コロナの不安・恐怖をコントロールするコツ【後編】
2021/07/10 11:00:00 |
ストレスマネジメント |
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前回はコロナに感染する不安・恐怖を私がどのようにコントロールしているかについてお伝えしました。
今回はコロナに関する不安・恐怖の中でも、感染することそのものの不安というよりはその周辺環境、例えば「感染者」というレッテルを貼られることによる不安・恐怖や、コロナワクチンに関わる不安・恐怖について考えていきたいと思います。
具体的に考えるのは次の⑤〜⑧についてです。①〜④については前回記事をご参照下さい。
⑤万が一でもコロナにかかろうものなら、村八分状態となってしまう恐れがある
⑥万が一でもコロナにかかろうものなら、職場や家族など関係各所にあらゆる迷惑がかかる
⑦コロナワクチンは副反応が出る可能性が高く、稀に若くして死亡する場合がある
⑧コロナワクチンを受けなければ、今の仕事が継続できなくなる可能性がある(いわゆるワクチンハラスメント)
⑤⑥⑧は自分が不安というよりは、「自分を取り巻く周囲の環境が激変することへの不安」と言ったところでしょうか。
⑦は新規ワクチンに関する予測不能性が不安・恐怖の源泉になっているように思えます。やはり「わからない」というのはやはり「不安・恐怖」を考える上でポイントになっているんですね。 「わからない」が不安・恐怖の種なのであれば、わかるように情報を集めれば「不安・恐怖」は軽減されるのでしょうか。まずはこの問題から考えてみましょう。
⑦コロナワクチンは副反応が出る可能性が高く、稀に若くして死亡する場合がある
実は情報を集めれば集めるほど安心するという単純なものではありません。
なぜならば世の中には様々な立場から玉石混淆の情報がちりばめられているからです。しかも、前回お伝えしたように信頼できる公的機関からの情報であるにも関わらず、現実を反映しない乱れたデータである場合さえあります。
特にコロナワクチンに関して言えば、人類初のワクチンですから、はっきり言ってまだ誰にもわからないことが多い中で、ワクチンを積極的に普及させたい側からの情報発信や、新規性を拒む人達や反ワクチンとひとくくりで揶揄されるワクチン接種反対派の側からの情報発信が入り交じっていますから、何が真実で何が間違いなのかが非常に見極めにくい状況です。
こういう情報の真偽を見極める力のことは「リテラシー」と証されていますが、どうすれば「リテラシー」を高めることができるのでしょうか。
一般的には、情報の発信元を確認したり、事実なのか個人の意見なのかを見極めるなど、様々な方法が言われていますが、
その事実とされる統計データが歪んでいたり前提が間違っていたり(例:検査陽性者を感染者と解釈する、など)すれば、事実と思われる情報自体が事実でないということにもなってしまいますし、公的機関も間違うともなれば発信元を確認するという方法もあやういものです。
そこで私がコロナワクチンに関する情報を集める時に心がけているポイントをお伝えします。
・これまでのすべてのワクチンで起こる経験知と比較する
・統計データではなく実際の現場で起こっている事実を重視する
つまり「木を見て森を見ず」という言葉があるように、コロナワクチンについて知りたいのであればワクチン全体を知る、もっと言えば免疫学全体、ひいては病気、人間を知るという目線を持つ必要があるということと、
見かけ上の事実(ファクト)と、実質的な事実を明確に区別して理解するということです。
前者については当ブログで徹底的に行ってきました。例えば、麻疹に自然感染したら原則終生免疫が得られるのに対し、麻疹ワクチン接種後には修飾麻疹と呼ばれる軽症の麻疹発症が起こりえるという経験知から、
「自然感染によって得られる免疫に比べて、ワクチン接種によって賦活される免疫は不完全である」という仮説を導くことができます。
ポイントはこの情報はコロナ前に確率された情報から得られた仮説なので、情報のパニックによる影響を全く受けていないという点です。
この仮説を踏まえると、今コロナワクチンにおいて言われている「コロナの既感染者もコロナワクチンを接種すべき」という推奨を疑うことができます。
推奨派側の理屈は「ワクチン接種によって、自然感染よりも高力価の抗体を産生することができる」というものであるわけですが、
