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矛盾が生まれたら理論を見直すべし

category - ウイルス再考
2021/ 01/ 07
                 
はたしてマスクがウイルスを防げるのかどうかについてです。

今、仮にウイルスの感染が拡大しているという事実があった場合、

それはマスクの装着率が不十分だったからだ」という解釈も成立しますし、

それはマスクにはウイルスを防ぐ効果がそもそもないからだ」という解釈も成立してしまいます。

なぜこのような真逆の解釈がともに成立してしまうのかと言えば、対象が見えないからです。データを科学的に検証することが困難であるからです。だからこそどちらの解釈も成立してしまうのだと思います。

マスクのエビデンスは色々出ていると思われるかもしれませんが、一つひとつのエビデンスを検証しますとそれぞれ不完全なデータであることに気づきます。

それなのに結論だけが一人歩きして、多くの人に揺るぎのない事実のように解釈されてしまっている実情があるのだと思います。

科学が発達したとは言え、まだまだ見えないものは多いのです。

「見えないものをあたかも見えたかのように解釈する態度」は決して科学的な態度ではありません。
            

真に科学的な態度とはまず明確にわかっていることを確認することから始まります。

その上で確認できない見えない領域に対しては「論理」をもとに類推し、仮説を立て、その仮説が正しいかどうかを検証する作業を繰り返します。

その結果、多くの検証に耐えることができた多くの事象に矛盾のない仮説は次第に「理論」と位置づけられることになります。

この「理論」は観測できない領域の現象も矛盾なく説明しうるという点で、科学の真骨頂とも言える特徴です。

ところがこの「理論」はあくまでもこれまでに立てられた仮説の検証に耐えうることができたものであって、これからも全ての仮説検証に耐えうることができるとは限りません。

一つでも「理論」にそぐわない検証結果が検出されたら、「理論」そのものを見直して、もう一度最初から論理的に仮説を構築し直して、新たに全ての検証に耐えうる「理論」を構築し直す必要があります。これが真に科学的な態度と言えると思います。


抽象的な話ではわかりにくいので、マスクの件で具体的に考えてみましょう。

まず私の知る限り、マスクに関してわかっているのは、ウイルスの平均的な大きさである径100nmの粒子を、全く隙間なくマスクを張りきった経路を通れば、通過量を70%ほど減らすことができるという事実です。

それはこちらのYouTube動画を参照にしましたが、これは論理的に矛盾のない検証結果になっていると思います。

しかしこの検証結果は隙間だらけでマスクをつけている人で同様の結果をもたらすことの証明にはなりませんし、

息苦しくて時々マスクから鼻を出す人も含めた中でどうなるかという疑問の答えに適用できるものでもありません。

一方で現在わかっているのはほぼすべての日本国民がある程度の不完全性を包含しながらも、マスクを装着するという行動を起こしたことを通じて何が起こったかという観測結果です。

例えば、手足口病やヘルパンギーナといったコクサッキーウイルス感染症やインフルエンザウイルスによる感染症が激減し、一方で新型コロナウイルス感染症は依然として増加傾向にあるという観測結果がわかっています。

今「マスクはウイルス感染予防に有効である」という仮説があるとして、

この仮説は「ウイルス粒子が何らかの形で伝搬し、接触し、細胞内に侵入し、増殖することで感染症を発症する」という「理論」の中から生み出されている仮説だと思います。

この仮説をもとに先程の観測結果を眺めれば、「やはりマスクはウイルス感染予防に有効であるが、新型コロナウイルスの感染予防には不十分であり、さらなる感染対策を講じる必要がある」というのが普通の解釈になるであろうと思います。

しかしながらこの現象、論理的に考えればおかしな話です。

なぜならばコクサッキーウイルスが属するピコルナウイルス科は径22-30nmの大きさのウイルス粒子であり、

この感染症を激減させることができるのに、粒子径100nm程度の新型コロナウイルス感染症が防げないのは論理的に合わないからです。

ただそれだけでマスクの効果なしと結論づけるのはまだ早いです。この手足口病やヘルパンギーナ、インフルエンザが激減したという観測結果が真の事実を反映していない可能性が否定できないからです。

これだけ自粛が要請され続け、病院やクリニックへの受診控えが起こり、なおかつ発熱患者には優先的に新型コロナの可能性が懸念されてしまうような環境の中で、はたして例年と同じような患者数を診ることができているかどうかです。

