Post

        

自分はどうあってもいいんだと思える感覚

category - ウイルス再考
2020/ 04/ 21
                 
新型コロナウイルスを怖がらないための秘訣の仕上げとして「自己肯定感」について語りたいと思います。

ここから読み始めるとわけがわからない出だしになってしまっているので、ここまでの流れについては前記事を御参照下さい。

大きくみればもともと私達の身体に備わっている免疫システムを最大限に活用するメンタルにおけるセルフコントロールの一環として「自己肯定感」に注目しています。

「自己肯定感」といいますと一般的には「自分には価値があると思える感覚」のことで、もともと自分に自信がないという人にとっては理想論というか、縁遠い話のように聞こえるかもしれませんが、

ここでは「自分はどうあってもいいんだと思える感覚」と表現する方が適切だと私は思っています。
            

これは仏教において、それまでの「修行をした者だけが救われる」から「修行をしていない者こそ救われる」という概念を打ち出した浄土真宗の親鸞聖人の「歎異抄」における考え方と実はリンクしています。

私自身は新型コロナウイルスに感染しないように、メンタルにおいて完璧な作戦を立てて、免疫力をコントロールするための策を弄しているわけではありません。

むしろ「かかる時にはかかる」と思って行動しています。不思議なことに制御しようと思えば思うほど、免疫力が低下し制御できなくなっていくという構造があるのです。

なぜならば免疫力低下の本質は免疫における「発炎反応」の暴走だからです。

特に「相手」が「自分」となると、制御しようと思えば思うほどうまくいかない構造が生まれやすくなります。なぜならば本来は自分自身である「相手」を、「他者」だと受け止めて排除しようと思ってしまっているからです。

「他者」を制御しようと試みている相手が実は自分自身で、結果的に知らず知らずのうちに「自分」を痛めつけている構造に陥るからです。

ウイルスにしても、がんにしても、これに対峙することが「他者」との対決ではなく、自分自身の問題として向き合うことだと思うことがまず思考の出発点だと私は思います。

私はウイルス感染症は、自分の免疫システムが適切に発動しているサインであると同時に、困難を克服しようと頑張っているサインでもあると思っているので、

「そなえあればうれいなし」という言葉があるように、前記事で紹介した「予測不能の要素を減らす」の視点を応用して、「もし自分が感染したらこうしよう」という行動をあらかじめ想定しておくようにしています。

具体的には、「寝る」「(むやみに)食べない」「温める」の3点です。そしてこの時に重要なことは、「これを行うことによってウイルスという敵を排除してやろう」とは考えないことです。

だるいとか、食欲がないとか、寒気がするとか、単に身体からのメッセージを素直に受け取って、やるだけのことをやったら、後はなるようになるという気持ちで自然の成り行きに委ねるという心持ちでいるようにするのです。

すべてのエゴ(自我)を捨て去るような心持ち、まさにサレンダー(明け渡し)の境地でいるということです。

この状態こそが、結果的に自分の免疫システムを最大限に働かせるための最大の秘訣ではないかと私は感じています。

ただ、それが理想だとわかっていながらも自我(エゴ)が出てしまうのが人間というものだと思います。これが簡単なことであれば宗教がここまで発展してきていないでしょう。

例えば、大事な仕事に関わっている人であれば、「今自分が休んで穴があいたら会社全体に迷惑がかかる。一刻も早くウイルス感染症から回復して仕事に戻らねば」という気持ちが出てくるかもしれません。

あるいは子育て中の人であれば、自分が倒れている間に家族が食事をまんぞくに食べられないことを辛く感じて早く治らなきゃと思ってしまうかもしれません。

しかし、そう思えば思うほど治りにくくなってしまうというジレンマに陥ってしまいます。

ここを治りたいというエゴ(自我)を完全に明け渡し、治るかどうかを完全に運命に委ね、もしも治らない状態に陥ったとしたら、

あるいは死という事態を迎えるのだとすれば、それは「死ぬべくして死んでいる」という事実をありのまま受け入れるしかないように思います。

だからこそ「自分はどうあってもいいんだと思える感覚」が極めて重要だと私は考える次第です。

人生の経験が多かったり、人生の成功者と言われるポジションにある人ほど、死への恐怖は大きいのかもしれません。

しかし高齢者医療の現場では、「もう十分に生きた」「いい人生だった」と思える人ほど穏やかな最期を迎えることができているという実情も私は見ています。

だからこそ、いつその瞬間が訪れたとしても「いい人生だった」と思えるように、

今この瞬間にできる自分で決めたことを愚直に行い続けるという生き方が大切なのではないかと私は考える次第です。

そうすればいつだって「いい人生だった」と思えるのではないでしょうか。

・・・いや、理屈の上ではそうであっても、やっぱり死は怖いし、かからないに越したことはないという気持ちは理解できますし、私自身も完璧にそう思えているとは言えません。

ただこれが、ウイルスと共存する世界に生きるための基本方針だと私は考えているのです。


たがしゅう

関連記事

            
                                  

コメント

非公開コメント
        

コップ半分の水
コップ半分の水

現象は唯一でも、「まだ半分もある」または「もう半分しかない」と複数の解釈ができるという人間の心の妙

身近な人々の発言に耳を澄ますと、コロナ騒動の捉え方にも違いがあることに気が付きます。

「どうせいつか罹る」「ワクチンが早く完成してほしい」

乱暴な言い方ですが、前者のあまり深く考えていない方のほうが、普段から元気そうに見えます。

あくまで個人的な見解です。
Re: コップ半分の水
だいきち さん

 コメント頂き有難うございます。

 「同じ現象の捉え方を変える」
 これをごまかしだとか、こどもだましだとか思う人もいるかもしれませんが、私は立派なストレスマネジメントだと思っています。そして大事なことは、捉え直したその解釈が他のどの事実とも矛盾していないことです。