「抗体産生」=「免疫力獲得」とは限りません。その常識はすでに崩れていると言っても過言ではなく、むしろデング熱へのワクチンの経験知を踏まえれば「ADE(抗体依存性感染増強)」と呼ばれる有害事象が引き起こされる可能性さえあります。
コロナの自然感染では、どれだけの人が本当にコロナに感染したのかという点においてデータの乱れがあるとは言え、抗体保有率は0.4%〜0.6%だという調査結果がすでに明らかになっています。
つまりもし自然感染による免疫賦活が一番適切でとすれば、「コロナ感染の防御に抗体はあまり要らない」という解釈を導くことができます。
このように従来の経験知を利用することによって、少なくとも人類初のワクチンについて世間で言われている情報の真偽を考えるきっかけを作り出すことができます。
そして見せかけの事実と実際的な事実をどう見極めるかについてですが、例えば「ワクチン接種後の死亡者が数百名を超えた」という情報について考えるとします。
これについてワクチン接種推奨派は「全体の中で死亡例の割合はごくわずかでしかも因果関係が証明されていない」と言いますし、ワクチン接種反対派は「コロナ感染よりも断然多くの人が亡くなっている殺人ワクチンである」などと言ってあおります。
ここで何が見せかけの事実かと言いますと、「本当に死亡者が数百名で済んでいるのか」という点です。この数字以上に少ないということはまず考えられないでしょうけれど、この数字より実際の死亡者が多い可能性は十分に考えられます。
なぜならばあくまでも医師が接種後死亡例として律儀に届け出た数を反映しているのであって、実際には接種後に死亡したにも関わらず届け出られていない例もあってしかるべきだからです。
例えば、90代の人がワクチン接種後3週間して死亡した場合、基礎疾患の状態にもよりますが「それはさすがに老衰でしょう」と判断されて届け出られなかったケースはあるはずです。しかし本当はワクチン接種が死亡経過に関与していた可能性は否定できません。
逆に言えばどんな例が届出されるかと言いますと、どう考えてもワクチン接種と死亡の因果関係がないとは言い切れないケースです。国に届出された数百例のほとんどが接種後1週間以内の死亡例だと思います。それほど接種と死亡が近接していれば流石に現場レベルで「因果関係なし」と判断されれば遺族は納得できないはずです。
従って、この情報で実質的な事実として解釈してよいのは「ワクチン接種後、1週間以内に死亡するという例が厳然として存在する」ということです。これは多い少ないの問題ではありません。
少ないから無視できるレベルだとか、多いから即刻中止すべきとか両極端に傾くべきではなく、まずはワクチンというものを接種するとそういうことが起こりうるという事実を明確に認識すべきです。
あとはなぜそのような事が起こりうるのかを十分に検証していかなければ、今後の医学の発展には至りません。でも現在の国のほとんどすべてを「γ判定(因果関係を判定できない)」としている姿勢を見る限り、これを他人任せにすることはできません。自分で考えていくしかないのです。
それからこの死亡例とは別で、医療現場ではコロナワクチンの副反応の多さは常軌を逸したレベルで高いし症状が強いということは自分の目で確かめられる事実として重要です。ワクチンでこれほどまでに副反応が問題になることはいまだかつてありませんでした。
ということは、これは人類初のワクチンの人類初の部分が影響しているに違いないと私は考えるわけです。そしてそれは「mRNAワクチン」の「mRNA」の部分ではなく、おそらくアジュバントの仕業であろうということは以前も考察した通りです。
・・・話がややこしくなってきましたが、こうした思考プロセスを通じて、私は⑦の不安要素を次のようにコントロールしています。
「コロナワクチンを接種すると、化学的に安定な異物を体内の血液と接しうる形で打ち込むことになり、かつ従来ワクチンに比べて強烈な異物除去反応が駆動されしまう。それによって得られるメリットは不完全免疫の駆動のみでデメリットの方が大きいので自分は極力打たない。ただ、もしも打たざるを得ない状況があるのだとすれば自分の免疫システムを最大限効率的に駆動させて速やかに異物が排除されるよう仕向ける必要がある」
