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見えない領域を明らかにしていくための2つの方法

category - 自分のこと
2021/ 01/ 08
                 
何一つ矛盾のない完璧な「理論」を構築することができれば、

その「理論」は、直接的には見ることのできない領域の現象の理由を時に説明することができたりします。

それが故に科学は世界の見方を拡げるし、確かな論理を積み重ねることで第三者へ正確に伝えることができますし、

第三者への説明を試みる時に大きな説得力をもたらすことも科学の優れているところだと思います。

しかしそんな科学の手法を駆使してもどうしても見えない領域があります。

その最たるものの一つが「人の心の動き」です。
            

これはどれだけ科学が進歩したところでブラックボックスのままだと私は思っています。

勿論、機能的MRIなどの研究結果や脳卒中などで脳の一部の機能が欠損した人の症状を観察したりすること、及びそうした知見の積み重ねによって、

脳のどこの部位が大まかにどのような活動を司っているかという脳機能の分布状態を把握することが今でもできています。

しかしそうしたバックグラウンドを元に実際にその脳の中でどのような心の動きが繰り広げられているかについては、

科学が進歩したと言われる現代でも把握できるのは本人しかいませんし、無意識領域も含めればそこは本人さえ把握できていないまさにブラックボックスの状態です。

こんな風に科学でアプローチできない見えない領域については為す術がないのかと言いますと、

「論理的に類推する」というやり方を使えば、見えない不可侵領域の中に迫ることも不可能ではありません。


それには大きく2つのアプローチがあります。

①周辺情報から類推する
②構造から類推する


①というのは、人が何を考えているのかはわからないけれど、

その周辺情報からそのブラックボックスの概要を明らかにしていくようなアプローチです。

ちょうど物的証拠はないけれど、数々の状況証拠から犯人の犯行を立証するような作業に近いのかもしれません。やったことはないですけれど(^_^;)

例えば何を考えているのかはわからなくても、人が興奮したり、緊張したり、運動したり心身に何らかの負荷がかかると交感神経系が活性化して、続いてストレスホルモンを中心とした内分泌系の仕組みが動員されることはわかっています。

一方で生体内のシステムは同じシステムを使い続けると機能がオーバーヒートし、使わない状態が長くなると機能が萎縮していくということは筋肉や消化管に起こっている現象を観察することで類推することができます。

また自律神経過剰刺激症候群と呼ばれる状態がありますが、自律神経系が刺激され続けてオーバーヒートすればどのような状態がもたらされるかということがここからわかるわけですが、

これは脳梗塞・脳出血や心筋梗塞などの救急病態、あるいは慢性肝炎や慢性腎不全、腎硬化症、肺水腫、膵炎などなどあらゆる慢性化しうる病態にも通じる現象であるということがわかります。

さらには神経のオーバーヒートが振戦や筋緊張という観点でパーキンソン病の病態とリンクし、それは自律神経が刺激され続けることでもたらされうるというつながりもわかります。

そうなるとパーキンソン病の病態には何らかの原因で自律神経が刺激され続けていることがあるということが類推できます。

さらにはパーキンソン病患者は特別な食生活習慣、職業環境、運動習慣、発生地域などが特にあるわけではなく、

わかっていることとして高齢化するにつれて頻度が多くなることと、もう一つは接してみて真面目や完璧主義な性格である人が多いということがあります。

そうすると、自律神経を刺激し続ける要因が心の中というブラックボックス内に存在している可能性が極めて高く、

さらに本来であれば自然に休息を求めるはずの自律神経考刺激が続くということは「無意識下で自律神経刺激を受け続けている」という類推が成り立つわけです。

「何でもかんでもストレスのせいにして・・・」と思われがちな私の「難病への慢性持続性ストレス関与理論」は、

私に言わせれば、しっかりと確かな周辺情報から外堀りを固めて論理的に類推して導いた、非常に確からしい理論なのです。

そしてもしこの理論が正しいのだと仮定すると、難病中の難病と呼ばれるALSに対しても、

無意識下の慢性持続性ストレスが病態に関与している可能性が十分に類推されました。

なぜならば、私が今まで接してきたALS患者さん達の思考が「〇〇でなければならない」という概念から離れられないと感じさせられるものであったからです。

同じ自律神経過剰刺激が、ある人に対してはパーキンソン病化に働き、別のある人に対してはALS化に働くという差異が生まれる理由はそれこそブラックボックスの域を出ませんが、

その差異を生じる理由がわからずとも、自律神経過剰刺激が難病の理由なのだとすれば、

私達が難病患者の方々にすべきことは大きく見直す必要があるということになってしまいます。

つまり難病の方にすべきことは画期的な新薬を投与することでも、病気はきっと治ると励ますことでもなく、

とにもかくにもまずは自律神経を過剰に刺激している無意識の思考のクセに気づいてもらい、それを修正できる唯一の人物である当人に考え方を改めさせて自律神経を緩めてもらうということです。

逆に言えば、その問題を放置したまま、いくら画期的な新薬を開発しようと、優れた生活サポートを整えようと、難病は着実に進行してしまうということを今の医療で観察される事実が残酷に指し示しています。

