互いに真逆の意見でもいいから尊重し合う

2021/12/15 12:50:00 | ワクチン熟考 | コメント:0件

「こびナビ」副代表木下喬弘ドクターの著書を読んでおりますと、

HPVワクチンの積極的接種勧奨についての情報発信者は熱い想いに突き動かされて動いていること、そしてその活動には多くの賛同者がいて大きな輪になってきているということを強く感じます。

その中心的な想いを要約すれば、次のようになるのではないかと思います。

「HPVワクチンによって確実に救える命がある。若くして子宮頸がんによって命を奪われた人達、その周囲で大きな苦しみを感じた人達がいる。同じ悲劇を繰り返さないためにも何としてもこのワクチンを普及しなければならない。」

そのメッセージの流れには共感できますし、特に子宮頸がんになった当事者やその家族、近しい方々にとっては身につまされる話であり、世の中を変えようと活動する十分な動機たりえると思います。

ただその想いの前提には「ウイルス(HPV)が病気(子宮頸がん)の原因である」という「病原体病因論」が正しいということがあると思います。その前提を疑っているのが私の思考です。

私は子宮頸がんに関しても、「病原体病因論」で考えることの矛盾を示してきました。これまでのブログ記事を少し振り返っておきます。 ・子宮頸がん組織から検出されるのはウイルスDNAのみでウイルス粒子が検出されない
・母子感染がありうるウイルスなのに、10代の子宮頸がん発症者がほぼいない(20代での発症者はいるのに)
・ほとんどのHPV感染者は子宮頸がんを発症していない(2020年スウェーデンの文献ではワクチン未接種者10万人のうち、99,906人が子宮頸がんを発症していない)。
・ワクチンが有効であることを示す根拠は、恣意性が入りかつそれを容易に排除できない医学論文の中でしか示せない(HPVワクチン接種で子宮頸がんの発症率を抑えるという医学論文がある一方で、子宮頸がんの総数は減っておらずむしろ増加傾向にあるという医学論文がある、という矛盾がすでに存在している)


これらの事実から、HPVというウイルスとの接触は確かに数ある子宮頸がん発症のきっかけのひとつにはなっているかもしれないけれど、

少なくともそれだけが原因で病気が引き起こされるようなインパクトの強い病因ではない、むしろ重要なのは宿主側の要因であるという考えに私は至ります。

ただここで大切なポイントが2点あります。その「宿主側の要因というのは必ずしもすべてを見える化されない」ということ、もう一つは「宿主側の要因が重要であることを認めることは、”HPVワクチンを打っていれば助かっていたかもしれない”と考える人にとっては身を引き裂かれるくらい辛いことになる可能性がある」ということです。

私は宿主側の要因として栄養と心の在り方が2大重要因子だと思っています。

言い換えれば「身体の基盤」と「精神の基盤」ですね。ここが盤石かどうかが、宿主側の要因が乱れるかどうかの鍵を握っていると言うことができます。

その栄養を最も効率的に支えるアプローチとして糖質制限食を私は推奨していますが、これが必ずしもすべての人に安定を与えないことを私はこれまでの糖質制限指導歴から感じ取っています。

その理由は、「糖質を制限することに著しいストレスを感じる人がいる」ということです。いくら生理学的に正しい食事アプローチをしていても、人には心があります。「価値観」と呼ばれるものがあります。

例えば、その人がずっとベジタリアンで、玄米菜食を行うことで自らの健康が維持されているという価値観を強く持っている人だとすれば、

その人に私が糖質制限理論に基づいて、「玄米中の糖質は血糖値の乱高下をもたらし健康を害する」などといった理屈を伝えたら、いくらそれが生理学的に正しかろうと、きっと余計なお世話に感じられることでしょう。

それなのに、糖質制限指導を無理に続けたり、私の価値観を押しつけたりしたら、栄養の充足を心で感じるストレスの方が上回って現実的に身体が不安定になるという状況が起こりえるのです。

だからこそ糖質制限食を基本におきつつも、ストレスマネジメントの観点もそれ以上に重要なこととして診療に取り入れるように心がけています。

子宮頸がんワクチンの話もそれと同じで、「HPVワクチンさえ打っていれば子宮頸がんにはならなかった」と強固に信じている人に「実は子宮頸がんはHPVよりも栄養やストレスが大きな原因となっている」という話をしたところで俄には受け入れがたいことでしょう。

下手をすると、「子宮頸がんになったのはウイルスのせいではなく、自分のせいだというのか!?」と責められているように感じてしまう人もいてもおかしくありません。

しかも世の中には「HPVワクチンが子宮頸がんを予防する」と確かに感じられる医学情報とそれを支持する専門家がたくさんいます。そうであるならば、私の「子宮頸がんは栄養やストレスが大きな原因である」という意見の方を戯言だと考えるのが妥当でしょう。

ところがその「HPVワクチンが子宮頸がんを予防する」という情報を支える「ウイルスが病気の原因である」という常識的価値観に、根本的な誤解があり専門家もその誤解に気づいていない、いや専門家だからこそその誤解に気づいていないという構造があるのだとすればどうでしょうか。

「子宮頸がんの原因はHPVウイルスである」という前提が崩れれば、「HPVワクチンを打ってさえいれば助かったかもしれない」という価値観も崩れ、さらには「同じような悲劇を繰り返さないためにも、HPVワクチンを積極的に普及する!」という行動も変わってくる可能性があるのではないでしょうか。

