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思い込みの強さとそれを変えることができるかどうか

category - 素朴な疑問
2021/ 08/ 16
                 
医師・黒丸尊治先生の「患者の思い込みを認めて自己治癒力を引き出すアプローチ」は、

確かに患者さんの中で現代医療の価値観の中では信じられないほどの素晴らしい回復力をもたらしてくれる実例があるということがわかりました。

ただ一方で前回記事で、患者個人の誤った価値観、少なくとも自分から見て適切であるとは思えない価値観を認めることは、本人の治癒力は引き出せるものの、社会全体に歪みをもたらす可能性について考えてきました。

そこで患者の歪んだ価値観のまま引き出すべきか、それとも歪んだ価値観はやはり是正して患者の回復をあきらめるべきかという選択をどうするかという問題について、私は「患者自身が決められるように主体性を促す」という考えを弁証法で導きました。

ただこれは、結局患者自身が歪んだように見える認識を是正する方向に思考を変えることができなければ、

ものすごい回復力を発揮できたのと同様に、ものすごい不回復力を発揮してしまう結果にもつながってしまいかねないのかもしれません。

というのも、先日こんなパーキンソン病の患者さんに出会いました(内容は事実に基づいたフィクションです)。
            

高齢の女性患者さんでした。パーキンソン病と診断されて5,6年といったところです。

ひょんなことから施設に入ることとなって、それをきっかけに主治医変更で治療を私が引き継ぐことになりました。

引き継いだ時点でかなり大量の抗パーキンソン病をはじめとしたお薬が常用薬となっている状況でした。

性格はかなり神経質な印象の方で、その患者さんと診察で合う度に「病気がどんどん悪くなってしまいます。先生、どうしたらいいんでしょうか?」と尋ねられます。

おそらくこれまでもその調子で担当医に投げかけて、その度に対症療法の薬が追加となってここまでの多剤内服状態(ポリファーマシー)に至ったのであろうことが推察されました。

実際に病気が悪くなっているかどうかは微妙なところがありました。少なくとも歩く姿は傍から見ると前と比べて変わっている様子はなくとも、「歩くのが前より大変になりました」と言われます。

また「痛みもどんどん悪くなっていきます」ということもしばしば言われます。痛みは主観的な症状の代表格であり、現代医学が進んだと言えど、痛みの程度を客観的に把握する方法はいまだにありません。従って、本人が「どんどん悪くなっている」と解釈すればそれを客観的には誰も否定することはできません。

その一方で患者さんは医師の診察を受けることを、毎回ものすごく心待ちにされている部分がありました。「次はいつですか?2週間後ですか?とても待ち遠しいですねぇ・・・」というやり取りも診察終了後の定番となっています。

そんな感じで私はこの患者さんには「自分は原因不明の病によって苦しめられ続けていて、先生(医師)に何とか助けてもらいたい」という価値観に強固に存在している印象を持ちました。これは多くの難病患者さんに共通する構造であるように思います。

そしてこの患者さんはまだコミュニケーションが十分に取れる方なのでまだいいですが、パーキンソン病の患者さんには無動・無表情で車椅子生活や寝たきりとなっている方も多く、まともなコミュニケーションがとれなくなってしまえば、そこから何を話しかけようとこの強固な思い込みが本人の中にとどまり続けて、もはや軌道修正のしようがないという構造も多くあるように思います。

そんな中で今回の女性患者さんはまだ軌道修正の余地があると思って、私はいろいろな話を語りかけてみます。

たがしゅう(以下、T)「〇〇さんは、どうしてこの病気になっていると思いますか?」
患者さん(以下、K)「うーん、老化のせいでしょうかね?」
T「それは確かに一理あると思います。老化は誰しも避けられませんよね。」
K「でも周りの人(同施設内にいるパーキンソン病患者)を見ると、やっぱり自分の状態は悪い気がします」
T「そもそも病気の症状って何で出ていると思いますか?」
K「わかりません。先生、教えてください」
T「私は身体からのメッセージだと思っています。例えば痛みが出るということは、身体が『今痛みがある部分に負担がかかっているから休んでほしいよ』と言っているサインです。」
K「・・・・・・・・・」
T「歩きにくいこともそうです。健康な人でも高い場所に立てば足がすくみますが、それは身体が危険を知らせるサインを送っているように思うんです。」
K「でも苦しいんです。先生、何とかしてもらえませんか?」
T「身体からのメッセージを踏まえますと、そういう症状が出る時は身体を休めたり、深呼吸して神経を整えたりするのがいいと思いますよ」
K「深呼吸はよくやっています。でも痛みがとにかく辛いんです。先生、どうすればいいでしょうか?」
T「とりあえず今すでに飲んでいる痛み止めを使いながら、痛みが強い時には無理せず身体を休めるというのはどうでしょうか?」