ポイントは「とにかく打たない」という極端な結論で思考を終わらせるのではなく、「もしも打つとしたらどうか」という視点でも考えておくことです。このように多様な可能性についてシミュレーションしておくことで将来の想定外の出来事に対する「不安・恐怖」もコントロールすることが可能になります。
そしてコロナワクチン接種を希望する人達へ医師として予診を行う立場として、私は免疫が崩れているであろう人達に接種の延期や中止を助言するという現実の行動にも反映させることができます(一方で実際の予診現場の忙しい中でそのような助言を行うのは極めて難しいという事実にも直面していますが・・・)。
⑤万が一でもコロナにかかろうものなら、村八分状態となってしまう恐れがある
⑥万が一でもコロナにかかろうものなら、職場や家族など関係各所にあらゆる迷惑がかかる
前回述べたようにコロナにかかることが自分は全く怖くなかったとしても、万が一コロナにかかってたとえそれが軽症であったとしても、「コロナ既感染者」というレッテルを貼られて実害を被るという事態は起こりえると思います。
「あの人は医者なのにコロナにかかった人・・・」と敬遠されたり、自分が働かせてもらっている各医療機関にも色々と迷惑がかかってしまうことは確かに私にとっても不安材料の一つです。
これに対する私の「不安・恐怖」コントロール方法は、「コロナPCR検査は絶対に受けない」というものです。
コロナの主症状は風邪そのものです。特に発熱はコロナを疑う格好のターゲットとされています。
そんな状況で検査を受けるかどうかの判断を医者に任せていたら、熱が出て体調を崩しているというだけで百発百中でコロナPCR検査を実施されてしまいます。
で、そのPCR検査がどれだけ真実を反映しているかわかったものではないにも関わらず、真実がどうあれPCR検査が陽性となれば「コロナ感染者」として扱われてしまうという理不尽を私は知っています。
それならば逆に言えば、医者にすべてを任せさえしなければいいだけの話です。そのような理不尽な要素が拭いきれないPCR検査を私は患者の権利として断固として断ります。患者の同意なく検査を実施することはできませんから医者もそれ以上は少なくとも法的に踏み込めません。
「でも、コロナPCR検査を拒否して本当にコロナだった場合はどうするの?」と思われるかもしれませんが、ここでの主目的は不要なレッテルを貼られないようにすることなので、別に本当にコロナであるかどうかはどうだっていいのです。
相手がコロナであろうとそうでなかろうと、免疫のシステムが整っていれば収束するし、整っていなければ乱れるだけです。あとはその現実と自分が向き合って可能な限り調整を試みるだけです。
ましてやコロナに根本的な治療法はないのです。強いて言えば自力でストレスマネジメントしきれない要素が万が一あれば、必要最小限のステロイド補充は行うかもしれません。
あと可能性は極めて低いとは思いますが、酸素投与が必要なほど呼吸困難な状態に陥ったとすれば、その時点で救急車を呼ばせてもらいます。これは保険料を支払っている国民として行ってしかるべき権利だと思います。
そのような重篤な状態においてだと、コロナPCR検査を拒否することは現実的に厳しいかもしれませんが、それはそれでそうなった時に考えます。ともかく主体的に意志表示できる段階において私はコロナPCR検査を絶対に受けないことで身を守ろうと思っています。
逆に言えば、コロナPCR検査を実施せずにコロナと診断することは事実上不可能です。疑うことはできても、確定はできません。コロナの症状は他の様々な病気と区別できない非特異的な症状であるからです。
あと、「自分が心配というよりも、周りの扱いが心配」という構造は、自分ではないところに不安要素があるように一見思えるかもしれませんが、
実際には自分の外にある悩みは自分の中にある悩みと表裏一体だと私は考えています。
つまり「周りがどのように扱うかが心配」というのは、「変化した周りに対して自分がどう感じるかが心配」ということの裏返し、要するに自分の問題だということです。
ここに対しても、一応はシミュレーションしておきます。
もしも万が一私が不本意なコロナ診断を受けたとして、その結果を鵜呑みにした人達が私を遠ざけたり敬遠されるようなことがあれば、きっと私は居心地の悪さを感じます。
それでもその人達が私にとって大事な人達であれば、ここで書いたようなことを丁寧に伝えて相手の価値観にも寄り添えるように十分な対話的コミュニケーションの機会を作るよう試みるかもしれませんが、
