「治験」をしても「薬害」がなくならない理由
2021/12/20 20:30:00 |
よくないと思うこと |
コメント:7件
現代医学において「薬」という存在は治療行為を行う上での要です。
しかし現代医学の歴史は、ある意味で「薬害」の歴史という側面もあります。
古くは1948年に発生したジフテリアへの予防接種にジフテリア毒素が混入していたという事件、
1958年に当時睡眠導入薬として使用されたサリドマイドが、妊娠初期の女性に使用すると胎児への催奇形性がもたらされることが明らかになった事件など、
他にも血液製剤使用に伴うC型肝炎やHIVウイルス感染、MMRワクチン使用による無菌性髄膜炎など、様々な薬害の問題が繰り返されてきた歴史的背景があると思います。
そうした歴史を踏まえて、薬の開発には動物実験が義務づけられたり、少人数の患者から大人数への患者へと徐々に使用経験を段階的に増やしていくやり方や、国の監視下で製薬会社への開発状況の公開義務を設けるなど、
薬害を繰り返さないための様々な制度上の工夫が設けられてきました。こうした薬の実用前の検証的作業のことは「治験」と称されています。
しかし「治験」の仕組みが整って来はじめたのは、1990年代後半頃からのようですが、実はそれ以降も薬害の発生は決してなくなっていません。 2002年にはゲフィチニブ(商品名イレッサ)という肺がんの分子標的治療薬が、治験では明らかでなかった「間質性肺炎」によって発売からわずか5ヵ月で180名の方が亡くなるという薬害を引き起こしています。
先日来話題にした子宮頸がんワクチンも2013年に発売されるも、接種対象である若い女性に原因不明の疼痛症候群をもたらしたことも、因果関係が不明とされながらも、見方によっては薬害の一つとして十分に考えることができるでしょう。
さらには2014年に新しい作用機序を持つ抗がん剤として登場し、2016年にはその開発者にノーベル医学生理学賞が授与されるに至った免疫チェックポイント阻害剤「ニボルマブ(商品名:オプジーボ)」も、脳機能障害や劇症肝炎などの重篤な副作用が「治験」後に発生し投与後死亡に至る例もあることが明らかになってきました。
このように「治験」という枠組みが出来て以降も、薬害そのものはなくなっていませんし、治まっていく気配もありません。コロナを巡ってはその「治験」が完了する前にワクチンや治療薬が次々と特例承認されていくなど、この枠組み自体を放棄する動きさえ見られるようになり、世界の薬を巡る動きは私に言わせれば暴走の一途をたどっています。
はたしてなぜ「治験」を行っても薬害は起こるのでしょうか。「治験」の精度をもっと高めれば薬害はなくなるということなのでしょうか。
「薬と毒は紙一重」という言葉を聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
あるいは「薬には副作用がつきもの」だと聞いたことがある人もいるかもしれません。
でもビタミン剤で重篤な副作用に至ったことがある人を少なくとも私は聞いたことがありません。
「薬」と名がつくものであれば、同程度に副作用が存在するというわけでは少なくともなさそうです。
私は「薬害」を理解するためには、「薬」というものの本質を知る必要があると考えています。
結論から言いますと、これからいくら「治験」が丁寧に行われることになろうと、「薬害」と呼ばれる現象がなくなる日は来ないと私は考えています。実際「治験」が始まって20数年経った今でも「薬害」はなくなっていません。
なぜならば特に「西洋薬」という「薬」は強い人為を加えることで、反動や歪みを引き起こす構造を持っているからです。
この構造を理解するには、人に何らかのストレスが加わった時に起こる「過剰適応」と「消耗疲弊」という概念を理解しておくことが助けとなります。
今治療薬でもワクチンでもいいですが、「薬」によって何らかの強力な人為的なシステム修正反応が加えられたとしましょう。
身体にはそんな人為が加えられると、それが強力であればあるほど、その反応が終息した後に大きく二つの反応が引き起こされる傾向があります。
一つは大きな揺り戻し、もう一つは大きな沈み込みです。
例えば「降圧薬」という人為を加えた後、血圧が低下した後に逆に大きく血圧が上昇するのが揺り戻し、血圧がそのまま低下し続けて正常血圧に戻ってこないのが沈み込みです。私は前者を「過剰適応」、後者を「消耗疲弊」と呼んでいます。
これはもともと持っているシステムを邪魔するような人為を加えるが故に大きな揺り戻しか沈み込みが起こるという言い方もできます。
一方で、ワクチンのように、もともとの人体の異物除去システムを駆動させるような人為を加えた場合はどうかと言いますと、
これによって過剰なまでにシステムが駆動され続けてしまうのが「過剰適応」、システムが駆動され過ぎて一部のシステムが破綻してしまうような状態が「消耗疲弊」ということになります。サイトカインストームが前者、後遺症が後者と言ってもいいかもしれません。
