主体的医療と受動的医療の共存
2021/07/29 10:35:00 |
主体的医療 |
コメント:2件
少し思い直しをしてみます。
これまで私は当ブログの中で西洋医学全般に対する否定的な見解を語ってきました。
・西洋医学は根本原因にアプローチしない対症療法の連続だから、いつまで経っても病気は治らない
・西洋医学の病名はほとんどが原因不明なのに、原因がわかったような気にさせられるから、本当の原因に向き合うことへ
の妨げになってしまう
・西洋薬には急峻な薬理効果をもたらす反面、自分で調整する力を失わせる側面がある
・難病のカテゴリーに入れられてしまうと、「専門家に任せるしかない」という気持ちが生じやすくなり、ますます自分で何とかしようという気持ちを失ってしまう
ただし、これは「病気とは自分自身である」という考えを持つ私の立場からであれば見えてくる視点であって、
「病気とは複雑な原因があり医師などの専門職に扱ってもらうべき対象である」という考えを持つ人にしてみれば、西洋医学が提供している医療はよくないどころか、むしろそうした人達のニーズに最適化しているシステムであるようにも思えます。 きちんと「病名」という名の原因を追及すべく専門の医師が診察や検査を行ってくれますし、「病名」に応じた対症療法も行ってくれます。
それで治ることはないかもしれないけれど、少なくとも「専門家に任せる」という患者のニーズには見事に応えることに成功しています。
よく「まな板の上の鯉」というたとえが手術前の患者さんから聞かれますが、西洋医学が提供する医療全体が「まな板の上の鯉」状態にあると私は思っています。
自分で判断したり、自分で行動したりすることはしばしば難しい局面があります。それを代わりに誰かが判断してくれるのであれば、それはありがたいことだし、自分の気持ちも楽だと思います。
だから誰かに病気を頼りたい気持ちになるのは自然なことだし、そういう人が多数派になることは必然だろうとも思います。
一方でそうした西洋医学が明確な価値を提供しているのが救急医療の分野です。
例えば、40代男性が急性心筋梗塞で倒れたというケース。放っておけば確実に命とりですが、完全に医療に委ねて、救急病院へ搬送されて、カテーテル治療で心臓に詰まった血栓を取りのぞき一命を取り留めるという出来事は現実に医療現場で起こっている事実です。
この事実をもってして西洋医学は無価値であるという人はおそらくいないのではないでしょうか。
「病気とは自分自身である」という価値観を持ってしても、この急性心筋梗塞という事態においては任せた方がよいという場面が厳然としてありうるということになります。
逆に言えば、「病気とは自分自身である」という価値観を持つ人に急性心筋梗塞が起こるというのはどういう状況かと言いますと、「病気とは自分自身であるということがわかっていながら、自分自身の血管が詰まりつつあるという状況に気づいていなかった場合」だと思います。
そうなんです。繰り返すようですが、「自分で判断し、自分で行動することはしばしば難しい」のです。
自分の頭で考えた結果が常に自分にとって最善の方向に導くとは限りません。ある時には間違った解釈をしてしまっているかもしれないし、無意識下にストレスを受け続けていることに気づかないことだってあると思います。
そのような状況において、西洋医学の力で九死に一生を得る経験をすれば、自らの生き方を見直すきっかけにもなるかもしれませんが、「すべてを自分の中で解決する」という価値観にこだわってしまうとそのチャンスを放棄することにもつながります。
だから西洋医学が一方的に悪いという認識はよろしくなくて、
西洋医学が主として提供している「病気をどこか自分以外の別の何かに求める」という価値観の”受動的医療”と、
私が推進する「病気とは自分自身であり、自分自身の行動によってのみ治癒に導かれうる」という価値観の”主体的医療”は、
何らかの形で共存を目指すべきという考えに至ってきました。
ただ今の世の中は、明らかに受動的医療の価値観に支配されすぎです。
その様子はコロナにまつわる騒動を見ていても非常によくわかります。
なぜ感染拡大を過剰に恐れるのでしょうか。病気がコロナという自分ではない何かによってもたらされていると考えているからです。
なぜワクチンを打って安心するのでしょうか。自分ではどうしようもない何かをワクチンという科学の成果が守ってくれると信じているからです。
なぜ自分の人生を受け止めきれないのでしょうか。誰しも生への執着はあってしかるべきですし、医療であれば自分を助けてくれるかもしれないと信じて疑わないからです。
でも主体的医療の価値観があれば、コロナという非自己抗原をうまく処理できるかどうかは自分次第で自己責任なので、誰のせいにも何のせいにもしようとは思いません。
ワクチンというものが人為的な抗原接触で、過剰に免疫反応を惹起させる物質の注入だという本質がわかれば、それを自分の人生に取り入れようとは必ずしも思いませんし、
死などについては医療に相談することはあっても、助けてもらおうとは毛頭思いません。なぜならば死は人生の一部であり、他ならぬ自分自身の人生だからです。それが主体的医療の価値観です。
今、「相談」という言葉を使いましたが、私は主体的医療を人生のメインに据えるべきだと考えています。
主体的医療というのは、とりもなおさず医療に任せるのではなく、医療に「相談する」形の医療です。
「任せる」と主導権は医療に持って行かれますが、「相談する」場合の主導権は自分自身にあります。
自分でものを考えて、判断して、行動しているのではあるけれど、本当にこのままの方向性であっているのか悩ましい、そんな時に医療に「相談する」のです。
「相談する」相手によって自分にはない様々な価値観が提供されることでしょう。時には自分の価値観とそぐわないアドバイスを受けることもあるかもしれません。ただそれでも主導権さえ自分にあれば、意見をスルーすることだってできるし、一部だけ意見を取り入れることだってできます。
