これからのコロナ時代の生き方を考える〜総論編〜

2020/11/29 18:30:00 | 自分のこと | コメント:0件

2020年は言わずもがなコロナ一色の年になりました。

公私ともに、よくも悪くも、様々な変化が起こった年だと言えますが、

今後もこの「ウィズコロナ」と称される社会の価値観の中で生きて行かなければならないというのは、

もはやほとんどの人が疑う余地のないところではないかと思います。

感染が落ち着く気配もなく、落ち着けばまたぶり返しを繰り返す混沌の時代です。

様々な情報も入ってきて、その度に心も乱されるかもしれません。

そこで今回は約一年間、コロナについて考え続けてきた私の考察を振り返り、

これからの時代を生きていくに当たっての私個人の心構えをまとめておこうと思います。 まず、「人類皆兄弟」的な思想を持つようにします。

コロナに関しては専門家でも見解が分かれ、一体誰のどの話を信用したらよいのかわからなくなっています。

こういう混沌とした状況の中では、ぶれずに自分の軸を持っておくことが大変重要ではあるのですが、

ともすれば、それは他人を置き去りに自分勝手な人生を生きるという選択になりえることです。

自分の軸に合わない人はどこの世界にも当然います。そういう人とは関わり合いたくないと思う気持ちになるのも無理もありません。

しかし「人類皆兄弟」という限りは、こうした人達も全てひっくるめて、全てを受け入れる必要があります。

絶対に自分と意見の合わない人は、自分の身体に例えれば恒常性を保ちたいと考える多くの細胞の中で、一人分裂増殖を繰り返し続けるがん細胞のようなものです。

そのがん細胞を手術などで排除しようとするのではなく、それでも受け入れてそんな細胞がありながらも社会として落ち着くようにするためにはどうすればよいかという形で考えていくのが「人類皆兄弟」的な思想の目指すところです。


これを踏まえて、コロナ時代における私の振るまい方を示します。

まず私はウイルス感染症は自己システムのオーバーヒートという考えを持っており、

ウイルス感染症を撲滅するのは不可能ですし、やってはいけないことだと考えています。

天然痘ウイルスの撲滅に関しても疑いの目を持っていますし、撲滅されたように見えて形を変えて存在していることもあります。

それもそのはず、ウイルス感染症とは乱れた自分自身のシステムを外来抗原との接触をきっかけに急速に戻そうとしている自分自身の姿そのものであるからです。

自分自身は決して消え去りませんので、ウイルス感染症が世の中から消えることは決してありません。

だからウイルスを消そうとも思わないし、避けようとも思いません。

一方で私がウイルス感染症にかかることを決して誰のせいにもいたしません。

旅行先でもしウイルス感染症にかかったとしても、それは旅行に向けて自分の身体を整えることができなかった責任だと捉えて、

同じことを繰り返さないためにフィードバックをして、その後の行動に活かします。

その過程で、「コロナをうつされた」と感じられて、私のその行動を不快に感じられてしまう人がいるかもしれません。

もしもそういう人と直接やり取りする事態に遭遇した場合は、価値観の違いを需要して不快な気持ちにさせてしまったことを謝罪します。

そしてその人の気持ちが治まるように最善を尽くします。最善を尽くした上で受け入れられない場合は少し距離をおくようにします。

距離がおくことを許してもらえない場合は、引き続き理解が得られるように最善を尽くします。

普通に考えれば、あまりにも価値観が離れた人の意見はスルーすればよいということにもなりそうですが、

それでは、あたかもがん細胞を手術で取り除く行為と同じであって、「人類皆兄弟」的な思想には至らないのです。


マスクのこと、仕事をどうするか、人々との関わりをどのように持っていくか、何を楽しみに生きて行くかなどに関しては各論として別の記事で語っていきたいと思いますが、

総論としてはもう一つ、私が今後の心構えとして持っておきたいのは「こども達に考える場を提供する」ということです。

普段よりさんざん「主体的であれ」ということを主張している私ですが、

主体的であるためにはある程度の条件が必要だと思っています。なぜならば赤ちゃんに主体性を持たせることは多分無理だからです。

いや、原始的な意味で赤ちゃんは主体的に生きていると言えなくもないわけですが、それは主体的というよりも「本能的」に動いているというだけだと思います。

私が言う「主体的に生きる」というのは、「自分の頭で考えて人生を切り拓いていく」という後天的に作り上げていく能力のことです。

大人はすでに価値観が固まっていることがほとんどです。それまでの人生の中で様々な価値観が強固に根付いており、そこを変えることは自分も含め容易なことではありません。

しかし、こどもは違います。考える上での材料が圧倒的に足りないので、主体的であるために自分の頭で考えようとしても考えられない、誰かの言うことに従うしかないというのが実情です。

そんな中で、今や誰の言っている何のことが正しいのかが見えなくなってしまっている社会です。

それなのに、主として学校という場で固定的な価値観が押しつけられてしまっている実情が確かに存在しているように思います。

学校でマスクやフェイスシールドが強要されている状況は、社会として明らかに歪んでいると私には感じられます。

しかしこの現実も受け入れつつ前に進まなければなりません。

だからといって冒頭の私の価値観を押しつけようという気持ちはサラサラありません。しかしせめて考えてみてほしいのです。

世の中には自分の頭で考えることによって、これだけ生き方を変えることができることもあるという事実を伝えたいのです。

だからこれから私の活動は、こども達にフォーカスを合わせて、

今はまだ動かぬ未来の社会を自分達の力で創り上げていってもらえるように尽くしていきたいと思います。

もちろん、大人をないがしろにするという意味ではありません。何せ「人類皆兄弟」ですからね。

今まで通り、主体的医療を支えるための活動は続けつつ、

徐々にこども達へ主体性を提供する場を作っていく方向へシフトチェンジしていこうと思います。


ひとまず、大きなところでの現在の私の気持ちとしては以上になります。


たがしゅう

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