すべてに共通する病気の根本的構造

2021/05/22 06:00:00 | ふと思った事 | コメント:2件

栄養素欠乏症の原因として「摂取不足」は表面的で、「システムの過剰適応/消耗疲弊」が本質的だという話をしました。

その少し前の記事で私は「病原体が感染症の原因だ」とする感染症学の大前提を疑うべきだということも述べました。

ですが「肺炎に抗生剤を使えば改善する」という事実は、「肺炎の原因は病原体(細菌)である」という仮説を強固に支持しているように見えます。

しかしながらこれも私は「補充すると欠乏症が改善するから『摂取不足』が欠乏症の原因である」という考えと同様に、

「病原菌を駆除すると感染症が改善するから、『病原菌の増殖』が感染症の原因である」という考えも本質的な原因を捉えていないと私は思っています。

「感染症」の本質的な原因も、「栄養素欠乏症」の本質的な原因と同様に、「システムの過剰適応/消耗疲弊」だと私は考えています。

この構造をわかりやすく説明するたとえを思いついたので、今回はそれを披露してみたいと思います。 いまシンプルに水道の蛇口からバケツに水が注がれている状態をイメージして下さい。



今人間を「バケツ」にたとえて、水が6-7割くらい入っている状態を「健康」な状態と考えてください。

そして蛇口から適宜水が注がれることが「身体のシステムが駆動されること」だと思ってください。

そしてこのバケツの中の水は放っておいたら蒸発したり、なんか動物とかが来て飲まれることで、時間とともに減っていくものだと考えてください。

さらにバケツから水があふれた状態がいわゆる「病気」の状態、そしてバケツから水が完全になくなった状態が「死亡」だとします。

今、何らかの原因で蛇口からの水が多く出続けている状態があったとします。これが「システムの過剰適応」です。

そうなると放っておくとバケツから水があふれてしまいますね。そのままでは「病気」の状態になってしまいます。

そこでこの状況に対して水があふれる前にぞうきんやスポンジで水を吸い取ったとしましょう。ぞうきんやスポンジが「抗生剤」だと考えてください。

そうするとぞうきんやスポンジを使うことで、うまく水があふれずに澄みました。「病気」になりかけた状態から元の健康な状態に戻ったというわけです。

その現象をみてある人はこんな風に考えました。「ぞうきんやスポンジに吸い込まれた水が病気の真の原因だ」と。

これが「感染症の原因は病原体(細菌)である」とみなしたことに相当すると思ってください。

そしてその考えを前提として、ぞうきんやスポンジ以外にも、吸水ポリマーだとかくみとり機だとか、様々な方法を開発してきたとしましょう。これが「新しい抗生剤」であったり、「感染巣を除去する手術」であったりします。

確かにこれらの方法は最初の方はうまくいきます。これらの方法で確実に患者が改善していくものですから、この方法に慣れた人達は「ぞうきんやスポンジに吸い込まれた水が病気の原因」説に絶対の確信を持つようになります。

しかしながらこの方法論でよくなったと安心したのもつかの間、様々な手段の開発をよそに、今度は不思議なことに水道の蛇口の方が意志を持ち始めて、

いくら頑張って水を出してもなかなか6-7割まで水がたまっていかない状況に耐えかねて、さらにたくさんの水をバケツに注ぐように適応していきます。

・・・今置かれている状況を認識して、臨機応変に変化する不思議な蛇口だということにしてください(^_^;)

これは、いわゆる「サイトカインストーム」の状態に相当します。

そしてその結果、ぞうきんやスポンジその他を一生懸命使っているにも関わらず、水があふれ出して「病気」になってしまう瞬間が訪れます。これが「病原菌が耐性化してどの抗生剤を使っても病気が治らない状態」に相当します。

一方でそれまで一生懸命水を出すことで環境に適応しようとしていた蛇口はとうとう無理がたたって、ある瞬間から全く水が出なくなるという事態に陥ります。これが「システムの消耗疲弊」です。

そしてその状態が進行していくことが、臨終間際の肺炎で発熱が出せず、逆に低体温になったりする状況に相当します。

そしてもはや蛇口から水が出なくなった状況でバケツの水はだんだん蒸発していき、最終的には水がすっからかんになってしまうという流れです。これがいわゆる老衰死のプロセスを意味しています。


この一連の流れの中で真の病気の原因はどこでしょうか。

そう、「蛇口の水が出すぎること」です。適量だけ水が出続ける分には自然の蒸発分とプラスマイナスゼロで6-7割の水をキープすることができます。

・・・蒸発で水がなくなる速さと蛇口から水が注がれる速さは同じではないだろう、などという野暮なことは抜きにしてください。あくまでもたとえですので。

従って、水を吸い取る道具をいくら発達させたところで、それは根本治療ではありませんし、

水を吸い取る道具で病気が治ったからといって、スポンジの中の水は病気の真の原因ではないわけです。

もっと言えば、スポンジの中の水は本来健康であるために必要なものです。ただそれが多すぎて害をもたらし、そして多すぎたものをスポンジで除去することで病気が治るという結果をもたらしただけの話です。

