「自己免疫疾患」からの可逆的回復に必要なこと

2021/11/25 15:35:00 | 主体的医療 | コメント:2件

「機械論」と呼ばれる考え方があります。

Wikipediaによりますと、「自然現象に代表される現象一般を、心や精神や意志、霊魂などの概念を用いずに、その部分の決定論的な因果関係のみ、特に古典力学的な因果連鎖のみで、解釈が可能であり、全体の振る舞いの予測も可能、とする立場」と説明されています。

西洋医学では人間の身体のしくみや病気の成り立ちは非常に機械論的に解釈されている節があります。

例えば、「筋肉は神経から発せられる電気信号によって動かされる」「脚気はビタミンB1の不足によってもたらされる」あるいは「ウイルスの細胞への感染によってウイルス感染症が引き起こされる」といった論理です。

これは一見非常に正しい理論であるように思えるかもしれません。しかし私は以前この立場に対して「自律神経は機械ではない」というNote記事を書いて反論したことがあります。

そこでは機械のように動くと解釈されがちな神経、特に自律神経は明確に心理の影響を受けており、条件によって必ずしも機械の時で期待されるように動くとは限らないという視点を提示しました。

私が推奨している糖質制限食という食事療法もともすれば機械論的に解釈されやすいもので、「糖質を制限することで血糖値の上昇を抑え、糖質代謝から脂質代謝へメインの代謝を切り替え、ケトン体を中心としたエネルギーシステムで体調を改善させる」という流れはまるで機械のようですが、

実際にはその理論通りに糖質制限食で劇的によくなる人と、そこまでの改善効果が感じられない人や逆に体調が悪くなるという人もいるという現実に遭遇します。後者にはやせ型で非筋肉質の女性が多い傾向があるということでこの理由についても過去記事で考察したことがあります。

ともあれ、まるで機械のように見える人間の生命活動には、機械のように理論通り動かない「ゆらぎ」の部分があるということを認識しておくことは極めて重要です。 ビタミンB1で脚気が改善するはずだけど、思うように改善しなかったり、改善する人としにくい人で差があったり、

神経には器質的な異常(客観的に確認される異常)はないはずだけど、条件によっては機能しにくい場面もあったりするという事実もその「ゆらぎ」を示しています。

この「ゆらぎ」には人の心理が大きく関わっているという特徴があります。理論通りに治療がうまく行かない事態の背景には十中八九心理の影響があるように私には思えます。

逆に言えば、「機械論」的な捉え方だけで人間を捉えたり、治そうとしたりすると、超えられない壁に遭遇してしまうのも必然だと言えるでしょう。

しかしながら、どうしても「機械論」的に解釈してしまいそうになる現象があることもまた事実です。

例えば、「自己免疫疾患」というカテゴリーの病気は一度その病気になってしまうと、小康状態を保つことはあっても、元の「自己免疫疾患」のなかった状態に戻ることは困難だという認識が医療業界の中にはあります。

例えば、1型糖尿病という病気は、「免疫システムの誤作動によって血糖値を下げるインスリンを司る膵臓のβ細胞という自己細胞を攻撃する自己抗体が産生されることによって引き起こされる」と言われています。

その1型糖尿病は一度なると一生ものでインスリン注射が欠かせなくなるというのがいわゆる医療界の常識となっています。

かのバーンスタイン医師、アメリカの糖質制限推進派ドクターで自身が1型糖尿病、自らの血糖値を厳格な糖質制限と少量のインスリンでコントロールされている先生ですが、

このバーンスタイン先生でさえ、インスリンの注射からは離れられない状態でおられるわけですから、一度「自己免疫疾患に罹患すると可逆的に回復しない」という医療界の常識は説得力を増します。

けれど先ほどの「ゆらぎ」があるのだとすれば、たとえ一度自己抗体が作られたとしても、再び元の自己抗体が作られない状態に立ち戻るケースがあってもおかしくないように思えます。

