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禁欲しないと健康でいられないか

category - 読者の方からの御投稿
2020/ 04/ 03
                 
通りすがりのブログ読者の方から次のようなご意見を頂きました。

>酒を飲むな、タバコは吸うな、ナイトクラブへ行くな、糖質は取るな、という禁欲生活を実行できる人間は現代社会ではそう多くないのでは?



確かにごもっともなご意見です。人間には欲望がつきもので、欲に駆られる弱い部分は誰しも持っているのではないかと思います。

私の推奨する糖質制限+ストレスマネジメントは一種の理想論に思われてしまう節は確かにあるのかもしれません。

机上の空論のような解決策を提示した所でそれは自己満足以外の何者でもないと思います。やはり解決策は現実に役に立ってこそと思います。

ただ私がここで思うのは、「欲に駆られることは必ずしも悪いことではない」ということです。

言い換えれば、「捉え方によって欲はむしろ人生を上手に生き抜くためのアピタイザーとなりうる」ということです。
            

突然「アピタイザー」という言葉を持ち出してしまいましたが、この言葉のもともとの意味は「食欲をそそるもの」、ここでは「やる気を出させるための活性化剤」という意味で用いています。

要は世間的に悪いと言われているものやことであっても、捉え方によっては自分を活性化させることに成功し、

利用しない時に比べて、利用する場合の方が結果的にストレスマネジメントが出来ているという状況は起こりうるということです。


例えばタバコは強力な酸化ストレス源となることがエビデンス的に言われていますが、

これが身体に悪いと思いながら吸うのと、心底タバコは自分にとっての生きがいだと思いながら吸うのとでは、

ストレスマネジメントの観点でみると身体にもたらされる影響が変わってくる可能性があります。

もっともそれは目に見えない部分(タバコについて無意識的な部分も含めて本人がどう捉えているか)なので、科学的に証明できるような事柄ではないのですが、

少なくともどう捉えるかによって身体にもたらされる影響が変わる理屈とそれを支える体内のメカニズム(視床下部ー下垂体ー副腎系、自律神経系など)は存在する、ということです。

一方で、ともかく「心底タバコは自分にとっての生きがいだ」と思いながら吸えば、悪いと言われていることであっても気にせずやってよいのかと言われたら、そう簡単にはいきません。

そのようにポジティブな思考に伴うストレスマネジメント効果を上回る形で喫煙による酸化ストレスの悪影響が加わってしまうことも十分に起こりうるからです。

その場合、急性にせよ慢性にせよ、何らかの形で体調が悪くなってくるはずです。

大事なことは「これは自分の生きがいだ!」と思える習慣を繰り返していく中で、体調が悪くなってきた時に、それでもそれが「生きがい」だと言えるかどうかをきちんと見直す、ということです。

というのも、普通体調が悪くなっているものが自分の「生きがい」だと捉えることは論理的に矛盾しているからです。

ところが現実には多くの喫煙者がそうであるように、喫煙によって体調が悪くなり続けているにも関わらず、喫煙を「生きがい」と評価し続ける人が多数派だと思います。

なぜそんな矛盾した評価が成立するかと言えば、体調が悪くなる「原因」と「喫煙」を切り離すように頭の中で解釈を変えてしまっているからです。

例えば、「体調が悪くなるのは年のせい、タバコは依然として自分のいきがい」というようにいつの間にか、あるいは無意識に解釈を切り替えてしまっているからです。

そういう不合理な解釈へと導いているのが中毒性物質あるいは中毒性行為の怖いところです。冷静であれば見直しが測れるような対象も、その多幸感に従って中毒性の方を優先して判断してしまう傾向があります。

ですけれど、その中毒性物質や中毒性行為が一方で人生のアピタイザーになりうるという要素もあるのです。一体どうすればよいのでしょうか。

そういう誤った判断を防ぐためにも、人生の何物にも揺るがされることのない絶対的な基準として「体調を最良のバロメータとする」に注目すべきだと私は思います。

体調がよいかどうかということは、世間が悪いと判断していることであっても自分にとってはよいのかどうかを教えてくれる最も信頼できる指標だと思うのです。

もしもタバコを吸っていて、体調が悪くなっていくのを鋭敏に自己検出することができれば、

いかにタバコがおいしくて瞬間的にストレスを和らげてくれる効果があろうとも、一回止めてみてその体調不良がタバコのせいかどうかを判断しようとする意志が生まれうるはずです。

タバコを止めた結果、体調が回復するというのであれば、やはり自分にとってタバコは有害な要素の方が強いという判断を行いうるのではないかと思います。


一方で、「人生」の目的をどこに設定するかによっても、同じ状況におかれた時の対処行動は変わってきます。

極端な話、「健康第一」ではなくて、その瞬間瞬間、繰り返す喫煙習慣によって刹那的な快楽を興じ続けることができるのであれば身体はどうなっても構わないという人生の価値観であれば、

ストレスマネジメント的にはタバコを止めない行動が最もストレスマネジメント効果が高いということになると思います。

そして本当に健康がどうなっても構わないというのであれば、たとえ身体がボロボロになろうと、急死しようと本望という事になるはずです。

実際そのように「自分は太く短く生きる」といった宣言をする患者さんを、診察の現場では少なからず見かけることがありますが、

そういう人の大半は、実際に脳梗塞や心筋梗塞などの大きく健康を害し後遺症を残す(不可逆的な病態を含む)事態になった際に、なぜか大きく後悔するのです。

そうなってしまう理由は、体調が悪くなった状態のことが想像できなかったために、今の自分を正当化するというためだけの「身体はどうなっても構わない」という半端な判断をしてしまうからだと思います。

