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なぜコロナを危険や陰謀に感じてしまうのか

category - 素朴な疑問
2021/ 05/ 25
                 
ツイッターを見ていると、「コロナはただの風邪」「コロナは陰謀」といったスタンスの意見がかなり増えてきているように見受けられます。

ツイッターは匿名での参加者が多く、世の中の抑圧されて表面化しにくい本音が出やすいSNSだと言われているみたいです。

結構、激しい口調で特定の相手のことを罵倒するようなツイートも散見されますし、私自身も気づけば結構口調が荒くなってしまっていることもあり、気をつけないといけないと反省する場面もしきりです。

そんな中、ツイッターでコロナについて「正気に戻れ」というタイトルで、現在のコロナ対策の問題点をよくある主張とそれに対する反論の繰り返し形式で語られているブログの情報が流れてきました。

そこで紹介されているのは確かに、「コロナは危険な感染症である」という前提に立っている人達からよく聞かれる主張だと感じられましたが、

その反論の仕方は、ブログの管理人の方と、「コロナは壮大な勘違い」と考えている私とでは若干違いがあるように感じられました。

そこでここに書かれていたよくある主張に対して、私であればどのような反論をするかという点について語ってみたいと思います。
            

まず、当該のブログに書かれていたコロナ危険視派の人達のよくある主張というのは次のようなものです。

①日本は感染対策のおかげで死者が少ない
②新型コロナは致死率が高い
③新型コロナは後遺症が怖い
④「新型コロナはただの風邪」と言ってる医者は、新型コロナの患者を診ていない医者で、実際に診た医者達は「ただの風邪ではない」と言っている
⑤コロナはただの風邪だと言う人、亡くなった人のご遺族の前でも同じ事が言えるのか


前提として私はこれらの主張に対して反論というよりも、「なぜこれらの人達はこのような考えに至るのか」について私の視点から見たからくりを解説していくスタンスで語っていこうと思います。

①日本は感染対策のおかげで死者が少ない

よく言われる話です。「日本のコロナ死者は欧米に比べて2桁少ない」と。

ここでの「死者」は当然、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死者」というのを意味しているわけですが、

そもそも「COVID-19による死者」と認定されるためには何が必要かと言えば、「PCR検査(もしくは抗原検査)での陽性結果」です。

PCR検査にしても、抗原検査にしても、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の特有の構造を検出できているという証明がなされていないまま話が進んでいますし、

PCR検査に至っては、「生物に感染していないと生存(増殖)できない」とされるはずのウイルス遺伝子が、アイスクリームや綿棒といった非生物に対しても陽性となってしまう状況がありますから、

「PCR検査(抗原検査)によってCOVID-19と診断された患者数」の中から算出された「死者数」が、真の「COVID-19による死者数」を反映しているとは到底考えることができません

一方で、「COVID-19による真の死者数」の実情はさておき、現在公開されている「COVID-19による死者数」に極めて大きな影響を与えることが確実な因子があります。

それは「PCR検査をどれだけの規模で行うことができるかというキャパシティ」です。

私がコロナ禍当初から非常に不自然だと思っていたことの一つに、「全国に一斉に拡がり過ぎ」という点があります。

それと同時に「都会を中心に患者数が集中し過ぎ」という特徴が加わっており、その傾向は今も保たれています。

「いや、都会には人が多いのだから、それだけ感染の機会が増えて感染者数が増えていくのは当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、

全世界に広まったとされる今の状況であればまだその理屈はわかります。しかし拡がりはじめた当初からいきなり全国的にこの様相を呈したことはやはり不可解でした。

ウイルスが誰か一人の無症状感染者から丁寧に一人ひとり飛沫感染を通じて感染者が発生したと考えるのであれば、感染拡大初期には必ず何かしらの局所性があってしかるべきです。そうして局所的な拡がりを見せながら次第に全国に広がっていくという流れになっていくのなら理解できます。

しかし実際にはそんな局所に感染者数が固まってみられる段階は一切見られず、東京、大阪、北海道などの大都市を有する都道府県に感染者数が集中しながらも、全国にポツポツと感染者数が散在するという疫学的特徴をいきなり呈していきました。

ということは「PCR検査陽性者の多さは、そこに実際の感染者がいるいないに関わらず、その都市がどれだけPCR検査を多く行えるキャパシティを持っているかに依存している」ということになります。