ところが、私が知る限り、自己抗体が血液検査で証明される人で自己抗体の数値が変動することはあっても、自己抗体が完全に消失したという方を見たことがありません。

それは1型糖尿病の話に限りません。他の自己免疫疾患および自己免疫的機序が発症に関わっているとされる病気、例えば関節リウマチとか全身性エリテマトーデスとか、バセドウ病(甲状腺機能亢進症)なども基本的に一度出来た自己抗体が消える場面は見受けられません。

その事は、まるで壊れた機械のように、一度入ってしまったスイッチは元に戻らないというイメージを私に与えます。抗体を語る時によく出て来る「免疫の記憶」というキーワードもパソコンのメモリのような印象を与えます。

結果、「ゆらぎ」を理解しているはずの私でさえ「機械論」的なイメージに押されて負けそうになります。

でも先ほど私は、「ゆらぎ」の消失には心理的要因が関わっていると書きました。それが正しければ、「自己免疫疾患が可逆的に回復しない」としか思えない現実は、その強固な疾患イメージが心理にもたらす非柔軟性、言い換えれば「自己免疫疾患から完全に回復できるとは誰も思えない状況」によって回復しない実情が生み出されているという可能性があります。

「治らない」という固定観念を捨てて、少なくとも心理的には常識というひとつの価値観にさいなまれ続けるような状況から脱することができ、心の柔軟性を大きくすることができれば、

あるいは医療者としてそれを支援するような関わりをすることができるようになれば、「治らないという常識」を覆す現実を呼び寄せることができるという可能性を諦めたくはありません。

ですが、その常識の覆しを実現するためには、そのような状況におかれた患者さんが心理的要因の調整、すなわちストレスマネジメントに積極的に取り組んでもらうこと、それが何よりも重要になってきます。そもそもその気持ちがなければ、いくら周りがそれを支援しようにも、その支援を活かすことができません。

だからこそ、ここでも患者さん自身が心を変える「主体性」が治るかどうかの鍵を握ってくるわけです。

あるいはこどもの場合は心よりも、そもそも固定観念にとらわれている割合が少ないでしょうから、どちらかと言えば身体を中心に整える必要性があると思いますが、それさえ「主体性」がなければ実行は難しいと思います。

とは言え、「主体性」さえ持っていれば、すべてが解決されるほど「自己免疫疾患」は甘くないとも思っています。

頭に浮かぶのは、先述のバーンスタイン医師のことです。あくまでも私の知る限りですが、バーンスタイン先生の糖質制限食の実践ぶりは徹底しています。バーンスタイン先生の心の内は知る由もありませんが、少なくとも身体の管理はこれ以上ないほどになさっていると言えると思います。

そうにも関わらず、インスリンを離脱する状況にはいたっていないという確固たる事実があるので、少なくとも身体要因のコントロールだけでは超えられない壁の高さがあるということです。

ただおそらくですが、1型糖尿病でいくら身体を整えてもインスリン分泌能が回復しない背景には、β細胞が一度死滅したら生き返らないという事実が関与しているものと思われます。

一方でβ細胞が少しでも生き残っていれば、β細胞には増殖できるという事実が観察されているので、β細胞が破壊される状況さえなくなればインスリン分泌能は回復しうるという見通しが立ってきます。

なので、バーンスタイン先生の場合はおそらくβ細胞の数が完全にゼロになるフェーズを経験されたと考えるのが妥当です。逆に言えば、すべての1型糖尿病患者さんでβ細胞の数がゼロになっているとは限りませんので、すべての人でβ細胞の再生を諦める必要はないということになりますし、

一方でβ細胞がゼロになっているという場合は、インスリン治療を受け続けるという覚悟を決める必要が出て来るということになってきます。

この考え方を他の自己免疫疾患の場合にも当てはめています。病態が可逆的であるかどうかは、自己抗体の有無によって決まるのではなく、自己抗体によって攻撃される対象組織が可逆的に回復しうる状況か否かということで決まると言えるのではないかと思います。