しかし、HPVが子宮頸がんの原因ウイルスであるという説は、かのノーベル賞でも認められた内容であり、それが間違っているだなんてことは考えられないと思う人もいるかもしれません。

でも私はこれまでの考察によって、ノーベル賞でも間違うということにすでに大きな実感を持っています。ノーベル賞を支える常識自体が間違っているのだとすれば、ノーベル賞が間違っていたとしても不思議ではないのです。

ただ問題は、「仮にウイルスが病気の原因ではない」ということが真理であったとしても、

その人の心の在り方次第では、まるでウイルスが病気の原因であるように思えて仕方がない状況が生み出されうるということにあります。

もっと言えば、心の在り方が見える化されない以上は、「ウイルスは病気の原因である」という考え方も、「ウイルスは病気の原因ではない」という考え方も、心の在り方次第でどちらも本人にとっての正解としてありえる、ということです。

どういうことかと言いますと、「ウイルス感染症は自己/非自己を見分ける異物除去システムのオーバーヒートだ」と私は位置づけているのですが、

何が原因であろうと、人体にストレスがかかり続けている状況が続けば、自己/非自己の区別があいまいにあり、非自己性の強さに応じて異物除去システムが過剰に駆動され続けるようになり、アレルギー性疾患→自己免疫疾患→サイトカインストームの流れで過剰適応をきたすことが現実に起こってしまいます。

すなわちHPV感染者の99%以上がこのウイルスを自己細胞の一部として取り込んで、システムが落ちついている限りにおいて何も悪さをしない共存状態が保てているのに対し、

「ウイルス感染症(子宮頸がん)は自己の状態によって発症するかどうかが決まる」という言説を聞いて、責められたように感じ続けてしまった人は、

その慢性持続性ストレスに伴って本来なら共存状態にある子宮頸部の若干の非自己性を途端に除去するように炎症を惹起して、

結果的に同部の自己細胞はがん化して、「ウイルスが病気(子宮頸がん)を発症させた」としか思えない状況が生み出されてしまいます


そうなると私はその人にとってとんだペテン師ということになりますし、子宮頸がんの存在にもストレスを感じ続けてしまうことになってしまうでしょう。

おわかりになった方もいらっしゃるかもしれませんが、私の見解を納得してもらうためには「がん」そのものも自分自身であるという考えを受け入れる必要があるのです。

とは言え、「ウイルスと自己は運命共同体」にしても「がんとは自分自身である」にしても、起こっている現象に対するひとつの解釈に過ぎません。私の解釈が唯一無二の絶対的正解だとも全く思いません。

「ウイルスが病気の原因である」という考えも、古くより歴史のある、そして現代医学の根幹にあたる常識的価値観であり、広くみれば複数ある解釈のひとつです。この見方も絶対的正解にはなりえませんが、ひとつ選択しうる見方ではあります。

ただ現代社会はあまりにもこの常識的価値観が科学の名の下に強要されすぎているのです。それほど盤石な基盤の元に築かれているわけではないのにも関わらず、一介の医師が実際に起こっていることとの矛盾をたくさん指摘できるにも関わらず、です。

それくらい長い歴史の中で醸成されてしまったが故に、容易には変えがたい常識的価値観になってしまっているということだと思います。けれど少なくとも私はその価値観で考えると矛盾のある事実に遭遇する限り、この価値観だけで考えて生きて行くことを容認することはできません。

同時に常識的価値観を変えることで辛い想いをするかもしれないであろう人達の気持ちもわかります。いまさらウイルスが原因ではないと言われたところで受け止めきれない人はたくさんいるでしょう。その常識的価値観をベースに仕事をして、家族を養っているであろう人もたくさんいることでしょう。


だから私の意見を受け入れろとは言いません。お互いの違いを尊重し合いませんか?

「ウイルスが原因である」という価値観を大事に生きている人達の気持ちを私は尊重します。その想いを私は全否定しません。

けれど少なくとも私はその価値観とは違うということを明言していきます。必然的に「ワクチンが病気を防ぐ」という価値観にも賛同しません。

そもそも価値観は違っていていいのです。だからワクチンを打ちたいけれど打てなくて困っているという人を必要に応じて支援しますし、だからと言って私がワクチンを打つということはいたしません。

一見矛盾しているようで、それが価値観が違って当たり前な人間どうしで織りなす社会の中で、うまくやっていく最大の秘訣であるように私は感じています。

私は私の意見を表明し続けますが、私は皆さんに私の意見を押しつけることはいたしません

願わくは私以外の人達にもそうであってほしいと願います。

「HPVワクチンを打って子宮頸がんを予防したい」という人の意見を私は尊重します。でもそれを周りに強要しないでほしいと思います。

あなたが打ちたいと思って打つ、私は打ちたくないと思って打たない、それで十分ではないでしょうか。

「集団免疫の観点から皆が打った方がいい?」。それもそう思える人とそうは思えない人がいるのです。尊重し合いませんか。

HPVワクチンの普及で命を救おうという理念が尊いのと同様に、自然のありのままを受け入れて万が一にもワクチンで起こる被害をなくそうという理念も同様に尊いのではないでしょうか。

机上の空論ではなく、そのようなスタンスで皆がいることが人間社会にとって最もバランスがよいと私は思います。

そのような社会に一歩ずつでも近づけるように私から「対話」的であり続けようと思います。


たがしゅう
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