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「お金」「コロナウイルス」:たがしゅう哲学カフェ in 調布〜後編〜

category - たがしゅう哲学カフェ
2020/ 03/ 10
                 
前回の記事で8割の常識的な価値観を持つ集団が、

「恐怖」という感情にフックがかけられた一面的に歪められた情報が伝達されることによって、

残りの2割の変革者的集団の影響をかき消すほどの10割の影響力を持った集団となり世の中を突き動かす、

それが「新型コロナウイルス騒動」の本質的な構造だという話をしました。

そしてその「8割の集団の10割化現象」はひとたび発生すると誰にも止められない大きなうねりとなってしまうので、

この構造を深く理解して、発生の予防に努めることが重要だというところまでを書きました。

今回はそれを踏まえて、ならばどうすればこの「8割の集団の10割化現象」を予防できるかという問いについて考えてみたいと思います。
            

その話をする前に、私がもう一つ「8割の集団の10割化現象」だと感じられる集団があります。

それは日本の政治家集団です。

今まで日本の政府が緊急事態に対して、状況を正確に分析して適切と思える判断を起こしたことは私の知る限りで一度もありません。

リーマンショックの時もそうでしたし、東日本大震災の時もそうでした。

今回の新型コロナウイルス騒動における全国一斉休校も、後でこの決断が正しかったかどうかがわかると言っている政治家もいますが、この判断の誤りはすでに判明しています。

なぜならば休校したとして、こども達は学校以外の集団と接する場所に出かけているからです。買い物しかり外食しかりです。

要するに全国一斉休校によって守られたのはこども達ではなく、学校で感染したと避難されるリスクから解放された「政府そのもの」なのです。

なぜこのような行動をとるかということも少し考えればわかります。政府にとって怖いのは国民によって強烈に非難されることによって既得権益がなくなることです。それが「恐怖」だからに他ならないのではないかと思います。

とにかく今までと同じように政府を運営していくことに終始するスタンス、変化を嫌い常識的価値観に縛られる8割の集団の典型的なスタンスです。

いつまで経ってもモリカケ問題について話し合われていたり、桜を見る会について議論されていたり、

その裏で国民の反発が起こらないようにゆっくりと消費税が増税されていたり、要は極端なことは絶対に行わないし、行えないという構造になっているのです。

そしてその構造は政治家集団だけによってもたらされているのではなく、その他にも様々な要素が複雑に絡み合っています。

その中で最も大きな要素は「専門家に任せる」という決断習慣です。

この度も「1〜2週間が正念場」という政府の見解に対して、国会答弁が行われていましたが、その理由は「専門家会議での決定」だという根拠を何度も繰り返されていました。

専門家も言わば常識的価値観の強固な集団ですので、緊急事態においては常識ではないことが起こっているので、必ずしも専門家の言うことが正しいとは限らないし、実際正しくないと私は考えているわけですが、

「よくわからないので専門家に任せる」という受動的姿勢による弊害はこのような所にも現れており、そしてそのやり方が強固に仕組み化されているわけなので、

専門家ではないけれど、現状を鋭く分析し、ベターな方法を提案できる人材の意見が採用されることは天地がひっくり返っても起こらない状況に陥っています。

専門家に意見を聞くこと自体は何も問題はありません。しかしその意見が妥当か否かは本当は日本の政治家集団が、様々な情報を元に主体的に検討していくことが筋なのですが、

それができない受動的で現状維持的な政治が続いているからこそ、もはや不可逆的で絶対に状況が好転しないレベルにまで病状が進行してしまっているように思えるのです。

なぜ私がそこまで日本の政治の行く末に失望しているのかと言いますと、

最近私はフィンランドという国の政治について知る機会があったからです。参考にしたのはこちらの本です。



フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか (ポプラ新書) (日本語) 新書 – 2020/1/10
堀内 都喜子 (著)


こちらの本によりますと、フィンランドは第二次世界大戦後の敗戦国として日本と同様の歴史を歩んできており、

戦後高度経済成長期のような出来事も経験しつつ、ヘルシンキ宣言を出せる程に国家としての力を持つようになっていき、

日本で言うバブル経済のような経済の急落も経験しながら、それでも立ち直ってきた所まで日本にそっくりな流れでありながら、

今フィンランドという国は34歳の女性首相が誕生し、先日も国際女性デーで立派なスピーチを披露されるという結果を出しています。

一方で世界幸福度ランキングでフィンランドは2年連続第一位を獲得しています。

なぜその差が生まれたかに関しては様々な理由が考えられますが、この本のタイトル「フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか」にも象徴されるように、

フィンランドでは個人が幸せな状態を保つことができるように残業が法律で禁止されるということを始め、教育・医療福祉に対する徴税を高め、その分を国民に還元するなど、

国によって国民の主体性が発揮されるような工夫が随所に施されているからに他ならないと私は思いました。

興味のある方は是非この本を読んでもらえればとおすすめしますが、私はこれこそが国として健全な姿であろうと思います。

勿論、フィンランドが100点満点というわけではないでしょう。フィンランドのやり方ならではの苦労やデメリットも確かにあるはずです。

しかしながら、国民の主体性が保たれていると、国民が何かをやりたいと声を上げた時にそれを全力で応援してもらえるような国であるかどうか、という点は決定的なのではないかと私は思います。

