「病人」ではなく「悩み苦しんでいる人」
2021/12/18 08:40:00 |
オープンダイアローグ |
コメント:10件
なんか急に妙な「夢」を見ました。
家族から親族からみんなが集まっている中で、突然私がブチ切れて暴言・暴力をふるい始めるというような内容です。
「夢」なので、私が何に怒っていて、何でそんな行動を取っているのかは全くわかりません。
ですが私は「夢」の中で、「何で誰もわかってくれないんだ!?何で誰も自分の話を聞こうとしないんだ!?」と大きな苛立ち・怒りの感情を抱えていました。
けれどもそんな私の常軌を逸した行動に、周りの家族は冷めた目で私から離れるばかり。「あいつはおかしくなってしまった・・・」などと吐き捨てるように言っている人もいました。
他人の感情も「夢」だから直接自分に伝わってきます。拒絶されればされるほど、私の中での怒りは増していくばかりです。
そんなところではっと目が覚めました。そして私は思いました。
統合失調症などメンタルの問題に苦しんでいる人はこんな気持ちなのかもしれないと。 私が今強い興味を持っているフィンランド発祥のオープンダイアローグは、
統合失調症の急性期、すなわち幻覚や妄想などの精神症状が著しくなって錯乱してしまっているような状況の人に対して、
薬を使うことなく「対話」というアプローチで症状を落ち着かされることに何度も成功するという実績があります。
日本の精神医療を知っている人からするとにわかには信じがたい話ですが、
一方の日本の精神医療では、こうした人に対してどういう対応が取られているかと言いますと、
これは「了解不能な異常行動だ」という枠組みで理解され、「病気」として処理されるようになり、淡々と救急車を呼ばれ、措置入院という本人の同意をとらない形の強制入院の対応がとられ、
精神科の閉鎖病棟に入れられ、脳の機能を鎮静させるような薬を注射され、しばらくほとぼりが冷めるまで放置され、
これは統合失調症という病気であるなどと診断され、薬を飲むことで落ち着くからと言われて以後、生涯に渡って薬を飲み続けることを指示される従属的な人生を歩むコースへ一直線です。
でも、これは「健康な人」と「病気な人」という上下関係をもたらし、固定的な概念で受け止められるようなやり方で、極めて「非対話的」、もっと言えば「分断的」とでも言えるような対応に思えます。
「病気」という枠組みをあてがわれ、突き放されて隔離されるという感覚は、
私が「夢」の中で家族や親族に見放され、冷たい言葉を投げかけられ続けた時に感じた「何でわかってくれないんだ!!」という感覚と近いのではないかと想像します。
「何でわかってくれないんだ」という言葉に象徴されるように、私がその時に求めていたことは「自分の話を誰かに聞いてもらうこと」でした。
そのスタートに立つことが「対話」だと思います。あの時「夢」の中で、例えばこんな風に話しかける家族や親族がいれば私の感情は変わっていたかもしれません。
「ちょっと待って!もし自分が何か気に障ることをしたんだったらあやまる!でも自分にはなぜ君が今そんな風に怒っているのかが残念ながらわかっていない!君の苦悩を是非とも知りたい!知って変えられるところがあれば変えたい!話をさせてもらえないだろうか?」
少なくとも私は「夢」の中でそんな風に言ってもらいたかった。そんな風に言ってくれる人が一人でもいたならば、自分の怒りは収まっていたかもしれないと、「夢」から冷めた私は思いました。
もしもそんな構造があるのだとすれば、フィンランドでの統合失調症の急性期が薬なしで「対話」だけで治まったという事実もさもありなんと思えるのです。
だとすれば、「病気」という枠組み自体が「対話」の邪魔になっているとさえ思えます。
なぜならば「病気」で理解することは相手を「病人」と受け止めることにつながり、「対話」において重要な要件の一つである「平等な関係性」からすでにずれてしまうことになるからです。
だったらこの「対話」という営みは、「治療」という枠組みの中で行うべきではないのかもしれません。
なぜならば「治療」とは「病人」を治す行為であり、そこには「病人」と「病人ではない人」という上下の関係を生み出す構造があるからです。
病気とか病気でないとかは問題ではなく、たとえ病名をつけられていようがいまいが、「一人の対等な立場で苦しんでいる人」として向き合うことから始めることが、
「対話」を行うために非常に重要な基本的姿勢なのではないかと、
