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「自己」的な病原体と「他者」的な病原体

category - ウイルス再考
2020/ 03/ 26
                 
ウイルスとは「動物(植物)細胞の複製エラー」という前提に立って考えると、

ウイルスとは細菌とがん細胞の中間的な存在である」という見方ができてきます。

なぜならば「細菌は他者的な細胞増殖体」、「がん細胞は自己的な細胞増殖体」、

一方でウイルスが持つ細胞としての部品は中途半端で、「自己」にも「他者」にも共通する構成成分が存在するために、

「他者的とも自己的とも取れうる細胞増殖体」だと考えることができるからです。

細菌には抗生物質という治療手段があります。がん細胞には抗がん剤という治療手段があります。

そしてウイルスには抗ウイルス剤という治療手段がそれぞれに用意されているわけですが、

今回はそれぞれの治療行為の本質について考えるという切り口で、私達がウイルスとどう向き合うべきなのかを考えてみたいと思います。

            

まずは人間の身体を一つの大きな「自己」だと捉えてみます。

健康を保つというのは、「自己」の環境を「他者」から守るという側面があると思います。

一方でもう一つ健康を保つための観点としては、「自己」自体が暴走しないように「自己」のシステムを整えるという発想もあると思います。

東洋医学の世界では外因(外邪)と内因と表現されることもありますが、とにかく病気の原因には外からもたらされるものと内からもたらされるものとがあるということです。

細菌を抗生物質でやっつけるという発想はまさに、「他者」たる「外因」を除去することで「自己」の環境を保つという治療戦略です。

この治療戦略は一見するとうまく行っているように思えます。例えば細菌性の肺炎は抗生物質の使用により病態を改善に導くことができる場合が多いです。

しかし抗生物質の使用を繰り返していると、耐性を獲得した細菌が生み出され、「外因」を除去するという戦略がうまく行かなくなっている側面が出てきます。

また一方で腸内細菌叢という観点に立つと、先程までは「外因」と認識していた細菌が、「自己」を形成する一部だという見方も出てきます。

なぜならば人間の腸内に細菌が共生する事によって食物繊維の分解や神経伝達物質の産生など「自己」の恒常性維持に寄与している側面があるからです。

すなわち抗生物質とは「外因」を除去する側面だけではなく、「内因」を悪化させてしまうアプローチでもあるということになると思います。


一方で抗がん剤という治療アプローチはどうでしょうか。

がん細胞はもともとは「自己」の根源である自分の細胞から変形した姿ですので、

「自己」の要素が強い存在であるということはまず言えると思います。それが故に多くの抗がん剤はがん細胞とともに多くの健康な「自己」細胞もろとも攻撃してしまい抜毛、血球減少、体重減少などの重大な副作用をきたすことはよく知られていると思います。

本当は「自己」の要因が強い相手なので、「他者」を除去するアプローチよりも、「自己」を整えるアプローチが有用なわけですが、

そのようなアプローチがあまり医療界で推奨されない背景には、がん細胞というものを「他者」と捉える価値観が現在の医療界の中で主流であるからに他ならないと私は思います。

どうすればがんという「他者」だけを正確に叩くことができるか、世界の研究者はそうした発想の下に日々研究を行っているのではないかと推察しています。

確かに正常細胞にはあるけれど、がん細胞にしかない構造というのは存在するようで、

そこだけをターゲットにする治療は「分子標的薬」と総称され、現在でもがんだけではなくリウマチや白血病など様々な病気へすでに応用されているわけですが、

しかしそのがんにしか存在しないはずの分子を標的にしても副作用の出現は避けられていません。

ということは、ここでも「他者」だけを攻撃しようとして、結局「自己」をも攻撃してしまっている側面があるように思えます。

そして抗がん剤の副作用の大きさと抗生物質の副作用の大きさを比較した際に、

前者の方が圧倒的に甚大であることを踏まえますと、がん細胞が「自己」の要素が強く、細菌が「他者」の要素が強い、ということの裏付けとなっているように思います。


「自己」か「他者」かの本質的な違いは遺伝子、即ちDNAの塩基配列に由来する所が大きいと考えられます。

DNAが一致していれば「自己」と判断し、DNAの不一致が多ければ「他者」と判断する身体の仕組みが存在しているように思うのです。

ではウイルスは「自己」になるでしょうか、「他者」になるでしょうか。

ウイルスにはウイルスDNAの独特の塩基配列があるでしょうから、当然ウイルスは「他者」だと思われるかもしれません。

しかし一方でウイルスには種特異性があります。例えば同じインフルエンザウイルスであっても、ウイルスであれば誰にでも感染するというわけではなく、なぜか鳥にしか感染しないという状況が見受けられます。

ところがある時鳥にしか感染しないはずのウイルスがヒトにも感染するという現象が発生することがあります。それはウイルスのDNA塩基配列が変異しうるからです。

また感染できるということは、身体はそのウイルスを自分の細胞だと一部受け入れているということになりますので、

「他者」であるはずのウイルスが「自己」化することがある、というようにこの現象を捉えることができます。

逆に言えば、動物だけにしか感染しない「他者」的な状態にウイルスがある時には、

その細胞内に入り込んで細胞増殖システムを拝借するというウイルスならではの手段を使わせてもらうこと自体が叶わず、単なる直径0.1μmくらいの小さな塵と同様に処理されていて問題になっていないという可能性が考えられます。

だからヒトに感染できるウイルスはヒトの身体がそのウイルスを「自己」だと勘違いする余地があるくらい「自己」的な存在だということができるのかもしれません。

では「抗ウイルス薬」は「自己」を攻撃するアプローチ法ということになり、抗がん剤のように甚大な副作用をもたらすのでしょうか。

医師として現場で抗ウイルス薬を使用してきた経験値から考えますと、抗ウイルス薬には副作用がないわけではないものの、抗がん剤に比べるとそのインパクトは小さくて、

副作用の観点だけでいくとむしろ抗生物質に近いような印象を受けています。

ということは抗ウイルス薬はウイルスを「他者」的に攻撃できていると考える方が妥当であるように思います。

一方で攻撃することに成功できている抗ウイルス薬は全体としては数が少なく、非常に限られたものに対してしか使えないし、抗インフルエンザ薬をはじめその効果が限定的なものもあります。


・・・ウイルスが「自己」的な存在なのか、「他者」的な存在なのか、こんがらがってきてしまったかもしれませんが、

要はそれくらいウイルスというのは「自己」的にもなりえ、「他者」的にもなりうる存在だということで、

抗ウイルス薬によって攻撃できているウイルスは、そんな中でも「他者」的な要素が大きいウイルスなのではないかということだと思います。

ともあれ「他者」的なウイルスならば攻撃可能で、それでも抗生物質のようにそれを叩く事に弊害がないわけではありませんが、

そうではなくて「自己」的なウイルスであれば、抗がん剤のように攻撃しようとすると自分自身を攻撃することへとつながってしまい、

もはやそのような「自己」のシステムを模したウイルスに対して人類はなす術を持っていないのでしょうか。

いえ、そんな事はありません。「自己」のシステムが何らかの理由で故障した際に、それを整えるための見事なシステムが人間の身体には備わっています。

がん免疫の世界にそのシステムについて知るヒントが隠されているわけですが、

長くなりそうなので、続きは次回の記事へと回したいと思います。


たがしゅう

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