安保徹先生との対話〜前編〜

2021/12/30 11:00:00 | 偉人に学ぶ | コメント:0件

Facebookをふと眺めていたら、有名な安保徹先生の名言集が流れてきました。

私は安保先生の講演会に一度参加したことがある程度のつながりしかありませんが、書籍などで拝見する限り、安保先生のおっしゃっていることには以前から非常に理にかなっていると感じていました。

ただ一度だけ拝聴したその講演会で、安保先生は私が推奨している糖質制限に対して批判的なコメントをされていたことを覚えています。

その時必死に私はメモをとっていたのですが、残念ながらそのメモを紛失してしまい、なぜ安保先生が糖質制限に批判的だったのかは正直あまり覚えていません。確かにミトコンドリアの代謝に絡めたお話をされていたようには思いますが、記憶があいまいです。

ですが少なくとも当時その意見に私は納得しておりませんでした。その意味で、すべてがすべて安保先生の言葉に賛同できるわけではないと思っています。

しかし今、安保先生の名言集を改めて読んでみると、非常に納得のいくことが多いと感じています。

今「対話」というものに注目している私ですが、書籍などに残された文章に向き合う時には「対話」的になりやすいと感じています。

相手を尊重し、価値観を否定せず、違いを感じて、自分の中の変化を生み出す…。今日はその名言集を題材に、安保先生の言葉と「対話」してみようと思います。 それでは、私が見た安保先生の名言集の中から、まず私が重要だと感じた部分を抜粋します。

次にその安保先生の意見に対して、「私はこう思う」という見解を述べさせて頂きます。

それを繰り返すという構成で安保先生との「対話」を進めていきたいと思います。


(以下、名言集より一部抜粋)

● ガンは、異常な細胞ではなく、「低酸素」「低体温」のなかで、生き延びるために、生まれてきます。 逆の環境を与えれば、ガンは自然退縮していきます。

● ガンは、体に悪さをする存在ではなく、「低酸素」「低体温」という体内環境に対する、「体の適応現象」です。 

● ガン細胞は、「 正常細胞からミトコンドリアが削られた 」だけの違いに過ぎないのです。元は共通の遺伝子です。

● ですから、遺伝子レベル であろうと、細胞レベル であろうと、ガンを死滅させようとして、抗がん剤 や放射線 で攻撃すれば、正常な細胞も、同じ遺伝子を使っているから、生命そのものが、滅びることになります。 

● ガンの人は、細胞に「酸素が少なく」「リンパ球の数が少ない」 ことが特徴です。



安保先生はガンを「体の適応現象」と表現されておられますが、これは私も概ね同意見です。

ただ微妙なニュアンスの違いはあります。安保先生はガン細胞を「正常細胞からミトコンドリアが削りとられた」と表現されておられますが、

私は適応の結果、ミトコンドリアを使用せず糖代謝を過剰駆動していると考えています。

なぜならばミトコンドリアを使用しないことによって、「低体温」「低酸素」の状態でも細胞活動を継続することができるからです。

また違う私の表現でいけば、がん細胞は正常細胞出身で自分の「味方」、「自分の糖代謝が過剰駆動していることを身を以て知らせてくれている存在」です。もっと言えば、「味方」というよりも「自分自身」だと言った方が適切かもしれません。

とは言え、がん細胞を「」だと位置づけて、3大療法によって徹底的に攻撃しようとする現代医療の理論に基づけば、がん治療によって自分自身が攻撃されてしまうことにつながる、という点では安保先生と私の意見は共通しています。

だから糖代謝の過剰駆動がなくなれば再び正常細胞と呼ばれる状態に戻ることが可能であるはずです。

また糖代謝の過剰駆動要因として一番は糖質、忘れてはならないのはストレスだと捉えています。

そして安保先生の重要な指摘の一つとして、血液の中の白血球の種類が「交感神経刺激で顆粒球優位、副交感神経刺激でリンパ球優位」になるというものがあります。

がんではリンパ球の数が少なく、すなわち血液が顆粒球優位になってることより、がんの人は交感神経過緊張状態となっていることを間接的に示しておられます。

ただここに関しては確かに交感神経過緊張の真っ只中にある人は顆粒球優位になりますが、交感神経過緊張状態にある人の血液が常に顆粒球優位になっているわけではないということには注意が必要だと思っています。

