「不条理」:小川仁志先生のオンライン哲学カフェ参加の御報告
2021/09/30 18:50:00 |
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先日も小川仁志先生のオンライン哲学カフェに参加して参りました。
今回のテーマは「不条理とは何か?」でした。このコロナ時代に不条理だと感じることが多いから選ばれたのでしょうか。
「どんな時に不条理だと感じるか?」という質問から始まりましたが、正直、日常生活を送っていてあまり「不条理だな」と感じる場面が思いつきません。
「不条理な世の中だ」とか「人生は不条理だ」など、不条理で例文を作ってみると、その対象は一個人の力ではどうしようもない、何か大きなものとなっているように思えます。
また似たような言葉に「不合理」「理不尽」があります。こちらは「上司に理不尽に仕事を押しつけられた」とか、「そのような理由で非難されるのは不合理だ」など、対象はもう少し小さくて何とか対処可能な感じがする相手となる傾向があります。
対して「不条理」の対象は、災害や事故、難病といった必然性を感じにくく、かつ対処のしようがないものが相手になっているような気がします。
そのように「不条理」という言葉のイメージを確認しながら、話は「どうすれば不条理を克服することができるのか?」という話題に移っていきます。 急に身近な人が事故で亡くなるとか、災害で一瞬で家を失うなどの事態に遭遇してしまった時、それを理屈で受け止めるのはなかなか至難の業だと思います。神も仏もいやしないと思っても不思議ではない状況です。
そんな「不条理」な事態に遭遇した時に、その状況をどうすれば乗り越えられるのかという話です。
哲学カフェの中では次のような意見が出ました。
①戦う
②笑い飛ばす
③引き受ける
①は事故はまだしも、災害に対しては戦いようがありませんから、どちらかと言えば「不条理」に対してではなく、「不合理」や「理不尽」に対する対処法かもしれません。
不合理な上司がいれば理詰めで主張したり、然るべき第三者に相談したり、あるいは理不尽な裁判での判決に対して法的に戦ったりするのもこのカテゴリーに入りそうです。
不条理だと感じるもので戦うとなれば、「難病」に対してだとそれがあるかもしれません。
しかしどういうわけか戦うという選択肢はしばしば不毛な結果に終わることが多い印象が私にはあります。戦いの末に勝利を勝ち取ったように思えるケースでも、後々ものすごく恨まれてまた新たな争いを生むという負の連鎖もあると思います。
「難病」とも戦ってろくなことはありません。しかも「難病」の場合は、戦う相手は実は自分自身です。戦えば戦うほど自己崩壊につながる構造を私は知っています。
②の選択肢は、黒人の人達が歴史的に長年人種差別を受けてきた文化の中で、
音楽や文化の形の中で「不条理なんか笑い飛ばして生きていこう」という雰囲気が感じられるものがある、という意見から出たものです。
確かに非常に不条理で悲しい出来事に遭遇した際に「もはや笑うしかない」という気持ちになりえることは理解できます。
一見、現実逃避にも思えるような方法ですが、何せ相手は逃避したくなっても不思議ではない理屈では到底理解できない突然の大災害や不慮の事故などです。
ある意味で自己防衛本能が働いているとも言える選択肢です。まともに受け止めたら自分が壊れてしまいかねませんから。
ただ、これもまた「難病」を笑い飛ばせば、それでいいのかと言われたら、勿論笑えるような精神状態でいられるのは好ましいことだとは思いますが、
臭いものに蓋をしていると言いますか、対症療法的と言いますか、やはり本質的には現実逃避でしかないように私には思えます。
勿論、笑い飛ばすことが悪いとは言いません。対症療法でもしていないと自己を保つことができない状況だって確かにあると思います。
ですが、「この世は不条理」という例文で表されるように、もともと全てを理屈で解釈しようとする態度に無理があって、
理屈を超越した出来事にだって存分に翻弄されうるこの世に生きている限りは、③の引き受けるというのが唯一の根本的対処になるようにも思うのです。
これは諦めにも似た敗北宣言のように聞こえるかもしれませんが、こと「難病」という不条理を前にした時に、この選択肢のとても肯定的な側面が見えてきます。
難病で戦う相手は自分自身でしたから、これを「引き受ける」ということは、自分自身をありのままに受け入れることに他なりません。
難病の場合、自分をありのままに受け入れて戦おうとしないことが、結果的に自分の持つ力を最大限に引き出した整えることのできる選択肢であると私は感じています。
そして同時にそれは天災や不慮の事故といった不条理に遭遇した時にも心にとどめておいた方がよいことのようにも思えるのです。