そして日本における「COVID-19による死者数」の少なさは、単に欧米に比べてPCR検査体制のキャパシティが極めて小さいということを反映しているだけで、

この疫学的データを額面通りそのまま受け止めてしまっていることが、「日本は感染対策のおかげで死者が少ない」という解釈へとつながっているのではないでしょうか。

この構造を踏まえると、同じ日本の中で「第1波、第2波よりも第3波、第4波に大きな感染拡大が起こっている」という解釈が生まれてしまうのも、

単に時間とともにPCR検査体制が整ってきたことを反映した疫学的データを見ているだけ(その数値の中でどれだけの人が本当にCOVID-19によるものなのか全くわからないにも関わらず)ということになります。

従って、コロナ危険視派の人達と私とでは同じデータを見ていても、その景色が全く違っているのです。


②新型コロナは致死率が高い

「致死率」という数値の危うさについては、すでに過去記事でも触れましたが、

簡単に要点をまとめると、まず「致死率」という数値は「ある病気の死亡者」を「ある病気の患者(感染者)」で割り算することで求められます。

ここで問題となってくるのは、①でも扱った「死者数」という数値が、実際の病気による「死者数」を反映していない、という点です。つまりコロナの場合、分子が実情よりも大きくなってしまう状況があるということです。

一方で分母の「患者数」はどうかと言えば、この調査をどういう集団を対象に行ったかによって数値は大きく変動します。

例えば、ICU(集中治療室)での管理が必要な重症患者の中で致死率を算出すれば、致死率は非常に高くなるでしょう。

あるいは比較的リスクの高い高齢者に対して致死率を算出すれば、これもICUほどではないにしても高い致死率を算出することができるでしょう。

しかし同じ高齢者集団を対象にしても、無症状感染者も含めて患者として致死率を算出すれば、非常に低い致死率が算出されてしまうことでしょう。

要するに「致死率というのは解釈によって非常に変動しやすい数値だ」ということです。

特にコロナのように「無症状感染者がありえるけれど、稀に重症化することがある」という概念の病気の場合は、無症状感染者に注目する場合と、重症者に注目する場合とで数値が全く変わってきます。

さて、あなたが信じているその「致死率」という数値の分子と分母はどのようなものでしょうか?


③新型コロナは後遺症が怖い

確かにウイルス感染症は数あれど、ここまで後遺症の存在が注目されるようになったものは珍しいように思います。

一般的にはCOVID-19の発症日から4〜12週以上にわたって症状が遷延し続ける状態のことを「コロナ後遺症(Long COVID)と認識されているようです。

具体的な症状としては、関節痛、筋肉痛、胸痛、認知障害、うつ病、不安、睡眠障害、頭痛、発熱、動悸、脱毛などが挙げられ、「brain fog(脳の霧)」と呼ばれる集中力の低下も象徴的な症状の一つとして知られています。

で、「ウイルスによって病気が引き起こされている」と考える「ウイルス病因論」の立場に立っていると、この「コロナ後遺症」が起こる原因ははっきりせず、未知のウイルスのなせる業で今後の研究によって明らかにしていかなければならないというスタンスでこの現象を受け止めているわけですが、

「人体のシステムによってウイルス感染症という状態が引き起こされる」と考える「宿主病因論」の立場をとる私からみれば、この「コロナ後遺症」がここまで顕在化するようになった理由は明らかです。

まずコロナにおいては、メディアや専門家達の情報に後押しされて、かつてないほどの不安・恐怖情報が世界中に拡散したという事実があります。

その上で「コロナ後遺症」の症状を見ていると、ステロイドが有効な症状か、もしくはステロイドの副作用として起こってくる症状のどちらかに分類されることがわかります。

ここから導かれる仮説は「不安・恐怖情報によって患者のストレス応答系が著しく過剰刺激され続けた(ている)ことで引き起こされたシステムの過剰適応/消耗疲弊がコロナ後遺症である」というものです。そう考えると少なくとも非常につじつまは合うのです。

つまり、「新型コロナ後遺症が怖い」という考えは、「ウイルス病因論」の立場をとるが故に生まれる概念だということです。

・・・なんか全部似たような話になってきましたが、もう少しだけ続けましょう。


④「新型コロナはただの風邪」と言ってる医者は、新型コロナの患者を診ていない医者で、実際に診た医者達は「ただの風邪ではない」と言っている

一口に医者と言ってもおかれている立場は千差万別ですから、

自分がどの立場にいるかによって見え方が変わってくるという問題は医者に限らず起こってくるでしょう。

ですが一つ言えるのは、新型コロナの患者を診ている医療機関における医師はまず間違いなく「ウイルス病因論」の立場に立っていると思います。なぜならばそうした病院の医師は専門医中心で、「感染症学」の根本が「ウイルス病因論」で成り立っているからです。

そして厳格な感染対策をしなければならない関係上、そうした医師はまず間違いなく大きな医療機関に勤める勤務医です。診療所では同じ診療体制をとることは、よほど特殊な診療所でない限り不可能です。

