検診を誰かに任せずに自己活用する
2022/10/21 06:00:00 |
自分のこと |
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近藤誠先生は生前、「検診不要論」も提唱しておられました。
医者が「言わない」こと 単行本(ソフトカバー) – 2022/7/4
近藤 誠 (著)
その理屈も非常に納得がいくものでしたが、私は検診を不要とまでは考えていません。
より正確に私の意見を言えば、検診をどのような場として活用するかによって、必要か不要かについての見解が変わるということです。
もしも検診を「自分の病気を医者(医療機関)に見つけてもらう(そして治療してもらう)場所」と捉えるのであれば、私も近藤先生と同意見で検診は不要と思います。
なぜならば西洋医学ベースの検診は病気を見つけても対症療法へつなげるだけで、その対症療法の継続がむしろ健康から遠ざけてしまうという側面があるからです。
一方でもしも検診を「自分では気づけない身体の異変がないかどうかを別の視点でチェックする場所」として捉えるのであれば、検診は十分に価値があると私は考えています。 もっと端的に言えば、「医者に任せる」のであれば検診は不要(場合によっては有害)だけれど、「自分が(情報として)利用する」のであれば検診は、自分が検診なしでは気づけなかった問題を認識させる手段として意義があるように思うのです。
一人の視点では気づけないことを別の視点を入れることで気づきやすくするためのアプローチとでも言えるかもしれません。
例えば、私事で大変恐縮ですが、最近の私は糖質制限推進派医師でありながら、
「体調が良ければ問題なし」との理念から、少々糖質を摂っても気にしないというスタンスでおりました。
結構長いことそのスタンスでいたのですが、ある日たまたま受けた検診で高中性脂肪血症や脂肪肝、HbA1cの上昇を指摘されました。
その緩めている間も一切体調不良は感じていなかったのですが、今度は別の機会で受けた睡眠解析の検査を行ったところ、昔罹患していた睡眠時無呼吸症候群を再発しているという事実が明らかになりました。
体重は徐々に増加していることは薄々感じてはいたものの、まさか睡眠時無呼吸が再発しているとは思いませんでした。そして気がつけば私の体重は120kgまで増加してしまっていました。
睡眠時に無呼吸であるかどうかは家人がいてもなかなか気づくことは難しいわけですが、結果的に私は「体調を見る」という方法では気づけなかった内臓脂肪の蓄積や睡眠時無呼吸状態を検査によって発見できたということです。
これをきっかけに私は再び「糖質制限をきちんとしよう」という気持ちとなり、これらの異常な状態が解消されるように整える行動へとつながっています。
一般的な検診の利用者だと、ここで病院受診を勧められて、自分で何とかできそうな問題であればまだしも、よくわからない場合は勧められるがままに病院を受診してしまうことでしょう。
ですが、私の場合はここで仮に「がん」を指摘されたとしても、「神経難病」を指摘されたとしても、はたまたそれ以外のどんな病気を指摘されたとしても、
その病名で表される状態がどのようなものであるかを自分なりに解釈して、これを整えるための行動をとると思います。
つまり検診を「自分を知り、自分を整えるための情報として活用する」ということです。
……でもきっと、多くの方はそんなことは素人にはできないと思われているかもしれません。
「あなたは関節リウマチです」とか、あなたは「アレルギー性紫斑病です」とか「あなたは繊維筋痛症です」などと言われてしまったら、「素人にはどうしようもない」「専門家に任せるしかない」と思っても無理もありません。
でも私の考えでは、少しの知識があれば誰にでもできる、むしろ知識よりも価値観を変えられるかどうかが検診を活用できるかどうかに関わって来るのではないかと思っています。
ここで、検診を車の定期検査に例えて考えてみます。
定期検査を1-2年に1回、場合によっては半年に、それぞれ車のメンテナンスのために行っていると思います。
私なんかは車のことはよくわかりませんが、とりあえず最低限の検査を受けておけばいいだろうということで、基本的には2年に1回の車検だけ受けるようにしています。
その車検の時には色々な検査結果を聞きます。やれタイヤを交換した方がいいだとか、この部品の老朽化が進んでいるだとか。