だからこそ私はオンライン診療を通じてこの構造に気づいてもらい、自ら主体的に行動変容を起こさせる医療を推進しているわけです。


②の「構造から類推する」という方法は、

私がよく「自然の構造を参考にする」というような言い方で用いています。

例えば、野生動物の挙動を参考にするのもその一例です。

野生動物、特に哺乳類は人間と構造的な共通点が多いということは疑いの余地がないと思います。

心臓があって、腎臓があって、骨の形は違うけど骨の構造は基本的に類似しています。

頚椎はどの動物も7つあって、あの首の長いキリンでさえ7つの頚椎の構造を保っています。

胎生でこどもを産むところも共通しています。一方で決定的に違うのは高次脳機能の発達具合です。

少なくとも表面上は人間のように言葉をあやつり、概念を作り、時に悩み続けることができる動物は人間しかいません。

だから野生動物の挙動は高次脳機能の影響、すなわち人間のみが感じることのできるストレスの影響を排除した時に起こる現象を考える上で参考になるのです。

もちろん、あくまでも共通しているのは構造だけなので、類推するにも限度があります。

例えば、小さなアリが岸壁をスイスイ登っていく様子を見て、人間も山の崖をスイスイ登っていけるはずだと類推するのは誤りであることは明らかです。

なぜならばアリにかかる重力と、人間にかかる重力が重量に比例して明らかに違うからです。

しかしこの差も重力という自然のしくみによってもたらされているので、無秩序に差が生み出されているわけではないということに注意が必要です。

一方で大きさによって起こる現象は異なれど、先程の臓器や骨組みのように構成成分の共通性は大きさが違えど保たれてあある場合もあります。

また自然界には「フラクタル構造」と呼ばれるものがあります。

「フラクタル構造」というのは、「微少な部分と全体とが相似的な構造をもっていること」を指しています。

例えば、当ブログで時々紹介する「2:6:2の法則」は、基本的には人間の中で観察される現象であるはずですが、

ミクロの領域では腸内細菌が善玉菌、日和見菌、悪玉菌がそれぞれ「2:7:1」の割合で分かれると言われています。

似ていると言えば似ているし、違うと言えば確かに違うかもしれません。

人間と細菌ではもちろん構造は違うけれど、生命活動を行っていて、集団生活を営むという点ではリンクする部分もあると、

つまりそこに「不完全なフラクタル構造」が存在しているということです。

この必ずしも完全一致とは限らない不完全性を包含した時に、自然界には「フラクタル構造」が結構見受けられるということに気づかされます。

別の例で言えば、人体の生命活動が約37兆個の細胞で構成されていることと、今の地球の活動が約75兆人の人間によって営まれていることが「不完全なフラクタル構造」に思えます。

地球には他の生物もたくさんいるから、それは違うのではないかと思う人もいるかもしれません。

しかし先程のアリと人間の違いではないですが、人間のみによってのみもたらされた地球への影響(例:大気汚染、市街化、大規模農業、工業化畜産など)という点に注目すれば、

人間の中で起こっている現象と、人間のみが集団として起こしている現象とであってこそ相似形が観察されると思います。この場合、むしろ高次脳機能に伴う影響をもたらしえない他の生物達も含めて考えるとむしろ相似形が崩れてしまうと思います。

ここまで見てきたように、②のやり方は①のやり方に比べると類推の精度が落ちます。相似形により類推される共通性が不完全なものである場合が多いからです。

ところが②の方法は時として、①の方法には出来ない離れ業をやってのけることがあるので捨てがたい価値があります。

それは①の方法では到底届かない領域のブラックボックスに踏み込むことができうるという点においてです。

具体的には人間を構成する細胞群と、地球を構成する人間群との相似形を考えた時に、

例えば人と人とが争っている状況は、細胞間で炎症反応が起こっている状況とリンクしますし、

国の中で貧富の差が拡大していたり、独裁制が敷かれて人権が蹂躙されてしまったりするような状況は、特定の臓器ががん化して秩序を失ってしまっているような状況とリンクします。

そうすると、がん細胞に対して行う治療法が、病んだ国を治すための治療法のヒントへとつながるという離れ業を成し遂げることができるわけです。

私の場合、がんの治療は過剰な糖質を断ち、ストレスをマネジメントすることが基本であるわけですが、

国にとっての糖質とは何か、国のストレスをマネジメントするとはどういうことかを考えていくと見えてくるものがあるような気がしませんか。あえて答えは言わないので考えてみてもらえればと思います。

逆に従来型のがん治療、例えば手術などは国の治療に当てはまると何なのかと、

それは核戦争などによって強制的に一国を滅ぼすことに他ならないのではないかと、手術という治療法の本質がありありと見えてくるようにも思います。

不完全性をわきまえた上で、この「構造から類推する」という手法を用いれば、

新しい世界が見えてくるとともに、今まで見てきた世界の見え方もクリアになっていくように思います。


今回は私の見えない領域を明らかにするための思考方法を紹介しました。

少しでも読者の皆様の参考になれば幸いです。


たがしゅう

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コメント

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フラクタル構造にヒント
社会のガン
と言う表現を以前耳にしました。
ヤクザや不良と言われる社会の秩序や風紀を乱す人々をガンと例えた言葉ですが、ここに例えた方の感性が込められています。
ガンを無くすには、それを切り取り排除するか、それを生み出した環境を正すべきか。
先生の類推方法で考えれば、後者だと自ずとわかります。
Re: フラクタル構造にヒント
だいきち さん

 コメント頂き有難うございます。

 人間社会を人体と捉えれば、細胞と人間がリンクするので、確かに「社会のガン」というたとえは人間におけるがん細胞とリンクしますね。
 一方、御指摘のように「社会のガン」には相手を非自己的に捉えるニュアンスがありますよね。がんを手術で取り去るという治療アプローチもまさにそうした理念に基づくものです。

 「社会のガン」と称する相手も自己的に捉えることができれば、やるべきことは排除ではなく、自己を含めた環境を整えること、本質的には自分自身を整えることである、とううことが理解できるのではないかと思います。