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見えないウイルスに対する偏った見方に翻弄され続けている

category - ウイルス再考
2020/ 10/ 06
                 
新型コロナウイルスの登場によって私はウイルスというものそのものを抜本的に見直す作業を行って参りましたが、

その作業を通じてわかったのは、医学がいかに「ウイルス感染症」というものをわかっていないかということでした。

それは、例えば次のような現象を通じて理解することができます。

①細菌では重複感染は普通に起こるのに、ウイルスは2つのウイルスの影響がどちらかに偏るという干渉現象が起こるという理由がわかっていない

②同じウイルス感染症でもこどもの頃にかかった時には軽症で済むのに、大人になってからかかると重症化する傾向がある理由がわかっていない

③大きさはほぼ同じなのに、あるウイルスは空気感染するけれども、別のウイルスは空気感染しないという理由を説明することができない


それもこれもウイルスが目に見えない存在であるということ、「感染症とは病原体によって引き起こされる」という固定した価値観によってウイルスにまつわる現象を眺めていることが原因だと私は考えています。
            

私はウイルス感染症とは「自己システムのオーバーヒート状態」だと考えています。

もっと言えば、「異物と認識された物質によって駆動された異物排除用自己システムのオーバーヒート状態」です。

その現象が引き起こされたきっかけは病原体というよりも、そこにあるものを異物だと認識する自分自身です。

その異物の認識が適正であれば速やかに排除され、不適切であればいつまででも異物除去反応が起こり続けてしまうという構造そのものにあります。

適切に異物除去反応が起きているのに病原体の勢いが強すぎて異物除去反応を収束することができない、という可能性はおそらくありえません。

なぜならばウイルスはどこまで行っても目に見える形ほどに大きくなることはないからです。

細菌であれば、感染巣など細菌としての塊を作ることがあります。しかしどれだけ重症のウイルス感染症患者であっても、どこかからウイルスの塊を目にすることはありません。

確かにウイルスの大きさは細菌の10分の1ほどと細菌と比べればかなりの小ささです。しかし倍々ゲームで増殖する微生物の世界で10分の1の大きさはそれほどのハンデにはなりません。

スタートで10分の1の大きさの差があったとしても、ちょっとした時間の差で細菌と同じように塊として見えるレベルまで増殖することは可能であるはずです。

しかし実際にはウイルスが塊を作ったというケースは世界中どこでも報告されていません。

ということは少なくともウイルスはどれだけ増殖したとしても、塊として見えるレベルの大きさまでいかないということになります。

ならば異物除去システムが適切に駆動されているのなら、きちんと排除されなければ話が合いません。

この辺りの事実からも、「ウイルスに対する異物除去反応は、増殖したウイルスの数に比例して起こっているのではなく、そのウイルスを身体がどれくらいの強さで異物として認識したかによって変わる」ということがうかがえます。

このように「病原性」ではなく、「自分のウイルス(異物)の認識の仕方」によって症状の出方が変わると考えると、

興味深いことに従来医学で説明できていない冒頭の3つの謎について答えられるようになります。


ウイルスの干渉現象というものが起こる理由は、一人の人間の異物検出が同時に2つのウイルスを対象にすることができないからであり、

こどもより大人の方で重症化しやすいのは、それだけ長い時間システムを酷使し続けた分、システムのメンテナンスが難しくなってきていると考えれば説明がつくし、

空気感染するかどうかがウイルスの大きさで説明できないのも、空気感染するかどうかの判断が実際に病原体の伝播が確認されているからではなく、

空気感染を起こしたとしか思えないほどに同じ症状を呈する人の範囲が広がっているという現象から推測しているに過ぎないからだと考えればよいと思います。

「その症状を発生するには必ず病原体が伝播しているはず」という前提に立って考えているから、空気感染しただしていないだの話になりますが、

何らかの原因で病原体が直接伝播していないにも関わらず、同じ症状を発症する人が複数現れるという現象が起これば、医学はこれを集団感染と判断するしかありません。

今回の新型コロナウイルスについて言えば、その症状がありふれた風邪とそっくりだという点が非常に厄介です。

直接ウイルスが伝播していなくても、そこに何らかのウイルスによって風邪が引き起こされた人がいて、

そしてその新型コロナウイルスではないウイルスでたまたま風邪症状を引き起こしただけの人に新型コロナウイルスのPCR検査が行われて、仮に常在ウイルスであろうとウイルスの死骸であろうとPCR検査陽性という結果が出てしまえば、

もうそれは医学は病原性を持つ新型コロナウイルスが何らかの経路で伝播したとしか考えられないわけです。


それもこれもウイルスが見えないからこそなせる業です。

そしてウイルスへの価値観が固定されているからこそなせる業です。

この認識の誤りは医学が事実に対する解釈の仕方を見直さない限り、是正されることはないように思えます。

もしも私の考え方が間違っているというのであれば、誰かに冒頭の3つの現象が起こる理由を合理的に説明してもらいたいものです。


たがしゅう

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コメント

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No title
ウイルス感染症の本態は全て自己免疫反応であるという考えは私も以前から考えていたことで、このように明快にまとめて頂いた文章を読むことが出来て、とても参考になっています。

疑問に思っているのは、ウイルス感染に対して完全に免疫が働かなかったら何が怒るのだろうということです。
ウイルス感染症で死亡するというのは、家に入り込んだアリを始末するために、家ごと燃やすような対処をしているように感じるため、アリくらい見逃してしまえばいいと思ってしまいますが、
Mass effectも生じないウイルスについては実際の所見逃すとどうなるのかということについて興味があります。
Re: No title
kamkam さん

 コメント頂き有難うございます。

> ウイルス感染に対して完全に免疫が働かなかったら何が怒るのだろう

 興味深い思考実験ですね。
 「先天性免疫不全症候群」のことを考えればよいかと一瞬思いましたが、それらはいずれも免疫システムの一部が欠損している状態であり、全欠損している状態は現実には存在していないはずです。

 ただ逆に言えば、免疫はすべてのシステムがひとつも欠けることなく共働することではじめてその真価を発揮するのであって、どれか一つだけ偏って使用したり、どれか一人だけ極端に使用しなかったりするとその価値を示せないどころか、逆に秩序を乱すものへと変貌してしまうという構造が見えてきます。

 その意味で、仮に免疫が全欠損した場合を想像してみますと、細菌のように自己増殖できる存在の場合はたちまちその場を自己複製のためのエサ場として使用して、全身細菌だらけになってしまうのだろうと思います。死んだ人間が時間とともに腐っていくような状態ですね。
 ただウイルスに関してはおそらく同じようにはならないのではないかと私は思います。死んだ人間がウイルスまみれになっているという話は聞いたことがありませんし、それでなくともウイルス塊自体をどこかで見たこともありません。宿主の命とともにウイルスの命は尽きるものだとすれば、おそらく免疫が全欠損した相手に対しウイルスは何もしないでしょう。ちょうど石とか金属のような無機物にウイルスがただくっついているようなイメージに近いと思います。
 
 やはりウイルスには「自己」的な要素が存在していると私は考える次第です。

 2020年6月19日(金)の本ブログ記事
 「ウイルスには『自己』的な要素がある」
 https://tagashuu.jp/blog-entry-1786.html
 もご参照下さい。