私が最新の新薬情報を積極的に追いかけない理由

2021/07/01 11:50:00 | 自分のこと | コメント:0件

もともと大学病院で働いていた私が、大学を完全に離れて4年以上が経ちました。

大学病院に勤めていることのメリットはよくこのように言われます。

「最新の医学情報を入手しやすい」

確かにそういう側面はあるかもしれません。私も自分の専門の脳神経内科領域においてでさえ、ちょっと油断するといつの間にか自分の知らない新薬が現場で使われているという状況に遭遇することも多々あります。

自分の専門領域でさえそうなのですから、他の専門領域にもなればその傾向はより顕著です。

例えば、2018年に認可されたアトピー性皮膚炎の新薬「デュピルマブ(商品名デュピクセント)」はIL-4受容体αサブユニットを特異的にブロックする分子標的治療薬、そんな薬があることをごく最近まで知りませんでした。

あるいは2020年に統合失調症や双極性障害に対する新薬「ルラシドン(商品名ラツーダ)」が日本で販売承認されており、これはドパミンD2受容体、セロトニン5-HT2A受容体、セロトニン5-HT7受容体を遮断し、セロトニン5-HT1A受容体には部分作動性を持つという特徴があり、従来の抗精神病薬に比べてパーキンソン症状の副作用が出にくいと言われているそうです。

これ以外にも私がキャッチアップ出来ていない新薬はおそらく山ほどあると思います。そういう意味で私は時間が経つにつれて時代遅れの医者になってきていると確実に言えると思います。

ただ私はそのことを残念とも悔しいとも思っておりません。そうした最先端の現代医療は最先端で頑張っておられる医療関係者の皆様に任せたいという気持ちでおります。

その代わり、私は最先端の現代医療がほとんど扱っていない領域の医療、すなわち主体的医療の発展に人生を捧げたいと思っています。 現代医療の本質は、主体的ではない人に提供する医療技術として発展し続けていると私は考えています。

もちろん、どんな行動も主体的で、自分で考えようが、誰かの言葉を鵜呑みにしようが、自分で選択しているという意味では一緒なのですが、

ここでいう「主体的ではない人」というのは、「病気の原因を内側に求めていない人」という意味です。

私はすべての病気は内側から発生しているという考えを持っています。

ところが現代医療はすべて病気の原因は自分の外側にあると考えています。

それは感染症の「病原体病因論」に特に象徴されますが、「生活習慣病」のような一見内側について述べているような原因の捉え方も突き詰めれば「生活習慣」という外因に病気の原因を求めています。例えば、タバコであったり、お酒であったり、プリン体であったり、塩分であったり、運動不足や睡眠不足であったりといった具合です。

しかし「病気の原因が内側にある」という意味の本質は、自分の身体の仕組みそのものにあります。

つまり何を食べたら身体がどう変化するか、何を感じたらどう行動するか、何を受けたらどう変化するかといった自分の身に起こっている自然現象そのものを指しています。つまり「病気とは自分自身」なのです。

従って、私の考えが正しければ病気を治すという行為は本質的には「自分自身の乱れを自分自身で整える」ということでしかありえないわけですが、

これを現代医療のように「病気の原因は必ず外にある」という前提で治そうと思うと、本質的な原因が放置されたまま病気を治す、言い換えれば「他人の行為によって自分自身を変える」という離れ業を行わなければならないということになってしまいます。

よく「他人と過去は変えられない」といいますが、現代医療がやっているのはそのようなことだと私は考えています。

さて、自分を全く変えないままに他人によって自分を返させられるとどのような事が起こるかについては、今までの現代医療の中で起こっていることを俯瞰でみるとよく見えてきます。

上がっている血圧は降圧剤で下げる、上がった血糖値は血糖降下薬で下げる、ドーパミンが増え過ぎればこれをブロックする、ドーパミンが足りなくなればこれを刺激する、

IL-4が出過ぎればこれをブロックし、IL-6が出過ぎればまたこれをブロックする、そしてアミロイドβがたまればこれを除去する・・・

このように表面的に起こっている現象を根本的な原因を取りのぞかないままに、それが起こる前の状態に強制的に戻させる治療のことを「対症療法」と呼びます。現代医療はあらゆる「対症療法」の集積と言っても過言ではないでしょう。