しかし全てを「引き受ける」でやれば丸く収まるほど、世の中は甘くないとも思っています。そのやり方は言ってみれば思考を行わない動物的な生き方です。
それでも幸せであれば結構ですが、人間として生き、人間としての幸せを追求するためには時に戦ったり、笑い飛ばしたりしないといけない場面もあるように思います。
こんな風に整理してみるのはどうでしょうか。
人生で自分の思い通りにならない、自分の価値観とはそぐわない人や出来事に遭遇した際に、人は「理不尽」「不合理」「不条理」を感じます。
その対象が自分の努力次第で何とかなりそうな相手には「理不尽」を感じ、対象への対処が難しくなるにつれてそれは「不合理」となり、最終的に人間の力では如何ともし難い相手になった時に、人は「不条理」を覚えます。
つまり「理不尽」「不合理」「不条理」はその対象がどのようなものか、どのように感じられるかによって連続的に変化するグラデーションとなっているということです。
そして「理不尽」に感じる時の基本対処方針が「①戦う」、「不合理」に感じる時の方針が「②笑い飛ばす」、「不条理」に感じる時の方針が「③引き受ける」ということです。
①は「適応する」、②は「回避する」に置き換えても成立するかもしれません。けれど最終的に、私達人間が最後の手段としてどんな相手に対しても持っておける切り札が「③引き受ける」、すなわち「ありのままを受け入れる」ということなのではないでしょうか。
翻って皆さんはコロナ禍で「理不尽」を感じますか?「不合理」を感じますか?それとも「不条理」を感じますでしょうか?
そんな感情を覚えた時にはこの考察を参考にしてもらえれば幸いです。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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不条理の受け止め方
(ここで文章を書いていて思ったのですが、頭では“不条理”について書こうと思ったものの、私は“理不尽”という言葉を選んでいる所が面白いです。)
その時、直後の私は酷く落ち込み、情緒不安定になり、何十年ぶりにまた鬱を再発するのか⁈と自分でも心配になった程です。
しかし、私は自分が置かれることになった状況へのメリットを考え始め、いまは現在の状況をいかに自分の人間としての成長に繋げることができるかを日々楽しみ、学び、実践し、結果にニヤニヤしています。
これは不条理な扱いを受けた為に起きた私の変身です。
今回のことが無かったら、私はずっと前のままの私だったかも知れません。
どんな不条理な状況になっても必ずそうできると言える程、またまだできた人間ではありませんか、「視点を変える」「受け止め方を変える」というのも一つの対処の仕方だと思います。笑い飛ばす、に似ているかも知れませんが。
因みにコロナ禍も私にとっては全く同じでした。
私にとって、このコロナ禍はありとあらゆる事が「見える化」され、今まで知らなかったことを知ることができたり、興味の無かったことに興味を持つことができたり、今まで出来なかったことができるようになったり、とあまり大きな声では言えませんがコロナ禍は私にとってメリットの方が多いです。もちろんデメリットもあり、数の多さより深刻さがあり厄介ですが…。まぁ、それも考えててもしょうがないとも思います。
【追記】不条理の受け止め方
先程の自分の書き込みが、先生の言いたいこととズレてしまっていました。反省しています。
私が今回経験したことは「理不尽」であり、だから自分でも「理不尽」という言葉をチョイスしたのですね。
不条理なことに出会う場面はあまりないのかも知れませんが、今回の自分の対処法が適用できるのか興味があります。
そしてコロナ禍は私にとっては「不合理」だと思います。
的外れな書き込み失礼しました。
Re: 【追記】不条理の受け止め方
コメントを頂き有難うございます。
私の記事を読んで、「不条理」「理不尽」について考えてもらえて大変有り難いです。
今回私が提案した「理不尽」に対して用いる「戦う」という選択肢と、
アヤコさんが提示された「視点を変える(受け止め方を変える)」というのは、
本質的には「適応する」という選択肢に集約されるように感じています。
ただ「適応する」ために整えようとしている対象が外側に存在するか、内側に存在するかが違っています。
もっと言えば、一見自分の外にあると思えるものを、実は「自分の中にあるものである」という受け止め方をすることで、
「戦う」という行動における「視点を変える」にも通じる「整える」という共通項があるということも見えてくるように思います。
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