だから水面下で表面化していない手足口病やヘルパンギーナ、インフルエンザ患者が見過ごされている可能性は否定できませんが、これはどうにも見えない部分です。

このわからない部分を無理矢理結論づけようとせず、この潜在患者の可能性を見据えつつ現状を観察し続けるのが真に科学的な態度だと思います。

しかし、少なくとも「マスクがウイルス感染予防に有効である」という仮説には、すでに矛盾する事実が観測されているということは見逃さないようにする必要があります。これも科学的な態度だと思います。

「マスクの編み目は100nmの粒子の通過を防ぐけれど、現実世界のマスクの装着は径100nmのウイルス感染症を防いでない」という観測結果から、

新たにその事実に矛盾のない仮説を構築し直さなければなりません。

そこで私が論理的に考えて、到達した新たな仮説が「免疫システムが乱れた人は周囲に多い特定のウイルス粒子に対し過剰炎症反応を起こしやすい」というものです。

それはウイルス感染症は同時に2つのウイルスが共存することはあっても、2つのウイルス感染症が同時に発症することはない(例:インフルエンザウイルスとノロウイルスが同時に存在することはあっても、症状として出現するのはインフルエンザによる呼吸器感染症か、ノロウイルスによる消化管感染症のどちらかである)というウイルスの干渉現象にも関わってくる話ですが、

「ウイルス感染症を起こしているのはウイルス粒子そのものではなく、ウイルスを非自己と認識し続けてしまう自己システムの異常の方である」と言い換えることもできます。

ひいては「ウイルス感染症はウイルスが伝搬して起こる」という当初の「理論」自体も見直して「ウイルス感染症とは、周囲に存在する自己要素を含むウイルス粒子を非自己分子と認識し、炎症を惹起し続けてしまう自己の免疫システムの異常によってもたらされる現象である」という新たな「理論」を構築するところまで見直しました。

矛盾が生まれないように「論理」的に仮説を構築し、実際の検証で確認し、その積み重ねによって得られた盤石な仮説が「理論」です。

このように「理論」を見直せば、「コクサッキーウイルス感染症が激減したのに新型コロナウイルス感染症は拡大してしまう」という観測結果も、

「マスク自体は100nmの粒子の通過量を減らすのに、国中でのマスク装着で感染拡大を防止できていない」という観測結果も、

「高齢者や基礎疾患持ちに重症者が集中する」という観測結果も、「いくら隔離しても高齢者施設を中心にクラスターが発生してしまう」という観測結果も、

「ロックダウンで一時的に感染は治まったように見えるけど終息しきらない」という観測結果も、「有症状者と同じようにウイルスに曝露しているのに無症状でいられる人がいる」という観測結果も、

すべて矛盾なく説明しうるのではないかと思います。

勿論、一つでもこの「理論」に矛盾する観測結果が現れれば、改めて仮説を立て直していく必要があるとは思いますが、

現状は既存の「理論」で説明できない事象が次から次へと現れてしまっているように思います。

それにも関わらず、既存の「理論」の視点で観測結果を眺めてしまい、既存の「理論」の矛盾を放置したまま、見えない部分を既存の「理論」に合うように無理矢理に解釈してしまっている結果が、

「無症状感染者」や「変異種」といった新たに生まれた強引な概念の創出なのだと思います。

「無症状でも感染する」のではなく、「自己要素のあるウイルス粒子に対して非自己と認識して異物除去反応を惹起しないで済むくらいシステムが整っている人がいる」であって、

「変異種のせいで重症化する」のではなく、「非自己要素のあるウイルス粒子に対して過剰なほどに異物除去反応を惹起し続けて制御困難になってしまうほど自己システムの歪みがある人がいる」と解釈する方が矛盾が解消されると私は考えます。

「変異種のせいで重症化する」のであれば、変異種に接触しても重症化しない人がいるという理由が明確にされないといけませんが、それが解消できないままこの説を採用し続ける行為は矛盾の放置に他なりません。


現在の騒動を一言で現せば科学の暴走だと私は捉えていますが、

それは科学そのものの問題ではなく、科学を扱う人間が暴走してしまったということを意味しています。

科学の本分を忘れて、ただの一つの「矛盾」も残さない姿勢を忘れ、

見えない領域を無理矢理見ようとして「矛盾」を放置したまま、既存の「理論」を見直すことなく突き進んでしまっていることが、

「科学の暴走」という現象の本質的な問題点なのであろうと私は考える次第です。

科学に秩序を取り戻そうというのなら、今一度見直しましょう。

仮説を検証する観測事実に一つでも矛盾を生じるのであれば、その仮説自体を見直すという科学的な態度を。

さもなくば、私達が生きる道標となるはずの科学に、私達自身が滅ぼされてしまうという悲しい末路になりかねません。

そんな不本意な結末にならないように声を上げ続けていきたいと思います。


たがしゅう

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