例えば私がよくみるパーキンソン病の患者さんは基本的に交感神経過緊張状態にありますが、パーキンソン病の患者さんの血液検査で常に顆粒球優位が示されるわけではありません。

というのも血液を採取する時はどんな時かと言いますと、基本的には安静かつリラックスした状態で採取しますので、日頃の状態を必ずしも反映しているわけではないのです。

つまりパーキンソン病の患者さんの交感神経過緊張状態は断続的な交感神経過緊張状態であると推察することができます。

一方で、風邪など感染症に罹患している時はかなりの頻度で顆粒球優位となります。こちらは持続的な交感神経過緊張状態だと言えるでしょう。

一般的には細菌感染症では顆粒球優位、ウイルス感染症ではリンパ球優位になると言われていますが、これだとリンパ球優位のウイルス感染症では、副交感神経が刺激されているリラックス状態に通じるという矛盾した話になってしまいます。

またウイルス感染症であれば、必ずリンパ球優位というわけではなく、例えばコロナの症例報告でも、血液検査でリンパ球優位ではなく顆粒球優位の状態が示されていたりします。

私はここはこう読み変える必要があると考えています。

一般的にウイルス感染症は軽症で済むことが多いので、その場合は交感神経過緊張状態が引き起こされにくいと、

しかしながら、ウイルスであろうと細菌であろうと感染症の主体である異物除去反応が過剰に駆動され続けるようなオーバーヒート状態に至ったら、いつ血液検査を行っても顆粒球優位が示されるような持続的な交感神経過緊張状態に至るのだと。

がんでの交感神経過緊張状態と感染症での交感神経過緊張状態は、断続的か持続的かという違いはあれど、一本の線でつながっているように私には思えます。

逆に言えば、がんの人で常に血液検査で顆粒球優位(リンパ球の数が少ない)が観察されるような状況があるのだとすれば、糖質かストレスを中心とした糖代謝駆動刺激がそれくらい高頻度にかかり続けているということを意味しているのではないかと考えることができます。

そして無意識的であろうとシステムを酷使し続けたなれの果てとして起こる出来事はシステムの崩壊です。システムの使い方が是正されない限り、崩壊へと導かれることは必然ですし、がんを「敵」だとみなし、このシステムの一部を欠損させる現代医療の3大治療法は、システム崩壊を助長しうる行為だという構造も見えてくると思います。

勿論、がんそのものが不安材料となり、それが物理的に取り去れることで大きな安心を覚え、システムが整う可能性もゼロではありませんし、現代医療の3大医療を受けてがんサバイバーと呼ばれている人達の中にはそうした人達も存在していることと思います。

ただ、3大がん治療は確実な臓器欠損ですので、システムに物理的な欠損を抱えた状態でその後の人生を歩むことになることは承知しておかなければならないですし、

そもそも何でがんになったのかという根本原因に対しては全く対処できていない治療法になりますので、またいつどのタイミングでがんという名の糖代謝過剰駆動状態が再出現してもおかしくないという不安を拭えないまま人生を歩んで行かなければならないという問題もあります。

だからこそ、がんは「体の適応反応」、「自分自身」そのものである、と考えることに大きな意味があると私は考えています。


● 私は、長年の研究の中で、「生命体は自分自身では失敗しない」ことを強く実感しました。

● ガンの人の内部環境は、「ミトコンドリアが少なく」「低酸素」「低体温」です。
逆の環境を与えれば、ガンは自然退縮していきます。ミトコンドリアが働きやすい環境をつくればよいのです。

