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痛みを主体的に治療するために必要なこと

category - 主体的医療
2021/ 07/ 30
                 
主体的医療は「病気とは自分自身である」という理念に基づき、

病める患者自身が主導権を持って病気からの回復に取り組む医療そのもの、またはそれを支援するシステムのことを指します。

主体的医療において医療者は「相談役」の役割です。患者へ自分が最善と考える方法を提案し、その方法を採用するかどうか(全面的か部分的かも含め)は常に患者に主導権がもたらされています。

しかし現代の医療環境でそれを実践しようとすると、「相談役」の医療者は十中八九、「受動的医療」の価値観に固定されていることがほとんどになります。

一言で言えば、「病気の原因を患者の外に求める価値観」です。

例えば、がんであれば「遺伝子異常が原因だから切除した方がよい」という価値観を勧められたり、

リウマチであれば「原因不明だけれど良い薬があるので、これを使い続けた方がよい」という価値観を勧められたり、

しかも現代医療の価値観は情報共有システムの発展もあいまって均一化されていますので、全国のどこに病院・医療者に相談してもまず同じようなアドバイスを受けることになります。

これでは主体的医療を実践しようにも、結局、医療者に相談した時点で受動的医療のレールに乗せられることになってしまいます。

そうならないようにするために、今回は主体的医療を実践するために必要な基本的情報について整理したいと思います。
            

まずは大前提として「病名」という概念に縛られないことです。「病名」に縛られると、「専門家に任せるしかない」という思考停止に陥りやすいからです。

その上で、「すべての症状は、何かしらの適応反応だ」と考えるところから始めましょう。

例えば、痛みであれば疼痛部位への負担や危険を知らせる信号、吐き気であれば消化管の状態が万全でないことを知らせるメッセージ、身体がこわばるということは筋肉の緊張が引き起こされやすい過敏な状態に陥っていることを教えてくれている、といった具合です。

その上で、ではなぜその適応反応である症状が引き起こされているのかということを自分なりに考えてみます。

例えば「その痛みはリウマチのせいである」と言われてしまえば、「リウマチ専門医に任せよう」という発想になってしまうかもしれませんが、

リウマチはさておき、その痛みの原因は「炎症」にあるということがわかれば患者自身にも考える余地があります。

「炎症」であるかどうかは「炎症の4兆」というものを知っていれば判断可能です。「炎症の4兆」とは「痛み」「腫れ」「熱感」「赤み」のことです。

つまり、からだのどこかが痛い時、その痛い場所を触ってみて、「熱くていつもより腫れて赤くなっている」場合には、そこに「炎症」というものが起こっている可能性を示唆します。

勿論、痛い場所は必ずしも触れるとは限りませんので、4兆が確認できないからといって炎症ではないとは限りませんのでご注意ください。

ですが、4兆が確認できるのであればその痛みには「炎症」が関わっていると考えていいでしょう。

「炎症」というのは主に異物除去システムとして働いている場合と、何らかの原因で損傷した部位の組織修復システムとして働いている場合とがあります。

要するに痛みがあって、それに「炎症」が関わっている場合は、「あぁ、今何か異物か故障かのどちらかがあって、それを解決しようと身体が頑張っているのだな」という認識を持つことです。ここはシンプルですがまず重要です。

なぜならば、何も知らなければ普通の人はどこかが強く痛んでいるとこう思うと思います。「なんだこの痛みは・・・?何か悪いことでも起こっているんじゃないのか・・・?早く先生に診てもらった方がよさそうだ」。

そう思うのはある意味で自然な流れではあるのですが、それというのは「病気は自分自身である」という考えが定着していないが故に生まれてしまう流れだと思います。

「捉え方を変えようが痛いものは痛いのだから、別にどちらでもいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、どちらのスタンスで受け止めるかによって痛みの経過や対処法が実際に変わってくるので、ここはどちらでもよいわけではありません。

なぜ痛みの経過が変わるかと言いますと、「炎症」にはストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールが深く関わっているからです。

痛みがあることもストレスなので、その時点である程度コルチゾールの分泌が刺激されている状況ではありますが、

本来であれば必要十分量のコルチゾールが出ていれば、痛みは自然のシステムの流れに沿って異物除去もしくは組織修復に併せて次第に収まっていく経過をたどるはずです。

ところが「何なんだこの痛みは・・・?」などと痛みに対して生物学的なストレスに加えて精神的なストレスが上乗せされることになります。つまりコルチゾールが要求される以上に分泌が刺激されてしまうということです。

