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現象からの推測が誤っている

category - ウイルス再考
2020/ 07/ 18
                 
前回、基本再生産数のあやうさについて触れましたが、

なぜあやういのかと言いますと、この理論が現象から推測される解釈の一つに過ぎないからであって、

その理論を裏付けるような科学的な再現性が確認できないからだと私は思います。

そしてその目で見ていると、感染症学全体にこのような「現象から推測しただけの理論(解釈)」が横行していることに気づきます。

例えば「致死率」「感染経路」「終生免疫」です。これらの概念のあやうさについて順に見ていきたいと思います。
            

まずは「致死率」です。これは(死亡者)÷(感染者数)で現される数値だと思います。

例えば致死率が高いことで知られるSARS(重症急性呼吸器症候群)の致死率は、参照するデータにより変動はありますが10%程度だと言われています。

一方で新型コロナウイルス感染症(COVID-19) の致死率は、対象集団によって様々です。例えば中国からの報告では、致死率は20代が0.2%に対して80 歳以上では14.8%、持病なし0.9%に対して心血管疾患を持つ人は10.5%です。

あるいはシンガポールでは0.1%未満ですが、ベルギーだと15%以上です。それぞれの数字で受ける印象は全く変わってきて、実は違う病気なのではないかと考えてしまうのも無理もありません

しかし当たり前ですが、「致死率」は(死亡者数)が一定であったとすれば分母の(感染者数)が大きくなればなるほど小さくなる数字です。

あるいは測定する集団を重症者に絞れば絞るほど「致死率」は高くなっていきます。

つまり無症状者を含めて無差別的に検査を施行していけば、「致死率」はどんどん下がるし、有症状者を中心に重症例にフォーカスを合わせていけば「致死率」は高くなります。

これは社会が新型コロナウイルスのことをどのように捉えているかによって「致死率」は変動するということを意味します。

しかししばしばこの「致死率」の数値だけが世間に一人歩きをします。この数字は新型コロナウイルスが人を死に至らしめる怖いウイルスだという印象を与えます。

でも実際には私達は新型コロナウイルスに感染したとして、その確率で死ぬかどうかが決まるわけではありません。

ウイルスがどうであれ、そのウイルスを排除するシステムが機能できれば健康を維持できるし、システムが機能しなければ死亡に至るというだけの話です。それ以上でもそれ以下でもありません。

はっきり言って他人から導かれた数値は自分には関係ないのです。それでもこの数値は自分にも同じように当てはまる印象を持って迫ってきます。これが感染症学における第一の勘違いです。

エボラ出血熱の致死率は80〜90%とも言われていますが、これは重症者を調べているからが故の数値の高さかもしれません。

SARSとSARS-CoV-2の「致死率」の調べ方でこれほどまでに数値が変動することを踏まえれば、エボラ出血熱の場合も、もしかしたら他に無数の無症状感染者がいて、全部調べたら「致死率」がぐっと下がるという可能性も否定できません。

重症化症例の病像で言えば、SARSもCOVID-19もエボラ出血熱も同じような状態に至っているように思えます。


次に「感染経路」です。新型コロナウイルス感染症騒動においてもさんざん「感染経路不明」の問題が取り沙汰されています。

その「感染経路不明」という概念自体、「ウイルスは必ず人から人へ伝達されて感染するもの」という前提に立っているわけですが、

実はウイルスには「常在ウイルス」というものがあり、常在菌と同様にヒトの中に無数に存在しているということがわかっています。

東京大学医科学研究所 感染症国際研究センター システムウイルス学分野の佐藤准教授らの研究によりますと心臓、肝臓、肺、腎臓、脳、大腸、脂肪組織など身体のあらゆる組織から少なくとも39種類のウイルスが常在していることが示されたそうです。その中には旧型コロナウイルスの一種「HCoV-229E」の姿もありました。

要するに誰からもコロナウイルスをもらっていなくて、普段は常在していたウイルスが、体調の悪化に伴って自然免疫が正しく駆動しなくなり、

それまでは「自己」と判断されて潜在していただけの常在ウイルスを、「非自己」と誤認識することによって攻撃を開始するようになってしまった可能性も考えられます。

もしそうであれば「感染経路不明」になるのも無理もなく、それだと「感染経路」など存在しないということになります。

しかし「感染経路不明」という概念は、必ず誰かから感染しているという大前提に基づいているので、

「感染経路不明」は感染源は突き止められていないけど、かならず感染源が存在するという強固な観念を導いてしまうのです。

もっと言えば、「感染経路不明」が増えれば増えるほど、説明できない現状を説明するために、これは「空気感染」しているに違いない、などと理論の方を修正して現実に無理矢理合わせようとしてしまう出来事が起こります。