かたや今の日本において国民が何かをやりたいと声を上げた時に、それを聞き入れるような政府でしょうか。

「新型コロナウイルス」に対して私達は主体的に判断し、自分の身を自分で守るように行動したいからと言ってそれを応援してくれるような政策を打ち立ててくれるでしょうか。

いやそもそも声を上げようにも上げようのない政治と化してしまっているのです。

「新型コロナウイルス騒動」と「日本の政治の不可逆性」は実は「8割の集団の10割化現象」という点で密接に関わり合っていると私は考える次第です。


さて前置きが長くなってしまいましたが、そんな「10割化現象」を予防するにはどうすればよいでしょうか。

今回のたがしゅう哲学カフェの中では「情報を隠すことなく公開すればよいのではないか」という意見が出ました。

確かに戦前の国民全員が一丸となって戦争に突き進んでいた頃の「10割化現象」は、政府により情報統制が図られていたことがこの現象の後押しとなった可能性はあるので一理ある意見です。

しかし、現在はインターネットやSNSを通じてよい情報もわるい情報も一気に拡散する時代です。

現に新型コロナウイルスは恐れる必要はないという情報も散見される状況にあるにも関わらず、世の中はぶれずに「新型コロナウイルスは恐怖」の方向で動いています。

そこに情報が平等に存在するということだけでは、「10割化現象」を防ぐのは難しそうです。

一方で視点を変えて、この「10割化現象」が世の中がよい方へ変わることはないのかという疑問も投げかけられました。

もしかしたらフィンランドという国の歩みがそれに近い現象だったのかもしれませんが、それにしてもネガティブな情報に比べて、ポジティブな変化は10割化するほど強力な集団の動きになるほどの強さは生まれにくいように思えます。

ただどうすれば全国民が一丸となってポジティブな方向に向かうことができるようになるのかということを想像した時に、

誰もが得をする究極のWin-Win、即ち「All-win」の状態に持って行くことができるという条件が必要不可欠であるように感じます。

逆に言えば、ネガティブな情報は「All-lose」に基づく「恐怖」、「死」に代表されるように全人類で価値観が一致しやすいのでネガティブ情報の「10割化」はより起こりやすいと言えるのかもしれません。

それでは価値観が一致しにくいポジティブ情報において「10割化現象」を引き起こすのは難しいのでしょうか。

そこで参考になるのはSDGsという考え方です。

SDGsというのは、2016年に国連サミットで採択された2030年までの持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)というもので、

環境問題や貧困問題、医療福祉問題など世界の存続を脅かす国際的な課題の解決に世界の人々ひとり一人が、それぞれの立場でできる貢献を具体的に実践し、

今後も末永く持続可能な世界を実現するために定められた17つの目標と169つのターゲットのことを指す世界共通の目標のことです。

最近企業の理念にも取り入れられて、優良企業の目印のような存在として扱われているとも聞きます。

このSDGsがまさに「All-win」を達成するためにはどうすればいいかということを具体的な行動へと落とし込もうとする作業なのですが、

まぁ理念としてはわかるものの、これがなかなか容易な作業ではないということは学んで実践してみればわかると思います。

なぜならば、ひょんなことからすぐに人間の欲望が関わって、勝ち負けの構造(Wi-n-Lose)に陥ってしまうからです。

どうすればSDGsを掲げて、最後までAll-winの構造をキープすることができるのでしょうか。


ここで話題は長らく置いてきぼりだった「お金」という話題に少し切り込んできます。

とある参加者の方が「地域通貨」というものに話題を振られました。「地域通貨」とは、法廷通過ではないものの、ある特定の地域はコミュニティで法廷通過と同じ価値があるものとしてルール付けされて使用される貨幣のことです。

この「地域通貨」の運用の目的はお金を稼ぐということよりも、「地域の活性化」にあります。

その通貨がその地域でしか使えないという状況があることで、地域を応援したいと思う人がお金を出す仕組みが生まれ、

地域でのお店はその応援者のささやかな気持ちを感じながら、決して大儲けできるわけではないけれど商売を続けていけて、あるいは幸せな生活を営むことができるというのです。

また別の人は「お金は血液のようなもの」という言葉を紹介されました必ずしも量が多くないといけないわけではなく、常に循環させることで健康な状態を維持できるということを示したたとえです。

SDGsの発想はともすれば理想論だとか綺麗事として片付けられがちな話ですが、

要するにこの理想を達成するためには、私達の気持ちが必要最低限なもので満足できるように整うことが必要不可欠だということです。

情報社会の中ではよい情報も悪い情報も飛び交い、お金持ちやインフルエンサーと呼ばれる人達に刺激を受けて、自分達の欲望をかき立てられやすい側面があるのかもしれません。