そうなるとそのセッティングで診るコロナ患者は必然的に重症者中心ということになるでしょう。逆に言えば、重症者以外は診ていないという言い方もできると思います。

そんな状況で、しかも「ウイルス病因論」の立場に立っていれば、「コロナは恐ろしい病気だ」と考えるのも無理もないと思います。そして重症者が実在し、そこで苦しんでいるという現状を目の当たりにしていることは紛れもない事実です。「ただの風邪」などとは到底思えないでしょう。

しかし「宿主病因論」の立場でこうした重症患者さん達を眺めれば、急激に起こったか小さなダメージの蓄積で起こってきたかは別としてストレス応答系を中心としたシステムを無意識のうちに過剰駆動/消耗疲弊させ続けてしまった人達がいるというだけであって、「コロナは恐ろしい病気だ」という概念を支持する事実としては受け止められないのです。

よく「そこまで言うならあなたがコロナ病棟で働いてみればいい」という意見が寄せられることもありますが、それは別の意味で不可能です。

私自身は救急医療での診療経験もありますし、人工呼吸器管理の基本は押さえています。

「ECMO(体外式膜型人工肺)」の使用経験はありませんが、しかるべき経験者と連携すれば、コロナ感染者の診療に貢献できる能力自体は持ち合わせていると思います。

そして私自身は「宿主病因論」のスタンスですので、たとえコロナ診療でコロナ感染者の飛沫を浴びる状況にあったとしても私が感染症の状態に至るかどうかは心身システムのメンテナンス状態によるので自己責任という考えの下に、

特別の防護服を装着せずにコロナ診療に携わると思います。しかしそれを周囲が許さないだろうことは容易に想像がつきます。

「ここで働く以上は防護服をつけずに診療することは許さない。なぜならばそのせいでクラスターでも発生しようものなら責任問題になるから」と言われ、特別コロナを怖がっていない私に対しても防護服の着用は強制されることになるでしょう。

「それくらいあなたが折れたらいいじゃないか」と思うかもしれません。しかし例えばそこは私が折れて防護服を着て診療したとして、そこで診る患者さんの状態は、今さら「コロナを怖がる必要はない」と言われてもどうしようもないくらいにシステムが乱れに乱れている患者さんばかりです。

そのような状況で、主体的医療を理念に掲げる私ができることはたかがしれているので

せいぜいプロトコールに則って呼吸器管理を行ったり、必要に応じてステロイド点滴を行ったり。そのステロイド点滴も患者さんのストレス具合によって適切な補充量は異なり、うまく補充できなければ過剰投与となって逆効果なので、乗るか反るかわからない側面があり気が気ではありません。

あるいは二次感染を起こしてはいけないからといって、ウイルスに対して使って効果があるとは思えない。しかし使わないと不幸な転帰をたどった時に責任を問われかねない)抗生物質を打たないといけなかったり、

自分の本当の気持ちを押し殺して勤務すればするほど、私自身にストレスがかかり続けてしまう状況におかれてしまうのです。つまりコロナ診療に当たれば当たるほど「自己犠牲」となってしまうということです。

本意ではないことをルールだからと言ってやらされ続けることほど苦痛なことはないと思うのです。

勿論、コロナ診療に当たっている医療者の活動に価値がないとは思っておりません。むしろそこまでシステムが乱れた人達に対して救いの手を差し伸べている価値ある行為とさえ思います。

しかしながら、それは「この診療行為が絶対に正しい」と思える医療者だからこそできる行為であって、その価値観にない医師である自分が同じ事を行うと、あまりにも「自己犠牲」になりすぎてしまうのです。

だから、新型コロナの患者を診療し続けている医師とそうではない医師との間には、その価値観やスタンスの違いから来る溝が深まる一方となる構造があると私は思っています。


⑤コロナはただの風邪だと言う人、亡くなった人のご遺族の前でも同じ事が言えるのか

これは「ただの風邪で人が亡くなるはずがない。亡くなるという絶対的事実があるのだからただの風邪なわけがないでしょう」ということを意味しているのだろうと想像します。

しかしここにも価値観の違いが存在します。このような台詞が出るということは主張されている頭の中に「ただの風邪」=「軽くて治る病気」という認識があるのであろうと思います。

一方で私の「ただの風邪」の認識は、「多くの人では可逆的であるが、本人の状態次第で重症化したり死に至ったりすることが起こりえる状態」というものです。「ただの風邪」という言葉の中に「こじらせたら危険」という認識が含まれています。

要するに同じ「ただの風邪」という言葉に対して異なる認識があるということです。

「ただの風邪」を「軽くて治る病気」と考えている人にとって、「ただの風邪」で亡くなることはありえない出来事であって、よって起こった現象を「ただの風邪」だと表現することは許せないという流れになるのだと思いますが、