そんなことを考えさせられた不思議な「夢」でした。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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難しいですよね
一方、今回のお話を読んで妄想性障害の人の件を思い出しました。「自分を陥れようと裏で共謀している」といった勘違いです。「そんなことはない」とか「どうしてそう思ってしまったのか」などと対話しようとしても、相手は思い込んで怒っているので話が続かなかったです。思い込んでいるため何を言っても心を開いてもらえませんでした。今でも私自身悲しい思い出です(相手を慮って提案したことを陥れと決めつけられたので)。
フィンランドではどのように対話しているのでしょうか。素晴らしいですね。北欧は色々な面で進んでますね。蛇足ですがフィンランドと言えば一時は移住も考えたことがありました。雪の中のログハウスに住みたいです。
Re: 難しいですよね
コメント頂き有難うございます。
> 文面でおっしゃっていることは分かるものの、「近所の人が自分を殺そうとしている」「家中に盗聴器が仕掛けられている」といった内容に対して話を続けようとしても難しいです。例えば、何故?と聞いても意地悪だからとか、それ以上どう言っていいのか。。。根気の問題でしょうか。(最後には、そんなことないじゃない、という禁句を言ってしまいます)
幻覚・妄想状態に陥っている人への具体的な「対話」の 仕方については、私がオープンダイアローグについて深く入り込むきっかけとなった「マンガやってみたくなるオープンダイアローグ」が参考になります。機会があれば是非読んでもらえればと思いますが、基本的には「相手の価値観を尊重する」ということに尽きます。
一般的な精神医療の中では幻覚・妄想については「了解不能なもの」として、まともに取り合わず受け流すのが鉄則とされていますが、その常識に反して相手がなぜそのような強固な観念を持っているのかについて知りたい、教えてほしいと「対話」を行い続けるという発想がオープンダイアローグにはあるように思います。「了解可能か不能か」は大きな問題ではなく、相手を尊重する姿勢があるかどうか、それが相手に伝わるかどうかが「対話」を続けられるかどうかの鍵を握っているのではないかと私は思います。
ありがとうございます
フィンランドですが、囚人への扱いでさえ素晴らしいので精神患者ならなおさらなのでしょうね。下記は殺人犯が生活を楽しみながらAIを学んで社会復帰の準備をしている様子のドキュメンタリーですが、、、部屋とかもカラフルでソファーとかもあり、何だかワンルームマンションに住んで仕事ばかりの日本人の生活よりよほどいいなぁと複雑な気持ちになってしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=l554kV12Wuo
Re: ありがとうございます
コメント頂き有難うございます。
> フィンランドですが、囚人への扱いでさえ素晴らしいので精神患者ならなおさらなのでしょうね。
> 下記は殺人犯が生活を楽しみながらAIを学んで社会復帰の準備をしている様子のドキュメンタリーですが、、、部屋とかもカラフルでソファーとかもあり、何だかワンルームマンションに住んで仕事ばかりの日本人の生活よりよほどいいなぁと複雑な気持ちになってしまいました。
そう、この考え方は突き詰めれば「殺人犯であっても相手を尊重せよ」につながるので、それを受け入れるとなると極めて強い抵抗感を感じて然るべきだと思います。少なくともすんなりと受け入れられるような類いの話には思えません。
ポイントは「個人」という考え方をどこまで見直せるかだと私は思っています。
私達がいつの間にか受け入れて納得している「個人」という境界画定的な考え方、だからこそ「責任」が生じるし、規則から逸脱したら「罪」に問われます。しかし「個人」という境界画定的な捉え方は世界を見る一つの色眼鏡でしかないと気づき、その「個人」は社会に存在する様々なものとの関係でしかないということ、関係の在り方によって「個人」と認識しているものの輪郭は如何様に変化しうるということに気がつけば、「個人」に生じたように見えた問題が実は全体の「関係」の問題であり、途端に自分に降りかかってくる問題として認識されることになります。