しかしそんな中でも皆が必要最低限をわきまえることができれば、「All-win」の状況を生み出すことができるのではないかと思うのです。

もしかしたらフィンランドは厳しい極寒の地において、それぞれの人々が多くを求めさえしなければ結局一番皆が得をするという原理に実感とともに気づくことができ、

その気持ちがフィンランドという国を主体的によい方向へと改革し続ける国へと推し進めていったのかもしれません。

今の日本にそれを要求するのはやっぱり難しいのかもしれないけれど、

一つ私達が目指すべき方向性のひとつを指し示してくれているように私には思えます。


最後に結局どうすれば此度のようなネガティブ情報の「10割化現象」を予防できるかについてですが、

全員がデメリットだと感じないようにするためには、情報があることだけではなく、デメリットを感じなくて済むようになるための確固たる情報の質の高さが求められます。

それは今の新型コロナウイルス騒動のように、一旦10割化の波が巻き起こってから発信しても時すでに遅しで、

それだとまるで難病のように不可逆的な段階まで到達してしまっているために、元の状態へと可逆的に戻すことはできません。

従って、その「10割化の波」が巻き起こる前に、質の高い情報をまき散らしておく必要があると私は思うのです。

誰がどう考えても覆しようのない情報、それは数学とか物理といった分野がその役割を担ってきたのかもしれませんが、

その信頼性を悪用する人達もいるので、やはりその情報がばらまかれているというだけでは残念ながら不十分でしょう。

結局は一人ひとりの人が、情報の信頼性を確かめながら主体的に考えるという行動がとれない限りは、結局同じ「10割化現象」が繰り返されてしまうように思います。

そう考えると予防するのも一筋縄にはいきませんね。

ちなみに不可逆的な難病に対して私は医者としてどうアプローチするかというと、

①これ以上事態を悪化させる火種を入れ込まない
②残存機能を最大限に活かす


この2点を基本においています。

日本の政治に対しても、この2点の発想で付き合っていくしかないのかもしれません。

・・・結局、私達ができることは限られているという現実を突きつけられた哲学対話だったようにも思えますが、

それでもそういう構造を理解した上で悔いのないように生きられるか、知らずに巻き込まれるだけかというのでは、

人生の幸福度には雲泥の差が出るのではないかと私は思っています。


たがしゅう

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コメント

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しあわせ共和国
たがしゅうさん

お疲れ様です。
2000年代の前半に、この辺りにも「八ヶ岳大福帳」という地域通貨が存在していました。私も世話人の一人として参加し、「円」を中心とした社会のシステムを変えることができないまでも、一石を投じることが出来るのではないかと胸を躍らせていました。

しかし、「地域通貨」の捉え方は人それぞれで、人と人との繋がりと考える人がいる一方で、安く(或いはタダで)サービスが利用できるから参加するという人もいて、双方が満足することの出来ない取引が起こり、結局5年程でフェードアウトしてしまいました。

只、現在の様々な社会の歪みが貨幣システムに起因していることは間違いないと思いますし、その事に気づいている人も相当数おられるでしょう。
問題は理想をどのように具現化していくか、ということですが、私は、「円」が中心でなくても、みんなが幸せな生活をしていけるコミュニティー(しあわせ共和国)を作り上げ、コミュニティーの外にいる人に羨ましいと思ってもらう事が一番ではないかと思います。ネット社会の現代においては、もはやこのコミュニティーは「地域」に限定される必要もありません。

「現状」には強力なアンカリング効果がありますので、変化を作り出すのは容易ではありませんが、少なくとも問題を認識して足掻いた痕跡は残したいと思っています。自分の幸せのために。
Re: しあわせ共和国
あきにゃん さん

コメント頂き有難うございます。

> 「地域通貨」の捉え方は人それぞれで、人と人との繋がりと考える人がいる一方で、安く(或いはタダで)サービスが利用できるから参加するという人もいて、双方が満足することの出来ない取引が起こり、結局5年程でフェードアウトしてしまいました。

そうなのですよね。全員が少欲知足で多くを求めずに満足をすれば成立するはずのこのシステムも、人間の欲望がその循環をうまくいかなくさせる淀みを生み出してしまうというジレンマがあると感じます。

> 問題は理想をどのように具現化していくか、ということですが、私は、「円」が中心でなくても、みんなが幸せな生活をしていけるコミュニティー(しあわせ共和国)を作り上げ、コミュニティーの外にいる人に羨ましいと思ってもらう事が一番ではないかと思います。ネット社会の現代においては、もはやこのコミュニティーは「地域」に限定される必要もありません。

なるほどですね。
すでにお金の価値が社会で強く信じられている状況の中では、なかなか難しいこともあるかもしれませんが、All winの状況を作り出すには幸せを新たにどう生み出していくかという点がポイントのようにも思えます。なんだかんだで今は「結局お金がある方が幸せでしょ?」と皆が信じて疑わない側面がありますからね。

> 「現状」には強力なアンカリング効果がありますので、変化を作り出すのは容易ではありませんが、少なくとも問題を認識して足掻いた痕跡は残したいと思っています。自分の幸せのために。

本当そうですね。私も自分ごととして取り組みたいと思います。