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「留学」:小川仁志先生のオンライン哲学カフェ参加の御報告

category - イベント参加
2020/ 12/ 10
                 
毎月開催されている哲学者小川仁志先生の哲学カフェ、

今回もオンライン開催で都合がついたので参加して参りました。

今回のテーマは「留学とは何か?」でした。

小川先生が所属されている山口大学国際総合科学部は、タフでグローバルな人材を育てようという考えのもとに、

「留学」という選択肢を積極的に進めている状況があるのだそうですが、

ご存知のようにコロナ禍の影響で、海外へ行くことが困難となった一方で

今、「オンライン留学」という新しい選択肢も生まれつつあるという状況の中で、

改めて「留学」というものの本質について考え直そうという趣旨で哲学カフェが始まりました。
            

「人はなぜ、留学をするのか?」という疑問について考えた時に、

多くの人はそこに何か自分の知らない世界や新しい何かを求めようとする意志があるのではないかと思います。

ただ、「留学」という形をとっていたとしても、本人に何かを学ぼうという意欲が存在していなければ、

「留学」はしてみたけれど、結局何も学ぶところのない「遊学」になってしまうという部分があると思います。

そういう意味で「留学」が成立するためには「何かを学び取ろうとする意欲」が必須なのだと思うわけですが、

そうすると同じ海外に行って一定の期間を過ごすという意味で「海外旅行」と「留学」はどう違うでしょうか?

時間の長さでしょうか。しかし海外旅行も長くしようと思えばいくらでも長くできるし、学ぼうという意欲は海外旅行でも持つことはできるでしょう。

私は「海外旅行」と「留学」の違いは、「付き合い立てのカップル」と「同棲中のカップル」の違いのようなものだと思いました。

つまり「海外旅行」も「付き合い立てのカップル」も対象とする相手の表面的な部分しか見えないということです。

それに対して「留学」と「同棲中のカップル」は、実際に生活をともにすることによって対象のより深い部分を見ることになります。

相手を知るという意味では同じなのですが、見る部分の深さが違うということです。

さきほどの「遊学」的な「留学」になってしまうと、同じように見える部分が浅くなるという意味で言えば、

本当の意味で「留学」であるかどうかは、滞在期間や滞在形式によるものではなく、

「留学」は「深く相手の生活に溶け込んで自分にはない相手の本質的な部分を学び取ろうとする行為」だと言えるのかもしれません。

あるいはこんな疑問も投げかけられました。「留学」と「駐在」はどう違うのか?

駐在もある程度の長い期間、海外に身を置いて生活する行為という意味では「留学」と似ているかもしれませんが、

これは目的が全く異なります。「留学」の目的は「学習」ですが、「駐在」の目的は「労働」ひいては「賃金の獲得」です。

「留学」が相手から何かしらの学びを受け取る行為であるのに対し、「駐在」は相手側の財産を何らかの形で手に入れるという行為であると考えれば、

うばい合えば足らぬ、分け合えばあまる」のように似ているけれど、むしろ逆の行為だと言えるかもしれません。


さて、「留学」の本質が「相手の生活に溶け込んで深い学びを得る行為」であるとするならば、

今流行りの「オンライン留学」は「留学」たり得るのかという疑問について考えるのがもう一つのメインテーマでした。

これは私が取り組んでいる「オンライン診療」が、はたして「診療」たりえるのかという疑問ともリンクするので興味のある問題です。

「オンライン留学」というのはビデオ電話やビデオ会議ツールを用いて、遠隔で何か学びの場を提供するものです。

先日紹介した私のスウェーデン語学習も、「オンライン留学」に該当するのではないかと思います。

なぜならば、現地にいるスウェーデンの大学のスウェーデン人の先生が、私に学びの場を提供しているからです。

一方で中国語学習の方は、中国本土ではなく日本在住の中国人の先生が私に中国語を教えてくれている状況なので、

「オンライン留学」に該当するといっていいのかどうかわかりませんが、

教わる内容はおそらく同等のものなので、先生の場所や所属が違うからといって「オンライン留学に該当しない」とするのも不自然な印象を受けますので、

おそらく広い意味ではどちらも「オンライン留学」に相当するのでしょう。

さぁ、こうした「オンライン留学」は相手から学びを得ることはできますが、実際に現地に居住したり、実際に顔を合わせて触れ合うことによってこそ得られる学びを得ることができないという意味で、

従来の「留学」と比べると、学べる部分が減っているような印象があるように思います。

その意味では、従来の「留学」を「1」だとすれば、「オンライン留学」は「0.5」くらいになってしまう側面があるかもしれません。

ただ、減っているばかりではなく、これは「対面診療」と比べた「オンライン診療」ならではのメリットともリンクする話なのですが、

「オンライン留学」は従来の「留学」では機会を得ることができなかった人へ機会を与えることができるという大きなメリットがあります。

また従来の「留学」とコミュニケーションの形が異なることによって、コミュニケーションの質も変化する可能性があります。

チャットの文字情報や映像や動画の共有ファイルを駆使するなsど、「オンライン留学」ならではのツールを駆使することで、従来の「留学」以上に質の高い情報を提供することができる可能性さえ秘めていると思います。

こうした特徴をうまく工夫すれば、「オンライン留学」の「0.5」を「0.6」や「0.7」に高めていくことはできるような気がします。

しかしそれでも「オンライン留学」は「1.0」になりうるのでしょうか。

これは従来の「留学」で学べることを「1.0」だと定義してしまうと、「オンライン留学」はどこまでいっても「1.0」となることはないように思えるわけですが、

「留学」の定義をもう少し広く捉え直すことによって、「オンライン留学」の価値を見直すことができるようにも思うのです。

必ずしも現地で生活をともにすることだけが、相手の本質を学ぶ手段ではないと思うのです。

確かに一緒に生活すれば、学ぼうとする意欲の大きさに関わらず、本質的なものに遭遇しやすいのかもしれません。

しかし今度は逆に「オンライン留学」の形だからこそ見えてくる相手の本質というものも出てくるのではないかとも思うのです。

それが具体的にどのようなものなのかについては「オンライン留学」の歴史をもっと積み重ねていかないと見えてこないかもしれませんが、

私は現地に赴く従来の「留学」と、ビデオ通話を通じた「オンライン留学」は見ている部分に違いはあるものの、

相手の深い部分を知ろうとすることができるという定義で考えれば、両者とも本質的に「留学」たりえる行為ではないかと私は思います。

他にも日本にいる外国人と触れ合ったり、日本にある外国文化やそれを元にしたテーマパークに触れることも、

「オンライン留学」の不足点を補う方法として考えうると思いますが、

それがあまりにも作られたものであったりすると、「海外旅行」と同様に表面的な部分にしか触れられない行為となってしまうので、

ありのままの状態を感じられる場であるかどうかということの方が「留学」において重要なことなのではないかと思います。

その意味で、UberEatsに外国文化を出張して提供するサービスはどうかという案もカフェ内では紹介されたのですが、

私はそれは「留学」の本質からは大分ずれてしまっているように思いました。

どのようにサービスを提供するかにもよりますが、基本的に作られた「他所行きの」外国文化の紹介であるように思えてしまうからです。

ともあれ、「オンライン留学」は本質的な「留学」のための新たな一形式として、今後のさらなる発展を期待したいと思います。

そうすれば、「留学」の新たな可能性が切り拓かれていくことでしょう。


たがしゅう

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