コルチゾールは炎症を抑えるホルモンです。必要以上に分泌されたら炎症がより強力に抑えられるのだからいいじゃないかと思われるかもしれません。

しかし必要以上にコルチゾールを分泌させる行為には大きく2つ負の側面があります。

一つは「異物除去や組織修復が不十分になる可能性があること」、もう一つは「何度もそれを繰り返すとコルチゾール分泌細胞が疲弊し、自力でコルチゾールを分泌する能力が衰えていく」ということです。

後者はコルチゾール分泌細胞が過剰適応から消耗疲弊への流れを踏むと言い換えてもいいかもしれません。

つまりコルチゾールの分泌過多は確かに痛みをとることには寄与するけれど、今解決する必要があった問題(異物除去や組織修復)を先延ばしにしたり、後々厄介な問題に直面する(自力でコルチゾールが分泌できない)ことにつながりうるということです。

だから痛みに対して「正当な適応反応が起こっている」という風にまず認識することは、「炎症」を抑えるコルチゾールを適性分泌させるための基本条件だということになります。

ちなみに市中病院でよく痛みに対して行われる「痛み止めを処方する」という行為も、痛み止めの多くは炎症を抑える「抗炎症薬」ですので、上記の流れを人為的に推進する行為となります。

ただそれでも人為的にでも炎症を抑えた方がよい場面があると思います。それは「痛み」が強すぎて冷静に考えることが困難になっている状況です。

たとえ負の遺産を先送りにしたとしても、後々厄介な問題へと発展しうるにしても、冷静になって心を整えることができない状況なのであれば、とりあえず緊急避難的に痛み止めを使用する状況はあってもよいと私は思います。

肝心なのはその後心を整える必要性を説明するかどうか、です。多くの病院医療ではそれが行われていないのが実情だと思います。つまり痛み止めで痛みが治まればそれで終了、治まらなければ延々と痛み止めを使い続けるという構造です。

さて、痛みの多くに炎症が関わってはいるのですが、すべての痛みが炎症が原因というわけでは勿論ありません。

他には痛みを感じる筋膜や骨膜に何らかの物理的な刺激が加わっている可能性があります。

何らかの物理的な刺激の例としては、例えば膝痛がある人にレントゲン写真を撮ってみると、いわゆる「膝の軟骨がすり減っている」と表現されるような骨の変形が骨膜を刺激して膝痛の原因となっている場合があります。

この場合は、「病気の原因は外にある」という考えがしっくりと来るかもしれません。その骨の変形を治す(例えば人工関節へと置換する)ことによって症状が改善するのであれば、

原因は「骨の変形」という外部要因であり、「検査」によって「変形性膝関節症」という「病名」が診断され、その「病名」に定められた特定の治療が行われるという意味で、現代医療のレールに乗るべきではないかと思われるかもしれません。

一方で主体的医療の場合はこんな風に考えます。

まず例えば膝が痛い場合、自分で触ってみて、炎症が関わっていないと推定された場合に骨の変形を可能性として考えます。ここまででも知識がないとそうした考えに及びませんので、そういう意味で主体的医療の実践には知識が必要です。

その上で骨の変形を可能性として考えるのであれば、ここで現代医療に診察を受けるという形で「相談」をします。

そしてこの診察の主目的は、「とにかく痛みを何とかしてもらう」ではなく、自分の考えた仮説が妥当かどうかを医者とのやり取りで「確認する(相談する)」というところにある点が大きなポイントです。

レントゲンを撮ってもらい骨の変形が確認されれば、仮説の妥当性が高まりますし、確認されなければ仮説を見直すきっかけとなります。そんな風に自分にとって納得のできる痛みの原因に到達するためのツールとして医療を利用するのです。

それでもし骨の変形が確認された場合の次なる対応ですが、それで痛み止めを使うとか、人工関節に置換するという選択肢は勿論あっていいとは思いますが、まずはなぜ骨が変形したのかというところに考えを及ばせる必要があります。

①骨を変形させるような物理的な刺激を無意識下で加え続けていたのかもしれないし、あるいは②骨の耐久性を弱めるような栄養の偏り、もしくは③持続的な交感神経過緊張状態引き起こされる血管収縮によって毛細血管がつぶれて血流の行きにくい部位への血流不足がもたらされたのかもしれません。

そのような仮説を考えながら、自分の生活を振り返り最も可能性の高い原因を探り出し、①の可能性が高いのであれば物理的刺激が加わらない生活スタイルを模索、②の可能性が高いならば食事栄養摂取の見直し、③の可能性が高いのであればストレスマネジメントという形で対応策を検討します。