あとは前記事の「高HIV血症になるとNK細胞の機能が低下する」という話の構造にも共通してくるのですが、

病態が不可逆的なステージまで進行しきってしまうと、可逆的に元の状態に戻していくことは厳しくなってくるということです。

こうした平衡状態の崩れた状態になることを回避するために、「体調」という優秀なシステムが備わっているのではないかと私は思うのです。


ここまで考察してみたところで、冒頭の質問を振り返ってみます。

>酒を飲むな、タバコは吸うな、ナイトクラブへ行くな、糖質は取るな、という禁欲生活を実行できる人間は現代社会ではそう多くないのでは?



酒を飲んでもいいし、タバコを吸ったっていいのです。体調が悪くなっていなければ。

ナイトクラブに行ったっていいのです。それによって批判にさらされるストレスをものともしないほどに「ナイトクラブに行くことが生きがいだ」と思える心持ちなのであれば。

ただし、その批判ストレスを受けることで胃が痛むような気持ちになるのであれば、それは「ナイトクラブが生きがい」という価値観を見直し、行動を変えてみる方がよいということを示唆する身体からのメッセージだと思います。

糖質を控えることについても同様に考えてみるとよいでしょう。

例えば現在私には、糖質は即時的なエネルギーの側面があるが、見合ったエネルギー消費をしていなければあっという間に余剰な脂肪へ変換されたり、身体を糖化へ導き様々な身体システムを誤作動させる元になる、という知識があります。

一方で糖質中心の食事はおいしくて、社会的にコミュケーションを円滑にするツールとしての側面もあるので、

体調に注意しつつ、社会活動の中で糖質摂取が必要となる場面や、高ストレス時など即時的に刹那的な多幸感に浸りたいという心持ちの時には、心置きなく糖質中心食を食べるようにしています。

そのような例外的な場面を除いては、基本的には糖質制限食を行うというスタイルで生きていますので、

今私の中では糖質摂取は何gというルールにはあまり縛られない状態となっています。

ただし、体調の悪化を感じ取れば、そのやり方を適宜見直し、一旦その直前まで取っていた食行動を見直し、体調が改善するかどうかを観察してみることにします。

もしもそれで体調が改善しない場合は、目に見えないストレスの存在を第一に考えて、自分の思考を見直すというアプローチに移りますが、幸い今のところそのような事態には至っていないのが現状です。


要するに「欲」の範疇に入る世間でよくないとされている物事を、

多角的な側面で捉えて、その物事に対する自分の認識を暫定的に判断して、

その判断を体調をベースにして適宜見直し、軌道修正していくというスタンスを守ることが大事で、

その原則を守れていれば、全ての「欲」を禁じる行動をしなければならないということにはならない
と私は考える次第です。

皆様はいかがお感じになられますでしょうか。


たがしゅう
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コメント

非公開コメント
        

No title
ご意見ありがとうございました。
私も概ね同意できます。

今回のウイルス感染のアウトブレイクで気になるのが、感染拡大と感染重症化を防ぐという錦の御旗のもとで、すべての人に対して、禁欲生活を強制するという
措置に関してです。

岐阜や横浜では医師がナイトクラブ、カラオケで感染して批判を浴びています。

つまり、夜遊びして自分が感染して、周囲にウイルスをばら撒く行為が罪悪であるという考え方です。
これは「ウイルス排除」が絶対正義であり、「感染者=悪者」という差別意識にもつながります。

今回のようにとてつもない感染力のウイルスを防御することは事実上不可能ではないかと思います。
つまり医療関係者を含めて、人間である以上、感染することは明日は我が身であり、すべての人にとってウイルス排除はほぼ不可能なミッションです。

最前線で治療にあたっている完全防御しているはずのICUの医療者が続々と感染しているのは、ウイルス暴露時間が長いのと、ウイルス排除意識を強く意識しすぎる事と不眠不休の過重労働による強大なストレスによってステロイドが出過ぎて免疫力が低下する事によると推定されます。

同じく終わりのない禁欲・軟禁生活を強制させられる事は、感染する事以上に、長期間において強いストレスを与えますので、別の疾患を続発する誘因にもなりうると思われます。

ウイルス排除絶対主義思想が多くの人々のメンタルを蝕むことで、免疫力が低下するという副産物を生む可能性は否定できないと思います。










Re: No title
通りすがりの者 さん

 コメント頂き有難うございます。

> ウイルス排除絶対主義思想が多くの人々のメンタルを蝕むことで、免疫力が低下するという副産物を生む可能性は否定できないと思います。

 私も同意見です。まず見直すべきはウイルス排除絶対主義思想の方だと思います。
 感染するのは不可避な現象(今までも実はそうだったが認識していなかっただけ)であり、感染したら自分のシステムが乱れていた事に伴う自己責任と判断し、感染を恐れずにはいられないという人が個別で自己防衛的な行動をとってもらう、というようにしてもらわないと終わりなき戦いとなってしまうように思います。