用、ここまで)



がん治療の臨床研究が意図的に操作されているだなんて、本当はそうであってほしくはないのです。

ですが理屈で考えれば近藤先生の言う通りになってしまいます。ならば他の可能性はないだろうかと考えた末に辿り着いたのが「他病死」の取り扱いのミスでした。

しかし「他病死」も「OS」の死亡に含まれていて、なおかつ生存曲線が上に凸の形を示すのなら、それは人為的介入があったと考えるしかなくなってしまいます。

もし本当にがんの標準治療が生存率を高めているというのであれば、

少なくとも下に凸の形をした生存曲線どうしの比較になっていないと私は納得することができません。

逆に言えば、一方が上に凸で、他方が下に凸であればより強く人為的介入の存在を疑うことになります。

上に凸の医学論文だらけのがん医療の世界、私は大きく見直す必要があると考えます。


たがしゅう
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