さらに言えば、自己抗体が存在しても必ずしも対象とする自己組織が攻撃されないこともあります。以前私は全身性エリテマトーデスという自己免疫疾患の時に、全員ではないけれど観察される「抗核抗体」という項目が1280倍(健常人は40倍未満)という強陽性で観察されているけれど、なんら症状の出ていないという人の診療に携わっていたことがあります。

このことは「自己抗体があること」イコール「自己組織が攻撃されること」ではないという事実を示しています。そうなるとあとは自己抗体があっても自己組織を攻撃しないで済む環境をいかに人為的に作り出すかという話になってきます。

そのためには「何が自己を他者だと認識させているのか」について考える必要がありますが、これについて私が過去に行った考察では、「慢性持続性ストレス」がそうさせるという結論に至っています。

従って、まずは①治らないという病気の枠組みを外すこと、その上で②病気のことを意識せずとも心を整えていく作業を繰り返すこと

さらには③知らず知らずのうちに身体に与える慢性持続性ストレスの原因となる身体要因をできるだけ取りのぞくことになるでしょう。

大人ではその基本が糖質制限+ストレスマネジメントになるでしょうし、こどもでは多くの場合、基本が緩やかな糖質制限+愛情マネジメントになってくることでしょう。

その治療方針に主体的に取り組むことができれば、従来の医学常識に反して「自己免疫疾患」を可逆的に回復させるという結果を手に入れることは決して不可能ではないと私は信じます。

この治療方針で取り組んでみたいという方は、是非私のクリニックへご相談頂ければと思います。


たがしゅう
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コメント

抗核抗体の別解釈

2022/10/05(水) 21:47:02 | URL | vincero #z1uogJ6Q
 初めてコメントいたします。ここ1-2か月ブログ記事を拝読させていただいています。
 がん医療の「上に凸問題」の一連の記事拝読いたしました。予備知識なしを前提として分りや易い解説ありがとうございます。同記事からリンクが張られていたので、本記事に到達しました。。

 病にはゆらぎの部分があり、ストレス対応の良否が大きく影響するという趣旨かと理解しました。「病は気から」の現代風な解釈かなと位置付けました。
 他方、本記事の「自己免疫疾患」「抗核抗体」には個人的に違和感があります。なので、別解釈の紹介を紹介したい、と何故か思いつきました。本記事は少し古いものですし長くなるので、興味がないようでしたら、読み捨て扱いでかまいません。以下は、個人的には「風邪は万病の元」の現代風な解釈の一つかなと思っております。

 小生、既存の健康法に横串を刺して新たな健康法を考察中で(新健康法では、糖質制限は当然に入ります)、今は西原克成氏の考え方がマイブームになっております。
 西原氏の理論では、免疫病・難病の多くは常在の共生体(腸内の細菌・ウイルスなど)によるものと見立て治療方針を立て、(著作を読む限り)一定の成果を出している模様です。自己・非自己の免疫学は、臓器移植や輸血以外ではナンセンスに近いとしています。あとは、読みやすいよう書きやすいように箇条書きにさせていただきます:


〔西原流の常在共生体病因論〕
・常在共生体(腸内の細菌・ウイルスなど)と宿主免疫系とは日々壮絶な闘いをしているのが実際にふさわしいイメージだろう。このため宿主の免疫力が低下した場合には問題が起きやすい。共生体には免疫寛容が働くので、病原体とは別に考える必要がある。
・昔から言われている「風邪は万病の元」の万病とは?
・西原説では、「常在共生体病」と解することとなる。つまり「万病」は、常在共生体が身体内部に侵入して異所で増殖したことが原因であり、その部位の細胞内でミトコンドリア活動障害が生じエネルギー(ATP)不足となったものが多い(西原説を超手短に勝手にまとめたもの。いわゆる「日和見感染」「病巣感染」に近い概念だが「感染」の定義があいまいなので・・・)のだろうと考える。
・風邪を引くのは免疫系防御低下の現れであり異所増殖が増え、風邪をこじらせて異所で共生体が定着すると万病が出現する方向へ。
・西原氏によれば、上記の見立てで免疫病・難病を治療すると(その内容の多くは健康法的だが)完治したり軽快したりすることが少なくない。

