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これからのコロナ時代の生き方を考える〜各論編〜

category - 自分のこと
2020/ 11/ 30
                 
前回、コロナ時代とでも言うべき混迷の社会を生きていくための自分の指針として、

「人類皆兄弟」的な思想を忘れないこと

「こども達に自分の頭で考えてもらう」ための場所を提供すること

この2点についての意思表明を行いましたが、

今回はその各論編です。今思いつく様々な場面について、

基本的に私がどのように動いていくべきかという点について、

現時点で思いつく限りの場面について頭を整理しておこうと思います。
            

まずは何と言っても「マスク」をどうするか、についてです。

どうやらマスクはウイルスのサイズの粒子(0.1μm)が通過する量を減らす効果はありそうです。

マスクの網目は50μm程度で、普通に考えたら網目よりもはるかに小さなウイルス粒子はスカスカで通りそうな気がしますが、

微粒子が空気とぶつかることで起こるブラウン運動によって、スカスカの網目であってもある程度はぶつかってくれて通過する量を減らしてくれることあるようです。

ただウイルスの吸入量が減ったら感染は起こらなくなるのかと言われたら、その証拠はまだないですね。

たとえ暴露量が減ったとしても、ひとたび感染が成立したらウイルスはいくらでも増殖できるようになるわけだから、

症状を有するようになるかどうかは、多少の量の差はあっても異物として認識されたウイルス粒子を排除できる免疫システムを持っているかどうかにかかっていると考えるのが妥当だと思います。

だからこそウイルス感染症は他人にうつされたという感覚よりも、自分の体調管理不足(管理の方法を知っているか否かに関わらず)という感覚の方を私は強く持つわけですが、

「人類皆兄弟」的な感覚を持つとしたら、そうではなく「ウイルス感染症は他人にうつされるもの」という感覚の人も多いという現実を踏まえながら対処を考えていく必要があります。

そして細菌をはじめ、他の微生物と同様に、私はウイルスからは離れるべきではないと思っています。

というよりも離れることは無理です。目に見えないし、全国どこにでも存在しうるし、どこでどうやってウイルスが命のバトンを繋ぎ続けているのかはわかりませんが、

とにかく今の世の中で、PCRという方法でその存在を認識される限り、もはや逃れることは不可能だと考えた方が妥当です。

また人間は常在細菌と共存しているのと同様に、常在ウイルスとも共存しているという「ヴァイローム」という考えがあることも知りました。

その意味で、結局はウイルスから逃れようとするのは意義が乏しいと判断して、私は基本的にマスクをつけないという方針を採用しようと思います。

しかしながら、先ほどの「ウイルス感染症は他人にうつされるもの(ウイルスは他人へうつしうるもの。ひいては他人にうつさないように心がけなければならない)」という価値観の人も多くいる社会の中で生きているわけですから、

おそらくそういう人が多くいると思われる公共の場では、マスクをつけて過ごすことを許容したいと思います。

本当は事前に誰がどのような価値観を持っているかを把握した上でマスクの着脱を選択できるのが理想なのかもしれませんが、

そんなことは知る由もないので、少なくとも表面上マスクをつけている人が多い場面では自分もマスクをつけようと思います。

たとえそのうち大半の人が本当はマスクをしたくないと心の中で考えていたとしても、です。

ただし、自分がマスクをつけることで息苦しさを感じるなどの不利益を被る時は外すことを優先したいと思います。

自己犠牲にならないように十分に配慮しながら、この社会を生きていきたいと思います。


次にワクチンをどうするかに関してですが、私自身は打ちません。

仮に安全性が確保されたという科学的根拠が明確に出たとしても、私自身が打つことはないでしょう。

科学的根拠というのが統計データである限りは見せ方によっていかようにも見せることができますし、

ワクチンの本質は不完全免疫の人為的駆動です。

打ったとしても本当にそれがどこまで役に立っているのか検証が不可能だし、他の病気には対応できないし、

なおかつ稀とは言え一定の確率で無視できない重大な副反応を受けるリスクを秘めているので、

自然重視型医療の観点から考えても不要なリスクは引き受けないようにすると考えます。

そのウイルスにかかると100%死ぬという病気でない限り、私がワクチンを使用することはないでしょう(今までに打ったワクチンはどうしようもないので、ここから先の未来を考えます)。

