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善悪のものさしにとらわれない

category - ふと思った事
2020/ 09/ 17
                 
私は糖質制限推進派医師として、様々なタイプの糖質制限実践者の方々と出会ってきました。

しかし最近は自分が無農薬無肥料自家採種農法というやり方で農業を始めたということもあって、

どちらかと言えば、糖質制限というよりは自然派というか、身体にとって不要な食べ物を取らずになるべく自然の形で食べ物を摂りたいという考え方の人達と交流する機会が増えています。

畑で作る作物には糖質の多いものもあるので、一見糖質制限と両立はしないと思われるかもしれませんが、

本質的に「不要なものは摂取しない」という点では共通していると私は感じています。

それどころかこの二つの考え方は弁証法的にまとめて「自然重視型食事療法」としてさらなる高次概念に通じるとさえ私は思っています。

ですがその辺りの持論はさておき、今回は最近とある自然派の方のお話を聞いていた時にはっとさせられたことについて書きたいと思います。
            

とある自然派の方が農薬や添加物を避けたり、遺伝子組み替え食品の情報をきちんと捉えてそれらを避けたりと、

食事で人生を狂わされないように、健康で自由に生きられるように精一杯気を遣って食生活改善に取り組んでおられたようなんです。

そんなある日、その方がひどく疲れていた時にたまたま友人にチョコを勧められて、正直食べたいと感じたのだけれど、

頭の中で「このチョコには糖分が多くて、添加物もたくさん入っていて、身体に悪いから食べたくても食べてはいけない…など・・・」などと悩んだ末にチョコを口に入れた時にふと気づかれたそうです。

「自由を求めて食事を変えてきたのに、かえって不自由になっている自分がいる」と。

それまでであれば何の気もなしに気軽に食べていたチョコに対してものすごく罪悪感を感じてしまっているのでした。

これには考えさせられました。私の言葉で言うと「ストレスマネジメントの観点が置き去りになっていた」とでも申しましょうか。

あなたの身体はあなたの食べたものから出来ている」という有名な言葉がありますが、

本当はあなたが食べたものだけから作られているわけではありません。常に揺れ動く「心」というものが存在しています。

心が自由であることは、何をどう考えてどう判断してもいい状態であるはずですが、

頑張って食事の不要を取り除いてきた行動はかえって自分の行動や可能性を制限してきたと考えられたわけです。

この矛盾の背景にある問題として私は、何を良しと考えて何を悪いと考えるかという「善悪のものさし」があると感じています。

この場合、「身体に悪いものを摂ることが悪である」という「善悪のものさし」ですね。

糖質制限実践者にも「糖質の多い食品は悪である」と、そこまで直接的には思っていないにしても、それに近いような価値観があるのではないかと思います。これは「善悪のものさし」で世界を見ている考え方です。

この「善悪のものさし」が存在していると、善という価値観の中の行為はストレスなく行うことができますが、

悪という価値観の中の行為を行う時に常にストレスがかかり、またその行為を行わない場合でもストレスがかかってしまいます。

勿論、ストレスには良い側面もあります。ストレスを乗り越えて自分が成長するという構造もあるでしょう。

しかしそもそもそのストレスは自分がいつの間にか設定した「善悪のものさし」という概念によって生み出された、言わば人為的なストレスです。

そのストレスを頑張って克服して成長を促そうとするよりも、そもそもそのストレスが本当に必要なのか、大元の原因となった「善悪のものさし」という価値観を外すという選択肢はないのかという疑問がわいてきます。

言い換えれば、本来戦わなくてもよい幻の敵と戦って心身を消耗してしまっているような状況です。

・・・今のコロナウイルス騒動にも通じるような構造の話にも思えますが、いかがでしょうか。

実在する敵や困難であれば乗り越えて強くなる必要もあるでしょう。しかし実体なくいくら攻撃しても倒すことができないような相手なら労力を費やすだけ時間の無駄です。

従って、実体のない敵と戦わないようにするためには「善悪のものさし」を外して世界を眺めるという視点が必要なのではないかと私は思います。


農薬にしても、添加物にしても、過剰糖質にしても、そこに絶対悪として存在しているわけではありません。

それらの悪い部分が目についてしまうかもしれませんが、その視点では見えてこない良い面もその物質には存在しているはずです。

そしてそもそもがそれらの物質は善でも悪でもないのです。ただそこに存在し、それなりの特徴を持っているだけの存在です。

そうなれば不要な敵と戦わないためにも、それらを良いとも悪いとも捉えずに「そういうもの」だとニュートラルに捉える視点が大事になってくるはずです。

ただ本当にニュートラルに捉えるだけだと、自然界の人間以外の動物達と一緒です。

五感ベースで行動し、五感で感じ取れる原始的なリスクは避けることができるけれど、一定のリスクでそれでは避けられない自然の脅威に遭遇して自分に不利益がもたらされてしまいます。

ここから一歩人間ならではの工夫として、自然に適切な人為をもたらすという発想でニュートラルから一歩進めてものごとをポジティブに捉えるというアクションを起こしてみましょう。

