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「なんで自分だけがこんな目に」思考の落とし穴

category - ふと思った事
2020/ 01/ 30
                 
糖質制限を実践されている方の中には、厳密に糖質制限をしていないと血糖値が上昇してしまうとのことで、

かなり日常の食生活の中で様々な制限を感じながら糖質制限に取り組んでおられるという方もおられると思います。

そういう方々の中から時々聞かれる言葉に「なんで自分だけがこんな目に遭うのか・・・」というものがあります。

確かに、あたりを見渡せばそこまで厳密に糖質制限を実行していなくても健康を維持していたり、減量などの目に見える成果を手に入れている方もいらっしゃいます。

かたや自分は少しでも糖質の入ったものを食べてしまうと血糖値が急上昇してしまうという、この不条理な違いは一体何なのかという風に思うのも無理もありません。

しかし気持ちはわかりますが、「なんで自分だけがこんな目に」という思考に陥ると悪循環となってしまうと私は思います。
            

生まれつき血糖値が上昇しやすいというのであればまだしも、「なんで自分だけがこんな目に」と思われる方の人生の中には別にそんな目にあっていなかった時代もあるはずです。

「こんな目」に遭う以前の状態と遭う以後の状態とに人生が分かれるのであれば、そのような状態変化を起こす合理的な要因が人生の中に存在していたということになります。

他人はともかく、少なくとも自分の人生にはそうした要因が、自分が認識しているかどうかは別として、確実に存在していたからこそ状態の変化が起こっているのです。

「なんでこんな目に」という思考の中には、「自分だけ他の人と比べて不運で不条理」という他者と比較しているからこそ出てくる負の感情が含まれてしまっているように思います。

しかし他人と比べることで発生してしまうこの「なんでこんな目に」には、「確固として存在する自分の中の要因から目を背けさせてしまう」という落とし穴があるように私は感じています。

つまり、生まれた時に最初に与えられたものが不足であったり、不十分であったりするせいで、今の自分の不条理な状態が引き起こされているのであり、そんな不運な自分を否定的に感じてしまうという思考パターンです。

しかし病気であろうとなかろうと、障害も性別も国籍もどうであっても、人は自分の中にあるもので始めていくより他にありません

それは他人がどうであろうと、周りの環境がどうであろうと、今自分の手元にあるものが自分の全てです。

不足や不十分という概念は誰かや何かと比べるからこそ出てくる考えであり、誰とも比較しなければ、そこに足りないも十分でないもありません。全てが生きていくためのかけがえのない財産です。

今、自分の身体に何とも制御しがたい現象が起こったのだとすれば、行うべきは他人と比べての自分の不幸を呪うことではなく、過去の自分の行動や思考にそうした現象を引き起こす要因がなかったかを見直すことではないでしょうか。

その根本原因が放置されたまま、体質や生まれつきといった類いの言葉で思考停止してしまうと、糖質制限でさえ単なる対症療法と化してしまい、血糖値という数値に支配され続ける人生となってしまいます。

「なんで自分だけがこんな目に」という思考の最大の罠は、自分がどんな状態に変わったとしても、幸運な他人の理想像と自分を比較する事によって生まれ続ける負の感情によって慢性持続性ストレスを受け続けるという所にあります。

そしてその慢性持続性ストレスは実際に身体に糖代謝を駆動させ続け、ストレス関連の病態を引き起こし続けます。血糖値の上昇もその一つです。

勿論、ストレスをうまくマネジメントするだけで血糖値が正常化するという単純な話ではありません。

しかし少なくともストレス性の血糖上昇部分は改善させることができますので、不要な血糖上昇は避けることができます。何より心理的にも常に慢性持続性ストレスを抱えているよりも、そうでない状態の方が生きていきやすいはずです。

膵臓のβ細胞の数が不可逆的に減少してしまったのだとすれば、その原因が必ずあるはずです。糖質過剰摂取は確かに一つの要因でしょうけれど、それ以外に何か要因はなかったであろうかと、考えていくのです。

