すべてに共通する病気の根本的対策

2021/05/23 06:00:00 | ふと思った事 | コメント:0件

前回はすべての病気には表面的な原因と根本的な原因があり、

表面的な原因は様々ななものがあるように見えて、実はその根源は共通しているのだという構造について、バケツに水を注ぐ蛇口のたとえで説明してみました。

西洋医学は表面的な部分を細かく解き明かしていくことに力を注いだ医学だとも言えるかもしれません。

それに対して東洋医学は表面的部分と根本的部分とぼんやりと捉えながらも、それに対する対策の再現性や確実性が担保できないという弱点もあるように思います。

今回は西洋医学も東洋医学も十分に解明できていない病気の根本的原因について、すなわち「システムの過剰適応/消耗疲弊はどうやって生じるのか」について私の視点を語ってみたいと思います。

一言で言えば、「異物が入り続けること」だと考えていますが、

そうなってしまうパターンには大きく見て2つあると思っています。

それを考えるヒントとして「①公害病」「②臓器移植」を取り上げてみたいと思います。 「①公害病」とは、「人間の産業活動により排出される有害物質により引き起こされる健康被害」と定義されています。

1950年代からの高度経済成長期に伴って発生したとされる「4大公害病」が有名ですが、共通する構造は「異物が知らないうちに少量ずつ人体に入り続けることによって人体のシステムに過剰適応/消耗疲弊をもたらす」という点にあるのではないかと思います。

それに対して「②臓器移植」はどうかと言いますと、

「ある瞬間から明確な異物が(比較的大量に)入り込み人体のシステムに過剰適応/消耗疲弊をもたらす」という構造になっているのではないかと思います。

②は「輸血後GVHD」に代表されるように、死亡率100%に迫るほどの激烈な急性症状をきたします。

「ある瞬間から何かが大量に入り込む」こと自体は病気のエッセンスではありません。例えば生理食塩水の大量点滴を行っても人体に同様の急性症状は起こりません。鍵は「異物が入ること」が握っているということになるでしょう。

それに対して①は「水銀中毒」に代表されるように、「ただちに死亡には至らないものの時間をかけて着実に個人差はあれどすべての人間に対して不可逆的な慢性症状をもたらしていく」ということです。

「公害病」の注目すべき特徴は、産業廃棄物を排出する特定の地域周辺に患者が集中的に発生するという疫学的特徴です。

つまり「公害病」は相手を選ばないということです。免疫力の高い人であろうが、低い人であろうが、症状が発生するまでの時間に多少の個人差はあれどすべての人に確実に症状をもたらすことにつながります。だからこそ局所に患者が集中するという特徴をもたらすことができます。

クラスターという言葉でおなじみの「感染症」にもそういう特徴があると思われるかもしれませんが、このコロナ騒動でわかったように感染症におけるクラスターは見せかけの局所性です。

つまり局所的に患者が発生しているように見えて、ピンピンしている人もそれ以上にたくさんいます。つまり局所の中で一定の傾向を持つ人達(例:高齢、基礎疾患あり、など)だけが、症状を発症しているというわけですから、

「感染症」実は局所性の乏しい病気、もしくは局所性があるように見せかけられている病気だと言えます。本当に局所性があると言える病気は「公害病」の方です。

一方で、「感染症」の病態も「異物と出会い異物除去システムが駆動されること」にあるとすれば、「公害病」と「感染症」は本質的には同じ病気だとも考えることができます。

ではなぜ「公害病」では局所性が高く、「感染症」では局所性が乏しいのでしょうか。一体何がこの違いを生み出しているのでしょうか。

それは「相手に対してどれだけ明確な異物だと認識されるかどうか」という点にあるのではないかと私は思います。

つまり「公害病」における「有害物質」は誰にとっても「異物」と認識される代物ですが、「感染症」における「病原体」は「異物」と認識される人と「異物ではない」と認識される人とでパターンが分かれやすいということを意味しています。

「そんなことはない。病原菌は誰にとっても病原菌だ」と思われる方もいるかもしれません。しかし以前私は、ウイルスには「自己」的な要素と「他者」的な要素があると考察しました。

ウイルスには単なる「異物」と考えると不自然な仕組みがたくさん見受けられるのです。この度の「無症状感染者」という概念も、ウイルスを絶対的な「異物」だと誤認したが故に現実を歪めて理解してしまった例だと思います。

実際にはある人にとっては「異物」だけれど、別の人にとっては「異物ではない」という状況があって、後者の方に「無症状感染者」というレッテルが貼られているだけということではないかと私は考えています。

しかし「公害病」や「臓器移植」のケースでわかるように、世の中には間違いなく「異物」と扱われるものが存在していることもまた事実だと思います。

その一方で、明らかに「異物ではない(自己)」であるものに対して異物除去システムを駆動させてしまう「自己免疫疾患」という状態が存在することもよく知られているところです。

このように考えていくと、『「異物」と認識されるかどうか』に関しては「物質側の要素」と「宿主側の要素」の2つが存在しているという構造が見えてきます。

何が異物と認識される要素なのかについて、自己の名札に相当する「MHCクラスⅠ」がないこと関わっているという話は以前にもしましたが、

ものによって確実に異物だと判断される場合とそうでもない場合がある」ということを踏まえますと、MHCクラスⅠのありなしだけで決まるという「物質側の要素」だけの単純な話ではなさそうです。

