がん医療の医学論文には人為的介入の余地がある

2022/09/19 15:45:00 | がんに関すること | コメント:0件

ワクチン糖質制限に続いて、最後にがん医療に関する医学論文の問題について検討していきたいと思います。

がん医療の医学論文の問題点については、先日お亡くなりになられた近藤誠先生が著書の中で既に詳細に語られていることを、5-6年前にたまたま読んだ近藤誠先生の「抗がん剤だけはやめなさい」という本で私は知っていました。



抗がん剤だけはやめなさい (文春文庫) 文庫 – 2013/10/10
近藤 誠 (著)


当時、その結論の導き方が非常にロジカルで説得力があると感じた覚えがありますが、時が過ぎその内容がどのようなものであったか記憶があいまいになってしまっている部分がありましたので、

今回、改めて医学論文の問題点を考え直すにあたって、近藤先生のおっしゃっていたことが本当に妥当であったかどうかをもう一度考え直してみようと思いました。

そう思って、近藤誠先生の理論に対して反論するいくつかの批判本もあたってみましたが、私が読んだ中で最も詳細に検討されている批判本として次の本が挙げられると思いました。



脱・近藤誠理論のがん思考力 単行本(ソフトカバー) – 2016/10/25
大場 大 (著)


こちらは外科医・腫瘍内科医の大場大先生が書かれた本です。どうやら過去に近藤先生と対談された歴もあるそうで、近藤先生の理論の細部に至るまで反論されている印象の本でした。

真っ向から対立する両医師の見解なわけですが、こういう対立する2つの意見を見た時には、私は「どっちの意見を信じるか」というスタンスで検討するのは良くないと思っています。なぜならばどちらか一方が正しいことを言っているとは限らないし、読む側にも自分の軸が存在しないと些細なことでも揺さぶられてしまう恐れがあるからです。

理想的には両者の意見を見る前に自分の考えが確立していることが、両者の意見のどちらかを一方的に信じないようにしたり、両方の不備・不足・矛盾点に気づいたりする上でも重要なことだと思っています。

もちろん、全ての事柄について事前に自分の意見を持っておくことなどできませんし、それを考えるに際して十分な前提知識を持っていない場合には事前に考えること自体が難しいこともあるというのは承知していますが、

あくまでもそうであった方がミスリードされにくいよりベターなスタンスになるということです。幸いがんについては私は以前から当ブログで何度も考察を積み重ねてきています

今回はその考えを基準にして判断していくつもりですが、とりあえず先に私のがんに対する考え方の概要だけ示しておきますと、

「がんは正常細胞の延長線上にある存在で、正常細胞ががん化する要因は過剰な糖代謝駆動状態である。がんはその糖代謝過剰駆動状態に適応すべく遺伝子を変異させて変形した形に過ぎない。従って糖代謝を駆動させる要因(糖質頻回過剰摂取、慢性持続性ストレスなど)を取り除くアプローチをすればがんは正常細胞に理論上もとに戻る(末期がんサバイバーの劇的寛解症例の経験を踏まえると、がんはどこまで行っても不可逆的な細胞変化たり得ない)」

「がんに対する3大標準治療(手術、抗がん剤、放射線療法)は、あくまでもがんを”放置すると無限に増殖し人を死に至らしめる悪玉細胞”であるという前提で組み立てられ、原因はともかく目の前から抹消することだけに焦点が置かれた治療法である。従って手術や放射線はがんを治すというよりもがんを目の前から消し、その代わりに大なり小なり臓器欠損や臓器機能障害をもたらすアプローチであり、抗がん剤に至ってはがんだけではなく、正常細胞またはこれに共通する構造を攻撃することによって全身に甚大な副作用をもたらすアプローチであり、これらのデメリットを請け負ってもなお根本原因が解決されることがないが故に到底容認することのできない治療方針である」

