標準治療は最善ではなく選択肢の一つ
2022/10/06 12:15:00 |
がんに関すること |
コメント:3件
最近、がん関連の情報発信をされているYouTuberの動画をよく見ています。
大きくは専門家からの情報発信と、患者としていわゆる標準治療(手術、抗がん剤、放射線療法)を受けた立場からの情報発信に分かれると思います。
専門家の情報発信の大筋はこうです。「標準治療が最もエビデンスが蓄積された最善の治療です。そして今もなお医学は進歩し続けて治療成績は良くなってきています。ネットや書籍の標準治療を遠ざける嘘情報を鵜呑みにせず、専門家(外科医や腫瘍内科医)を信頼して標準治療を受けましょう」と。
ただ以前の記事でも示しましたように、大前提が誤っていた上で蓄積したエビデンスということになると、どれだけ蓄積していても全て誤っている可能性が否定できませんし、抗がん剤投与直後に亡くなる有名人の報道などを耳にするにつれ、治療成績がよくなっているとは必ずしも思えませんし、その治療成績自体も誤っている可能性さえあると前回指摘しました。
だから私は医師として基本的にがんの標準治療を勧めません。そしてもう一つのがんの見方、向き合い方を示し続けていきたいと考えています。
一方で患者さん側の情報発信は多種多様です。基本的には「標準治療を受けてよかった」「先生に命を助けてもらった」という方向性の情報発信が多いですが、
その中で患者さんはそれぞれの立場で様々な悩みを吐露されています。 例えば、若い女性で卵巣がんで子宮と卵巣を摘出した経験のある方が、こどもが産めなくなる事実に大きなショックを覚えつつも、助けてもらった残りの命を前向きに大切に生きていきたいという意志を表明されていたり、
働き盛りの男性で咽頭がんを発症した方が放射線治療を受けて、味覚障害や唾液分泌低下の後遺症が残り、日常生活上に辛い思いをしているけれど、「この選択は正しかったと思うようにしている」という気持ちを吐露されていたり…。
こうした人達の発信を見るにつけ、私の中でとある思いが芽生えてきました。
「私が標準治療を否定すればするほど、標準治療を受けた人達の心を傷つけてしまうのではないだろうか」
仮に私の主張がどれだけ合理的で反論の余地が一つもないほど完璧な論理で組み立てられていたとしても、
そんな合理性など聞く人にとっては関係ないというか、むしろその論理性自体が相手を傷つけることさえあるかもしれません。
でも私から見ると、やっぱり「おかしいものはおかしい」です。専門家の見解はあまりにもバランスを欠いています。「エビデンスレベルの高いものは正しい」という立場に固執していると真実は見えてきません。
そもそもがんの専門家に対して標準治療を否定するということはその存在意義を否定することだと捉えられかねません(本当は標準治療にとらわれない真のがん医療を模索してほしいという気持ちがありますが。)
だから標準治療がおかしいという主張は標準治療を施す専門家も標準治療を受けてきた患者さんも、双方を傷つけてしまうことになりかねません。私は一体どうすればいいでしょうか?