● 具体的には、
・食事の内容や、量を変えたり、
・早寝を心がけたり、
・運動を始めたり、
・体を温めたり、

ということです。



生命体は自分自身では失敗しない」という言葉、非常に安保先生の思想を象徴する表現に思えます。

私も基本的にこの安保先生の意見には賛成です。ただ「何を失敗とするのか」と考えるかによっては受け止め方が変わってくる部分かもしれません。

例えば、先ほどのがんを例にとれば、がんの発生は確かに適応反応です。しかしそのまま何も変わらなければシステムを確実に崩壊に導く反応です。

システムが崩壊まで到達したとしてもこれは「失敗」ではなく、自然の摂理だと受け止めることができれば、確かにこれは「失敗」ではないのかもしれません。

しかしながら、同じ状況を「失敗」だと受け止める方も確かに存在しているように私には思えます。

安保先生は69歳で「大動脈解離」にてお亡くなりになったと伺っています。この話は「生命体は自分自身では失敗しない」という安保先生の言葉の受け止め方に関して私を大いに悩ませます。

少なくとも私にとっては69歳は若いと感じられる年齢です。「大動脈解離」という病名だから致し方ないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、大動脈が解離するほど安保先生の血管には負担がかかり続けていたのだと考えると、仕方がないと思いきれない部分があります。

だからと言って安保先生の結末が「失敗」だとは決して思いませんが、このお話は安保先生の意見を盲信せず修正する必要があることを示しているように私には思えるのです。

ミトコンドリアを活かした生き方をしていくという方針そのものは間違っていないように私は思います。なぜならばそれはとりもなおさず生命が安定的に活動していることを意味しているからです。

もし安保先生が「ミトコンドリアを活かした生活」を心がけていたにも関わらず、平均寿命よりも短く人生を終えたことに意味があるのだとすれば、

安保先生が考えている「ミトコンドリアを活かした生活」には修正の余地があるということの傍証になると私は考えています。

ここで安保先生が糖質制限を否定的に捉えておられたことは一つ無視できない話であるように思いますが、

もしかしたら食事は問題なかったけれど、先駆者として人知れず著しいストレスを抱え続けておられたことが影響していたのかもしれません。

しかし、私はここから得られるメッセージは「自分の言葉を盲信せず、自分の頭で考えよ」ではないかと思っています。

体を温めることによって、ミトコンドリアが活性化します。

● 免疫力を高めるために、一番てっとり早い方法が、「 入浴 」です。ぬるめ の湯に、ゆったり入るのが効果的です。

熱い湯 に入ると、交感神経が刺激されてしまいます。交感神経が緊張すると、血管が収縮し、血流 が悪化します。

● 体温+4度C、少し ぬるめ と感じるくらいが、副交感神経が活発になり、免疫力が高まります
  
● 具体的には、40度から41度くらいのお風呂に、10分から30分つかっているぐらいです。

● 時間に余裕があるときは、「 半身浴 」がおすすめです。発汗するので、ときどき水分補給します。全身浴以上に、体内の毒素 が排出されます。

● 実際、治った人たちに聞いてみると、一日十二時間風呂に入った、とか聞いています。 
  
● 高齢者や病気の治療中の人は、「 足湯 」「 湯たんぽ 」が、おすすめです。

ミトコンドリアは太陽に当たることによってつくられます。免疫力を上げるためには、日光 が不可欠です。
 
一日一時間くらいは屋外で過ごすのがおすすめです。

● 有酸素運動は、ミトコンドリアを活性化します。
激し過ぎる運動は、交感神経が刺激されてしまい逆効果です。歩くことを習慣にするとよいでしょう。



安保先生は温めるということを、ミトコンドリア活性化方法の一つとして位置づけておられます。

しかもその方法を「体温+4℃」「半身浴」「足湯」「湯たんぽ」など、非常に具体的に示しておられます。

さらにもう一つ重要なことは、温め過ぎることは、逆に交感神経を刺激し、システムの酷使につながりうることを示しているという点です。

色々検討した結果、安保先生にとっての良い温め方は上記の具体策だということなのだと思いますが、

ここでも「自分の頭で考える」という立場に立って考えれば、これらは絶対的な基準ではなく、安保先生からの提案の一つだと受け止めることができます。

私の場合、下半身を温める「半身浴」「足湯」は、以前紹介した「冷えとり」の進藤先生の書籍なども参考に、10〜20分程度頑張って実践し続けると、湯上がりにかなり長いこと上半身ポカポカ温かくなり快適に過ごすことができることを体感しています。

