できないことよりできることに意識を向ける生き方
2020/04/13 06:15:00 |
読者の方からの御投稿 |
コメント:2件
ブログ読者のココアさんより次のような御意見を頂きました。
私は二年間、小児病棟に入院していました。
幼くして、まだ青年のうちに亡くなった方たちを何人もみました。
心の在り方が病気に与える影響が大きい場合もあるでしょう。けど大人には心の在り方でと言えますが子供の場合はどうなんで
しょう。
心の在り方だけではどうにもならない病もあるはずです。
私は下半身麻痺です、昨年は甲状腺炎で大変な思いをしました。
また、糖質制限をしているから大丈夫という方もいますが、
病とはそんな生易しいものではないと思います。
実体験を含む説得力のあるご意見だと思います。
確かに小さなこどもであれば、「心の在り方など関係なしに病気になる場合もあるのではないか(何でもかんでも心のせいにするのはどうなのか)」、という考えになるのも理解できます。 実は何を隠そう、私自身も最初はそのように考えておりました。
小さなこどもでもそうですが、もっと言えば動物も心の在り方が病気に関係するというのは大変不自然な話です。
動物の世界でもがんだとか、心不全だとか、人間の世界で認められる病気は普通に認められており、これを獣医師が対応しているというれっきとした事実があると思います。
一方で、心の在り方がどうとか言えるまで精神が発達していない動物は、不安や恐怖といった感情の源泉に対してどのように対処しているのでしょうか。
容易に想像がつくのは、「親や仲間のぬくもりを感じようとする」ということです。
赤ちゃんは生まれた瞬間に泣き叫び、それは肺呼吸を開始するための強制プログラムだとか、母親の産道にある腸内細菌を口から消化管へ移行させるために必要なプロセスであるとか、様々な解釈がなされていますが、
少なくとも泣き叫ぶ赤ちゃんを見れば、自然と抱きしめて守りたくなる欲求が沸き起こるというのは、ほとんどの人が納得されることなのではないでしょうか。
裏を返せば、赤ちゃんからすれば相手に抱擁や守護という行動を引き出すためのアクションをデフォルトで起こしているということになるので、赤ちゃんが求めているのは「抱擁」や「守護」ということになると思います。
これは「ストレスマネジメント」の源泉とも言える感覚ではないかと私は思うのです。
一方で獣医師が診る動物達はほとんどの場合、野生動物ではありません。飼い主が存在する飼われた動物ということになります。
ということは野生とは異なる何らかの人為的環境によって過ごす動物達を診ているということです。それは首輪をつけることかもしれないし、大部分を家の中で過ごすことかもしれないし、他の同種の動物と引き離されることかもしれません。
いずれにしても野生の中でデフォルトで備えている源泉的ストレスマネジメント感覚を阻害されるような環境におかれ、そのことが動物達に意識されない中でストレスを与え続け、
その慢性持続性ストレスが、ストレスホルモンの持続駆動を介して血糖値を上昇させ続けがんを引き起こしたり、血圧を持続的に上昇させ心血管系に負担を与え続けて心不全などを発症してしまっているのだとすれば、
私達は大いなる勘違いをしてしまっている可能性さえあるように思います。
小さなこどもに関しても同じことが言えて、このストレスマネジメントの源泉的感情が阻害されるような環境であれば、
たとえ精神が未発達のこどもであっても、(精神的)ストレスはおおいに感じることがある、ということです。
それとこれに関連して、私にはもう一つ意見があります。
私はほとんどすべての病気に心の在り方に伴う慢性持続性ストレスが関わっていると考えているのですが、
数少ない例外が「先天性疾患(生まれつきの病気)」と「外傷」です。
「外傷」も心の在り方によってストレスホルモン(ステロイド)の分泌具合が変わって、傷の治り方に若干の影響が加わるという意味では無関係ではありませんので、
純粋に心の在り方が無関係である唯一の病気のカテゴリーが「先天性疾患」だと考えています。
質問者のココアさんも下半身麻痺があるということで、詳細はわかりませんが、おそらくは物心ついた時にはそのような状態にあったということなのだと思います。
いわゆる「障害」という状態を抱えているということになりますが、
これは「親から受け継がれた何らかの要因(先天的要因)」、もしくは「乳幼児期に後天的に加わった何らかの要因(ワクチンや重症感染症など)(後天的要因)」のどちらかがあることによって、物心つく前に「障害」があるという状態が発生すると思いますが、
そのうちの「先天的要因」については確かに心の在り方もストレスマネジメントも関係のない領域だと思いますが、
その状態を自分がどう思い、どのように捉え、どのように受け止めるかという所から先は心の在り方やストレスマネジメントが介在する余地がある領域だと私は思うのです。
行ってみれば「障害」があるけれど、自分は幸せに満ちあふれているという状態になるかどうかは自分次第だと思うのです。
同じ障害を抱えていないのに気持ちがわかるはずはないと思われてしまうかもしれません。確かにそれはそうです。理想論的な話に思われてしまうのも無理もない意見だとは思いますが、
それでも、例えばということで一つ参考になるのは、生まれつき視覚の「障害」を抱えておられるピアニストの辻井伸行さんは、並外れた聴覚の持ち主だそうです。
自分の話ではないのであくまでも私の想像に過ぎない話ではありますが、
辻井さんは親御さんのサポートもあいまって、目が見えない自分の状態が不幸せだは決して思わない乳幼児期の生活環境の中で、
自身の使えない能力を意識するのではなく、自身がすでに持っている能力を研ぎ澄ますことに最大限の興味を持ち行動を繰り返し、
