医学的な主張は医学論文の中で行うべきなのか
2022/08/31 16:00:00 |
素朴な疑問 |
コメント:4件
ワクチンの問題や危険性について指摘する主張に対して、ワクチン推奨する立場の人々やそれに賛同する人達から時々聞かれる台詞があります。
それは「その主張が本当に正しいというのであれば、医学論文に投稿すべき」というものです。
医学論文は正式な文章としての形式があり、また優秀な査読者達がその内容の妥当性を十分に検証した上で掲載するかどうかの判断がなされているので、そこで論じられている内容であれば信じるに値するであろうから、
とにかく医学的な正しさを主張したいのであれば、医学論文の舞台に上げてもらわなければ話にならないというものです。
一見正しいように思えるこの主張には大きな落とし穴があると私は考えています。
それは何かと言いますと、医学論文の舞台に上げようと思えば、医学論文がこれまで正しいと判断してきたことの延長線上にある内容でなければ、たとえどれだけ筋が通った論理であっても門前払いされてしまうということです。
厳密に言えば、膨大なお金をかけて大規模な調査を行った上で正規のフォーマットで医学論文を書けば聞く耳は持ってもらえるかもしれません。
しかし既存の医学論文が正しいと認めていることでない限りは、例えば「ワクチンは危険である」と示す研究を行おうと思ってもまず科研費などから研究費を獲得することが困難です。また研究に協力してくれる医療機関を集めるにしてもなかなか難しいでしょう。 やむなく小規模な研究や症例報告として医学論文を書いたとしても、それは医学界に「エビデンスレベルが低い」として一蹴されてしまうのです。
それは近藤先生が示した「がんの標準治療を行うよりがんを放置する方が予後がいい」という仮説を示そうという場合にも同じ構造が当てはまり、結果として常識外れの仮説を医学論文の世界で認めてもらおうというアプローチには非常に高い壁がそびえ立つことになるわけです。
それでも「常識を覆す仮説が認めてもらおうというのであれば、努力して立派に認められる医学論文を作成すべきだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そういう方はとにかく医学論文の舞台に上がりさえすれば、まるで裁判所のように適切に下してもらえるはずだと考えているのではないかと思います。
本当に裁判所で下される判断が適切なのかどうかは別として、医学論文に関して言えば、残念ながら苦労して載った医学論文が正当に判断されるとは限りません。
例えばワクチン関連の医学論文で言えば、当ブログで何度も引用しているファイザー社のコロナワクチンの有効性が95%であることを示す医学論文、あれは医学界最高峰の医学雑誌、New England Journal of Medicine(通称NEJM)に掲載されたエビデンスレベルの高い医学論文です。
あの医学論文の質の高さを、多くの医師や医学者は絶賛し、それが世界中で新機序のコロナワクチンが接種されることへとつながったと言っても過言ではないと思います。
つまりこの論文の内容に医学界が適切に判断した結果、太鼓判を押してお墨付きを与えたということです。
ところが結果、世界中でこのコロナワクチンが多くの人に打たれることになって、現実はどうなりましたでしょうか。
ただ一つの例外もなく、ワクチンを国民の7-8割が打った国でコロナが収束したという事象は認められませんでした。
それどころかむしろワクチンを積極的に打った国ほど感染者や死亡者が増えているという現実さえ認められているように見える状況です。
こうなれば、「ワクチン有効率95%」という医学論文の結果自体を疑っても然るべき状況と思いますが、医学界はそのようは決して考えず、これは「変異株のせいだ」と解釈して論文の判断が誤りだったと認めることは決してありません。
変異株のせいだということは、「ワクチン有効率95%」は決して間違いなわけではなく、あくまでもウイルス側が変異することによってワクチンの効果が下がったという解釈をしています。
その解釈は医学論文として適切な判断であり、別に医学論文自体の評価に何ら不備があったわけではないと思われる方も多いでしょう。一方で私は効果が弱まったどころか、むしろワクチンを打つことによって逆効果にさえなっているという実情から、「変異株のせい」ではなく「そもそもワクチンが期待された効果をもたらしておらず、純粋に異物除去システムのオーバーヒートを誘発しているだけだ」と考えています。
ですが、医学論文の解釈と私の解釈のどちらが正しいかということに結論を出すことは難しいでしょう。なぜならばどちらもあくまで仮説であり、その解釈の正しさを証明する決定的な証拠はないからです。
ただその後の現実と照らし合わせれば、どちらの仮説が妥当性が高いかということについてある程度判断ができるように思います。
もし医学論文が判断したように、「変異株のせいだ」と考えるのであれば、ウイルスが今後も変異を繰り返し続ける存在である以上、今後もどれだけ「ワクチンが有効だ」という医学論文が出たとしても、「有効性95%」論文がそうであったようにまたすぐに効かなくなってしまうという結果になる見込みが高いので、この結論を医学論文で支持すること自体に慎重になる必要があるはずです。
ところが実際には4回目ワクチン接種やらこどもへのワクチン接種やらにも、同じように「ワクチンは有効である」という医学論文をそれなりに高いエビデンスレベルで量産し続けています。
これらの医学論文の内容が現実に即さない理由についてなぜ私が「変異株のせいだ」と思わないのかについては次回のブログ記事に回しますが、
とにかく私がここで言いたいのは、多くの医学論文はワクチンに関して妥当な判断ができていないということです。