しかしそれは必ずしもすべての人に当てはまる話ではないのだろうとも思います。下半身を温めて循環が改善する血管分布や循環器状態があることが前提の話ですし、

同じ行為が人によってはストレスを与え続けてしまうということもおおいにありえるとも思います。

以前、医学論文によって温めることがよいと書かれていたり、温めることが悪いと書かれていたりまちまちであるという話を書きましたが、おそらくそうした違いを反映しているが故の現象と思います。

従って、ミトコンドリア活性化方法を試す際に忘れてはならないことは、「自分にとって快かどうか」「自分の身体と心で判定すること」ではないかと私は思います。

そういう意味で日光に当たるという話も、運動をするという話も同様に受け止める必要があると思っています。

ただ、常に「快」と感じればそれでいいかと言われれば、そういうわけではないというと部分もあります。ひたすら「快」を感じ続けるような環境において成長はありませんし、抵抗力も生まれません。

やはりシステムは使うことによって活かされていくのです。「不快」があってこそ感じられる「快」があります

「不快」に耐えて生きていけばいいのか、「快」を求めて生きていけばいいのか、どっちなのかパシっと指示してもらう方が楽なのかもしれませんが、

よく生きようと思えば、どちらにも着地させてもらえず、結局真の正解にたどり着いているのかどうかもわからないまま、状況の変化に合わせていつも自分の頭で考え続けて判断していく必要があると、そういうことを考えさせられます。

逆に言えば、その思考を止めて誰かの言葉に身を委ねたり、もはや考えることを止めてしまうことが、システム崩壊へとつながっていくのかもしれないと思います。



● 池見酉二郎教授 が集めた癌の 自然退縮 は74例に上りました。
  
風邪、面疔、マラリア などで、高熱 が出た後に 癌 が消失しました。

温かい内部環境で、酸素 が運ばれ、循環がよくなって、癌が自然退縮したものと考えられます。

● また、アレルギー反応 とか、癌の周りで 炎症 が起きているときに、自然退縮 が始まっていたといいます。



ここは感染症とがんとの関連を指摘している部分が興味深いです。

西洋医学の中でもごく一部、ウイルス性の発がんという形で関連性が語られている部分はありますが、ここでの感染症とがんとの関連性はそういうことではありません。

感染症の発症自体が、がんの治癒のきっかけとなっているという関連性です。

しかもこの感染症の部分は、アレルギーの概念も含んでいるように示唆され、広く「炎症」と捉えてもよいように感じられる安保先生の言葉です。

感染症やアレルギーなどの「炎症」は持続的な交感神経過緊張状態、がんは断続的な交感神経過緊張状態、

そして交感神経過緊張状態は、困難な状況を克服しようと生命維持システムを過剰駆動させている状況だと捉えた時に、

「炎症」によって駆動された交感神経過緊張状態が、適切に終息する流れをとることができれば、その延長線上に存在していた断続的な交感神経過緊張状態も同時に調整されていくというストーリーは十分理にかなっているように思います。

ポイントはこの流れは、人為的な医療処置を加えずに自然に観察されていたという点です。

現代医療での3大医療によって「システム欠損」をきたしていれば、同様に調整されていくかどうかについては、システムの欠損具合にもよるかもしれませんが、少し不安の残るところです。


安保先生の視点は少なくとも、「がん」という一つの病気に留まっていなかったこと、

「病気」という境界を越えて、健康というものの本質を見出そうとしておられたということ
を感じることができます。


安保先生の名言は他にもたくさんありますので、

年を挟みますが、安保先生との「対話」をもうしばらく続けてみたいと思います。


たがしゅう
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