はっきり言いまして、①なのか、②なのか、③なのかという判断は、初めてその人にあったばかりで数分〜十分程度診察で対峙するだけの医者には到底無理です。

なぜならば、①、②、③を判断するためには、普段どういう生活を送っているのか、どんなものを食べているのか、どういう価値観を持っていて、どういう人間関係にさらされていて、普段どのようなことを感じながら生きているのかという情報が必要不可欠であるからです。

よしんばそれらの情報が得られたとしても、それを踏まえてその医者の価値観の中で「自分はこう考える」ということは提案できても、その提案が本人の価値観に沿うかどうかは何とも言えません。結局、患者本人が持っている情報の中で患者本人の価値観に照らし合わせて①、②、③を検討するのが一番効率がよいということになると思います。

ちなみに痛み止めを使うという処置は前述の通り緊急避難かつ問題の先延ばし行為ですが、人工関節置換というのも結局、それらの①〜③のような自己の中に存在しうる原因には一切触れることなく、とりあえず目の前にある痛みの原因となっている構造(骨の変形)を取りのぞく行為ですから、やはり根本的原因にアプローチしない「対症療法」です。

もしも骨の変形がない場合はどう考えるのかと言いますと、筋膜に異常がある可能性を考えます。

実はこちらの方が原因として圧倒的多数だと考えられます。「痛みで整形外科を受診し、レントゲン撮って異常がないので、とりあえず痛み止めで様子を見るというパターン」はものすごくよく見かけますが、それには実は筋膜の異常が関わっていると思われます。

筋膜の異常といっても先ほどのように骨の変形が膜を物理的に刺激しているというような理由ではありません。なにせ「画像検査しても異常がない」わけですから。

そうではなくて、筋肉の過剰緊張状態が筋膜に刺激を加えて起こっているということが考えられます。

以前、「心はなぜ腰痛を選ぶのか」という本の著者、サーノ博士が提唱した「緊張性筋炎症候群」という概念を紹介したと思います。

これは無意識下に抑圧された怒りが背景にあって、本人の知らないうちに交感神経過緊張状態が身体で引き起こされ、その結果として血管収縮に伴って毛細血管がつぶされて微小血流の行きにくい部位、特に腰において酸素欠乏に陥って痛みが引き起こされるという概念のことでした。

一方で、「fascia(ファシア)リリース」と呼ばれる治療法があります。

これは一般的に画像に異常がないとされるような痛みの部位に、エコー(超音波検査機)を当てて筋膜を含むファシアと呼ばれる膜構造の「重積(膜が分厚くなっている様子)」を示し、その部位の筋膜と筋肉の間に生理食塩水を入れて引き剥がすことによって即座に痛みを取りのぞくという治療法のことです。

ちなみにファシアとは、筋膜だけではなく腱、靭帯、皮下組織などの線維性の構造物で全身にある臓器をおおい臓器の動きを滑らかにしたり、支えたり、保護して特定の位置を保つように働きかけるシステム全体を指す言葉です。構造物でありシステムでもあるので、「筋膜」よりも広い意味を持つ言葉です。

あと関節的にfasciaを動かして重積をほぐすマッサージや、筋肉に直接鍼で刺激を加えてfasciaの重積をほぐす鍼治療も広い意味での「fasciaリリース」だと考えられています。

それはさておき、主体的医療においては、「じゃあ何でfasciaが重積するのか?」と考えます。ここで先ほどのサーノ博士の「緊張性筋炎症候群」の話とつながっています。

無意識下での持続緊張状態に伴って毛細血管がつぶれると血流が低下で酸素不足に陥った組織で代償反応としてfasciaの重積という現象が引き起こされ、結果的にそれが痛みを知覚する神経を刺激して「画像では異常がない」部位での痛みを引き起こしていると考えるとどうでしょうか。

筋肉が緊張すれば物理的に刺激されうるわけですし、組織が酸素不足に陥れば酸素を十分に取り込もうとすれば、組織が代償的に肥大する反応を起こすことは合理的でありつじつまがあうと思います。

もしそうであれば、こうした痛みに対して本当にすべきことは無意識下での持続緊張状態の解除、すなわちサーノ博士のアプローチということになると私は思います。

そしてサーノ博士のアプローチというのは一言で言えば、「抑圧された怒りに気づくこと、そしてその怒りの根源を理解してこれを許し新たな解釈を加えること」です。

これすなわち「ストレスマネジメント」ということになり、やっぱり患者本人にしか実践できないアプローチだということになります。

ちなみに「fasciaリリース」もなぜfascia重積が起こったかにアプローチしないという点で「対症療法」ということにはなりますが、個人的には比較的すぐれた「対症療法」だと考えています。

