「焦り」:オンライン哲学カフェのご報告

2022/07/13 13:40:00 | たがしゅう哲学カフェ | コメント:2件

以前行っていた哲学カフェの活動をオンラインで再開し始めました。

垣根なく偏見なく全否定なく、対等な関係性の中で一つのテーマを掘り下げる試みを繰り返しています。参加費無料で広く様々な人に参加してもらいたいと思っておりますので、興味のある方は是非ご参加下さい

ただ再開したはいいけれど、開きっぱなしで振り返りの作業がおろそかとなってしまっていましたので、

今回は最近行ったオンライン哲学カフェの振り返りをしてみようと思います。

とはいえ、哲学カフェはあくまでもある物事に対する多様な意見に触れて、その対象に対する見方を深めようとする試みであって、

普遍的な正解を導く作業ではなく、あくまでも私にはこう見えたという見解の提示ですので、

その辺りを踏まえて私の振り返りをお読み頂ければ幸いです。

前回7月9日に実施した哲学カフェのテーマは「焦りとは何か?」でした。 誰しも「焦り」を感じた経験はきっとあるのではないでしょうか。

私も最近旅行に出かける前に荷物の準備万全だと思っていて出発しようと思った矢先に財布がどこかに失くしてしまったことに気づいて非常に「焦り」を感じる出来事がありました。

その時というのはなんでしょうか。心臓がドキドキしてじっとしていられない感じになり、冷静に考えようと思っても普段よりも明らかにパフォーマンスが下がっているように感じる行動しか取れなくなってしまっていました。

本来であればピンチの状況におかれた時こそ自らの能力を最大限に発揮して、その困難な状況を打開しなければならないというのに、その目的を果たすことからむしろ遠ざけさせるこの「焦り」というものは一体何なのか。

その疑問に対して少しでも整理がつけられるように今回このテーマで哲学カフェを開催してみたわけです。


最初にやってみたことは、参加者の人がどんな時に「焦り」を感じたかという様々なエピソードを確認することです。

「焦り」の様々なパターンを見ることで、「焦り」の全容が見えてくるかもしれないと考えたからです。

すると例えばということで、参加者の皆様から次のようなエピソードが寄せられました。

・面接試験の前の筆記試験で大失態をした時。
・参加予定のイベントの開始時間に遅れそうになった時。
・電車の時間に間に合わず乗り遅れそうになった時。
・働いているお店でのノルマを時間内にこなせなさそうな時
・試験前に勉強が間に合っていないと感じる時。
・子育てに関わるすべての行為。親としてこどもが能力を獲得するまで待つのが大事だとわかっていながらも、待てなくていつも焦っている。
・苦手なことを時間内に行うように要求された時。
・教師として教壇に立った際に用意していたタブレットが起動しない時。
・一度きりの人生の中でやりたいことを早くやりたいと思うのになかなかできない時。


なるほど、いずれも「それは確かに焦るだろうなぁ」と共感できるものばかりです。

これらのエピソードの共通性に注目してみると、大きくは「時間に制約がある時」あるいは「他者からの評価が悪くなりそうな時」あるいは「理想的な状態からかけ離れそうな時」とまとめることができるかもしれません。

もっとまとめるならば、「こうでなければならないという枠組みから外れそうな時」に人は「焦る」と言えるのかもしれません。

「時間」なんていうものは人間が定めた概念で、「時間を守る」という行動を少なくともそう思って行うのは人間だけであるように思えます。

では人間以外の動物は「焦る」のでしょうか。勿論、本当のところは動物が言葉を扱えるようにならない限りはわかりませんが、少なくとも「焦る」と解釈されうる行動はありそうです。