そうやって、常に主導権は自分に保ちながら、他人の意見や人類の叡智を参考にしつつ、自分にとって最もよい生き方に人生をカスタマイズしていく、こうした生き方を基本においていく必要があると思います。
とはいえ、相談する相手のアドバイスが本人にとってよからぬ方向に導くものであるにも関わらず、それに気づかずからだを健康からは離れた状態に導き続ける場合は、
自分の思うように生きているつもりでも、結果的に前述の急性心筋梗塞を発症してしまうことだってありうるかもしれません。
こうした自分では如何ともしがたい状況に陥った場合に、初めて受動的医療が介入すべきだと私は思います。
逆に言えば、自分で何かを選択できる要素がある限り、基本は主体的医療におくべきだということです。
しかし自分で何かを選択し続けることが辛くてできない人のためにも、受動的医療は存在している必要があります。
あるいは寝たきりとか、認知症など自分での選択の幅が限られた場面においても受動的医療は価値を提供できる可能性があります。
ただ認知症の場合は実はむきだしの主体性があるので、やっぱりここでも主体的医療を基本におくべきだと思いますし、
寝たきりのケースでも心さえ死んでなければ自分に選択できることが残っている限り、私は主体的医療を主眼におくべきと思います。
具体的に私がもしも寝たきりになったとすればどう考えるか、リアルに考えるのは難しいかもしれませんが、あくまでも「現在の立場で寝たきりを想像するとしたら」という視点で考えてみます。
多分私は自分が寝たきりに至るまでに過ごしてきた自分の生き方を振り返り、この寝たきりという事実に向き合いそれを受け入れるように試みると思います。
きれいごとはなかなか思い切れないかもしれません。それでも寝たきりという事実があるのであれば、自分がどう感じようと「そこから始めるしかありません」。
もしもまだ動かせる筋肉があるとしたら、動かしたり休んだりを繰り返してリズムを持って繰り返し使っていくと思います。
また呼吸も自由にできるのであれば、自分の呼吸をどこまで深くできるのか、これもまた実践と休息を繰り返していくでしょう。
そして残っている五感に意識を傾けるようにします。何か今までは気づかなかった世界の色に気づくことができるかもしれませんし、鍛えれば何かを打開するきっかけにもなるかもしれません。
その中で痛みや苦痛にさいなまれる場面が出たら、周りにいる誰かに相談すると思います。もしも誰もいなければそのすべてを受け入れるようにします。
誰もがそのように考えることができれば、主体的医療の芽はそうそう死なないようにも思うのです。
そして少し前のブログで書いたように、在宅での終末期医療は主体性が大事にされやすい状況があるという事実は、
主体的医療が人生の終わりにおいてさえも実践できる安心感を与えてくれますし、逆に言えば人生のどの場面においても自分次第で受動的医療のピースをひっくり返して主体的医療に変換できるという可能性を感じさせてくれます。
今回は主体的医療と受動的医療の共存について考えましたが、まとめると以下のようになります。
・誰もが主体的医療を人生の基本におくことを勧める
・主体的に生きることに困難さを感じる時には、医療に「相談する」というスタンスを持つ
・何らかの事情で主体性を放棄したい時、主体性が発揮できない時、主体性がこじれてしまった時には受動的医療がサポートする
このように位置づければ、今までの医療が積み重ねてきた経験も無駄にはならないし、
同時に新しい医療の開拓に向けての第一歩を踏み出しやすくすることができるかもしれません。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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主体的、受動的以前に
高血圧や糖尿病、癌といったほとんどの慢性疾患は糖質過剰摂取が原因の大半を占めているのに、現在の医療では肉、脂を減らしなさいというような、むしろ糖質摂取量を増やす指導をしています。これでは治るわけがありません。そのような医師に診察してもらっても要らない薬をいっぱい出されるだけで全く意味が無いなと思う今日このごろです。
Re: 主体的、受動的以前に
コメント頂き有難うございます。
> 主体的、受動的以前に、現在の医療が糖質制限を認めていないのが問題だと思います。
> 高血圧や糖尿病、癌といったほとんどの慢性疾患は糖質過剰摂取が原因の大半を占めているのに、現在の医療では肉、脂を減らしなさいというような、むしろ糖質摂取量を増やす指導をしています。これでは治るわけがありません。
御指摘の点はごもっともだと思います。
本来はどう考えても糖質制限の考え方の方がリーズナブルで、少なくとも平等な選択肢の一つとして位置づけられて然るべき糖質制限が、どこかマイノリティが行っているだけの異端の選択肢という医学界からの認識が改められないという点は私も誠に遺憾なことだと思っています。
ただ医学界がそんな理不尽なことを行っていたとしても、主体的に生きることができればその理不尽さに自ら気づいて行動変容ができるという点で主体的に生きるか、受動的に生きるかはやはり考える価値のあることだと私は思っています。例えばご存知アンパンマンの作者、やなせたかしさんも理不尽な医療の中で主体的に自分の人生を生きてきた偉人の一人だと私は思っています。
2013年10月16日(水)の本ブログ記事
「やなせたかし先生の生き方」
https://tagashuu.jp/blog-entry-58.html
もご参照ください。
逆に言えば、受動的に生きていると世の中が理不尽だとその理不尽さに容易に巻き込まれてしまうということです。今のコロナ禍でもその問題はほとんどの人が切実に直面しているのではないでしょうか。現代医療がまともであろうとろくでもないものであろうと、主体的に生きることが大切だと私は思います。
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