それほどでもない関係性の相手であれば、そこから離れてまた別のコミュニティへ移ることを検討するかもしれません。
要は自分が居心地がよいと感じるコミュニティを作れるように努力をし続けるという姿勢が、周囲の環境が多少なりとも変化したとしても「不安・恐怖」のコントロールに役立ってくれると思うのです。
⑧コロナワクチンを受けなければ、今の仕事が継続できなくなる可能性がある(いわゆるワクチンハラスメント)
これは目下、私が一番悩ましいと感じている問題です。
少なくとも私は独立開業しているので、コロナワクチンを受けないことで仕事が完全になくなるということはありません。
ただ自分のクリニックが現時点では軌道に乗っていないこともまた事実としてあるので、少なくとも今は他の仕事も並行して行わなければ生計が立てられない状態にあります。
そんな状況で、「今働かせてもらっている仕事場でコロナワクチンを受けなければ仕事は継続させられない」というルールが採用された場合、私はその仕事を辞めるか、もしくは我慢してデメリットが大きいと思っているコロナワクチンを受けて仕事を続けさせてもらうかという選択を迫られることになります。確かにこれは大きめの不安要素です。
その時の経営状況によってはワクチン接種をしぶしぶ受けるという選択もとらざるを得ないかもしれませんね。ここで「とにかく打たない」という一方的な立場を持たないことが利いてきます。そこは臨機応変に判断していこうと思っています。
ただし私の基本方針としては「なるべくワクチンを打たない」であるので、できるだけそれを遵守することが私の意思です。このようなワクチン接種強要リスクに未然に対処すべく、複数の仕事のチャネルを作っておこうという努力はし続ける必要があると思っています。
いわゆる「リスクの分散」というやつです。一つの医療機関でワクチン接種が強要されたとしても、別の仕事ではワクチンを打たなくても継続できるという状況にしておけば選択の自由度は高まります。
あとワクチンハラスメントということでもう一つ大きな問題は「ワクチンパスポート」の一件です。
これは「海外旅行を人質に取られたようなもの」で本当に大きな問題だと私は感じています。しかもそれが日本のみならずグローバルに起こっているのだから始末に負えません。
つまり「ワクチンを打たないということは今後一切海外には行けないということになるが、本当にそれでもいいんだな?」と詰め寄られているかのような状況に思えています。
私は海外にも大きな可能性を感じ始めているので、これは本当に大きな人権侵害だと思っています。少なくとワクチン未接種者の権利も保証する選択肢を提示すべきだと思います。
ここにおいて不本意なワクチン接種を受けるべきかどうかは、未だに決め切れていない悩ましい問題です。
ですが少なくともこの⑧の「不安・恐怖」をコントロールする方法としては、以下の心構えを持っておくことになるでしょう。
「ワクチン未接種でも持続可能な労働環境を作り続ける」
「可能な限りワクチン未接種でも行ける海外行きを検討し、メリットとデメリットを天秤にかけて、ワクチン接種のメリットが上回る場合においてのみワクチン接種を検討する」
さぁ、2回にわたってお送りした私のコロナ「不安・恐怖」コントロール法、いかがでしたでしょうか。
総じて言えるのは「不安・恐怖をコントロールする方法は自分が動くことの中にしかない」ということなのではないかと思います。
つまり「誰かの言っている確かな情報を信じる」とか「信頼できる情報源を探す」というような、他人に主導権を持って行かれるような情報との接し方ではどこまで言っても「不安・恐怖」はコントロールしきれないということです。
極端に言えば、その信頼できる情報源がまるごとひっくり返る必要だってあるわけですからね。
ただだからと言って他人の言うことはすべて無視してゼロから自分で考えよと言っているわけでは当然ありません。
しかし他人の情報を検討するにしても、自分の中での思考の軸(思考の樹)を持っていないと、どこまで行っても他人の情報に揺さぶられ続ける人生にしかならないということです。その状況そのものが「不安・恐怖」の種になると私は思います。
思考の樹は「なぜ?」を繰り返すことによって育てることができます。納得できないことに対しては疑問を持ち続けましょう。わからなければ安易に他人の答えを採用せず、納得できるところまで突き詰めていきましょう。わからなければ保留としておきましょう。