ここが私達が見落としがちな視点です。コロナに対しても絶対的な「異物」だと扱っているからこそ全国民に一斉回避(手洗い・うがい、三密回避、ソーシャルディスタンス)を呼びかけてしまうわけです。

その相対的な「異物」とでも言えるウイルスに対して、まるで絶対的な異物であるかのように反応させる要素として慢性持続性ストレスの存在を私はかねてから指摘しているわけですが、

今回の記事で取り扱うのはそこではなく、原因はともかく「異物」だと認識してしまうようになった対象によってどのようにシステムの過剰適応/消耗疲弊が引き起こされてしまうかという点についてです。冒頭の①と②の②パターンをもう一度考えてみましょう。


①は明確な異物がゆっくりと入り続ける構造、②は明確な異物が急激に入っていく構造です。

そして①は慢性疾患、②は急性疾患をもたらします。

すべての病気はこのパターンのグラデーションによって表現されると言うことはできないでしょうか。

例えば「高血圧症」、何かはわかりませんが明確な異物が微量に入り続けているとすればどうでしょう。

からだはその異物を除去するために異物除去システムを駆動させます。その一環として「血圧を上げる」という反応を起こしているとすればどうでしょう。

あるいは「花粉症」。この場合は「花粉」は異物に感じられるかもしれませんが、花粉を浴びても同じような異物除去システムが反応しない人はごまんといます。

反応していないように見えて、わからないレベルで反応している可能性は否定できませんが、少なくとも反応の大きさに個人差があるということは言えるはずです。

そして花粉症の場合は、急に異物が入ることで症状が引き起こされる②の要素が強いようにも見えますし、慢性化している人は①のような状態になっているようにも見えます。

「がん」などはどうでしょうか。がんは一般的には遺伝子変異によって引き起こされた無秩序に増殖する悪性細胞だと認識されていると思いますが、

がんが糖代謝を過剰駆動している事実はよく知られています。過剰な糖を消費しようとする適応反応の結果だという見方もあります。

そうすると、糖が過剰に入りすぎていることが、あるいは慢性持続性ストレスによって常時糖代謝が駆動され続けていることが、

ゆっくりと異物が入り続けている状況に相当するのではないでしょうか。そう考えるとがんは①のタイプで、高血圧の進展型だと捉えることもできそうです。

そして「感染症」。感染症は病原体によって症状が異なり、それぞれが全く別の病気であるように見えます。

菌の性質によってどの場所に定着しやすいかという特徴は勿論違ってしかるべきです。その場で起こっていることは「異物だと認識された菌を排除しようと異物除去システムが駆動されている」という点で共通しています。

ですが常在菌の存在を踏まえると、菌が接触していること自体が直ちに病気につながるというわけでもなさそうです。

ところが同じ常在菌であっても、宿主の状態によっては脅威になることがあります。

例えば黄色ブドウ球菌は皮膚常在菌の一種ですが、黄色ブドウ球菌によって感染症が引き起こされるケースがあります。特に血管内に直接侵入するような場合です。

血管内には先ほどの「MHCクラスⅠ」を認識する「リンパ球」が巡回しておりますので、これに直接遭遇してしまうと②の急激に異物と認識されるリスクが急上昇します。

そしてあまりにも大量の異物と接触してしまうと、「臓器移植後の拒絶反応」を彷彿とさせるような激しい急性症状に至ります。「敗血症」と呼ばれる状態がそうです。

そう言えば致死率80-90%と言われるエボラ出血熱(エボラウイルス病)でも、重症化しているのは「体液の傷口への直接接触」があるケースでした。またエボラ出血熱にも無症状感染者がいるということもありました。


以上を踏まえて、「すべての病気は自分が異物だと捉えるものがゆっくりと入り続けるか、一気に入ってくるかの組み合わせで起こっている」とまとめることができそうです。

この構造を踏まえて、私達がすべての病気と呼ばれる状態に対して健康を維持していくための基本的な対処方針は大きく2つです。

A)無意識の慢性的な微量異物接触にできるだけ気づいて、入ってきたとしても排除しやすい状況を作ること
B)急な異物認識を避けるよう血管内へ異物を侵入させる行為を極力避けること


A)の具体策としては添加物を避けるためにスーパーの野菜よりも農家直売の野菜を買うとか、加工食品になるべく手を出さないとか、ときどき断食して異物を除去する十分なゆとりを身体に与える、など
B)の具体策としては怪我に気をつけるとか、化粧品やボディソープ、シャンプー、あるいはクリーム基材の塗り薬など界面活性剤の連用で肌を荒らさない、などになるでしょうか。


とは言え人は異物の中で生きていると言っても過言ではないので、異物を避け続けることは不可能ですし、

そもそも生命維持に不可欠な「食べる」という行為が「異物を取り込んで自己化する行為」とも言えるので、異物を完全に排除することも不可能です。

だから現実的には異物性が高いものをのぞき、異物性の低いものを取り入れるという発想と、

異物ではないものをむやみに異物だと認識してしまわないように食事と心の在り方を整えるというのがよいと思うわけですが、

血管内に異物を入れるいう点でワクチンを打つという行為のリスクの高さは、

今回の考察によって改めて認識を強くするところだと私は思います。


たがしゅう
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