「対症療法」を行い続ければどんな事が起こるかと言えば、一言で言えば「過剰適応か消耗疲弊」です。

例えば、血圧が上がったり、血糖値が上がったりする現象は自分自身が生きる力を高めようと一時的に奮起しているサインです。

それは何か興奮する出来事があったからなのかもしれないし、不安を感じているのかもしれないし、単純にエネルギーが入り過ぎたからなのかもしれません。

しかしそうした内側の事情に一切触れることなく、血圧や血糖値を下げる薬を使うと確かに一時的には血圧も血糖値も下がります。

けれども生きる力を高めようという本質的な原因は解決していないので、薬の効果が切れればまた血圧も血糖値も上昇していきます。

それはあたかも地上に出ようとするモグラをハンマーで叩いて無理矢理地中に戻そうとするモグラ叩きのような構造を呈しています。

何度も何度もハンマーという名の降圧剤や血糖降下剤で、モグラという名の自分自身を押さえ込んでいると、その後起こってくることはそのモグラにどれくらいの余力が残っているかで大きく二つの反応に分かれます。

モグラの余力が大きい場合は、モグラは今までよりもさらに大きな力で地上に出ようと頑張ります。これが「過剰適応」と呼ばれる状態です。

モグラの余力が少ない場合は、モグラはもはや地上に出ることをあきらめるようになります。これが「消耗疲弊」です。

モグラが地上に出なくなったら目標達成かと思いきや、モグラは他のすべてのことを行わなくなってしまいます。

もはや地上に出る以外の地中での活動も一切行わなくなってしまい、血圧や血糖値が下がったのはいいものの、食欲も下がり、免疫力も低下し、筋肉も動かなくなっていき、認知も低下していくと。究極的には死につながるのがこの「消耗疲弊」だと言えます。

現代医療の最先端で開発され続けている新薬はすべてこの「対症療法」の構造に当てはまる薬だと私は思っています。すべての新薬を確認したわけではありませんが、これはかなり高い確率でそうだと思っています。

なぜならば、現代医療の価値観自体が、病気の原因を外に求めているからです。

病気の原因を外に求めている限り、どれだけ最先端の医療が新しい仕組みの治療を生み出したところで、結局行き着く先は「過剰適応」か「消耗疲弊」です。

そして「過剰適応」にしても「消耗疲弊」にしても、健康な状態から比べると大きくバランスの崩れた状態です。具体的に言えば血圧は下がっているけれど、活気がなかったり、痛みは取れているけれど消化吸収能が落ちていたりする状態です。

健康で健やかな人生を生きていくにあたって、「過剰適応」や「消耗疲弊」の状態は、その程度に応じて様々な障壁となりえるものです。

それでもいいから自分を変えたくないという人は是非とも現代医療の恩恵にあずかればいいと思いますし、そういう人のために現代医療はあるとも思っていますし、そういう医療は最先端の領域にいる医療関係者に任せたいと思っています。

でも私は「すべての病気は内側から起こっている」という本質に気付いた以上、病気の原因を外側に求める「対症療法」を極めるような人生に力を注ぎたくはないのです。

最新の医学情報からどれだけ離れたとしても、私は自分の人生の時間を「自分が変わるためにはどうすればいいのか」「自分(患者自身)が変わるために他人(医者)には何ができるのか」について、それを成し遂げるための具体的な方法論を構築していくために費やしたいと望んでいます。


このコロナ禍のパニックだって、現代医療のそういう部分が巻き起こした悲劇だと私は感じています。

コロナはウイルスを移されてなるのではなく、自分自身が乱れた状態にある時にたまたま遭遇した非自己をきっかけに自分のシステムがオーバーヒートしてなるものです。自分自身が乱れていなければ非自己に遭遇しても何も起こりません(正確には何も起こっていないかのように上手に処理されます)。

誤解を恐れずに言えば、コロナにかかるのはウイルスのせいではなく「自分」のせいです。誰もがそのように考えることができれば責任の押し付け合いになんてならないはずです。

しかしある意味でコロナ禍は現代医療の大いなる問題点が、今までもくすぶるようにして現代医療の中で厳然として存在し続けていた大きな問題点が一気に噴出したという点で、多くの人がこの問題を認識することができたという意味で、医療が変えられる大きな転換点だとも言えるかもしれません。



ともあれ、まずは自分をととのえていきましょう。

ととのえ方がわからなければ、人に相談してみましょう。

そしてととのえた人達の輪を大きくしていきましょう。

私もととのえるための方法を模索し続けていきます。

哲学カフェオープンダイアローグはその具体的な方法の一つです。

自分をととのえることができ、ととのった人達と交流し会える人生はきっといい人生です。

一歩ずつでも着実にその歩みを進めていけば、

いつか振り返った時にびっくりするくらい医療が変わっている日が訪れるかもしれません。


たがしゅう
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