そのスタンスを貫き続けていれば、きっと「不安・恐怖」の少ない人生を送ることができると私は思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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No title
自分は、先生のご意見が正しいと感じます。ただ、この考えで他の人を説得することは難しいとも思います。
一年位前までは、自分も「赤ん坊も殺せないウィルスのどこが怖いのか」と、単純に説いていましたが、これに対する反応は苦笑か理解できない素振りでした。
反論でもあれば説得できたかもしれませんが、議論にすらならなかったです。
ただ、追及するような問いかけも出来なかったのも事実で、その理由は、議論の行く着くところが「なぜ死んだんだ?」「老化か生活習慣病か両方かだろう」と死者をムチ打つこととなることと、世間の和を乱すものと見なされると感じたからです。
「そんなに死にたくないのなら、ワクチン打つ前にやることがあるだろう」と言いたいです。
言えないけれども。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
> 自分は、先生のご意見が正しいと感じます。ただ、この考えで他の人を説得することは難しいとも思います。
> 一年位前までは、自分も「赤ん坊も殺せないウィルスのどこが怖いのか」と、単純に説いていましたが、これに対する反応は苦笑か理解できない素振りでした。
おっしゃる通りだと思います。私の意見で多くの人達を説得することは難しいと私も感じています。
赤ちゃんの話も私からすると非常に説得力を感じますが、そうではないと感じる方々がおそらく大多数なのであろうとも思います。
一方で一つの意見一色に染めていく必要もないと思っています。
私は自分の人生の中で、自分が最も納得できる生き方を模索していく、周りがどうであろうとただそれを繰り返していくというスタンスを心がけています。その結果、多くの人に伝わればいいとは思いますが、自分の人生を貫いたにもかかわらず自分の意見が伝わらなかったとしてもそれはそれで自然の摂理だと納得することができると思います。
私は去年までは何も考えず受動的だったかと思います。
しかしこのような世の中になり、子供に変化が起きたことがきっかけとなり、様々な考え方が変わり、同時に興味が出てきて、結果先生のページにたどり着いた次第です。
食べ物、自然治癒、アロマやアーシングなど自分で考え選び、良いなと思うことを子供達とやってみており、楽しく過ごしています。
この記事とても勉強になります。
ありがとうございます。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
少しでも参考にして頂けて何よりです。
現在はピンチのようでいてチャンスでもある、新しく大きな気づきを得るきっかけとなる時代の渦中にあるように私は思います。引き続き私が気づいたことは文章に残し続けていきたいと思います。
No title
これまでワクチン様子見派でしたが、接種を決意したものです。
地方出身東京在住、これまでコロナを必要以上に怖がることなく、
周りの目もさほど気にせず、
感染対策しながら大きなストレスなく心身ともに元気に過ごしてきました。
周りでワクチン接種が進んでも、自分はずっと接種券を放置して見送っておりました。
東洋医学が大好きです。
子宮頸がんワクチンをとても恐ろしいと思いました。
ですが、8月に入り、入院できず自宅療養、重症化しても入院できず最悪死んでしまうという状況です。
自分ひとりの生活なら、それでも感染する危険性はさほど感じていません。
ですが、家族がおります。
みんなでじっと家にこもっていることもできませんし、誰かがウイルスを持ち込めば一家全滅です。
そのようなニュースも増えてきました。
このようなニュースばかり報道するマスコミに踊らされないようにと思ってきましたが、それにも限界を感じてきました。
先生はワクチンを接種せず、重症化したら救急車を呼ぶ権利があるとおっしゃいますが、ワクチンを打ち、気をつけていても感染し重症化した人がいた場合、
その方のベッドが先生のために空きがない状況だとしたらいかがでしょうか?