ここで大きく二つの方向性があると思います。
一つはたとえ誰かを傷つけることになったとしても「間違いは間違いだ」と既存の体制と戦い続けること、
もう一つは既存の体制を認めながら、別の選択肢があるということを示し続けること、です。
前者は自分の主張を何が何でも通す積極的姿勢、後者は自分の主張は妥協して伝わる人にだけ伝えていく消極的姿勢です。
私はこの二つの姿勢の間で揺れ動きながら、最も収まりどころの良い状態を探し求めるのが良いのではないかと思っています。これはアサーティブな姿勢と言えるのではないかと思っています。
よくよく考えれば標準治療も絶対悪ではありません。
例えば手術は確かに何らかの侵襲は加えますし、臓器欠損や神経損傷による後遺症が日常生活に支障をきたしうるという構造はあるものの、がんというものを不安や恐怖にしか思えない人達の目の前からこれを消し大きな安心をもたらすことができます。
誰もががんと共存するという発想を受け入れられるわけでもないのです。がんを不安や恐怖にしか思えない人にとっては私が勧めるがんとの共存こそが悪のメッセージと受け止められるでしょう。
そしてもしがんを不安や恐怖に思っている人が、何らかの理由で私の価値観を押しつけられて、不本意ながら手術を受けずにそのままの状態で過ごしてしまったとします。
糖質制限やストレスマネジメントもその人なりにやっていたとします。でもその実践具合、実行具合によって結果は変わりえます。
もしも自分なりにやっているつもりでも、糖質やストレスのコントロールが不十分であれば理論上がんは増殖する方向に動きます。でも本人の中では「言われた通りにやったのにがんが大きくなってしまったではないか」という思いが強くなることでしょう。
そうすると、素直に手術を受けていた方がその人にとってよほど良い結果をもたらしたという帰結になる可能性も十分にあるわけです。
つまり妥協や諦めなどではなく、本当に「標準治療とは共存した方がいい」という方向性が見えてきます。
私自身だってがんの標準治療は受けないし、がん検診も受けないと明言していますが、
自分がいくら糖質制限をやっているつもりでも、ストレスをマネジメントしているつもりでも、
やっぱり受け流しきれなくて、ひたすらがんを育ててしまうような生き方になってしまう可能性は当然あり得るわけです。
例えばがん検診を受けていなくとも、自分の知らないところでがんは育ち、それがたまたま食道にできたら食べられ亡くなるという自体に私が遭遇した場合、
頭では断食をするという選択肢が残されていると理解はしていても、その時の苦しさや置かれている状況によっては、手術や放射線治療で、臓器欠損や神経損傷があっても良いから、がんの塊を小さくしてほしいと望むかもしれません。
それなのに標準治療は一切受けないと、意固地に自分の主張を貫き続けてしまうと(アグレッシブな姿勢)、その姿勢そのものが自分を破滅させることにつながるという実に皮肉なことになってしまいます。
だから標準治療は無価値ではない、それは確かだと思います。
でもだからと言って、「標準治療こそが正しい」と誘導するのはやはりバランスを欠いていると私には思えます。
標準治療というのは言ってみれば「自分で自分を調整できない時に考慮される選択肢」だと私は思います。
がんは本質的には過剰適応だと私は考えています。人は様々な理由で過剰適応になっています。
何が過剰適応にさせているのかを考えて、仮説を立ててそれに対処してみるという行動が取れる人は、標準治療の前にまずそれをやってみる価値が十分にあると私は考えます。
逆に言えば、自分を整えるというアプローチを取り組んでもできない人、そもそも自分を整えるという発想が持てない人にとって標準治療という選択肢は開かれているべきだと思います。
ここで「自分を整える」という言葉の意味を「自力で頑張る」という意味で捉えないよう注意する必要があります。自分という存在は周囲との相互関係の中であるように見えるものです。
「自分を整える」ことは単に自分の行動だけではなく、「環境を変える」ことであったり、「環境との関係の持ち方を変える」ことであったりすることも密接に関わっているということも忘れてはいけません。
ともあれ世界の見方を変えれば自分の整え方はそれこそ多種多様なのですが、全ての人がそれをできるとは限りません。
もう一つ大切なことは、標準治療という治療法の実際を患者さんが事前にどこまでイメージできているかという観点です。
「標準治療が最善」という視点で標準治療で起こりうる不都合な事象はすべて「乗り越えるべき障壁」という風に見えてくると思います。しかしそれは本当に乗り越えるべき対象なのでしょうか。