ちなみに狂犬病はかかると100%死亡に至ると言われている人畜共通のウイルス感染症ですので、

狂犬病ワクチンだけは接種するかどうか検討の余地がありますが、その100%死亡するという情報に疑いの余地はあります。

ですので、ここは現状狂犬病危険地域にはなるべく行かないようにするということで考えを保留にしておきたいと思います。

ちなみに私は医者なので、ワクチンをどうするかという意見を求められることはありますし、

非常勤先等で、ワクチンを打つ必要性に駆られる場面はあります。

その際には「郷に入っては郷に従う」ようにします。ワクチンを打ちたいという患者さんがいれば普通に打ちます。

そしてワクチンをどうすればよいか聞かれた場合には、最低限の情報を与えて自分の頭で考えて判断するように促します。

最低限の情報がどれくらいかというのはその場面によっても変わるので、一概には言えませんが、

少なくとも「打った方がいいですよ」とか「打たない方がいいと思います」などの意見の押しつけはしないということです。


続いて私自身の仕事に関してです。

基本的には「人類皆兄弟」的に仕事を行うという視点で考えます。

人は皆、動物として集団のつながりをもとめているはずです。

しかし今、それが様々な価値観の混乱によって、大きく乱されてしまっている状況です。

「感染を恐れる」という人が一定数いる限り、その人達を見捨てることのないように、安心して医療を受けられる土壌を整える必要があります。

そこでオンライン診療が変わりものの不完全な医療という認識から、一つの有用な医療の選択肢として受け入れられるようにオンライン診療ならではの技術を今後も発展させていくつもりです。

また薬を飲み続ける医療からの脱却が私の理想ですが、相変わらず薬を飲み続けたいという希望の方も多いと思います。

そういう方のニーズにも応えられるように両面で対応していくつもりです。

そして一方でオンラインでのコミュニケーションは、人と人とのつながりを考える上で、ワクチンではありませんが、不完全なコミュニケーション法という側面があります。

オンラインはあくまでも誰一人見捨てないためのツールとして土台を整えるのであって、メインはリアルでの対面コミュニケーションを重視する場を構築していきたいと思います。

しかしそこでもやはり感染を気にする人は多数いるという現実があります。

なので、対面コミュニケーションの舞台として考えるのはアウトドアの場です。

縁あって農業を始めたこともあって、自分の畑を持てるようになりました。そうした場でイベントを行うことも一つですし、

最近だと山登りやサイクリングなどのアウトドアスポーツにも興味を持ちつつあります。そうしたスポーツを利用して密になりにくい場で対面コミュニケーションをとっていくことも考えます。

そして総論でも述べたように、そういう場でこども達との関わりも増やしていくようにしていきたいと考えています。


最後に、私がこれから何を楽しみに生きていくかについてです。

それはなんと言っても、世の中が再びうまくつながっていくことを目指して、です。

色々な意見や考え方があるのは必然です。感染が怖いとか、密を避けたいとか、そういう様々な人達によって社会は構成されています。

しかしそれでも人はつながっているということを実感できる世の中になっていけばいいと思っています。

例えば、感染を恐れない関係が信頼の証のような価値観になっていけば、

対面を重視する価値観が徐々に復活していくようになっていくと思いますし、

そういう場が増えていけば、感染への恐怖も次第に薄れていき、社会が秩序を取り戻していくかもしれません。

そのための具体的な行動として、オンラインのコミュニケーションとリアルのコミュニケーションの組み合わた活動を行っていくと、

基本方針はそういうことになっていくと私は考えています。

「誰一人取り残さない」というテーマで2030年までを目処に掲げられた「SDGs(持続可能な開発目標:Sustainable Developmental Goals)」は、