「ただの風邪」を「こじらせると危険」と考えている人にとって、「ただの風邪」で亡くなった人をみても、それは起こりうる現象の一つとして受け止めることになるでしょう。

従って、⑤の「(コロナで)亡くなった人のご遺族の前でも同じ事が(コロナはただの風邪だと)言えるのか」という質問に対して私は、

「ただの風邪」という認識が自分と同じだとわかっている場合には言えるけれども、自分と異なる認識だとわかる場合もしくはどんな認識を持っているかわからない場合には言えない。いずれにしても亡くなった方の冥福はお祈り申し上げる、と答えることになると思います。



以上、よくある主張に対する私の意見を述べて参りました。

まとめると、今のコロナ騒動における「コロナ危険視派」の主張の根源は「ウイルス病因論」という従来常識の価値観に立って、メディアの不安/恐怖情報ベースで世の中の現象を眺めることで生まれているものだということができそうです。

それに対して「コロナは陰謀」的に捉える人は、同じ「ウイルス病因論」の価値観を持ちながら、主として客観的なデータを用いながら論理的に考えることで見つかる矛盾の多い現状の様々な出来事について、これらの不自然さを解消する最も合理的な説明として「陰謀」という概念に行き着いているように思えます。

しかし私の立場はそのどちらでもなくて、「宿主病因論」の立場に立つことで、「ウイルス病因論」の立場だと「危険」だとか「陰謀(データの改ざんやでっちあげなど)」としか考えられないような現象にも、すべて説明がつけられるので、

世の中の常識的な「ウイルス病因論」の価値観でみた時の不自然な出来事における矛盾を解消しつつ、なぜ①〜⑤のようなものの見方が生まれてしまうのか、という構造がとてもよくわかるのです。

実はこれから本当にやるべきことはコロナの陰謀をあばくことではなく、

「感染症学」はもとより病気の原因を外に求めるのではなく、内側に求めて医学というものを再構築する作業だと私は考えています。


たがしゅう

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コメント

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インフルエンザ等他の感染症との徹底比較
先日大手テレビ局の番組内で「インフルエンザでも毎年死者が出る。コロナは特別恐ろしい感染症とまでは言えないのではないか」とのニュアンスを某司会者が恐る恐る発言していました。
それに対してゲストコメンテーターは軽く受け流し、否定も肯定もしませんでしたね。
前からこの「コロナは騒ぎ過ぎだ」的な意見はネット内で散見していましたが、マスを対象にしたテレビでにわかにリリースされだしました。

そこでたがしゅう先生に伺いたい点があります。
「新型コロナとインフルエンザ又は旧コロナが人類に及ぼす脅威の程度の違い」を明確に公衆に提示する事は現段階の分析結果では不十分なのでしょうか?
今や新型コロナに関する正しい知識を分かりやすく提示し、受け取る側に判断を委ねる時期に近づいている気がします。
しょうがないのかも知れませんが、同調を良しとするこの社会の調子だと、未来永劫に新たなウィルス感染症発見の度に抑制生活が続く事になります。
Re: インフルエンザ等他の感染症との徹底比較
だいきち さん

 ご質問頂き有難うございます。

> 「新型コロナとインフルエンザ又は旧コロナが人類に及ぼす脅威の程度の違い」を明確に公衆に提示する事は現段階の分析結果では不十分なのでしょうか?

 インフルエンザとコロナのもたらす影響の客観的データにおける違いは、すでに様々な方が語っておられるのではないかと思います。
 しかしながら、相も変わらずコロナの不安/恐怖情報が流され続け、それに左右され続けている人が多数派であるという実情を踏まえますと、実は根拠の明確さだけでは不十分だということなのかもしれません。

 人は自分の持つ価値観から来るイメージとともに情報やデータを受け止めます。たとえそれがある価値観の人にとってどれだけ客観的に安心できるデータであったとしても、価値観が異なる別の人が見れば不安を拭いきれない信憑性の乏しいデータだと感じられるかもしれません。そんなことより難しいことはいいから結局私達がどうすればいいのかを明確に指し示してくれる偉そうな人の言葉を待っているのかもしれません。残念ながらデータの客観性だけでは解決しないと私は思います。いや、もしかしたら解決する必要はないのかもしれません。
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Re: ワクチン接種者からの感染
非公開コメントをくださった方

 いまだかつて自身のタンパク質が飛沫に混入して拡散されるという事実は聞いたことがありませんので、たとえそのタンパク質が体内で産生されるようになったとしても、そのタンパク質のスプレッダーになるという見解には私は否定的です。