〔自己免疫疾患への疑問〕
・他方小生の理解では、用語「自己免疫疾患」の示す病気の範囲は、検査分析の技術力依存性があり、低技術では範囲が広がるという問題がある(山勘だと、そもそも自己免疫異常があれば出生できないのでは? ステロイドなどの免疫抑制剤による対症療法を多用する言い訳概念のようにもみえる)。
・疾患の例は関節リウマチ。PCR技術の開発などにより上述の常在共生体病因論のイメージと合い出している。それは、歯周病菌(P.ジンジバリス菌)の関節靭帯(歯以外。歯根膜は靭帯組織)付近での増殖で、同菌の内毒素で人体たんぱく質が変性し(アルギニンのシトルリン化)免疫系がこの部分を攻撃という構図。
・かなり実証された上記の構図が関節リウマチだとすると、既存の標準治療が陳腐化するパラダイム・シフトが起こりそうで、関係学会からは無視されそう。

〔抗核抗体とは?〕
・西原氏によれば、抗核抗体ができるのは細胞内の核酸に異常が生じているため、と考えるのが最も素直だろう。
・細胞内の核酸に何故異常が生じるのかについては、核酸を持った小さいものが細胞内で共生している、と考えるのが最も単純であろう。何かの拍子に本来別物の核酸同士が混ざり合い「キメラ細胞核」ができるのだろう(今の技術力では違いが少なすぎて、キメラ核と正常核との区別ができないだろう)。
・キメラ核を持つ細胞を異物として攻撃するのが抗核抗体の役割であろう(この点から、キメラ核を持つ細胞がなくなれば攻撃終了となるし、共生体の侵入を従来より難しくしてやらないと抗核抗体は減りそうもない、と言えるだろう)。 
以上

Re: 抗核抗体の別解釈

2022/10/06(木) 09:57:15 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
vincero さん

 コメント頂き有難うございます。

>  病にはゆらぎの部分があり、ストレス対応の良否が大きく影響するという趣旨かと理解しました。「病は気から」の現代風な解釈かなと位置付けました。

 そうですね。人が何をどう認識し、どう考えるかが身体の反応と密接に関わっているという考え方ですので、「病は気から」という言葉がこれを包含していると考えられると思います。

>  他方、本記事の「自己免疫疾患」「抗核抗体」には個人的に違和感があります。なので、別解釈の紹介を紹介したい、と何故か思いつきました。

 貴重なご意見を頂き有難うございます。
 一つの考え方ではあると思いますが、私の解釈との違いを私なりに整理させて頂きたいと思います。

>常在共生体(腸内の細菌・ウイルスなど)と宿主免疫系とは日々壮絶な闘いをしている
>宿主の免疫力が低下した場合には問題が起きやすい。
>共生体には免疫寛容が働くので、病原体とは別に考える必要がある。


 私は共生体と病原体は連続性があると考えていて、明確に区別できるものではないと考えています。
 例えば肺炎を起こすことで有名な肺炎球菌は乳幼児の喉に20-50%常在していますが、免疫低下状態の成人や高齢者には肺炎の起炎菌として振る舞います。
 また重症ウイルス感染症として知られるエボラ出血熱(エボラウイルス病)ではウイルスの無症状感染者がいることが知られています。どの程度の割合、無症状感染者がいるのかは未調査だと思いますが、コロナのように世界的にPCR検査が実施されたらひょっとしたら大量の無症状感染者が発掘されるかもしれません。
 その真偽はさておいたとしても、これらの情報から「ある人にとっての病原体が別の人にとって共生体となることがあり得る」ということは少なくとも言えると思います。

 2021年3月5日(金)の本ブログ記事
 「『致死率90%』という数字が算出される理由」
 https://tagashuu.jp/blog-entry-1887.html
 もご参照下さい。

 次に「共生体と日々闘っている」に関してですが、共生体と(免疫寛容を示しながら)うまく闘っている結果、病原体が寄り付く隙がないため健康的な状態を保てていると、だから宿主の闘う能力が下がる免疫低下の状態になると、病原体が入り込んできてしまうという理解で合っていますでしょうか。