なぜならば有害な「非自己」物質を使いませんし、基本的に人体がもともと持っているシステムを改変させる要素が少ないからです。


難しい話も多かったかもしれませんが、いかがでしたでしょうか。

とりあえず「痛み」を中心に主体的医療を実践するための基本的知識を解説してきましたが、

主体的医療を実践しようというためには様々な知識が必要だということはわかっていただけたのではないでしょうか。

勿論、最初からこれだけの知識を持っている人なんてそうはいないと思います。

けれど「病院というのは、患者さんが何がきっかけで受診したとしても、こうした情報を提供し患者本人が主体的に治療が実践できるように導く場であるべきだ」というのが私の考えです。

「とりあえず痛み止めを飲んで様子をみましょう」で終わってはならないのです。それは患者さんを受動的医療のレールに乗せる行為だと私は思います。

逆に言えば、主体的医療を実践するのに必要な予備知識をあらかじめ備えておけば、

どんな症状に見舞われたとしても、あるいはどんな病気だと診断されてしまったとしても、

いつでも自分にできることを考えることができる
ようになります。すなわち主体的医療を実践しやすくなります

だから私はこれからも主体的医療を実践するために必要な医学知識を、

わかりやすく提供する活動を続けていきたいと考えています。


たがしゅう

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コメント

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No title
たがしゅう先生

 痛みについてですが、自分の体の状態を知る貴重な情報と考えるようになりました。たがしゅう先生の影響でしょうか。
 
 昨年ぎっくり腰になった際には医者に行きませんでした。立っていれば何とか動けましたが、起き上がることが非常に辛い状態でしたが、行っても痛み止めとシップを処方されるだけなので。

 で、我慢できる痛みの範囲ならば体を動かしても状況が悪化しないのではないかとの仮説を立てて、(以前頂いたコルセットは着用しましたが)痛み止めもシップもなしで、痛みを我慢できるギリギリの強度で身体を動かし続けて、4日ほどで概ね日常生活に支障が無いレベルに回復しました。
 痛みは辛いですが、逃げるだけでなく、体の状態を教えてくれる大切な情報だと前向きに活用することを考えた方が良い場合もあると思いました。
Re: No title
タヌパパ さん

 コメント頂き有難うございます。

>  我慢できる痛みの範囲ならば体を動かしても状況が悪化しないのではないかとの仮説を立てて、(以前頂いたコルセットは着用しましたが)痛み止めもシップもなしで、痛みを我慢できるギリギリの強度で身体を動かし続けて、4日ほどで概ね日常生活に支障が無いレベルに回復しました。
>  痛みは辛いですが、逃げるだけでなく、体の状態を教えてくれる大切な情報だと前向きに活用することを考えた方が良い場合もあると思いました。


 とても素晴らしい実践だと思います。

 急性腰痛症、いわゆる「ぎっくり腰」は、主体的医療の観点でみれば、「緊急避難警報」だと思います。
 つまり「このままだとマズいので直ちに今の身体の動かし方を見直してください!」ということを身体が伝えてくれているし、身体がそのように感じている状況だということです。

 なので、タヌパパさんの「我慢できる痛みの範囲ならば体を動かしても状況が悪化しない」という仮説は合理的だと私は思います。今の状況から避難してもらい、直ちに安全なところへ移動してくださいという緊急避難警報に沿った行動だと考えられるからです。

 それなのにこの緊急避難警報の意図をうまくくみ取れず、「またうるさい音なんか慣らして!」と言わんばかりに警報を覆ったり、警報を無視してそのままの生活を続けてしまうのが、いわゆる痛み止めや湿布で様子を見る行為だと思います。結果的に何の災害も発生しなければ運がいいようなものの、警報の意図が無視され続ければ次第に警報が壊れてしまう経過をたどって然るべきだと思います。
No title
たがしゅう先生

 肯定的なお返事、ありがとうございます。
 自分は夏井先生のHPから、湿潤療法を始めて、それが痛くないことから、糖質制限に入り込み、結果として花粉症が緩和したことから、ノープー生活に移行して、結果として帰宅時の靴下の臭いが薄れたことに感動して、歯磨き粉を止めたら口臭が薄れました。
 そしてこのブログから、主体性という視点を頂いたことで、上記の変人生活の裏付けを頂きました。途中では江部先生のブログにも力づけて頂きました。
 諸師のお導きに感謝するばかりです。ありがとうございます。