本当ならば未知のワクチンは私も怖いです。
副反応も恐怖でしかありません。
インフルエンザワクチンも打っていません。愛犬にも打たない派です。
ですが、迷いながらも接種の決意をしました。
ワクチン反対派だったけれど感染し、後悔しながら亡くなる方のニュースも増えてきました。
感染の恐怖とワクチンの恐怖とのはざまで折り合いをつけるのは本当に苦しいです。
お考えをお聞かせ願います。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
まずhさんの決断を私は尊重します。恐怖を乗り越えるために苦渋の決断をなさったのだと思います。
これから述べることはあくまでも私の個人的見解であって、hさんの決断を否定するものでは決してございませんのでご承知おき下さい。
さて論点は大きく3つあると感じました。
①発症しても自宅療養となり、重症化しても入院できず死んでしまうかもしれない状況は恐怖である
②自分一人がよくとも、家族も一緒に住んでいる以上は家にウイルスを持ち込むわけにはいかない
③自分が重症化時に救急車を使って入院して埋めたベッドのせいで、もしも他の誰かが入院できなくなった場合にどう思うか
まず大前提として私は、もし自分がコロナで重症化するとしたらそれはコロナのせいではなく自分のせいだと思っています。
コロナで重症化している人は私が情報を整理する限り、無差別でランダムにかかった人を重症化させているのではなくて、加齢や基礎疾患など何らかの重症化要因がある場合がほとんどです(把握されていないケースもありますが)。ですので、誤解を恐れずに言えば、重症化する人はそうなるべくしてなるという要因が存在しているということになります。だからもし私がコロナで重症化したら、そうした要因に気づかずに放置してしまっていた私の責任であり、その結末のすべてを私は受け入れたいと思います。
そして私はコロナとは「非自己抗原との遭遇による自身の持つ異物除去システムのオーバーヒート状態」だと考えています。生きていればコロナ以外にも無数の異物と遭遇しますので、それが適切に異物除去システムで処理されている限りは普段病気として表に現れることはありませんが、何らかの原因でその異物除去システムが働き過ぎ(オーバーヒート)になってしまうとそれは発熱などの炎症反応として顕在化することになります。そしてその異物除去システムを働かせ過ぎる大きな要因のひとつが不安・恐怖による心理的ストレスだと考えています。もう一つの大きな要因に食事因子があるとも思っていますが、とりあえすそれはさておき、私はコロナを重症化させないために不安・恐怖をコントロールすることが極めて重要なことだと考えています。
その前提を押さえてもらった上で、①に関して私は入院できないことを恐怖だとは思っておらず、むしろ自宅というのは気遣い不要の最適の療養環境だと考えております。その最適の療養環境の中で十分に療養し、それでも自力では病勢コントロールが難しい場合に限って薬を飲んだり、在宅医療の先生に頼ったりするのがベストの方法だと考えております。②の家族にウイルスをうつすかどうかに関してですが、私がウイルスを持ち込んだかどうかが重要ではなく、家族の異物除去システムがきちんと働いているかどうかが重要だと思っています。私がウイルスを自宅に持ち込もうが、どこかからいつの間にかウイルスが入ってこようが、家族の免疫が働いていれば適切に異物として処理されるだけなので、私が責任を感じる必要はないと思っています。だから私には「もしかしたら家族にウイルスを運んでしまうかもしれない」という恐怖はありません。そして多くの場合ウイルスの由来がどこからなのか、いわゆる「感染経路」を確定させることは困難なので、なおのこと「自分のせいかもしれない」と思う必要はないと思っています。
2020年7月18日(土)の本ブログ記事
「現場からの推測が間違っている」
https://tagashuu.jp/blog-entry-1811.html
もご参照下さい。
そして③についてですが、後から実は私が誰かのベッドを埋めていたと知らされたら申し訳ないと思うかもしれませんが、
もしも私が重症化してしまっている状況において、たとえばそんなことは考えにくいですが、自分が今入院すると誰か大事な人のベッドがなくなってしまうという情報を事前に伝えられていたとしても、私は救急車を呼ぶしかやりようがないと思います。誰かわからない人のために重症化で苦しい状況でベッドを譲る余裕はおそらく私にはないと思います。ただもしそのやり取りの中で私がベッドに入れなかったのだとすれば、冒頭の前提に戻りますが私は自分の運命と死を受け入れて残りの時間を過ごすと思います。
これはあくまで今元気な状態でシミュレーションして導いた私の考えなので、もしも実際に重症化して余裕がなくなれば考えが変わるということは当然ありえると思います。ですが少なくとも事前にそのような心構えを持っておくことで、不安・恐怖の大部分はコントロールできると思っています。
そしてワクチンについてですが、私は今回のコロナワクチンのメリットをほとんど感じておりません。
従って、私にとってコロナワクチンを打っても自分の不安・恐怖は和らぎませんので、私はワクチンを打つつもりはありませんが、その考えを他人に強要する考えは毛頭ございません。
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