異端を排除せずに社会をよくしていく方法
2022/10/12 14:10:00 |
オープンダイアローグ |
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とある宗教団体の信者夫婦の下に生まれた方が成人となって、
その環境下における理不尽かつ独善的な理由でいかに不遇のこども時代を過ごすことを強制されたかという事実を世間に公表し、
そして不遇の生活を送らざるをえなかった背景にその宗教団体が信者達から寄付と称して、「寄付しないと不幸になる」などの教義により実質強制的に金銭を集め取るような悪徳方針で運営されていたことを暴露し、
「このようなカルト教団を解散させるよう早急に法整備を進めてほしい」と涙ながらに訴えるという場面を見ました。
この方が訴えられた事実、そしてその生まれた時から強制的な環境にあって抗うことのできなかった状況、さらに教団側のあまりにもバランスを欠いた運営方針、全て十分に納得のできる内容です。この状況そのものに問題も感じます。
ただ「法整備を進める」という提案については、「はたして本当にその方法しかないだろうか」という風に私は思いました。 なぜ私はそう思うのかを説明するためには、私がこの方が訴えられたことと同じ状況が医療にもあると考えており、
その医療の問題はとても「法整備」で解決できるとは到底思えないと感じていることについて話す必要があるでしょう。
今宗教団体を西洋医学中心の医療を提供する「医療界全体」だと置き換えてみます。そして信者夫婦は西洋医学中心の医療を完全に信じ込んでいる「ごく普通の夫婦」です。
その下に生まれたこどもは当然、両親から次のように教わります。「病気をしたらお医者さんに行きましょう。お医者さんの言うことはちゃんと聞かないといけないよ」と。
そして教団に納める寄付金は「保険料」です。払わないと地獄に落ちるではないですが、医療へ保険を使うことができなくなるので、夫婦は何の疑いも持たずにお金を納めます。
しかし「保険料」を支払い続けることも影響してその「家庭」が貧しくなり、その貧しさがきっかけでいじめられたり、「保険料」もろくに支払えない家族として通常の社会生活を送るにも様々な差別や制約を受け続ける中で幼少期、青年期を乗り越えて、
成長したその子が大人になってこの構造のおかしさに気づき、「このような医療界を解散させるよう早急に法整備を進めてほしい」と涙ながらに訴えたとしましょう。
はたしてその法整備は実現しますでしょうか。本質的に同じ現象であるように見えるこの2つのパターンの違いはどこにありますでしょうか。
「特定の考えが世間の大多数の支持を受けているかどうか」ということではないでしょうか。
「法整備」ということは、世間の多数派から外れた考えを仕組みとして排除するアプローチだと思います。
カルト的な宗教団体は、その被害者側の視点からだけで見ると「絶対悪」に見えるかもしれません。そうするとその「絶対悪」を排除することに何の罪悪感も感じないという人がほとんどでしょう。
ですが医療界で同じことを考えるとどうでしょうか。現代の「医療界」はほとんどの人にとって「絶対悪」には到底見えていないでしょうけれど、実は人によっては「絶対悪」に見えていたとしても不思議ではない構造をしています。
人を救うと称して「抗がん剤」や「ワクチン」をはじめ、少なからず毒性のある物質(西洋薬全般)を、患者中心の医療とは名ばかりの医療界の価値観を一方的に押し付けるような環境の中で勧めているわけです。これはカルト教団が悪徳に思える教義を押し付ける環境の中で勧めることと構造的には同じではないでしょうか。
けれども、誰も「医療界」の教義を疑うことはありません。それが「科学」という概念によって後押しされた大半の人々に支持されている価値観であるからです。私に言わせればその「科学」は「歪んだ科学」に他ならないのですが。
「カルト教団を解散させる法整備を」という提案が支持されるのは、カルト教団の教義を支持する人達が全体の中で少数派であるからです。
社会は全体の中のごく少数の異端が排除されても何の支障もなく周ります。むしろ排除直後は心地よくさえあるかもしれません。
しかし時が経てばまた再び社会の異端が生まれてきます。それは前の教団と似ている形かもしれないし、全く異なる表現型として異端を示すかもしれません。
その時に社会は再び「法整備」で異端を排除するという選択をとるかもしれません。何せ前回もそれでうまく行っているわけですから。
しかしそうやって法整備が積み重なっていけばいくほど、どういうことになっていくでしょうか。
その法整備は真綿で首を絞めていくかの如く、気づかれないようにゆっくりと社会全体を構成する多数派の人達を苦しめる構造へとなっていくのです。
ちょうど学校で不良生徒が現れる度に、不良生徒を締め付ける校則を追加し、生徒全体を苦しめる種々の校則がいつの間にか無数にできてしまっている状況であるかのように、です。
場合によっては排除した不良生徒や宗教団体の恨みを買い、さらなる争いの火種を生んでしまう恐れさえあるのではないでしょうか。
誤解のないように付け加えておくと、私は冒頭の宗教団体を擁護したい訳ではありません。むしろ大いに問題のある団体だと感じています。
また涙ながらに訴えた方の想いを否定したい訳でもありません。その訴えられた内容には大いに説得力があり、これまたこのまま放置しておくべき問題ではないと感じます。
ただその解決策が本当に「法整備」で良いのかということに大きな疑問を持っているということです。