例えば天敵に襲われそうになった時です。でもそれは「焦る」というよりは「不安」や「恐怖」を感じて行動が変容していると言った方が適切かもしれません。

一方でその時の動物の行動はパフォーマンスが下がっているというイメージはなく、むしろ天敵から逃れようと運動能力を高めているようにさえ思えます。

他方で先ほどの焦りのエピソードを募集した際に一つ興味深い意見がありました。それは時間に遅れそうになった際に「頭をフル回転させて」難局を乗り越えたという意見です。

つまり「焦り」の中で私のようにパフォーマンスが落ちるだけではなく、実際に動物たちのようにパフォーマンスを上げることに成功できた人もいるというのです。

そうなると「焦り」でパフォーマンスが上がる場合と下がる場合との違いはどこから生まれるのでしょうか。

一つの要因として、その頭をフル回転させたというエピソードを語った方の場合には、一人ではなく一緒に考える仲間がいたということがあったそうです。

一人で「焦る」状況におかれた場合に比べて、複数人で「焦る」状況におかれた場合の方が「焦り」でのパフォーマンスを下げにくいという要素はあるかもしれません。

もう一つは「制約が絶対的なものかどうか」という要素もあるかもしれません。たとえ「時間」に遅れたとしても「まあなんとかなる(死ぬ訳ではない)、けれどできれば何とか乗り越えたい」と思える状況の時はパフォーマンスの向上が得られやすいのかもしれません。

しかしもう「絶対にこうでなければならない」という概念が強固であればあるほど、焦りは焦りを呼び、パフォーマンスの低下をもたらすという構造があるのかもしれません。

だとしたら「焦り」によってパフォーマンスを落とす現象は、人間特有の現象、特に「こうでなければならないという絶対的な価値観に縛られた人間特有の、その価値観から外れてしまう場合に認められる現象」とまとめることができるのかもしれません。


そういえば、「まあいいか」と「あっ、そうか」と思える気持ちが自己治癒力を引き出すという話もありました。

自分を縛る強固な価値観に苦しめられることなく純粋にピンチにおかれた際に最大限集中しようという心境におかれた時に人は潜在能力を発揮することができるようになるのかもしれません。

そう考えると「時間」の制約に関して誰しも逃れることができない究極的な問題として「死」の問題があると思います。

急死を除いて、誰しも死を意識せざるを得ない状況におかれた場合、「焦り」は生まれて然るべきであろうような気がします。

特に「自分にはまだやるべきことがある」という価値観が強固である場合、例えばまだ幼いお子さんがいて、その子が成人するまでを見届けられそうにないような死の宣告を受けた場合、その時の「焦り」は尋常でなく大きくなるように想像されます。

しかしその絶対的な価値観が緩んだ場合、「まあいいか」というよりも「人生とはそういうものである」などと達観してありのままを受け入れる姿勢がもしあったとしたら、同じ状況で残された時間が少なかったとしても「焦り」による影響は少なくすることができるのかもしれません。

多分先ほどの動物が天敵に襲われるかのような「不安」や「恐怖」によって駆動される心身の乱れは死ぬまでなくならないし、なくなるべきでもないと思います。

ですが「焦り」に関して言えば、それらに比べると人間ならではの、しかも特有の価値観に縛られた人間ならではの現象であるのだとすれば、それは価値観の見直しによってコントロールできるはずですし、うまくやれば動物のようにパフォーマンスを上げるきっかけとして利用することさえできるかもしれません。


最後に「焦り」とうまく付き合うためのコツを参加者からもらった意見も参考に自分なりにまとめてみます。

・「焦り」によって駆動される心身の乱れはうまく使えばパフォーマンスの向上に使えるものだと心得ること。
・「焦り」がパフォーマンスを下げるのを予防するコツは、様々な人とのつながりを持っておくこと、一つの価値観にできるだけ縛られないようにすること。
・「焦り」を感じた時は頭をフル回転させて、どんな結果になったとしても受け入れられるように最善を尽くすこと。
・「焦り」の果てに良い結果が得られなかったとしても、負の経験は自分次第でいくらでも正の経験に転化できると心得ておくこと。


人間ならではの「焦り」の感覚と、上手に向き合えることの役に立てれば嬉しいです。


たがしゅう
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コメント

焦り

2022/07/14(木) 18:39:08 | URL | neko #-
雪道でタイヤがはまってしまい立往生した時は焦りました。後ろは大渋滞で、焦れば焦るほどはまる。。。みたいな状況で。自分にとって焦るのは人に迷惑をかける時ですね。(ただ、しばらくは焦るけど、ある時点から諦めのような開き直りのような気持ちになったのを覚えています)。
仲間がいると集中できるというのは分かるような気がします。私は店舗経営をしているのですが、接客中にパニックになるような時、スタッフがいると客への対応だけでなくスタッフがすべき仕事も含めて全体的に考える必要があるので一段上の状況からベストな対応を考えようとします。そのため、集中力が出るのです。一人だと単にパニックになるような気がします。

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2022/07/16(土) 17:14:27 | | #
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