その結果、視覚「障害」のない人からは考えられないほどのすぐれた聴覚を備えることができるに至ったのではないかと思うのです。
ところが同じように視覚の「障害」を抱えている人が皆同じような育ち方をするかと言われたら、そうではないと思います。
視覚に「障害」があることを「不便」だと意識し、「不憫」だと思われていると意識し、その自分だけが置かれている状況を「不安」だと感じる乳幼児期を送ることになれば、
その人には慢性持続性のストレスがかかり続け、才能も発揮しにくくなり、身体のシステムが過剰適応になったり、消耗疲弊になったりしやすくなるのではないかと思うのです。
その慢性持続性ストレスというのは、小さなこどもにとっては愛情が足りないことかもしれないし、
自分と同じような状態の人がいないことかもしれないし、自分と違う状態の人からいじめや差別を受けることかもしれないし、
あるいは必要な栄養を得ることができていないことかもしれません。最後のは精神的要因というよりは身体的要因にはなりますが、
要するに小さなこどもだからといって、精神の源泉的な感情にまで遡れば、慢性持続性ストレスが病気にもたらす影響は決して無視できるような小さいものではない、ということです。
「皆と同じような状態でないことで感じるストレス」は「みんな違ってみんなよい」という感覚があれば、直ちにストレスではなくなるはずですが、
少なくとも回りの環境にはそう思いにくい要因がまだまだたくさんあるというのは事実だと思います。発達「障害」というカテゴリーでくくられる人達が学校という強制的な集団生活を強いられるというのはその一例です。
しかしどんな状況であろうとも、自分の心の中だけは自由です。自分が「みんな違ってみんなよい」という感覚を心底信じられる境地に至れば、
小さなこどもが死に至るほどに自己システムを過剰適応/消耗疲弊というオーバーヒート状態へ仕向けることを防ぐことは不可能ではないように私は思います。
そのために親や仲間達ができることは限られていますが、常識の枠組みに捕らわれない「安心」を感じてもらえる環境を整えることしかないと思います。
視覚の「障害」があれば、音を楽しめるおもちゃを与えること、発達「障害」があって学校に適応できないのであれば、学校ではない世界を作ること、
あるいは本当に学校という世界に適応できないのか、一緒に対話をしてみること。
大事なことは「できないこと」に意識を向けるのではなく、「できること」に意識を向けさせる生き方をするということです。
できないことに意識を向けてしまうという意味では、今まさに私達は新型コロナウイルスを排除するという無理難題にばかり意識を向けてしまっているのも同じ構造にあるように思います。
その結果、私達は意識的にせよ、無意識的にせよ、新型コロナウイルスに対する慢性持続性ストレスを感じ続けてしまっている状況です。「障害」に対する慢性持続性ストレスも同じことではないでしょうか。
常に自分が確実に「できること」に意識を向ける生き方をするのです。
今私が「できること」は食事を整えて、ストレスマネジメントをして、心身の健康を保つことです。
それでもしも健康が保てずに亡くなるようであれば本望とさえ思えます。精一杯のことをしてその結果になっているわけですから。
まだ自分の心の中に「できること」があるのに、それをせずにこの世を去るような後悔は残さずに生きていきたいものです。
……口で言うほど簡単なことではないですけれども。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
No title
出来ないことに意識を向けるのではなく出来ることに意識を向けることは、病者に限らず、大事なことです。
そこで、思うのは家庭環境も大事なのでは、ということです。
ピアニストの辻さんは、非常に恵まれた家庭環境ではないでしょうか?
お父様は医師、お母さまは元アナウンサー、経済的にも知的環境も申し分ない。
難病を患っている上に家庭も貧しく、親同士も病気をもった子供の為に夫婦協力するどころか、
子供の病気は母親のせいとばかりに、無関心な父親、喧嘩が絶えない家庭も現実にはあります。
そのような家庭環境で育った(私自身も含めて)子供は病気以外にも常にストレスにさらされているということでしょう。
その中で、出来ることに目を向けるというのは本人にかなりの精神力が必要かと思います。
話が脱線してしまっていたら申し訳ございません。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
辻井さんの実情がどうなのかは私には知る由もありませんが、
辻井さんは特殊な人だから多くの人にとって関係ない話と受け取るのか、それとも辻井さんの話からその本質的なエッセンスの部分をみて教訓を受け取るのかは個人の自由と思います。
「過去にあった環境要因のせいで〇〇ができない」という考え方をフロイトやユングの心理学では「原因論」と言い、
「未来の自分の目的に向けて〇〇ができないという感情を利用する」という考え方をアドラーの心理学では「目的論」と言います。
それぞれ筋の通った内容だと思いますが、このどちらのスタンスをどのくらいの割合で生きていくかというのも個人で選べる選択肢です。
経済的な要因が無関係とはいいません。勿論、おっしゃるように家庭の問題も関わっているという事は言えると思います。
ただそれでも、どんな状況であっても、最終的に自分の心の在り方を決めるのは自分自身です。
かなりの精神力が必要だという状況もあるでしょう。だけれど不可能ではない、先天的な要因を除いては、と私は思います。
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