「私がどうしたいか」基準で動く
2020/07/10 06:30:00 |
読者の方からの御投稿 |
コメント:6件
ブログ読者の茸 さんから「主体性が否定される」と題して次のような御質問を頂きました。
> 昨今の状況はマスク、アルコール消毒、勉強会ではフェイスガードや衝立使用。
> 映画館も、公共施設も主体的行動を許してくれません。入場禁止です。地下鉄もマスクなしでの乗車には勇気が必要です。マスクなしでも有りでも結局ストレスです。事コロナに関しては主体性を発揮しようとすればするほど、下手をすれば人間関係、仕事関係までおかしくなりそうです。今ではひょっとしたらワクチンの強制?までと心配もしています。そんなジレンマを先生もお感じになっておられると思いますが、このあたりについて先生はどう思われますか?
これは今主体性の問題に取り組もうとする人にとって、現実に立ちはだかってくる大きな壁であり、
私の意見を聞いて同様の疑問を感じている人も多いことと思います。何を隠そう私自身が同様の疑問で悩んできた張本人です。
この疑問について私が考えを積み重ねてたどりついた現時点での考え方をお伝えしようと思います。 まず第一に「他者は変えられない」という基本を確認しておきましょう。
私達がどれだけ考察を積み重ねて、未知の部分についても、すでに判明している事実から類推し、妥当性の高い結論として「マスク・消毒・石けん手洗いは不要、三密回避不要、ソーシャルディスタンス確保不要」という指針を導いたとしても、
社会はすでに「マスク・消毒・石けん手洗い励行」「三密絶対回避」「ソーシャルディスタンス絶対確保」という「新しい生活様式」を受け入れてしまい、この流れはもはや留まるところを知りません。
そうすると、茸さんのおっしゃるようにあらゆる公共施設の、あらゆる場面でこの「新しい生活様式」を求められるというストレスイベントを生じることになってしまいます。
だから「新しい生活様式を拒絶する」という選択を主体的に行おうにも行えない状況があるというわけです。
この状況を元に戻そうと、例えば市民署名活動を行うというアプローチもあるかもしれませんが、私はそのようなアプローチは得策だと思いません。なぜならば「他者は変えられない」からです。
ということは、この変わらない理不尽な社会の中で、自分はどのように振る舞うべきかということを考えなければなりません。それでも主体的であるために私はどのように行動すべきでしょうか。
いろいろと悩んだ結果、常に「(その状況で)私がどうしたいか」という基準で動くという原則を持つことにしました。
例えば、私が映画館に行って、入館の条件がマスク着用、消毒必須、ソーシャルディスタンス確保だとします。
それでも私がそこで映画を観たいと思ったら入館しますし、観たいと思わなかったらそもそも入館しないようにします。
その映画館でその映画がどうしても観たいと思えば条件を受け入れるでしょうし、その必要がなければ別の映画館を探すか、別のメディアで観られる方法を探すという行動をとるでしょう。
あるいは自分が地下鉄で移動するという場合も、マスクをつけたいと思うか、思わないかという基準で考えます。
ちなみに私は電車や地下鉄で基本マスクをつけませんが、先日満員電車に遭遇した際に目の前にいた人が嫌そうな表情をしていたのが見てマスクをつけるというのに切り替えたという出来事もありました。
自分に見えない人達のことまで考える義理はないし、考えようとも思いませんが、流石に見えた人に対しては配慮をします。中途半端と言えばそうかもしれませんが、このように臨機応変に動くことで私は私の心を守っています。
さらに仕事関係で言えば、私はマスクをつけないという姿勢をオープンにし、相手の方にそれにより不快だと思うかどうかを確認するようにしています。
その結果、不安や不快を感じるという方に対してはマスクをつけるようにしますが、このやりとり自体私がその相手の方と一緒に仕事をするかどうかの判断材料として利用するようにします。
そんな風に仕事について自由に振る舞えるのは私がフリーランスだからだと思います。会社に所属するサラリーマンという立場だとおそらく同じようには行かないでしょう。
もし今、私がサラリーマンであれば、おそらくどう振る舞っても会社の判断に従わざるを得ない状況に追い込まれると思うので、やっぱりフリーランスへ軌道修正していくと思います。
ワクチンの強制などを求められるような状況に至れば、考察を積み重ねた今の私ならほとんどの場合全力で拒否するでしょうね。
すべて、「なぜならば、私がそうしたいから」です。
そのように、この世の中は確かに自分の思い通りには変わってくれないけれど、
そんな中でその条件、その瞬間で、その都度「私がどう思うか」という気持ちを大事にし、実際の行動に活かすという原則に従ってさえいれば、
どんな世の中になろうとも主体性は保たれるのではないかと私は思うのです。
「私がどう思うか」に従って動く・・・言葉で言えば当たり前のようなことに思えます。言われなくても皆そうやって生きているのではないかと思われるかもしれませんが、はたしてそうでしょうか。
私には、多くの人は「自分がどう思うか」に従って動いていないように思えます。
今マスクをつけている方、それは本当にあなたがマスクをつけたいからつけているのですか?
本当は自分はマスクを外したいけれど、周りに何を言われるかわからないから仕方なくマスクをつけているということはないでしょうか?