「標準治療は自分を整えることが困難になった時の次善の策」という私の視点から見れば、抗がん剤の本質は全細胞攻撃ですし、手術と放射線療法の本質は臓器欠損と組織損傷です。これで後遺症が出ることは私からすれば必然的な現象であって、乗り越えるべき壁ではありません。
私は幸い医師という立場にあったため、標準治療を受けた患者さん達がその後どうなるかという過程を何例も見てきています。
その結果、抗がん剤を受けた人は十中八九苦しまれています(少なくとも自分の目にはそのように見える)し、手術や放射線治療後に表面上元気に過ごされている人はたくさんいますが、胃切除後のダンピング症候群をはじめ、臓器欠損や組織損傷後の後遺症に苦しんでいる姿も部分的に目撃してきています。
「標準治療が最善」という専門家の話を信じて、その後どういう経過を辿るのかろくにイメージすることもなく、「副作用が出ることもあるが、最近は副作用を制御する薬も発展してきてる」などの言われ方に納得して、
実際に後遺症に遭遇した時に「これほどまでとは思っていなかった」「みんなこれを乗り越えているに違いない」という気持ちを押し殺して、「がんを治してくれてありがとう」と専門家に感謝している実情があるかも知れません。
それというのも「標準治療が最善」という紹介のされ方をされているからに違いありません。苦しいことを素直に苦しいと解釈することが難しくなってしまうのです。
だから少なくとも標準治療は最善ではなく、あくまでも「治療の選択肢の一つ」とみなすべきだと私は考えます。
だから大切なことは「標準治療は最善」という枠組みを一旦外すこと、
標準治療に限らず、広い視野で捉えた時に出てくる、がんになった時の二つの選択肢、
「がんを敵だとみなす」という選択肢と「がんは自分そのものの反映だ」という選択肢。
それらをクリアカットに分けられなかったとしても、自分はどう考えてどう行動するのかという自分の気持ちを整理し、
標準治療だけではない様々ながん治療の選択肢を事前に情報を集めて、わからない中でも納得した上で具体的な治療の選択肢を選び取るという、
患者の主体的な行動こそが患者を救うのではないかと私は考えます。
極端に言えば、標準治療でたとえ後遺症が残ったとしても、色々なことを考えた上でその結果を受け入れているのであれば、私はその人の考えは尊重されるべきだと思います。
もちろん、そうでない人の考えを尊重しないという意味ではありませんが、
「標準治療が最善」という言葉を盲目的に信じて、言われるがままに治療を受けて、想像とは違うレベルの後遺症に苦しんでいる人がいるのだとすれば、
標準治療が不可逆的な変化をもたらす治療法である以上、不本意な結果を背負うことになる前にもっと考えられる機会を提供したいと私は願います。
そして全ての人達が自分の頭で考えて納得した状態で医療と接することができる世界に近づけるため、
引き続き、多様性を尊重しながら現代医療のおかしさを指摘し続けていこうと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
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けんぽ
たがしゅうさんがいろいろな病に対する鍵と見ている「ストレス」を改善する一つの療法として、カンナビノイド、CBDの存在があります。
私は糖質制限やオーソモレキュラーなど、いろいろと自分で試すのが好きなので、この存在を知って、摂取してみましたが、これは間違いなくよいものだと感じました。まさに身体と心ののネジが緩み、とても強いリラックスを感じられました。
cbdについては現在も合法ですし、大手マーケットでもたくさん流通するようになりましたが、未だにドラッグなどの印象もあり、残念に思いました。
もちろん由来が大麻草であるがゆえに、受け入れられない方も多いとは思うのですが、このカンナビノイドについて、たがしゅうさんのご見解を聞いてみたいなと思いました!
いつか拝聴できたら、と勝手に期待しています!
(笑)
突然失礼しました。一ファンの戯言と受け取っていただいても大丈夫です!
これからもたがしゅうさんの記事やご活躍を楽しみにしています!
Re: けんぽ
コメント頂き有難うございます。
CBDに関しては、少しだけ勉強していて、CBDオイルの形で私も自分のクリニックでも取り扱っています。
ただ今までの個人的な処方経験だけで考えれば、万人に効くとは言い切れない感触です。効く人には効くとは思いますが、どちらかと言えば慎重なスタンスでCBDと向き合っています。
CBDについてまだ十分に語れるほどの知識や経験があるわけではありませんが、折を見て自分がCBDについてどう思っているかについても語れればと思います。
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