「(新型コロナウイルスが)空気感染しない理由が説明できない」という記事でも語りましたが、粒子の大きさだけで考えれば空気感染する結核菌や麻疹ウイルスと同様、新型コロナウイルスが空気感染しないのはおかしいですし、

大きさだけで言えば結核菌より小さいすべてのウイルスが空気感染しないとつじつまが合わないことになりますが、実際にはそのように捉えられていません。

なぜならば、「空気感染したとしか考えられない実例」が観察されていないからです。

「無症状者からの感染」「若者が感染を広げているに違いない」という話も同様の構造で、「必ずヒトからヒトへと伝染する」という前提があって現実に起こっている現象と整合性を保つために導かれた論理だと思います。

決して無症状者からの感染があるということが科学的に証明されて言われ始めたわけではありません。現にWHOの無症状者感染に関する言及も右往左往しています。

このあたりも感染症学における概念が、理論によって構築されているのではなく、現実に起こっている現象からの推測でしか語られていない側面がうかがえます。


最後に「終生免疫」です。これも「おたふくかぜ(流行性耳下腺炎)」とか「はしか(麻疹)」とか、「3日ばしか(風疹)」とかで、

こどもの頃にかかるとその後は一生かからないという現象が経験的に観察されていて、

抗体を測定すると、長い期間残存していることを確認することができるので、これはきっと「終生免疫」があるのだろうという「現象からの推測」が行われています。

この推測が強固に信じられていることが、現在にも受け継がれている「免疫と言えば”抗体”」の思想へとつながっているように思います。

けれど何か具体的なメカニズムが解明されて「終生免疫」があると言っているわけではないのです。あくまでも「現象からの推測」です。

しかし可能性としては例えば、「抗体」による「液性免疫」が終生働いているのではなく、こどもの頃に発生しうる恒常性維持機構の特定のシステムエラーが、成人になることに安定化して同様のことが起こらなくなっているということも考えられるわけです。

けれど「麻疹はウイルスによって引き起こされるもの」という概念が大前提にあるから、現象を説明するためには「終生免疫」という概念を持ち出すより他になくなってしまいます。

しかしその理論に無理があるからこそ、なぜ一部のウイルスだけにしか「終生免疫」が起こらないのかという理由が未だに解明されない事態に陥っています。

すべての現象が合理的に説明できる仮説でなければ、その仮説には穴があると考えるのが事実重視型思考であるわけなので、

このような説明できない現象が見つかる以上は、仮説自体を見直すより他にないように私は思います。

私に言わせると、感染症学は今音を立てて崩れてきていると思います。

「ウイルス感染症はウイルスによって引き起こされる」
「ウイルス感染症は必ずヒトからヒトへと伝播することで発症する」
「ウイルス感染症から身を守るには”抗体”の産生が必要不可欠である」


これらの常識をすべて見直して、すべての現象を無理なく説明できる仮説を導かなければ、

現象を正しく捉えて対策を考えることは不可能だと私は思います。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

No title
 前にも似たようなことを書きましたが、感染症学派の方々は「病気になるのは悪いばい菌のせいだから、薬でばい菌を殺しましょう」という方法論しか持っていないので、可笑しな説明しか出来ないよう見えます。(素人目には、ですが)
 ただ、その方法論が単純で分かりやすいので、対処法等の説明を求められる政治家やマスコミの方々が依存してしまっているようにも見えます。
 統計学的な疫学派の方々や免疫学派方々のアプローチの方が(完全ではないようですが)事態を行く説明できていると思います。
 しかし、それが信頼できるかどうかを判断するためには、それぞれの基礎的な論理の習得が必要なのに、責任ある方々がそれをサボっているようなのが悲しいです。

 ちなみに私も、夏井先生に導かれて、傷は消毒せず、ノープーで、糖質制限者です。花粉によるサイトカインスームであると言われている花粉症は、(多分)糖質制限のお陰で発症しなくなりました。
Re: No title
タヌパパ さん

 コメント頂き有難うございます。

 細菌にしても、ウイルスにしても、人間との関わりをよく「戦い」と表現されますが、細菌やウイルス側の立場で考えるとただ目の前にある現象に対して実直に(?)取り組んでいる結果を人間があれやこれやと騒いでいるに過ぎないように私には思えます。

 本当に世界中のどれだけ頭のよいとされている人達でも、前提が間違っていると間違った方向に進んでしまうものなのだということが今回の件でよくわかりました。教訓としては正しいと思ってやり続けていることに違和感を感じた時は、大前提となっていることを疑ってみるということでしょうか。そうすれば突破口が開けるかもしれません。