もっと言えば、そんな「法整備」は正直に言って自分事としてほとんど考えられないとも思っています。訴えられた方には申し訳ないですが、その実情は「対岸の火事」のように思えます。
従って、「法整備」に向けての活動を応援する気にはなかなかなれませんし、仮に「法整備」が実現したとしてもそれは本当の解決と言えるのか、また新たな問題を生み出す布石になるだけではないかと、
ひいては結局自分達や自分達の子孫を、社会全体を息苦しくさせていくことにはならないのだろうかと疑問に思います。
では、どうすればいいのかという点に関して、私には一つのアイデアがあります。
それは「宗教団体」を「医療界」に置き換えた構造の中で、私がずっと考え続けてきていることです。
そもそも私が「医療界」のおかしさをいくら論理的に指摘し、これを改善するための「法整備」をと呼びかけたところで、相手は多数派に支持された特定の価値観です。
問題のある「ワクチン」の接種が、声を上げても現に推進され続けている状況の中で、「法整備」がかなうはずもありません。
一方でこの教義が多数派となる背景には、当たり前ですがその教義を信じている多くの人がいるからという側面があります。
でももし、その教義を信じることよりも、もっと良い方法があると思えれば、教義を信じない別の方向にも進めるはずです。
しかしその教義が多数派の社会の中で、「誰かの言うことを信じる」というスタンスで生きている限りは決してその教義の中から抜け出すことはできません。
今の世の中で「医療界」の教義に逆らって別の道を進んでいくためには、自分の頭で考えて決断していくことよりも他にはないと思うのです。
であれば、教義を抜けた人がどうやって教義を抜けるに至ったのかを語り、それを頭から否定することなく傾聴し、どうすれば歪んだ教義から離れていくことができるのか、どうすれば教団の歪みを是正していくことができるのかについて、対話を続けていくことではないかと私は思います。
つまり「法整備」という厳格なルールで排除するのではなく、関わり合う人同士の「対話」の中で、ある程度の緩さを保つことを前提に決まりごとを作ったり、壊したりしていきながら、
正常と異端を厳格に分けずに、ただ違う人達の集まりの中で何とかうまくやっていくための方法を流動的に考え続けていく姿勢が大事なのではないかと私は考えます。
例えばカルト教団も、最初から悪徳方針だったのではなく、元は本当に救いたいという想いから始まった活動が、お金に目がくらんでいつの間にか悪徳になってしまったのかもしれません。それは医者にも同じ構造があるように感じています。
だとすれば、どうすれば目がくらまないようにできるのか、教義にだまされる人が少なくなれば教団も稼げないから目がくらまなくて済むようになるのではないかと、
現代の医療界を盲信せず、それに頼り過ぎない生き方が幸せであることを一人でも多くの人が示し続けることが、長い目で見れば今多数派の拝金主義に染まった医療界や政界の歪みを是正することにつながっていくのではないだろうかと、
教義に騙されないようにするためにどう生きていけば良いのかをみんなで一緒に考えていこうという提案にすることで
はじめて私は涙ながらの悲痛の訴えを自分事として考えられるようになるのではないかと感じています。
「騙される人よりも騙す人が悪い」、確かにそうかもしれません。
でも騙される人がいなければ、騙す側も悪行を働かなくて済むこともまた事実です。
どうすれば「宗教団体」の教義に騙されずに済むか、
どうすれば「医療界」の教義に騙されずに済むか、
私は「医療界」の当事者として一つの指針を世に示し続けていこうと思います。
その指針の本質が他の社会の歪みを是正する際にも参考になれば幸いです。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
いつもありがとうございます
「様々な情報を集めて、自分の頭で考える」という事は大事だと思います。
また、「分からないことを個々の意見を重ね合わせながら核心に迫る」という姿勢も、視野狭窄や独りよがりの偏見や誤解に陥らない為に必要だとも思います。
一方で、考える事を億劫がり、権威とされている人の判断に己の決断の一押しを委ねようとする依存的な風潮も今の日本にある様に感じます。
人間はどんな職業や権威に関わらず、間違える事を避けられない生き物です。
もし日本という国が己の大事な人生の決定を思考停止で誰かに委ねる人材を育てたのだとしたら、これからはそれを改める方向にしたいですね。
Re: いつもありがとうございます
コメント頂き有難うございます。
> 人間はどんな職業や権威に関わらず、間違える事を避けられない生き物です。
> もし日本という国が己の大事な人生の決定を思考停止で誰かに委ねる人材を育てたのだとしたら、これからはそれを改める方向にしたいですね。
本当にそうですね。
少し話はずれるかもしれませんが、故・近藤誠先生の話では、乳がんの乳房温存手術を広めようとした際に、その価値を断固として認めようとしなかった外科医集団が、一般への情報公開を契機に「乳房温存手術」を希望する患者さん達が増えていき、その価値を認めて勉強せざるを得なくなってきたという経緯があったそうです。
もし断固として変わらないように思える集団(国)が変わる可能性があるとしたら、一人ひとりが自分の頭で考えて判断するようになる時だというかすかな希望を私はそこに見出すことができます。
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