このコロナ禍においても大きな指針を示してくれているようにも感じられます。

もっと一つ一つの個別的な課題で、追加で考えなければならないことはまだまだあるとは思いますが、

迷った時は今回のまとめを振り返って、初心を確認しながら考えていきたいと思います。


たがしゅう

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コメント

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No title
たがしゅう先生

マスクについてですが、飛沫感染防止のみが目的ならば、先生の御意見通りに考えますが、喉を乾燥から守ることが免疫力のUPに繋がるという説もあり、後者の観点からこれからの季節の外出時等は付けた方が良いのではないでしょうか。
Re: No title
タヌパパ さん

 コメント頂き有難うございます。

> マスクについてですが、飛沫感染防止のみが目的ならば、先生の御意見通りに考えますが、喉を乾燥から守ることが免疫力のUPに繋がるという説もあり、後者の観点からこれからの季節の外出時等は付けた方が良いのではないでしょうか。

 その考え方は一つ確かにあると思います。

 ただ私の考え方はなるべく身体の内側にあるもので体調を整えていくということを基本にしています。
 食事であれば栄養素を補充するというよりも、「身体のシステムをなるべく邪魔しないおいしいと感じるものを食べる」ことを是としますし、ストレスは外から与えられるものではなく、内側から自分が生み出しているものと考えます。
 その視点で言いますと、「マスクで乾燥を防ぐ」という考え方は、乾燥は外気温のせいという外に原因を見出す考え方になりますが、私の視点だと乾燥は内側の水代謝を維持するシステムが故障しているという風に考えます。つまり自分の体調管理不足です。体調さえ整っていれば少々冬の気候にさらされたところで、喉は乾燥しなくて済みます。もちろん、喉が乾燥してしまったら自分の体調を整えながら一時的にマスクを使用するということはするかもしれません。
No title
たがしゅう先生

新型コロナウイルスなんて世間が騒ぐほど怖い存在ではない、という事を前提として考えています。

ですから私はマスクも自粛もしないのです。がしかし先生がおっしゃるように、『人類皆兄弟』的な考え方をするのであれば、私不特定多数のヒトに不快な思いをさせており間違った行動をそしている事になります。

過敏になっている職場のヒトらには、『無意味なマスクを取り自粛をしない事こそがコロナとの共存に繋がる』と申し上げ、その理由をわかりやすく説明します。

私の話に安心されるヒトもあり、この場合、自身が考える行動を貫いて良かったと思うのです。何故なら私がマスクをし密を避けましょうなどと言うと説得力に欠けますから。

がしかし私が何を申し上げてもコロナは怖い・・・と言う思いが強いヒトには何も言いません。そしてマスク無しの私は近づかないようにします。この感覚も、広義の意味での『人類皆兄弟』ではないのでしょうか。(自身の考えを押し付けず、引いて相手の想いを尊重するという意味で)

総論から読ませていただきましたが非常に参考になりました。

くんだみえ
Re: No title
栗田三江(くんだみえ)さん

 コメント頂き有難うございます。

 社会の荒波に負けず、自分の意志を貫く栗田さんの姿勢は素晴らしいと思います。
 私もそうありたいという気持ちはありますが、私の場合、自分を貫き過ぎることで自分にストレスがかかってしまうこともまた紛れもない事実でした。

 試行錯誤の中で私の考えは「自分中心」から「自他中心」へと切り替わりつつあります。
 言い換えれば「周りの幸せなくして自分の幸せもなしえない」ということです。
 八方美人と言えば聞こえの悪いイメージの言葉かもしれませんが、その八方の中に自分も含まれているということが重要です。

 自分を大事にしつつ、周りの人にもよいと思える生き方はないだろうかと、
 そのために本質的にはどのような行動をとっていくべきなのだろうかと、
 新型コロナ騒動を受けて、非常に考えさせられ続ける日々です。