本当に病気を治すためにすべきことは、出過ぎた蛇口の栓を少しだけ閉めることです。閉めすぎたらそれはそれで死んでしまいます。蛇口を完全に閉める行為は、抗がん剤で全細胞攻撃を行うことに相当するかもしれません。

一方で抗がん剤でも一見改善しているように見えることがあるのは、あまりにも蛇口から水が出すぎている状態に対して行えば効いているように思えても不思議ではありません。

しかし蛇口の水を閉め過ぎることは同時に死亡につながる行為でもあるわけです。それが故に死期を早めたとしか思えない抗がん剤使用者が後を絶たないのではないでしょうか。

ちなみにこのたとえの中で「ステロイド」は、蛇口を閉める行為に相当します。ただし自分で閉めるのではなく、誰かの手によって勝手に閉められる行為です。

そうするとここでは意志を持っている不思議な蛇口ですから、この状況に対しておとなしく従う場合もあるものの、

勝手に閉められた状態に抵抗するように再び蛇口をこじあけるような現象が起こることがあります。これがいわゆる「リバウンド現象」です。

そしてもはや「ステロイド」を使っても蛇口が閉まらない状態になり、最終的に蛇口が壊れて水が出なくなるというプロセスをたどることになります。

「形あるものいつか壊れる」ので、どれだけ蛇口を大事に使っていてもいつかは壊れてしまいます。それが「寿命」であるわけですが、蛇口の使い方次第で「寿命」が縮まるということはどうやらありそうです。

だから一番上手に蛇口を使うためには自分で蛇口を閉めたり、開けたりといった微調整を行うことが一番良いという構造がわかってくるのではないでしょうか。

勿論、その調整が難しいから「健康」はたやすくないわけですが、少なくとも蛇口に原因があると思っているのと、ぞうきんに吸われた水が原因だと思っているのとでは、蛇口の使い方は変わってくるのではないでしょうか。

「感染症の原因が病原体だ」という前提を見直すというのは、病気の原因をぞうきんの水ではなく、蛇口の調整を放棄していることだと見直すということです。

すなわち「感染症の真の原因が宿主のシステムの乱れにある」という前提で考え直すということです。

そうすると感染症対策の在り方は大きく変わってくるのではないでしょうか。

「抗生剤」の価値を否定しているわけではありません。ぞうきんが役に立っているということもまた事実です。

ですがそこだけに目を奪われている病気の見方を変えようではないかと提案しているのです。

なお今回は感染症とリンクさせて考えましたが、このたとえはすべての病気に当てはめることができるはずです。

そしてそれが理解できれば、すべての病気の治療の鍵を自分自身が握っていることに気づくことができると思います。



たがしゅう
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コメント

No title

2021/05/22(土) 14:45:59 | URL | michistlist #Nq73VAT.
とてもわかりやすい例えでした。人間の体は自分でその時々で一番良いように頑張って調整しているのに、表層だけを見て余計な手を(薬など)加えてしまっている。血圧やコレステロールなどの数値だけを見て、年齢や体調や食事などは全く見ずに、薬を出す今の医療と同根ですね。
一時は固形物が食べられないほど衰弱していた私の母は、大量の薬をやめたら嘘のように元気になり、毎日杖もつかず散歩しています。
それにしても衝撃なのは、これほど発達していると思っていた現代医療が、実はこれほど近視眼的な見方しかできないのか、ということです。もしかしたら薬を売るため、敢えて見ないようにしているのかもしれませんが。
60年以上生きてきて、薬や医者のお世話になったことは数える程なので、これからも常識やお医者様や政府の言うことを鵜呑みにせず、最後まで自分の体に聞いて、うまく付き合って行けたらと思っています。
これからも先生のブログ、動画を楽しみにしております。

Re: No title

2021/05/23(日) 17:59:31 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
michistlist さん

 コメント頂き有難うございます。

> それにしても衝撃なのは、これほど発達していると思っていた現代医療が、実はこれほど近視眼的な見方しかできないのか、ということです。もしかしたら薬を売るため、敢えて見ないようにしているのかもしれませんが。

 そのようにお感じになるのもごもっともだと思います。

 振り返ってみると、医学は新型コロナではじめて大間違いをしたわけではなく、
 これまでにも同様の大間違いを実は繰り返しています。
 「カロリー制限ではなく糖質制限で考えるべきだった」
 「消毒+ガーゼ中心ではなく、ワセリン+湿潤被覆材中心で考えるべきだった」

 これは偶然ではなく、現代医学というものの見方に根本的な欠陥があったが故の結果だと私は思っています。
 その欠陥とは端的に言えば「科学風の信念を絶対視してしまうこと」と「病気の根本的原因を人間の外に求めてしまっていること」です。残念ながら医学はその視点を見直さない限り、これからも大間違いをするのは時間の問題だと思います。

 ただよく世間で聞かれるような、陰謀論的な話ではないと私は思いたいです。
 むしろ一度こうだと思い込んでしまうとなかなかその思考を変えられないという人間そのものの性質を表している現象だと感じています。それがどれだけ回り道であったとしても、世の中を変えていきたいと思うのならまず変わっていくべきは自分自身だと思っています。

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