どんな「西洋薬」も、もともとのシステムを駆動させるか、阻害するかの大きく2つに分かれるのではないかと思いますが、
標的とする病気のレベルが大きければ大きいほど、それを治すのに西洋薬が加える人為は強力なものになるわけです。
最近の新薬の開発状況が分子標的治療薬に大幅に偏っているのは、病気をそのように解決しようとする西洋医学の姿勢が如実に現れてしまっているように私には思えます。
そうすると薬が安全に使えるかどうかは「治験」が確かに行われているかどうかが問題ではなく、
強力な人為を加えた時点で一定の確率でその人為に対して「過剰適応」や「消耗疲弊」反応を起こしてしまう人達が現れるということであって、それが私達が「薬害」と呼ぶ状態の本質だと私は思います。
だからこれからどんな難病に対してどれだけ良い薬が登場したとしても、
それがもともと人間が持っているシステムに対して強力な人為を加える薬である限り、
その薬は絶対に「薬害」をきたしうる薬だということは知っておいて損はないだろうと思います。
逆に言えば、これから出てくる新薬において、注目すべきは「治験がきちんと行われているかどうか」ではなく、
「その薬がどのような人為を加えうるのか」を知ることです。
もっと言えば、その「新薬」が人体のシステムを強力に改変するような仕組みの薬であることがわかった場合は、
たとえどれだけ「治験で安全性が示されました」と言ってもその結果を鵜呑みにしないということです。というよりも特定集団への使用でたまたま「過剰適応」と「消耗疲弊」が出現しなかっただけであり、全体へ適応すれば必ず「過剰適応」と「消耗疲弊」の事例は現れると理解すべきです。
コロナでも「新薬」が次々と登場してきていますが、
コロナの大きな歪みの一つは、これが非常に大きな病気だという認識が広まってしまっていることです。
コロナを含む「ウイルス感染症は自己システムのオーバーヒート」だと当ブログで何度も述べてきました。
コロナが大きな病気になるのは、原因はともかく、自己システムが大きく乱れてしまった人においてのみです。
自己システムがそこまで乱れていない人にとってコロナとは、非自己抗原への認識が正当に行われ、速やかにシステムによって除去されるだけの通常イベントです。
それなのに、この自己システムが大きく乱れてしまった人において起こる現象に偏ってコロナが理解されてしまうが故に、
必然的にそれに対する「新薬」も人体のシステムに大きな人為的改変を加える分子標的治療薬ばかりが開発されてしまう流れとなってしまっています。
そうなると、「過剰適応」や「消耗疲弊」イベントが一定の確率で出現してしまうことは必至ですし、
何を隠そう、システムが乱れている人にこそ「過剰適応」や「消耗疲弊」は引き起こされてしまいやすいのです。
予言してもいいです。これからのコロナ「新薬」は分子標的治療薬である限り、間違いなく「薬害」を引き起こすことでしょう。たとえ「治験で安全だ」と言われていても、です。
この歪んだ大きな「新薬」の流れに飲み込まれないようにするためには、自分の頭で考えて行動するより他にないと私は思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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日本でもワクチン後の体調不良や死亡はかなり出ているようですが、政府が認めませんね。過去のワクチン被害は認めるのに、何故コロナでは認めないのでしょうか。米国では既に万単位で正式報告があるようですね。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
> 「システムが乱れている人にこそ「過剰適応」や「消耗疲弊」は引き起こされてしまいやすい」ということは、肥満が多くワクチン摂取率の高い欧米では今後さらに「コロナ死者(実はワクチンが大きな原因)」が増えてくるのでしょうか。不健康な人がさらに不健康にされてしまうという悪循環。。。
全体としてはそうだと思います。各国でデルタ株のせいだと解釈されている感染者数増加の波はそれを反映している可能性が高いと私は考えています。
ところが個人の中で起こる出来事は必ずしも悪化とは限りません。適度のストレスが人生の糧となるように、ワクチンを打つことで起こる異物除去システム強制駆動ストレスと、ワクチンを打ってもらって安心という感覚がもたらすプラセボ的調整効果がぶつかり合うことで、結果的に良い影響をもたらす可能性はゼロではありません。だから個人におけるワクチン接種行動を必ずしも止めた方がいいとも言い切れません。ワクチン以外の方法では安心できないという価値観の人にとっては、ワクチンを打たないことが著しいストレスとなりえると思います。だから結局、それぞれがそれぞれの価値観で決めていくしかないと思います。どんなに素晴らしい方法であっても強制した時点で愚策に成り下がるように思います。
> 日本でもワクチン後の体調不良や死亡はかなり出ているようですが、政府が認めませんね。過去のワクチン被害は認めるのに、何故コロナでは認めないのでしょうか。