「がんに対する世間のイメージは「がん細胞悪玉説」の前提で長い年月をかけて医療を中心に培われた”がんは(早く治療しないと)怖い病気”という強固な文化的価値観にまで至ってしまっているため、現実問題この価値観から逃れられていない人が、3大標準治療を行わないという選択をしてしまうと、それ自体が当人に対して多大な慢性持続性ストレスを与え続ける生活をもたらす文化的背景(例:周囲の人から治療を勧められ続ける、医療者から早く治療しないと死ぬと脅され続ける、このままがんが育ち続けたらどうしようと不安を感じ続ける、など)があるという構造に十分に配慮しておく必要がある。少なくとも決して相手の押し付ける類の話ではない。」

ざっとこんなところです。だからどちらかと言えば、私は近藤誠先生寄りのスタンスですが、イコールではありません

近藤先生は「(ほとんどの)がんは放置すべきだ」という考えをお持ちなわけですが、私が推奨しているのは放置ではなく、「糖代謝過剰駆動環境の是正・見直し」です。

一方でがん医療に関する医学論文の多くは、そのほとんどが「抗がん剤の有効性を示す」内容になっているわけですが、そうした数々の医学論文に対して「抗がん剤は効かない(むしろ命を縮める作用がある)」という近藤先生の主張は私の考えとある程度共通するものがあり、この主張に妥当性があるかどうかに関しては非常に興味のあるところです。

そして基本的にはがん医療に関する医学論文に対しても、ワクチンや糖質制限の場合と同様に、「実際に確認できる事実と合致する結論であるかどうか」ということは何よりも重要な判断基準になってきます。

ただワクチンについては「効くと言っていたワクチンを8割が打っても感染拡大」という事実、糖質制限については「自分や自分が指導した糖質制限実践者が劇的に改善していく経験」という事実が、それに反する結論を導く医学論文を疑う大きな根拠になるわけですが、

がんの場合はその事実確認が非常に難しい部分があります。まず私自身ががんになったことがありません(自分ががんだと認識したことがない)。

また抗がん剤投与後に体調を崩し、何クールか繰り返していくにつれ次第に弱っていき、そして亡くなっていく患者さんは研修医時代に何人も診てきましたが、

その事実は抗がん剤が原因で起こったと解釈することもできますし、がんが進行して起こったと解釈することもできます。どちらの解釈も少なくとも表面上は成立します。

ただ前述の私の概念も参考に考えますと、抗がん剤は多かれ少なかれ正常細胞とがんを含む全細胞攻撃なので、この行為が延命治療につながるとは論理的に考えにくいので、やはり医学論文の結論の導き方が間違っているのではないかというスタンスで論文を読み込んでいくことになります。

しかし、そういうスタンスでがん医療の医学論文、主として「◯◯という抗がん剤の有効性」について論じられた医学論文の原著を何本か当たり読み込んでみたのですが、いずれの医学論文もその結論の導き方に特に問題があるようには感じられませんでした。

つまり「◯◯という抗がん剤の有効性(延命効果)は従来の治療法(旧式の抗がん剤や手術、緩和ケアなど)と比較して高い」という結論は医学論文を素直に読む限り妥当に感じられるということです。

ほとんどの医者がこうした医学論文を読めば、まぁ普通に信じるしかないだろうなといういわゆる「隙のない」内容です。

しかし前述のように「抗がん剤は全細胞攻撃」「抗がん剤は原因に対処していない」「抗がん剤投与後に亡くなる人もたくさん診てきた」といった考えや経験を持つ私からすればにわかに信じがたい話です。

そうなると、あまり考えたくはないもう一つの可能性が浮かんできます。それは「医学論文の内容が改ざんされているかもしれない」という可能性です。

いかにも陰謀論的な考え方ですが、残念ながら無視することもできません。なぜならば「◯◯という抗がん剤は有効である」という医学論文の著者はかなりの割合で製薬会社から研究のために必要な多額の資金提供を受けているという、いわゆる利益相反があり、論文を改ざんすることに対する動機が十分にあるからです。

けれども、医学論文のデータが改ざんされるとなれば、それはもう科学の崩壊と言っていい状況で、何でもありになってしまいます。今までのワクチン、糖質制限の医学論文もごまかしはあれど、改ざんはないという前提でその問題点をしてきたつもりですが、改ざんされてしまうともはや外部からその真偽や妥当性を確認することは不可能でお手上げの状態となってしまいます。