先程のチョコの例で行けば、確かに糖質過剰はよくないという事実はあるけれど、

1回の血糖上昇がすぐに不可逆的な細胞破壊につながるわけではなく、むしろチョコ迅速なエネルギーを提供する非常食となりえる存在だと捉えます。

添加物についても過剰摂取はよくないけれど、基本的にはこの味を安定させるために加えられた人為の結晶だと捉えます。

そうすると添加物や糖質そのものの存在が悪なのではなくて、それを漫然と摂取し続けることが問題だという本質に気付き、

その特徴を理解した上で一時的に利用することは悪でも何でもなくて、むしろ善(ポジティブ)だと捉えるようにします。

具体的にはチョコを食べて一時的な血糖上昇で緊急的な疲労を解除するけれど、根本的には「休息」という方法で解決するのでそれまでの一時的な方法としてわきまえて利用し、

また状況が変わって平常運転時に戻ればまた自分にとって負担の少ない食べ物を食べていくと、そのように緩急をつけて強い物質と弱い物質とをうまく使い分けていくというやり方です。

ポイントは「自分の頭の中で考えて、心底納得できている」ということです。さもなくば誰かの受け売りで聞いただけで自分の中で納得できていないようだと机上の空論であって、同じことを実行しても自分に嘘はつけないのでしっかりとストレス負荷が加わってしまいます。

そのように存在そのものへの「善悪のものさし」を一旦外し、ニュートラルに捉え直した上で、さらにポジティブの解釈を加え直して行動すると、

そうすることによって、自分の学んだ知識のせいで自分自身を苦しめるという見えない敵との終わりなき戦争へと突入しなくて済むのではないでしょうか。

以前私が考察した「血糖値に人生を支配されない」にも通じる話です。

言うは易し、行うは難しですが、取り入れる価値は十分にある方法だと私は思います。

そしてそれは他ならぬ自分自身にしか実行できない方法だと思います。


たがしゅう

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コメント

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No title
 遅レスで済みません。
 私は、「閾値:しきいち」という概念をもっと重要視するべきだと考えています。
 閾値とは、毒物については「それ以下だと毒性を発揮できない量又は濃度」であり、薬についていえば「それ以下だと薬効をもたらさない量又は濃度」となると理解しています。世の中一般的には、「悪いものは少しでも悪い、少しでも溜まっていくから危険だ」との考え方が主流ですが、人間の自己修復力は強力ですし不要なものは排泄されます。
 例えを上げると「糖質という毒物は、糖質に対する抵抗力であるインスリン分泌に障害がある糖尿病患者においても、江部先生のスーパー糖質制限食までなら、人体に害をもたらすほどの毒性を発揮できない。スーパー糖質制限食が、糖尿病患者にとっての糖質の閾値である。」ということです。
 なぜ、閾値が重要と考えるかというと、発がん性部質等の有毒物は巷にあふれていますが、通常の食事をしているレベルならば、はるかに閾値以下になるように基準が定められているからです。(例外は「糖質」と「界面活性剤」・・・私は夏井信者です。)
 そして基準値以下の有毒な部質を気にしすぎると、そのストレスの害の方が大きくて、食事によるストレス解消どころではなくなるからです。
 また、健康食品の有効成分の多くは薬効をもたらす閾値以下に見受けられて、お金の無駄遣いに見えるからです。

 ここでいう閾値は統計的な数値であって、過敏症の方には当てはまらない場合は当然にあるでしょうから、個々人の経験に照らし合わせて自分で評価することも大切ですが、気にしすぎない方がストレスを呼び込まずに健康的だと考えています。

 付記しますが、3.11原発事故の後、残留放射能の基準値(=当然に閾値より遥かに低い。確か広島と長崎の犠牲者のお陰で出来たと記憶しています。)が、根拠もなく半減されたために、不要な避難を強いられ故郷を捨てるという強いストレスに晒され続けた方々を生んだ菅直人というポピュリストは絶対に許せないです。
Re: No title
タヌパパ さん

 コメント頂き有難うございます。

 「毒と薬は紙一重」という言葉があるように、毒も絶対悪ではありません。
 毒もその量や場面によって有意義であることもあります。善悪のものさしを外してみると見えてくるものがあると思います。

 そのものの見方で言えば、スーパー糖質制限食以下の糖質は毒にならないどころか、身体をスムーズに動かすのに有益となっている可能性さえあると思います。そう考えるのと「毒性が出なくて済んでいる」と考えるのとでは同じスーパー糖質制限食でも心の在り方は正反対です。

 逆に言えば、良いのか悪いのか白黒はっきりつけにくいものの見方だとも言えますが、そのようにどちらにも着地させられず、ああでもないこうでもないと迷いながら生きていくことが実は人生を謳歌する最大の秘訣なのかもしれません。
No title
たがしゅう先生

 ご返信ありがとう、ございます。
 私も、世の中には、正答が一つしかない物事は少ない方だと思います。
 その中で、一つの考えにとらわれずに、迷いながらというか、間違ったと思ったら軌道修正しつつ、自分で決めた(あるいは面白そうだと思った)方向に足を前に進めてきたつもりです。
 自分で選んだ方向に動けば、自分なりの結論が得られますし、それが失敗であっても自分が選んだのだと諦められますし、人を恨む必要も生じないことが一番のメリットかと。