固定の価値観にとらわれて、頑張りすぎて身体の声を聞かずに無理をさせ続けてしまったことはないでしょうか。

ネガティブな感情が頭の中をずっと支配しているような心のクセはないでしょうか。そしてそれは今も続いていたりしないでしょうか。

自分一人ではなかなか気づかないこともあるかもしれません。自分はその視点でのみ自分の人生を生きているからです。

時には誰か第三者の目を借りて、自分の人生や思考のクセを振り返ってみる作業も必要なのかもしれません。

そしてもし改善すべき要因が見つかり、それに対処することができれば一歩前進です。

勿論、それでも血糖値が上昇してしまい続ける事実に直面するかもしれません。それは膵臓のβ細胞をはじめ身体全体が受けた不可逆性変化の結果だと思います。

しかしそんな状況の中でも身体は今の状態に適応しようとして、その状況の中で新たなセットポイントを作り恒常性を維持しようとしているはずです。

そのセットポイント、つまりは血糖値の基準が世間の人達とずれているからといって比較する必要はありません。

自分にとってはその高いとされる血糖値の状態をキープすることが最も身体の安定した状態を作っているのかもしれません。

それが本当にうまく行っているのかどうかは体調が教えてくれるはずです。常に数値よりも体調を意識していくべきです。数値の基準は個人の中でおかれた状況によってダイナミックに変化しうるからです。

そしてそのダイナミックに変化していく自分の中での基準値が他人のそれと同じだとは限らないからです。



そもそも人生は、他人と比較してもろくなことはないと私は思っています。

イケメンでもないのにイケメンをうらやましがっても、男性なのに女性をうらやましがっても、何が変わるわけでもありません。

今自分のおかれた状況の中で最善を尽くすということを繰り返していくことこそが人生を豊かにしていく最大の秘訣ではないかと思うのです。

「ありのままの自分からはじめて、ありのままの自分を受け入れながら、自分の人生を前に進めていく」

他人と全く同じ人生のベクトルで歩んでいる人は誰一人おらず、皆それぞれが違う人生の道を歩んでいるものです。

それぞれの人が自分の人生の道を充実させていく、それを互いに尊重し合う、

そんな人生でありたいものです。私はそう思います。


たがしゅう

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コメント

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才能で生きる
ストレスの原因の最たるものは、「比較からの幻滅」ではないかと考えます。
他と比較して自分の方が優れている場合は、気分が高揚しストレスのむしろ発散に繋がるでしょうが、逆ならストレスの蓄積です。

我々の子供時代、努力が大事だと教えられてきましたが、その努力の前に自らの才能を知る事が先決だと最近思うのです。
ここで言う才能とは、何事も凌駕する突出した能力ではなく、ありのままの生まれ持つ能力です。
「無知の知」と同じ考えで、自分の生まれながらに持ち合わせた「能力の知」からスタートをきれば、その後は違和感の無い自然の生き方が待ち受けてくれると思うのです。
なんでしょうか。
こう偉そうに書きながら、自分に言い聞かせる為に書いている自分に気が付きました。
それ程、努力の幻想にハマって生きてきた世代なんでしょうね。
Re: 才能で生きる
だいきち さん

 コメント頂き有難うございます。

> 我々の子供時代、努力が大事だと教えられてきましたが、その努力の前に自らの才能を知る事が先決だと最近思うのです。
> ここで言う才能とは、何事も凌駕する突出した能力ではなく、ありのままの生まれ持つ能力です。
> 「無知の知」と同じ考えで、自分の生まれながらに持ち合わせた「能力の知」からスタートをきれば、その後は違和感の無い自然の生き方が待ち受けてくれると思うのです。


 おっしゃる通りだと思います。
 「努力が大事」の真意は、「他人と比べて努力せよ」にあらず、自分の中に備わっているものをまず確認し、そこからその可能性を拡げていくことが大事、すなわち努力というよりも「自己成長が大事」という所にあるのではないかと私は考える次第です。
自分は逆の考え方です
「なんで自分だけがこんな目に(糖尿病)」ではなく、
「自分がこんな目(糖尿病)になって良かった!」

自分としては、糖尿病になり糖質制限をして良かったと、確たる信念をもってます!
昨年糖質制限講演会東京でお話しされた、「主体性医療」
何でこんな目にではなく、これからどう進むか!だと思います。

「糖尿病からの復活!糖質依存からの脱却と覚醒!これからの糖質制限と自分自身の躍進!」
自分は主体性医療を突き進み、前向きに歩んでいきます!
Re: 自分は逆の考え方です
量産型ギムレット さん

 コメント頂き有難うございます。

> 自分としては、糖尿病になり糖質制限をして良かったと、確たる信念をもってます!
> 何でこんな目にではなく、これからどう進むか!だと思います。
> 自分は主体性医療を突き進み、前向きに歩んでいきます!


 素晴らしいです。そのように思って頂ける患者さんを増やしていきたいと私は考えています。
 自身の内なる意志に基づいた行動、それそのものがもたらす自身に対する治療効果には相当のものがあります。そのことを伝え続けていく医師でありたいと思います。