私は患者さんの「病気(症状)は自分を苦しめるもの」という価値観から「病気(症状)は適性な方向に自分を導く身体からのメッセージ」という新しい価値観を与えようと自分なりにやりとりを試みましたが、結果的には何も変わりませんでした。

かといって、冒頭の「患者の価値観を認める」ということをそのまま実行すれば、患者の言われるがままに医者が病気を治すという価値観のもとに症状を和らげる対症療法薬をどんどん処方していくことになりますが、それはこれまでの医師によってさんざん試されているわけで、その先に病気がよくなるという未来が来るようには到底思えません。

この患者さんは自分で考える病気の原因を「老化」と表現されましたが、この言葉の解釈も「誰にでもある自然な現象」ではなく、「自分では如何ともし難い現象」と捉えている節がうかがえます。

そうすると「患者の価値観を認める」とするならば、「自分で何かをしようとする必要はない、すべてまな板の鯉の気持ちで私に任せておけばいい」というメッセージを送ることになるのでしょうか。

確かにそんなことを言えば、患者さんはすごく喜びそうには思います。ですが、それで症状がよくなった場合はまだしも、よくならなかった時には私はとんでもない嘘つきになってしまうのでかなりのリスクを背負うことになります。それに薬もどんどん増えていき、複雑怪奇な薬の相互作用で病態はこじれにこじれてしまうだろうとも思ってしまいます。

以前、この患者さんに「薬は少なければ少ないほど身体によい」という価値観を提示して減薬を非常に慎重に試みたことがありましたが、その時はほんの少しだけ薬を減らした状態であるにも関わらず、「すごく調子が悪くなりました」という言葉が返ってきたので、慌てて元の薬の量に戻したという経緯がありました。「医師から薬を処方される」という経験はこの患者さんにとってとてつもなく大きな安心をもたらしていることがうかがえます。


そんな患者さんの診療経験を通じて、私は一つ感じたことがあります。

それは「これは絶対にこうだと思い込む力はものすごい自己治癒力を引き出すこともあれば、とてつもない自己阻害力につながってしまうこともある」のだということです。

つまり思い込みにはベクトル(向きと強さ)があり、思い込みの方向が治癒の方に向かっていれば思い込みを認めることが回復につながり、思い込みの方向が悪化の方に向かっていれば思い込みを認めると悪化につながってしまうという構造があるということです。

「バスガイドのせいでめまいが出た」と思い込む高齢女性のケースでは、「バスガイドがめまいの原因」という思い込みが認められることで自己治癒力が発揮されたので、この思い込みは結果的に治癒の方へ向いていたことになります。

しかし今回の高齢女性の「如何ともし難い病気に対し医者に救ってもらうべき」という思い込みは、認めても認めても実際の症状改善につながっていないことから、結果的にこの思い込みは治癒の方向に向いていないということになります。

というよりも「バスガイドのせいでめまいが出た」と「病気は医者に救ってもらうべき」という思い込みの最大の違いは、「私」の意思が存在しているかどうか、ではないかとも思います。

「バスガイドのせいでめまいが出たと私は思う」には「私」の意思が存在していますが、

「病気は医者に救ってもらうべきだと私は思う」には「私はどうしたいか」という気持ちが存在していないのです。

言い換えれば「誰かに問題を解決してもらう」という思考では、たとえ思い込みを認められたところで治癒力は働かないのかもしれません。

もう一つ気がついたのは、今回の高齢女性患者さんの発言には「でも」という言葉が多いということです。

私はあの手この手で相手の価値観にゆさぶりをかけようとしています。しかしそれに対して患者さんは「でも」でしばしば応酬されています。

それは「あなたの価値観は受け入れられません」という意思表示であり、そこに対して自分の意思があることが関わっていそうなものですが、

新しい価値観の受け入れを拒否する本人の価値観の中身をよくよく眺めてみても、実はそこに本人の意思というものは存在していなくって、強いて言えば「誰かに自分の問題を解決してほしい」という任せる気持ちがあるだけです。