少なくとも殺人犯に豊かな生活環境を与えるというものの考え方を、数ある考え方の一つとして認める私でありたいと望みます。難しいことかもしれませんが。
殺人犯の男性は悔い改めれば再度チャンスを与えられるのは素晴らしいことですが、被害者の家族の気持ちにを考えると難しいですね。「個人的なこと」として捉えざるを得ないので。私が被害者の家族だったらと想像すると、正直言って犯人の快適な生活を快く思うほど人間出来てないですね。。。もちろん一般論としては素晴らしいことだとは思えるのですが。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
ハンナ・アーレントの指摘する「凡庸な悪」というやつですね。
その指摘にも通じる社会の映し鏡としての「個人」の側面があるように私も思えます。
> 殺人犯の男性は悔い改めれば再度チャンスを与えられるのは素晴らしいことですが、被害者の家族の気持ちにを考えると難しいですね。「個人的なこと」として捉えざるを得ないので。私が被害者の家族だったらと想像すると、正直言って犯人の快適な生活を快く思うほど人間出来てないですね。。。もちろん一般論としては素晴らしいことだとは思えるのですが。
そのお気持ちは本当によくわかります。私の言葉で言えば「理屈ではわかっても、感情で納得できない」という感覚です。
少し前に価値観が強烈に異なる相手と対話することは、「RPGでいきなりラスボスに挑むようなもの」というたとえをしましたが、この殺人犯への環境整備を納得する試みもある意味で現代日本社会の価値観におけるラスボスのようなものなのかもしれません。
ラスボスではなく、小ボス的な例を考えてみましょう。
今私は学校の中の生徒です。学校の中で自分ではない誰かがいじめられたとします。自分はそのいじめをよくないことだと認識しながらも、全体の空気のようなものに従ってただ傍観していただけで関わらないようにしていたとします。
この場合、いじめの首謀者に対して、断罪を求める気持ちが生まれるかもしれませんが、そうすれば問題は一挙解決でしょうか。いじめを生み出す全体の空気の醸成に自分も加担していたという「自分事」の側面が見えてこないでしょうか。そして本当にすべきことは特定の個人を徹底的に打ちのめすことではなく、そのような全体の空気が生まれないように働きかけることだという視点は出てこないでしょうか。
ただ単なる体罰に留まるいじめ問題はまだしも、殺人に至れば一線を越えるという感覚が私達にはあります。だから理解できない気持ちもよくわかるし、正直私も現時点でそうです。ただ一線を越えるか否かに関わらず、そんな歪んだ事象を生み出す構造自体は共通するところがあるように私には思えるのです。それに殺人が許されたら、次なる殺人者のハードルが下がるという不安も出てきてしかるべきです。でも実際には殺人に厳しい刑罰を与えていても、殺人はなくならないという現実があります。
苦しいけれども不安や常識と格闘しながら、私達はこれまでと異なる道を模索すべきなのかもしれません。私も道半ばです。
日本人が真面目なのは素晴らしい性質ですが、ゼロコロナを目指して突っ走るという行き過ぎた潔癖症があり、全体主義的傾向が極度に強いのが怖いです。あり得ないこと(そして不要なこと)を信じて戦うのは愚かだし、盲信しているところが戦時中のような様相です。私の母などもテレビ漬けなので、数字で説明してもその回答が「だって怖いじゃない」です。感情を優先させすぎず、理性というか、物事を合理的に捉えられないと問題は解決できませんよね。
ただ、解決策にはたどり着けず・・・・・・・
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
> 加害者側にも親の愛情欠如とか色々理由があったりして特に子供の場合は本人だけの問題ではないので複雑
殺人にも同じ構造があると私は感じています。おっしゃるように本人だけの問題ではないのです。その本人だけの問題ではない部分に私も関わっていると思えるかどうかで私の行動は変わってくるように思います。
他者を批判して終わるか、この構造を変えるために私はどう動くべきかを考えるか…。
後者の方がはるかに険しく、困難な道、しかし希望を感じられる道だと私は思います。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
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