医学論文というのは正式なフォーマットに従って書き、査読というミス防止プロセスを経て作成しさえすれば、唯一無二の真実にたどり着けるという類の代物では決してないということです。
どんな医学論文に関しても、まず執筆者の中に特有の視点というか、誤解を恐れずに言えば固定観念のようなものがあります。
その固定観念が「ワクチンは正しい」であれば、その観念に基づいて仮説を立て、研究を行い、結論を導き、論文を書きます。
この時に正しいプロセスを踏めば、唯一無二の正解に辿り着くというわけでは決してないのです。まず限られた研究環境の中で、ミスがないと仮定した場合の、限定的な集団において成立する現象の一側面が見えるだけです。
その現象はある固定観念を持った人が見れば「花瓶」に見えるかもしれませんがl、別の固定観念を持った人が見れば「向かい合った二人の人間」に見えるかもしれません。
もしも「ワクチンが有効だ」と考えている人が行った研究で「ワクチンは無効だ」という結果が導かれたとしたらどうでしょうか。こういう仮説に反する結果のことをネガティブデータと言ったりしますが、このようなネガティブデータも真実の一部として正当に公開されてきているでしょうか。
実はそれがそういうわけではないのです。まず仮説に反したネガティブデータを見た場合に、研究者が真っ先に考えることは研究のやり方に不備があった可能性、あるいはいわゆる「N(研究対象者)が足りない」という可能性を考えます。
それで研究の不備がないか、可能な限り大集団で行って、それでも結果が覆らない時、その研究者はネガティブデータとして医学論文にするでしょうか。
そういう人も全くいないとは言いません。ですがかなり少数派であろうことは想像に難くありません。なぜならば医学論文が常識に反するネガティブデータを事実としてなかなか認めようとしないからです。
それが大規模な研究であればあるほど、常識外れな研究結果は見受けられにくくなります。ワクチンや抗がん剤についての医学論文はまさにそうなっていると思います。
だから医学論文の世界は研究者によって真実が積み重ねられているような世界では決してなく、研究者の主観、もっと言えばその時代の背景にある医学界の常識が偏って反映されている世界だと言えると私は思います。
従って冒頭の「主張を通したいのであれば医学論文を投稿すべし」に対する私の答えは、「医学論文の常識に沿わない意見は医学論文の世界で公平に扱われにくい構造があるので、常識を覆す主張は医学論文ではないところで事実と論理を元に導いていくべし」となります。
おそらくがん治療の問題を訴え続けた近藤誠先生もこの医学論文の壁があったからこそ、一般書で世間に訴え続けるという手法を取られたのではないかと推察します。
次回から私が気づいた医学論文の問題を順に指摘していこうと思いますが、
今回触れましたように、そもそも情報をどの視点から眺めているかによって見え方は全く変わってきます。
少なくとも私の視点は「ワクチンは有効」という前提に立っていません。
「糖質制限は危険」という前提にも、「がんは手術、抗がん剤、放射線治療が標準治療」という前提にも立っていません。
それらの前提に立っていないからこそ医学論文から見えてくるものがあります。
その医学論文の常識的な解釈とは違う私の解釈を、
事実と論理を基本におきながら、読者の皆様へ納得してもらえるように書き綴っていこうと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
ワクチン
特に痛風持ちの70代の父親がこれまた既存医療に全く疑いなしで、ワクチンを早く打ちたいと言っているので心配です。
こんな危険なワクチンを何度打てば終わりになるのか、ワクチン無間(かつ無限)地獄です。
Re: ワクチン
コメント頂き有難うございます。
従う人がいる限り、悲しいかな負のループは続いてしまいますよね。
でも従う患者がいなくなれば、専門家もその治療を推奨できなくなります。
従う国民がいなくなれば、権力者も権力を誇示できなくなります。
騙される人がいなくなれば、詐欺師も詐欺を働けなくなります。
その数をゼロにすることは難しいかもしれないけれど、少なくともその数を減らすことで、一歩ずつ着実に負のループから抜け出していきたいです。
抗菌剤開発の歴史から推測出来ませんか?
この文、私には大変気になった先生の分析です。
これが事実ならば、複数回ワクチン接種を推奨する世界は、何故抗菌剤開発の歴史を省みないのでしょうか?
ペニシリン発明以後、耐性菌とのいたちごっこの頑然たる事実は、賢い研究者達にどう映っているのでしょうか?
ウィルスと細菌は違うとでも考えているのでしょうか?
抗菌剤とワクチン開発の歴史の比較から、どう世界が考えているのか?
先生のご見解をお聞きしたいです。
Re: 抗菌剤開発の歴史から推測出来ませんか?
ご質問頂き有難うございます。
ご質問への回答としてはあくまでも推測の域を出ませんが、
まず今の医療界が非常に視野狭窄に陥っているという可能性は高いと考えます。
おそらくだいきちさんが指摘されるように、
抗菌剤の歴史を今の医療界に提示しても「ウイルスと細菌とは違う」と一蹴されるであろう事は想像に難くありません。
もちろん、それが正しいという意味ではなく、それくらいの視野狭窄に陥ってしまっているという意味です。
視野狭窄という意味では薬害エイズ訴訟の教訓も、今回全く活かされていません。
まさに「歴史は繰り返す」を地で行くようなことが繰り広げられてしまっているように私には思えます。
「賢者は歴史に学ぶ」というのがまやかしであるかの如く、賢者とされる人達が同じ轍を踏み続けてしまっているように見えます。
賢さとは一体何なのでしょうか?
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