「人は見たいものしか見ない」、きっとその集団版なのでしょうね。
高血圧についてですが、
この数日の、夏井先生のホームページでの血圧論争を見て、「血圧が高いから降圧剤を処方する」よりも「高い血圧を必要としている所を探して治療を試みる」ことが、お医者さんの仕事ではないかと感じています。
降圧剤で血圧を下げれば、「脳梗塞、心筋梗塞、大動脈瘤、大動脈解離」が減少するであろうことは素人でも分かります。しかし、免疫機構が働く際に体温を上げるのと同じように、血圧を上げることで必要な血流を確保している箇所があるのならば、そこを放置していては治療しているとは言えないのではないでしょうか。
その高血圧を必要としている箇所が分からなくても、血管を傷つけ詰まらせているであろう高血糖防止の方が、降圧剤の処方より正しいのではないでしょうか。
Re: 高血圧についてですが、
コメント頂き有難うございます。
> 降圧剤で血圧を下げれば、「脳梗塞、心筋梗塞、大動脈瘤、大動脈解離」が減少するであろうことは素人でも分かります。しかし、免疫機構が働く際に体温を上げるのと同じように、血圧を上げることで必要な血流を確保している箇所があるのならば、そこを放置していては治療しているとは言えないのではないでしょうか。
御指摘の通り、血圧を下げれば血管の破裂を未然に防ぐ可能性があるという認識は理解できるところと思います。
一方で脳梗塞に関して言えば、発症して1ヵ月くらいの時期は、200mmHgを超えるほどの高血圧緊急症と呼ばれる状態は別として、血管が詰まった先の血流をなるべく保持するために、あまり積極的な降圧治療は行わず、ある程度の高血圧を許容しながら治療するというスタンダードがあります。
心筋梗塞も同じ理屈で高血圧を許容するのかと思いきや、心臓は血圧を生み出す源であるためか、心臓が弱った状態にこれ以上負担をかけないように降圧療法を行う傾向にあります。
しかし脳梗塞も心筋梗塞も発症予防に際しては降圧治療を行うべきという考えが医療界にはあります。なぜならば「脳梗塞や心筋梗塞を発症する人の背景には高血圧が多いというデータ(医学論文)があるから」です。
問題はなぜ血圧が上がっているのかというのが原因不明とされている(あるいは塩分のとりすぎのせいにされている)のと、御指摘のように身体全体でみると血流が足りない部位もある場合(多くは動脈硬化によってそういう部位が存在する)に降圧療法は逆効果となる可能性があるという点です。
なぜ血圧が必要かと言われたら、「血圧を上げる必要性がある状況だから」ですし、ある部位で血圧を上げて、別の部位で血圧を下げるような芸当ができるとしたら、人間のもともと持っている自己治癒力を使うより他にないと私は思います。どちらも患者さん本人にしか気づけないポイントがあり、それに基づいて行う行動があると思います。だからこそ私は主体的医療に力を入れているとも言えます。
> その高血圧を必要としている箇所が分からなくても、血管を傷つけ詰まらせているであろう高血糖防止の方が、降圧剤の処方より正しいのではないでしょうか。
はい、私もそう思います。糖質制限食による高血糖防止の方が降圧剤よりもよほど安全かつ効果的な治療だと考えています。
一方で高血糖そのものも高血圧と同様に身体に必要とされている側面があります。なぜならば血糖は即時的なエネルギー源ですし、高血糖は急性ストレスに対応して身体で引き起こされる現象であるからです。こう考えると血圧も血糖も必要だけれど、過剰になると秩序が乱れるという構造が見えてきます。
であれば、過剰さえ抑えれば、糖質制限食でも降圧剤でもどちらでも有益なのではないかと思われるかもしれませんが、両者は自分のシステム全体を使っているか、一部を使っているかという点で雲泥の差があります。しかも血圧を一定の数値基準で区切って対処してしまうことは、特に血圧が上がってしかるべき高齢患者さんへの過剰降圧へとつながるおそれがあり、常に有害のリスクを抱えています。本来であれば加齢に合わせて使う薬の量を少しずつ減量していく必要がありますが、数値基準で定められているためそんなことをやっている医師を私はほとんど見たことがありません。一方で糖質制限食の方は、基本的に身体のシステムに委ねることができます。量も自分で調整できます。どちらが良い治療であるかは言うまでもないように私には感じられます。
薬物を使わなければよいだけですよ
薬物を使わずに治療すれば、副作用などは起きない。この考え方が理論的に正しい、それだけのことです。
Re: 薬物を使わなければよいだけですよ
コメント頂き有難うございます。
確かにおっしゃることはよく理解できます。
一方でそう考えられない人がいる(薬に頼りたい心が生まれる)こともまた事実なので、そうした方の気持ちにも寄り添えられるように薬と向き合っていきたいと私は考えています。
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