実はこの悩ましい問題に対して、近藤先生は一つの方向性を示して下さっています。

「抗がん剤が有効である」という医学論文の結論は誤りであるという主張をされている近藤先生は、その根拠として大きく次の3つを挙げておられます。

①生存曲線が上に凸の形をとることの不自然さ
②リードタイムバイアスの問題
③製薬会社との利益相反

③については既に述べました。利益相反のある著者の論文を額面通り信じることは危険だという観点です。ただこれだけだと間違いと断定するには少し弱いですが、①②との併せ技でその説得力を高めていきます。

②のリードタイムバイアスというのは何かと言いますと、まず「リードタイム」が物流用語で「商品・サービスを発注してから納品されるまでの時間や日数」を指すのですが、ここではそれが転じて「健診などのスクリーニング検査でがんが疑われ、実際の病院(臨床現場)でがんと診断されるまでの時間のこと」を意味します。

よく「医療の進歩によって抗がん剤の延命効果は高まった」と、例えば「1990年代には12ヶ月程度の延命効果が、抗がん剤の進歩によって今は20ヶ月まで延長した」などと言われる時に、

「それは抗がん剤が延命させたのではなく、単に早期発見のタイミングや検査の精度が向上して、昔であれば発見できなかった段階のがんが今の仕組みの中では発見できるようになっただけ」とこの誤解に気づかずに抗がん剤の延命効果を信じてしまう偏見のことを「リードタイムバイアス」と言います。

ただ今回問題にしているがん医療の医学論文の多くは、昔の治療と今の治療を比べているものではなく、「新規抗がん剤と旧式抗がん剤を比較した医学論文」であったり、「手術+抗がん剤と手術のみを比較した医学論文」であったり、「抗がん剤と支持療法(緩和ケア中心)を比較した医学論文」などのように同じ時期に行われた2つの治療を比較する内容がほとんどですから、これらに問題があるかどうかを考えるには②③では十分ではありません。

そこで出てくる「①生存曲線が上に凸の形をとることの不自然さ」という視点です。ここに気づかれたのは本当に近藤先生のすごいところだと私は思っています。

この話を理解するには少し理論的な背景を知っておく必要があり、それを説明すると長くなってしまうのでここでは概要だけにとどめたいと思いますが、

まず生存曲線というのは縦軸に生存率、横軸に生存期間をとり、左上の生存率100%で時間軸がゼロの地点からスタートし、右に向かって時間が経過していくにつれて亡くなる人が出て生存率が下がっていく中で、どの程度時間が経過したらどの程度の割合の人が亡くなっていくのかという流れを一目でわかるように示したグラフのことです。このグラフの書き方のことを「カプランマイヤー法」と呼んだりします。

よく抗がん剤の治療効果を表現する時に「5年生存率」「10年生存率」という表現がされますが、これはそれぞれ「治療から◯年経過した時点での生存している人の割合はスタート時点での人数と比べてどうか」という意味になり、これを算出する際にこの生存曲線が用いられるわけです。

近藤先生はまず「集団の死亡率がおよそ一定の場合、その集団が描く生存曲線は基本的に指数関数曲線(左下に凸)を描く」ことを1986年に発表されたCancerという医学雑誌のとある論文を引用されながら示されます。

そしてこう続けられるのです。「もしも生存曲線が指数関数曲線と異なり、上方へ向かって膨らんだ(右上に凸)奇妙な形を示すなら、そこには何らかの人為的操作が加わったと推認できる」と。

つまり改ざんを見抜くポイントがあるというような指摘をされているわけですが、よく読み込むとその人為的操作というのは改ざんというわけではなく、あくまでもルールに則った「打ち切りケースの取り扱い方」によって生じる人為的操作のようなのです。

