何が一貫性を失わせるのか

2020/07/03 06:30:00 | よくないと思うこと | コメント:0件

情報収集において重要なのは、「情報源」よりも「思考の軸(思考の樹)」であり、

その「思考の軸」には「一貫性」がある必要があるという私の見解を以前書きました

この「一貫性」は思考の軸を安定させるためにとても重要な要素で、

逆に言えばここが保たれていないと、どれだけ素晴らしい情報源から情報を得ていても、歪んだ思考に至ってしまうということがあります。

そのことを私が感じたのは、何度も取り上げて恐縮ですが、感染症界のプロフェッショナル、岩田健太郎先生の文章を読んでからです。

岩田先生に個人的な恨みがあるわけでは全くありませんし、むしろ様々な情報を発信して頂き感謝しているのですが、だからこそ分析の対象になると理解してもらえればと思います。 岩田先生が本質的には私と同じように「思考の軸」を元に情報を集めているであろう、という点は前回も指摘した通りですが、

残念ながら岩田先生の「思考の軸」には「一貫性」がないということが、以下の文章を読んでみるとわかります。



新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書) (日本語) 新書 – 2020/4/11
岩田 健太郎 (著)


話題となったダイアモンド・プリンセス号の感染対策における厚生労働省のスタンスを糾弾するくだりの文章です。

(以下、p112より引用)

(前略)

だから厚労省は、乗員・乗客を船に留めて14日間検疫する方法を取ったのなら、

「その間は絶対に二次感染を起こさないぞ」という覚悟を決める必要があった。

しかし、厚労省はその覚悟を決めなかった。

なぜなら彼らは形式主義者だからです。

「14日間検疫して、それが終わったら下船させます」「専門家を入れて感染管理をやります」という、チェックリストの見出しを満たすことだけにこだわって、

「二次感染を起こさない」という結果を出すことにはこだわらなかった。

(引用、ここまで)



と、このように厚生労働省の感染対策の在り方を否定する発言をされていますが、

一方で前回触れましたように、岩田先生は厚生労働省のウェブサイトを信頼できる情報源の入門編として勧められています。

勿論、感染対策の精度と提供する情報の妥当性とは別の話だろうということはあると思いますが、

では「なぜそのスタンスを否定的に捉えている相手の情報が信頼できるおすすめだと判断しているのか」という理由が説明されている必要があると思います。

おそらく「公的な情報だからいい加減な情報が入りにくい」というような理由だと推察されますが、結局厚労省を信用していいのか、よくないのかというスタンスについて「一貫性」がない、ということになります。

また「一貫性」が感じられないのはここだけではありません。情報の取り入れ方について述べられる一節があります。

(以下、p159より引用)

(前略)

だから、やっぱり現実を見据えることがすごく大事なのです。

それがどんなに自分の予想したものと、あるいは期待したものと違う不都合な事実であったとしても、

事実を見ることから逃げちゃダメ
なんです。自分の考えが正しくても、間違っていてもいいので、

事実を見続けることが大事なんです。

専門家会議の人たちは、そこをちゃんとやってると思いますよ。

でも、第三章(※筆者注:ダイアモンド・プリンセス号のくだり)でも見たように、

官僚っていうのはすぐに願望と事実を取り違えて、自分が正しかったという物語にすがりつこうとする習性がある。

(後略。引用、ここまで)



ここでも厚生労働省の官僚に対してそのスタンスを批判する趣旨の文章が書かれていますが、

大事なのは「どんなに自分の予想したものと、あるいは期待したものと違う不都合な事実であったとしても、事実を見ることから逃げちゃダメ」の部分です。

こう述べておられながら、一方で岩田先生は次のようにも書かれています。

(以下、p190より引用)

(前略)

厚労省が発信している情報はそんなに間違っていませんから、情報を集めるときにはそこから始めて、そこから応用として関連する学会などのページを見ればいいでしょう。

逆に、一番間違っている可能性が高いのはテレビです。

YouTubeも玉石混淆ですけど、基本的には間違っている情報が多い。

ぼくが動画をアップしたときにも、隣に出てくるオススメ動画の内容はほぼ間違いでした。

ちゃんとしたことを語ってる人ももちろんいるでしょうけど、確率としては外れている可能性が高いので、YouTubeは避けたほうがいいでしょう。
(引用、ここまで)



たとえ不都合であったとしても情報と向き合う必要性を語っておきながら、一方でテレビやYouTubeの情報を信頼できる情報がある「可能性が低い」という理由で情報そのものと向き合わないことを勧めておられます。

このような発言からも私は、岩田先生には「一貫性」がない、と感じられてしまうのです。

なぜあれほどまでに様々な情報源から情報を得ていながら、「一貫性」がなくなってしまうのかということに関して言えば、

まさに自身が否定されている「願望と事実を取り違えて、自分が正しかったという物語にすがりつこうとする習性」を岩田先生自身が有しているからではないかと私には思えてしまいます。

具体的には「専門家の発信する情報が精度が高い」という願望・先入観にとらわれているが故に発生している「一貫性」のない言動なのではないでしょうか。

いくら専門家であろうと基盤の知識が根底から覆る事態に遭遇すれば、むしろ根底から誤る可能性があるということは糖質制限、湿潤療法を通じてこれまでも目の当たりにしてきた事実です。

だから私は、情報源そのものの信頼性に焦点を当てるのではなく、自分が今まで考えてきた「思考の軸」に「一貫性」を持たせる情報かどうかという点に注力しているのです。

私がブログ記事を書くときに、努めて過去の記事とリンクさせているのはそうした作業の一環なのです。



とはいえ、だからといってここで「私ならば絶対に間違えない」とうぬぼれるわけではありません。

それこそ前回の「陰謀論」に関する記事でも書きましたように、私の中にも「願望と事実を取り違えて、自分が正しかったという物語にすがりつこうとする習性」があると思うことが大事です。

人間ってそういうものだと思います。だからこそ「もしかしたら自分は間違えているかもしれない」という感覚は頭の隅に置いておく必要があると思いますし、

そういう危うさが自分の中にあると認識しておくことで、対策も立てられるし間違ったら速やかに軌道修正することができるようになるというものです。

思考を積み重ね、間違えれば修正し、を繰り返して、次第に間違いが少なくなり、過去の思考と全てがつながっていく、

そんな盤石な思考の樹を育てていければと思います。


たがしゅう
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