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私が選挙に行かない理由

category - 自分のこと
2020/ 07/ 06
                 
先日行われたとある選挙での投票率が例年に比べて低いということが話題となっていました。

「理不尽と思ってもまず第一歩を踏み出さなければ何も変わらない」「選挙で変わるのは世の中の前にまず自分の心」などと投票行動を促すための様々な言われ方もよく耳にします。

しかし私は明確な意思を持って、たとえどんな候補者が立候補していたとしても、どれだけ自分の主張に合っている候補者が出馬していたとしても、

選挙には行かないということを明確に決めています。

なぜならば選挙とは、突き詰めれば「自分の希望を他人に任せる」という行為であるからです。

そのような行為では本質的に自分の希望を満たすことはできないからです。
            

仮に自分が一票を投じた候補者が当選して、自分の思い通りの政策を実行したとしても、

それは自分が一票を投じたからではなく、「その候補者の思想と自分の思想がたまたま一緒だったから」であって、

もっと言えば、「自分を含む世の中の大勢派の意見と候補者の思想がたまたま一緒だったから」です。

決して「自分の行動が未来を変えた」ということにはなっていないと思いますし、少なくとも私には自分の一票が未来を変えたという実感は持てません。

だから私は仮に自分の理想を叶えてくれそうな候補者が出馬していたとしても、選挙には行かず心の中でその候補者をひっそりと応援するのみです。

自分の希望を叶えるための本質的なアプローチは、自分自身による具体的な行動より他にはないと思います。

そしてその具体的な行動は希望に向けて着実に世界が変わっていると実感できる行動であるべきだと私は思っています。

投票行動によってその実感が持てるという人は、大いに選挙に参加すればよいと思いますが、

私はそんな選挙よりも、日々自分が前に進んでいると実感できることに時間やお金、労力を費やす経験を積み重ねていきたいと思っています。

自分の希望を叶えるために「誰かと協力する」ということはあってよいと思います。

しかし自分の希望を叶えるために「誰かに任せる」という行為は、本質的には自分の希望を手放す行為だと私は思うのです。


例えば私には、医療の構造を病院依存から患者中心に変えたいという希望があります。

そこに「患者中心の医療を実現します!」という選挙の立候補者が現れたとしても、その宣言の意味が私と100%一致していることはまずあり得ません。

もし100%一致させようと思うのであれば、私が選挙に立候補するしかないはずです。しかしそれも私はしようと思いません。

なぜならば政治という世界が既得権益にまみれていて、新しいムーブメントを起こすには最も不適切な舞台だということは様々な情報を集約して明らかであるからです。

不可能ではないかもしれませんが、ここで新しいムーブメントを起こして成功する可能性は限りなくゼロに近い状況です。人生の貴重な時間をいくらなんでもそんな可能性の低いことに費やすのはあまりにも勝算が小さ過ぎます。

それならばと、「主体的医療」の概念を広めるべく、日々少しずつ私が思ったことをブログにしたため続けているのも具体的な方法の一つですし、

あるいは「主体的医療」の普及に関連しそうな他人の活動に協力を惜しまなかったりします。例えば先日もオンライン診療の初診解禁を求めようという活動のクラウドファンディングがあったので、資金を援助しておきました。

結果的にオンライン初診は現実に解禁となりましたが、行動の背景にあったのはこれが成功するのではないかという妥当性の大きさではなく、「私が応援したいと思ったかどうか」です。

クラウドファンディング募金も他人に任せる行為だと思われるかもしれませんが、選挙のような他人に任せる行為とは本質的に違います。

クラウドファンディング募金は他人に任せるのではなく、私にとって「他人への応援」です。これをしたからといって、私がブログを書くのを止めるわけでは決してないのです。

ならば選挙に参加しながらブログを書くのでもよいと思われるかもしれませんが、先述のように政治の世界は世界を変えられる公算が極めて低いと私には思えるので、そんな世界に挑む人を応援しようという気には残念ながら私はなれないのです。

勿論、自分が政治家になって世の中をスムーズに動かせるような仕組みになっていれば自分も政治家になりたいという気持ちも芽生えても不思議ではありません。実際北欧諸国を中心にそんな風に政治を感じさせている国々は実在します。

けれど残念ながら日本はそういう国ではありません。

ならば悪い意味での諦めとして選挙に行かないのではなく、良い意味での諦めとして選挙に行かない

つまりダメなものはダメと切り捨てて、それ以外の方法で世の中を変えていくことを考えて、

なおかつ変わっている実感を私が持てる方策を模索していく人生の方が私には性に合っています。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

残念です
残念です。私は少しでも良い方向へ願い、「選挙で一票投じるのは権利でもあり、義務でもある」との考えです。女性は特に多く方々が苦労して勝ちとってきた歴史があります。だから、私は投票権を得てから一度も棄権したことはありません。たがしゅう先生とは多くの部分で共感できるけれど、今回は全く同意できず、残念です。
Re: 残念です
HK さん

 率直なコメントを頂き有難うございます。
No title
私は、「白票」と記入して投票しました。
Re: No title
タヌパパ さん

 コメント頂き有難うございます。

 任せられる候補者がいないのであれば「白票」を投票すればよいという意見もありますが、私はそれもしようとは思いません。
 なぜならば世の中で「白票」を投じる人は少数派で、候補者の中から誰かを選ぶと考える人が多数派であるからです。

 過去に様々な選挙の歴史があると思いますが、「白票」が最大多数となった事例を私は知りません。
 「白票」投票が最大多数となり得ない選択肢であるのなら、結局自分の行動が政治に何か影響をもたらすことはありえません。先の選挙もそのことがとてもよく実感できる結果であったと感じています。
 そんな何も変わらない行動に私は時間と労力を割こうと思いません。

 ついでに言えば「選挙に行かなかった人は為政者が何をしたとしても文句を言ってはいけない」という意見がありますが、それは全く同意はできません。文句というか批判は選挙に行っていようがいまいが行うべきです。もしその批判が的を得ていて多くの人の賛同を得られれば、選挙に行くよりもその方がよほど世の中を動かしているという実感が持てます。少なくとも今の日本には言論の自由があります。私にとって選挙に行かないことは為政者への絶対的服従の意思表示ではなく、「選挙というアプローチで世の中を動かそうと自分は思わない」ということの意思表示です。