 ところがそう仮定すると、一つ気になることがあります。人体が異物と闘うためのシステムを発動して起こる現象として「炎症」があると思います。免疫が低下した人でどんなことが起こっているかと言いますと、激しい炎症が起こっています。となると、免疫が低下した人は闘う力が低下したと言いながらも激しく闘うような状態を示しているという矛盾があります。むしろ闘いすぎて自分を破滅に導いているようにさえ思えます。こうしたことから私はいわゆる免疫低下状態というのは、闘う力が衰えているわけではなく、発炎反応と終炎反応のバランスが崩れた状態だと捉え直しました。つまりこの宿主の「発炎反応>>終炎反応」というバランスの崩れた状態が、普段は自己的に取り扱われていた共生菌や共生ウイルスの一部を敵(非自己)と認識したり、さらには自己組織でさえも「非自己」だと認識し始める事態に発展してしまうことがあり、これが「自己免疫疾患」と呼ばれる状態として認識されるのではないかという仮説です。ちなみに発炎反応と終炎反応というのは私の造語ですが、発炎反応のトリガーは交感神経や炎症性サイトカイン、終炎反応のトリガーは副交感神経やステロイド(コルチゾール)と考えられます。そう考えれば、アレルギーや自己免疫疾患にステロイドが効く事実と矛盾しません。

 2020年4月19日(日)の本ブログ記事
 「免疫力の本質とは」
 https://tagashuu.jp/blog-entry-1746.html
 もご参照下さい。

>関節リウマチ
>歯周病菌(P.ジンジバリス菌)の関節靭帯(歯以外。歯根膜は靭帯組織)付近での増殖で、同菌の内毒素で人体たんぱく質が変性し(アルギニンのシトルリン化)免疫系がこの部分を攻撃という構図。


 この構図に対して私の認識は歯周病菌という病原体が病気の原因ではなく、歯周病菌を攻撃し過ぎるようにさせている「発炎反応>>終炎反応」というバランスの乱れ(偏り)が病気を作る本丸だという理解です。歯周病菌の排除でも表面上は整うかもしれませんが、「発炎反応>>終炎反応」が残っている限り、またどこを攻撃し過ぎたとしても全く不思議ではありません。

 であれば本当に対処すべきは、「発炎反応>>終炎反応」を作り出している状況を解除すること、具体的には糖質過剰摂取とストレス過剰に対処するということ、すなわち糖質制限とストレスマネジメントだということです。

>抗核抗体ができるのは細胞内の核酸に異常が生じているため、と考えるのが最も素直だろう。

 上記を踏まえますと、私は抗核抗体ができる理由は、「宿主が何らかの理由で細胞が崩壊して核とリンパ球が直接接触する機会が生まれ、その宿主の免疫が『発炎反応>>終炎反応』であることで本来自己組織であるはずの核を敵(攻撃対象)だと認識するようになったから」だと思います。つまり細胞内の核酸に異常ができたのではなく、「異常ではないものを『異常だ』と認識するようになってしまったから」ということです。もちろん細胞内の核酸に正常とは異なる構造物は実際にできているかもしれませんが、先ほどの歯周病菌と同様で、本丸はこれを異常と見みなして攻撃し過ぎる宿主の「発炎反応>>終炎反応」の状態だと私は考えます。
 ただ本文中で紹介しましたように、抗核抗体が強陽性であっても症状が表面化していない(少なくとも本人が困るレベルには至っていない)ことがある事実を踏まえますと、抗核抗体が存在することイコール発症というわけではないことがわかります。これは核が基本的に細胞内にあり、抗体が直接認識しにくいという事情も関係しているのかもしれません。ただ抗核抗体を作り出す状況そのものが宿主が「発炎反応>>終炎反応」の状態にあることを示していますので、身体の中で他の自己組織がいつどこで攻撃されても不思議ではない状態だとは言えると思います。

 少しでも参考になれば幸いです。

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