かくいう私もマスクをつけないことで周りに何を言われるかわからないという不安が全くないわけではありません。
しかし「マスクを外して周りから何か言われるかわからないリスクを背負う選択」と「不本意なマスクをつけ続けて苦しいのを我慢しながら過ごす選択」を天秤にかけた時に、
前者の方が私がしたいとより思える選択だからその選択をとっています。すべての人が私と同じ結論になるとは限らないし、状況によっても変わってくると思います。
だからこそ常に「自分はどう思うか」について意識を向けて行動を考えることが必要で、これこそがまさに「主体性」が要求される生き方だと私は思います。
マスクをつけるか、つけないかとやり方を1本に絞ることは、ある意味で自分の気持ちにフタをして自分の頭で考える行為を放棄している行為です。
どちらにするかを決めることが「主体的」なのではなく、常に「自分の気持ちに正直に生きること」の方が「主体的」なのではないでしょうか。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
アンチテーゼとしてのマスク
ご意見をありがとうございました。
お陰で私自身も今後のあり方を再度考えることが出来ました。
さて、主体性とは個人の自由でもあろうかと思います。
しかし今、その自由が急速に狭められつつあると感じております。
映画館の店主も学校の先生も生徒も納得してというより仕方なしにという人が多いのではないでしょうか?
ということで私は
その現状へのアンチテーゼとして敢えて地下鉄ではマスクなし(争いからは逃避)を続けて行くことにします。
大袈裟に言えば地下鉄の中の自由の最後の砦として、風穴として。
そして、この穴が大きくなるのか、それとも閉じていくことになるのか?
それを楽しみながら地下鉄を利用して行くことに致します。
成熟した社会
興味深く拝見させて頂いています。
主体的に生きること、とても重要な考えだと思います。判断と責任を伴いますが、それでこそ自分の人生となると思いますし、成熟した社会なのかと思います。
一方で、色々な考え方、判断基準をお持ちの方がいらっしゃることも事実です。
マスクについて考えてみると、私自身はマスクは好きではありませんし、たいていの場合は外していますが、状況に応じてマスクをすることもあります。一般的なマスクの基本的な機能は、(自分が感染するのを防ぐのではなく)自分が感染源になるリスクを減らすことにあるので、自分が感染源になる可能性が低い場合にマスクをしないことについては問題ないと考えています。ただ、体調に疑問がある人に、せめてマスクをする、人混みに行かないといった判断をして頂くことが前提になっています。健全な成熟した社会では当然そのような判断がなされると思うので、たいていの場合はそれで問題は起こらないのですが、僅かですが不届きな人が居るおかげで、規制が必要になったり村八分のようなことが起こったりします。
主体的に生きられるようにするためにも、真に成熟した社会になってほしいものです。
Re: アンチテーゼとしてのマスク
コメント頂き有難うございます。
> 現状へのアンチテーゼとして敢えて地下鉄ではマスクなし(争いからは逃避)を続けて行くことにします。
> 大袈裟に言えば地下鉄の中の自由の最後の砦として、風穴として。
> そして、この穴が大きくなるのか、それとも閉じていくことになるのか?
結果的に私も同じようなスタンスで地下鉄と向き合うつもりです。世の中は相変わらず変わらないかもしれませんが、私の望むところまでそのスタンスを続けていきます。
しかしどれだけ変えられない環境であっても、心の中だけは常に自由です。
そのことだけは忘れずに、どんな状況であろうとも自分の心が望む方向へと生きていきたいものですね。
Re: 成熟した社会
コメント頂き有難うございます。
色々な人達がいて社会が構成されていますから、集団によって社会の色が変わってくるのは致し方がないですね。
それでも社会を一人の人格として置き換えた時に、その人が成熟した大人になるためには、自分のよい部分も悪い部分もひっくるめてすべて自分そのものだと受け止めて、そこから何ができるかを考えて成長し続けていければよいと考えます。
未熟な部分もあって当然、全体として成熟の方向に行けるように私は私のできる部分を考え続けたいと思います。だれもが自分の頭で考えて、そして全体のことを同時に考えられるようになった時、完全なる成熟と呼べるのかもしれませんね。
No title
私もマスクをしません。電車に乗る時にマスクを着けた事ありません。職場では私だけマスクをしていません。
「何故マスクをしないのか」「マスクをつけなさい」などと言われればマスクをしない理由を説明するつもりです。一度「マスクを差し上げましょうか」と職場で声をかけられた事があります。私は丁寧にお断りしました。
マスクをしない事で人目が気になる、というヒトも居ますが、私は全然気にならないのでしません。無意味なマスクを我慢してする事の方が不自然です
私はマスクに限らず自分の気持ちに正直に生きているつもりです。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
栗田さんらしいですね。お気持ちを尊重いたします。
結局はマスクをするしないのシンプルな二択ではなく、「自分がどう生きたいか」という本質的な問題に行き着くのだと思います。
そしてその自分をどこまで自分と捉えるかによって、その決断とその決断が自分にもたらされる影響も大きく変わってくるはずです。そこまで含めてよしと思える選択であれば、どんな決断も尊重されるべきと思います。ただその時に「自分」だと捉える範囲が狭ければ狭いほど、自分が受けうるストレスも大きくなってしまう傾向があるように私には思えます。
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