そう聞いても私には判断するだけの知識がないため、車屋さんの言うことを信じるか、信じないかの2択になってきます。
しかしここで私には「信じない」という選択を行う根拠がありませんので、消去法的に相手の言うことを信じるしかないという状況に置かれます。まさに「先生にお任せします」と同じ状況です。
一方で私は「お任せ」することによって、車屋さんが嘘をついたり、嘘をつかないまでも過剰評価してしまうリスクを受け入れることになります。
悪意があればともかく、不作為の過剰評価があっても「お任せ」しているから文句は言えません。もしそれが嫌なら車についてきちんと調べて相手の言うことが妥当かどうかを判断する必要があります。
しかしそれは今まで車についてほとんど勉強してこなかった私にとっては極めてハードルの高い行為なので、その努力を行う大変さと不作為の過剰評価を受け入れてお任せする楽さを天秤にかけて、私は「お任せする」と言う選択をしているわけです。
その結果、考えうるマズい事態としては、本来不要な検査費用をぼったくられてしまったり、最悪整備不十分な車に乗ってそれが主因となって事故を起こすような可能性が考えられます。
従って「お任せする」という楽さと引き換えに、このリスクを基本的に私は受け入れている(というか受け入れざるを得ない)ことになるわけです。
おそらく検診で「医師にお任せする」という選択をする多くの人もこれと同じような心理状況に置かれているのではないかと推察しますが、
車の定期検査の場合は万が一適当な対応をされたとしても私には気づけるポイントがないというのに対して、
検診の場合はもしも適当な対応をされてしまった場合に自分で気づける可能性があるというところが決定的に違うと思います。何せチェックされているのは車ではなく、自分の身体だからです。
自分の身体であれば不作為の過剰評価等によって万が一何かマズい処置が加えられていたとしても、その異常を感知できれば見直すことができるポイントが生まれます。
ただその感知が自分の体調だけでは心もとない場合に、検診を第二の目として利用すれば、これもまた見直すことができるポイントになります。ちょうど私が検診を契機に糖質制限に再びきちんと取り組み始めたように、です。
もっと言えば、車ではなく「自分の身体」に対する検査は、自分自身が他の誰よりも豊富な情報をもとに判断することができる専門家のポジションにいるということです。
お任せしてしまうと最も適切な判断を下すのに有利な立場を放棄して、自分よりもより自分について詳しくない人間の固定的な価値観に従って判断され、なおかつその判断がうまくいっているのかどうかも確認されることなく時間が経過してしまうというリスキーな選択となってしまいます。
そしてその検診で「先生にお任せする」という判断は、現実に大量の病院患者、そして延々と病院から卒業することができず、次第に体調を崩し薬もどんどん過剰になっていくという患者を生み出し続けているように思います。
車で考えれば、最も詳しいポジションにいる人に頼らずに、比較的車に詳しいと言われているだけでたいして車のことを知らない人に判断を任せているのと同じような愚かな選択になってしまいます。
車なら最悪買い替えるという選択も取れるかもしれません。
でも、人間の身体だけは絶対に取り替えが利きません。マズい選択をしてしまった場合でも、その弊害を全て引き受けてその後の人生を続けていくしかありません。
検診をしたら安心だという方、その先のリスクを本当に考え切れているでしょうか。
検診を受けたはいいけれど、不可逆的な処置を施されてしまったり、莫大な経済的な損失を負ってしまったりはしないでしょうか。
その結果、人生が破壊されてしまうということは起こり得ないでしょうか。
どんな複雑な病名も、自分自身の表現型に貼られたレッテルに過ぎないということに気づけば、検診の結果は自分が何をすればいいかを考えるヒントになるはずです。
残念ながら検診を担当する医療機関はあなたのことについてさほど詳しくありません。
自分の身体に対する検診の主導権は、誰かに任せるのではなく、自分自身で握っておくこと、
それさえ間違えなければ、検診は有用なアプローチの一つだと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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