要点だけ言えば、抗がん剤の治療を検証するための集団の中で、何らかの理由で調査打ち切りとなった人に対してあたかも生存しているかのような処理が行われることで、打ち切り症例の多さに応じてグラフが指数関数曲線から離れて上に凸の形を呈するようになっていくということのようなのです。

この主張に対して批判する立場の大場先生はどのように言っているかと言いますと、

まず手術の効果を見る時の生存曲線でも人為的操作なしで「上に凸」になることは普通にあると反論されています。

具体的には胃がんの手術を例に挙げて前出の著書では次のように説明されています。

(以下、「脱・近藤誠理論のがん思考力」p150-151より引用)

(前略)

手術の後に再発をしてしまって、胃がんが原因でお亡くなりになるリスクは、手術を受けてから3〜4年たってから後の方で高まるのであり、

最初の1〜2年で「死亡」という出来事がバタバタ起きるようなことはありません。

先のカプランマイヤー法によると、胃がん手術後1〜2年で生存曲線は階段から急激に転げ落ちるような形で減りにくいために、

手術単独でも生存曲線の形がもともと「上に凸」のようになります。

決して、人為的操作でも何でもなく、単に日本の胃がん手術レベルが優れていることを示しています。

(引用、ここまで)



つまり大場先生が書かれているように、生存曲線が上に凸になるということは、

最初の頃は生存率が高くキープされているのに、途中から急に生存率が下がっていくような状況が示唆されるというわけです。

しかし大場先生が言う亡くなるリスクが「手術を受けてから3〜4年たってから後の方で高まる」というのはちょっと検討の余地があると感じます。

しかもそこでの死亡率の高まり方をがんのせいに限定していることにも違和感があります。

手術は確実に臓器欠損をもたらす行為なので、たとえ手術がうまくいったとしても人体に大きなダメージをもたらすわけですし、術後の合併症が原因で死亡するという可能性も大いにあるわけです。

手術関連死も踏まえれば、手術に近い時期の方が死亡率が低いとは言い切れず、むしろ手術してから間もない時期の方が死亡リスクが高いと考える方が自然です。

仮に大場先生の言う通りに手術関連死は全くなくて、術後3〜4年目の時期に死亡率が高まるというのであれば、その手術は1〜2年しか効果がなく3〜4年後に再発をもたらすような医療行為ということになってしまいますし、

手術関連死も考慮すれば、3〜4年後になぜか死亡率が高まっていくという恐怖の医療行為ということになってしまい、どちらにしても不自然です。

普通は術後しばらくの時期が一番死亡率が高くて、それを乗り越えれば再発・死亡のリスクはだんだん下がってくると考えるのが妥当なのではないでしょうか。

しかも胃がん手術の生存曲線が「上に凸」になるという話はあくまでも大場先生が提唱した概念図(仮説)であって、実際のデータを提示されたわけではありません。

ちなみに、先ほど生存曲線を説明する際に近藤先生が紹介されたCancer論文には、胃がんではないものの、乳がんの手術後の生存曲線が示されているのですが、これは下に凸の指数関数曲線に近い生存曲線となっています。

つまり大場先生の主張は、理屈的にも実際的にも説得力が弱いという話になってきます。

さらに近藤先生はこうもおっしゃいます。「製薬会社の介入が少なかった1970年代やそれ以前の臨床試験データを見なさい。例外なく素直な指数関数曲線を示しているはずで、私も数百、数千の論文を見て上記の命題に到達しているのです」と。

そう言えば私が調べた中でも、意図的かどうかは別にしても、近年のがん医療の医学論文で表示される生存曲線は確かに上に凸となっているものばかりなのです。「上に凸」の生存曲線に人為的介入の可能性が示唆される以上は、これは看過できない問題です。

となれば、その「上に凸の生存曲線は人為的介入の可能性がある」という仮説がどれくらい確からしいことなのかについて検証しておくことは、今後のがん医療に関する医学論文と向き合う際に、もっと言えばその結論を単純に鵜呑みにしてしまわないためにも大変重要な要素に思えますので、

次回その点について私の理解したことをなるべくわかりやすくお伝えしようと思います。


たがしゅう
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する