そんな時には思い込みを認めることで自己疎外力が発揮されてしまうのではないでしょうか。

逆に言えば、「自分はこうしたい」という強い意志が存在している時に自分の身体は何とかしようという意思が働くのかもしれませんが、

末期がんサバイバーの刀根健さんの経験は「がんを治したい」と思えば思うほど治らなくて、「明け渡し(サレンダー)」の気持ちになった時に一気にがんが治っていくという話もありました。

ここには主体的に「がんを治したい」と強く願う気持ちがあったわけですから、単に「自分はこうしたい」という気持ちがあることだけでは自己治癒力は発動しないということがわかります。

ではどんな気持ちや思い込みであれば、それが認められることによって自己治癒力が働く結果に至るのでしょうか

正直言って、まだこれといった確信には至っておりません。もしかしたら、そこに自分の意思というものが必要不可欠でさえないかもしれない。

ただ、思いがフワっと変わる時、自己治癒力が大きく発動されている共通点があるようにも思います。

どんな時に思いがフワッと変わるのか、どうすればフワッと変わりやすい状況を作ることができるのか、

そこに私が目指す主体的医療の価値を最大限に活かす大きな鍵が眠っているように思えます。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

No title
安心や大丈夫といった気持ちではないでしょうか。
No title
先程コメントした者です。
たがしゅう先生のTweet、ブログは毎日見させてもらっております。
自宅療養の動画とても安心できました。
その安心という気持ちが体を元気にするのではないでしょうか。
医者に頼る患者さん達も安心を与えてほしいのですよね。きっと。
安心すると人は希望が生まれるのではないかと思います。

オンライン診療の件なのですが
あのシステムは高齢の方には難しいのではないでしょうか。
遠く離れた母がいます。なにかあって病院に診てもらえない場合
たがしゅう先生に診てもらいたいと思いますがわたしが側にいって操作しないと無理かもしれません。
ラインカメラ通話?なら母でも操作できるかも?と思います。

うまくまとまらずすみません。
これからもTweet・ブログと楽しみにしております。
Re: No title
>安心や大丈夫といった気持ちではないでしょうか。

 確かに自己治癒力が発動された人達の中にはそういう気持ちが生まれていても不思議ではないように思います。

 ただ、それだと病院で専門の医師に診てもらうことで安心や大丈夫と感じる多くの人達が時間をかけて悪くなっていくことと矛盾があるように思います。安心や大丈夫だけではまだ十分ではないし、「任せているから大丈夫」なのと「自分はどうあっても大丈夫」と思うのとでは本質が異なっているようにも思えます。
Re: No title
はな さん

 コメント頂き有難うございます。

> オンライン診療の件なのですが
> あのシステムは高齢の方には難しいのではないでしょうか。
> 遠く離れた母がいます。なにかあって病院に診てもらえない場合
> たがしゅう先生に診てもらいたいと思いますがわたしが側にいって操作しないと無理かもしれません。
> ラインカメラ通話?なら母でも操作できるかも?と思います。


 貴重なご意見を頂き有難うございます。
 
 LINEについては個人情報漏洩の問題もあり、導入を見合わせております。
 現在利用しているオンライン診療支援アプリ「クロン」も有益な部分がございます。
 こちらがハードルを下げる作業も大事ですが、「先生にお任せ」ではなく、患者さん側の歩み寄りもなければうまくいかない世界です。よろしければオンライン診療の世界も少しずつでも学んで頂けると有り難く存じます。
No title
返信有難うございます。

きっかけは医者から与えられた安心としてもそこから自分自身できちんと「大丈夫」と思えるようになれたらいいですよね。
医者にお任せという意味ではなく。

オンライン診療のアプリの勉強もします。

色々と言葉足らずですみません。